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テスト編
ノート
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金曜日の放課後。幸長と彰久、涼紀の三人はテスト対策のために図書室のちょうど真ん中の机で勉強をしていた。
「それでこれが第五文型になるわけなんだ。では涼紀クン。この例文を訳してみよう」
「えーっと、主語はIで、動詞がcallになってて、そのあとがherとAyanoだから……私は彼女をあやのと呼びます、でいいんすか?」
「エクセレント!」
向かい側に座っている涼紀に対し、懇切丁寧に幸長は英語を教えている。しかし、その一方で彰久は幸長の隣だが、動物園の折に入れられた動物のように隔離されていた。
「あ、あのー。僕にも勉強を教えて欲しいのですが……、幸長、くん?」
と恐る恐る彰久は言ったが幸長は無視して涼紀に教えていた。それでも彰久はあきらめない。
それもそのはず。彰久は勉強をしようにもノートが全くと言っていいほど取れていないからだ。もっと言うと教科書にアンダーラインも引いていないし、範囲も一切把握できていない。つまり何も出来ていないのだ。
執拗に何度も声を掛けていると、あまりにもしつこすぎたせいか幸長が不機嫌そうな表情で彰久の方を向いた。
「アッキー。今まで何もしなかった人が楽して点数取るなんて、頑張ってた人が馬鹿を見るだけだと思わない? 逆にやっていて分からない人は応援したくなるよね。つまり、僕はある程度努力してわからない人には教えてあげる。だけど、君みたいに授業中常に寝ているうえにノートも取らないでわからないっていう人に教えたくないわけだよ。分かったら一人で頑張ってくれたまえ」
幸長は冷たく彰久を冷たくあしらう。だが、そこであきらめる彰久ではない。
「でも、俺が試合出れなかったら試合に困るんじゃないか? 色々と」
彰久はこれならなんとか幸長を説得できるはずだ、と思っていた。だが、幸長はにっこりと微笑み、ノンノンと人差し指を横に振った。
「そうかなあ。打線に関しては僕が君の代わりになることはできるわけだし、他にもいい選手がいるからどうにかなるかな」
「じゃあ、キャッチャーは誰がするのさ? 俺以外にキャッチャーが出来るやつは」
今度は守備の面から攻めることにした。
実は明林には捕手が本職の選手が彰久しかいない。これは絶対にいける、と彰久は確信していた。だがこれもさっきと同じように、幸長は人差し指を横に振る。
「サードの日田くんが一応できるし、最悪涼紀くんにさせればいいじゃないか。ピッチングの組み立てだって、伸哉くんに任せればいい。もっとも、アッキーよりもクレバーだからリードのやり方とかすぐにインプットしてくれそうだし。あれ? 困ることなんてまるでないなあ」
ここぞとばかりに幸長は彰久を軽快に煽る。思わず顔を歪めそうになるが、それをぐっとこらえつつ、次の一手を考える。
しかし、彰久は説得するための用意していたカードをほぼ使いきってしまっていた。
こうなった以上、使える術はジョーカーともいえる禁断の一枚しか残っていない。だが、それは彰久にとってとても難しいものだった。
こうしてその最後の手段を躊躇して使えぬまま、時間は悪魔の悪戯のように進んでいくだけであった。
真っ白なノートと不毛な睨めっこをやめて机上に置いたの腕時計を見てみると、針は既に五時四十九分を示していた。図書室の閉館時間までおおよそ四十分。彰久に残された時間はあまり多くはない。
(このままだといつものように週末何もせず、本番を迎えて討ち死するっていうパターンになってしまう。それだけは避けないと。じゃないと……!)
「仕方がない。背に腹は代えられん」
彰久は腹を括った。絶対に使いたくなかった方法ではあった。
だが、彰久に残された手段はもうそれしかなかった。そうでもしなければ、平均六十点は絶対に超えられない。
彰久は勢いよく椅子から立ち上がる。そして右手で幸長の左肩をちょんちょんと叩いた。
「なんだい? いきなり立ち上がって。勉強を教えてならもちろんダメにきま……え?!」
幸長は思いもよらない光景に一瞬目を疑った。振り向くとなんと彰久は土下座をしていたのだ。
これには幸長も、というよりこの場にいた全員が驚かずにはいられなかった。
「お願いします! どうか俺にノートを写させて下さい!! 俺には野球しかないんです。もしここで平均六十を越えず、試合に出れなかったら何も残らないんです!! だからお願いです! どうか僕にノートを写させて下さい!!!!」
彰久の悲痛な叫びは図書いつ全体に響き渡る。それとともに、幸長と涼紀に冷たい視線を降り注いぎ、彰久は憐みの目で見られていた。
「せ、先輩! なんかやばいっすよ!」
涼紀は幸長の耳元に囁く。
「そんなのわかっているよ。本当は絶対に断りたいところだけどねえ……」
幸長はゆるりと周囲を見渡すが、自分に対する敵意と彰久への憐れみしか感じ取れなかった。
「意固地になっていた僕が悪かったよ。アッキー。ノートは写させてあげることにするけど、その代わりコピーしたものでもいいかい?」
ぎこちない作り笑みを浮かべ、幸長は棒読みで彰久に提案した。
「もちろん構いません」
彰久は一も二も無く頭を下げたまま答えた。
「とりあえずコピーはまた帰りに渡すから、今は数学のノートを貸してあげるね?」
「はい! ありがとうございます! では早速取り組ませていただきます」
立ち上がると幸長からノートを卒業証書のように大切に受け取り、早速写し作業に取り掛かった。その様子は野球をしている時と何一変わりない真剣な表情だった。
「普段からこのくらいすれば困らないんだけどね」
「そうですよね。俺もうここにしばらく来たくないっす」
「僕も……いや、一生来ない」
必死になってノートを写す彰久を尻目に、二人はひっそりと肩身を狭くして椅子に座っていた。
「それでこれが第五文型になるわけなんだ。では涼紀クン。この例文を訳してみよう」
「えーっと、主語はIで、動詞がcallになってて、そのあとがherとAyanoだから……私は彼女をあやのと呼びます、でいいんすか?」
「エクセレント!」
向かい側に座っている涼紀に対し、懇切丁寧に幸長は英語を教えている。しかし、その一方で彰久は幸長の隣だが、動物園の折に入れられた動物のように隔離されていた。
「あ、あのー。僕にも勉強を教えて欲しいのですが……、幸長、くん?」
と恐る恐る彰久は言ったが幸長は無視して涼紀に教えていた。それでも彰久はあきらめない。
それもそのはず。彰久は勉強をしようにもノートが全くと言っていいほど取れていないからだ。もっと言うと教科書にアンダーラインも引いていないし、範囲も一切把握できていない。つまり何も出来ていないのだ。
執拗に何度も声を掛けていると、あまりにもしつこすぎたせいか幸長が不機嫌そうな表情で彰久の方を向いた。
「アッキー。今まで何もしなかった人が楽して点数取るなんて、頑張ってた人が馬鹿を見るだけだと思わない? 逆にやっていて分からない人は応援したくなるよね。つまり、僕はある程度努力してわからない人には教えてあげる。だけど、君みたいに授業中常に寝ているうえにノートも取らないでわからないっていう人に教えたくないわけだよ。分かったら一人で頑張ってくれたまえ」
幸長は冷たく彰久を冷たくあしらう。だが、そこであきらめる彰久ではない。
「でも、俺が試合出れなかったら試合に困るんじゃないか? 色々と」
彰久はこれならなんとか幸長を説得できるはずだ、と思っていた。だが、幸長はにっこりと微笑み、ノンノンと人差し指を横に振った。
「そうかなあ。打線に関しては僕が君の代わりになることはできるわけだし、他にもいい選手がいるからどうにかなるかな」
「じゃあ、キャッチャーは誰がするのさ? 俺以外にキャッチャーが出来るやつは」
今度は守備の面から攻めることにした。
実は明林には捕手が本職の選手が彰久しかいない。これは絶対にいける、と彰久は確信していた。だがこれもさっきと同じように、幸長は人差し指を横に振る。
「サードの日田くんが一応できるし、最悪涼紀くんにさせればいいじゃないか。ピッチングの組み立てだって、伸哉くんに任せればいい。もっとも、アッキーよりもクレバーだからリードのやり方とかすぐにインプットしてくれそうだし。あれ? 困ることなんてまるでないなあ」
ここぞとばかりに幸長は彰久を軽快に煽る。思わず顔を歪めそうになるが、それをぐっとこらえつつ、次の一手を考える。
しかし、彰久は説得するための用意していたカードをほぼ使いきってしまっていた。
こうなった以上、使える術はジョーカーともいえる禁断の一枚しか残っていない。だが、それは彰久にとってとても難しいものだった。
こうしてその最後の手段を躊躇して使えぬまま、時間は悪魔の悪戯のように進んでいくだけであった。
真っ白なノートと不毛な睨めっこをやめて机上に置いたの腕時計を見てみると、針は既に五時四十九分を示していた。図書室の閉館時間までおおよそ四十分。彰久に残された時間はあまり多くはない。
(このままだといつものように週末何もせず、本番を迎えて討ち死するっていうパターンになってしまう。それだけは避けないと。じゃないと……!)
「仕方がない。背に腹は代えられん」
彰久は腹を括った。絶対に使いたくなかった方法ではあった。
だが、彰久に残された手段はもうそれしかなかった。そうでもしなければ、平均六十点は絶対に超えられない。
彰久は勢いよく椅子から立ち上がる。そして右手で幸長の左肩をちょんちょんと叩いた。
「なんだい? いきなり立ち上がって。勉強を教えてならもちろんダメにきま……え?!」
幸長は思いもよらない光景に一瞬目を疑った。振り向くとなんと彰久は土下座をしていたのだ。
これには幸長も、というよりこの場にいた全員が驚かずにはいられなかった。
「お願いします! どうか俺にノートを写させて下さい!! 俺には野球しかないんです。もしここで平均六十を越えず、試合に出れなかったら何も残らないんです!! だからお願いです! どうか僕にノートを写させて下さい!!!!」
彰久の悲痛な叫びは図書いつ全体に響き渡る。それとともに、幸長と涼紀に冷たい視線を降り注いぎ、彰久は憐みの目で見られていた。
「せ、先輩! なんかやばいっすよ!」
涼紀は幸長の耳元に囁く。
「そんなのわかっているよ。本当は絶対に断りたいところだけどねえ……」
幸長はゆるりと周囲を見渡すが、自分に対する敵意と彰久への憐れみしか感じ取れなかった。
「意固地になっていた僕が悪かったよ。アッキー。ノートは写させてあげることにするけど、その代わりコピーしたものでもいいかい?」
ぎこちない作り笑みを浮かべ、幸長は棒読みで彰久に提案した。
「もちろん構いません」
彰久は一も二も無く頭を下げたまま答えた。
「とりあえずコピーはまた帰りに渡すから、今は数学のノートを貸してあげるね?」
「はい! ありがとうございます! では早速取り組ませていただきます」
立ち上がると幸長からノートを卒業証書のように大切に受け取り、早速写し作業に取り掛かった。その様子は野球をしている時と何一変わりない真剣な表情だった。
「普段からこのくらいすれば困らないんだけどね」
「そうですよね。俺もうここにしばらく来たくないっす」
「僕も……いや、一生来ない」
必死になってノートを写す彰久を尻目に、二人はひっそりと肩身を狭くして椅子に座っていた。
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