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@13日目
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いつものように、いつもと同じ場所、いつもよりも少しだけ早い時間帯。
白綿が光を遮る昼下がり、少年は、老婆の言葉を思い浮かべながら、少年はカギを握る。
『あたしゃ、人の事を思い遣って相手のために吐くのが許される嘘、人とぶつからないために自分を騙して吐くのが許されない嘘なんじゃないかと思うよ。』
基準の判らない、曖昧すぎる線で区切られたものは、果たして区別と言えるのか。
少年には、それを認めることが出来ない。
白は白、黒は黒と区別をつけるべきだという考えの少年にとって、グレーという基準は許し難いものだったのだ。
そうこう考えているうちに、熊の胴体に当たる部分が、決して完璧とは言えないが、出来上がりつつあった。
「おや、なかなか上手くなったじゃないか。」
少年が満足そうに手元の熊になりかけたものを見ていると、上から声が降ってくる。
もういい加減聞き飽きた老婆の声だ。
「ありがとうございます。」
褒められて悪い気はしないのか、少年の顔が綻ぶ。
「助言もなく、よくここまで編んだねえ。」
老婆も嬉しそうに応じると、少年から熊になりかけたものを受けとる。
「ふんふん……まあ100点とは言えないが、助言無しにしちゃ、なかなか上出来じゃないか。よく頑張ったねえ。」
相変わらず、率直な褒め方であるとは到底言えないが、少年は照れ臭そうに頭を掻く。
「ありがとうございます。」
少年は老婆から編みぐるみになりかけたものを受け取ると、自分の手の中に収まったそれを見る。
それを見ているうちに、ふと、つい先日老婆に言われた言葉を思い出す。
「あの……この前、僕に『賢さと引き換えに自分の言葉を捨て』てしまったって言ってましたよね。」
思わず口をついて出た言葉に、少年も目を丸くする。
そんな少年に、老婆は、真剣な眼差しを向ける。
「僕、そうじゃないと思うんです。」
ここまで言ったらもう後には引けないと、引かないと、少年は老婆に語りかける。
普段なら自分の考えなど絶対に人に言わない少年は、しかし、どうしても自分の言葉を、老婆に伝えたいと思ったのだ。
「そうしないと、生きていけないんです。」
そんな少年の思いに応えるように、老婆はただただ黙って、少年の言葉に耳を傾ける。
「僕、長い物に巻かれるって考え方、正しいと思うんです。」
少年は、ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。
老婆はそれに、一切の言葉を挟まない。
「イエスマンの何が悪いのか、分からないんです。」
夏の生暖かい風が、少年と老婆を包み込む。
辺りの喧騒と蝉時雨と、果たして大きく聞こえているのはどちらか。
「だって、反論さえしなければ、別に誰ともぶつからない。ぶつからなければ嫌われることもない。」
この前喧嘩をしていた子供達は、何事もなかったかのように遊びまわっている。
相手と自分の考えが食い違っても、相手の意に反する事を言っても大丈夫だと思えなくなったのはいつからだろう。
「なら、どう思ってたってそれを言わない方がいいじゃないですか。」
少年の言葉を受けて、老婆は子供たちの方を見る。
屈託のない笑みを浮かべて走り回る子供たちを見て老婆が何を思うのか、少年には判らない。
「それを賢くなったって言うんだよ。」
老婆はそう言うと、少年の方をゆっくりと見遣ると、再び子供たちの方を見る。
「子供は、決して自分に嘘を吐こうとしない……出来ないんだよ。」
老婆は、何処か懐かしむように呟く。
「それが、大人になるにつれて段々と、否が応でも自分に嘘を吐くように、吐くことを覚えていくんだよ。」
暑苦しい真夏の熱気に包まれて、少年はただ、汗を拭いながら老婆の言葉に耳を傾ける。
「それは、周りと上手くやっていくために必要なもんなんだよ。だから、あたしゃあんたの考えを否定しないし、あんたは寧ろ誇りに思っていいんだよ。あんたはそれだけ成長したんだ。」
老婆はそう言うと、しわくちゃの顔に満面の笑みを浮かべる。
少年は、そう言われて、何となく今までの疑問に思っていたことに対する答えを見つけられたような気がする。
それと同時に、少しだけ、今ある自分に自信を持てたような気がした。
「でもね、それだけじゃダメなんだよ。」
老婆は、真っ直ぐ少年を見つめると、少年の方を頭に手を自分の手をのせる。
「その知恵は、あんたに毒を溜めちまうんだ。その毒は少しずつ、あんたも気づかないうちに、あんたをあんたじゃなくしちまうんだよ。」
初めて少年に触れた老婆の手を、少年は無意識にそっと掴む。
少年が触ったそれは、もう随分としわだらけで、骨ばっている。
けれどとても温かいくて、何故か少しだけ心が落ち着いた。
「それはあんたが自分のために嘘を吐いてるからだ。自分が嫌われないためっていう理由のためだけに、嘘を吐いてるからなんだよ。」
老婆の顔は、とても優しい。
けれど、少年には判らない。
その手の嘘を、人のために吐こうという人間の気持ちが判らないのだ。
「自分が嫌われたくないがために吐く嘘は、いつか本当のあんたを見失わせちまう。でも、人の心を慮って吐いた嘘は、あんたの事を絶対に裏切らないんだ。」
諭すように言われても、少年の心の蟠りは消えない。
「だから、本当の自分を受け入れてくれる人……自分の意見をとことん聞いてくれて、相手も自分の言いたいことをとことん言ってくれて……そんな事ができる人を見つけるんだよ。」
老婆は、クシャクシャと少年の頭を撫でる。
少年は、相変わらず老婆の言葉を理解できないし、信じられない。
しかし、不思議と、不快感は覚えない。
「じゃ、あたしゃ帰るよ。」
その言葉と共に、少年の頭に触れていた老婆の手は、少年の頭からそっと離れる。
ほんの少しだけ名残惜しさを感じながら、少年は立ち上がる老婆の姿を見守る。
杖をついて家路に着く老婆の背中を見送ってから、少年もベンチから立ち上がる。
太陽が少しだけ顔を覗かせる公園で暖かい風に包まれながら、纏まらない髪の毛に手を当てて、少年も家路に着いた。
白綿が光を遮る昼下がり、少年は、老婆の言葉を思い浮かべながら、少年はカギを握る。
『あたしゃ、人の事を思い遣って相手のために吐くのが許される嘘、人とぶつからないために自分を騙して吐くのが許されない嘘なんじゃないかと思うよ。』
基準の判らない、曖昧すぎる線で区切られたものは、果たして区別と言えるのか。
少年には、それを認めることが出来ない。
白は白、黒は黒と区別をつけるべきだという考えの少年にとって、グレーという基準は許し難いものだったのだ。
そうこう考えているうちに、熊の胴体に当たる部分が、決して完璧とは言えないが、出来上がりつつあった。
「おや、なかなか上手くなったじゃないか。」
少年が満足そうに手元の熊になりかけたものを見ていると、上から声が降ってくる。
もういい加減聞き飽きた老婆の声だ。
「ありがとうございます。」
褒められて悪い気はしないのか、少年の顔が綻ぶ。
「助言もなく、よくここまで編んだねえ。」
老婆も嬉しそうに応じると、少年から熊になりかけたものを受けとる。
「ふんふん……まあ100点とは言えないが、助言無しにしちゃ、なかなか上出来じゃないか。よく頑張ったねえ。」
相変わらず、率直な褒め方であるとは到底言えないが、少年は照れ臭そうに頭を掻く。
「ありがとうございます。」
少年は老婆から編みぐるみになりかけたものを受け取ると、自分の手の中に収まったそれを見る。
それを見ているうちに、ふと、つい先日老婆に言われた言葉を思い出す。
「あの……この前、僕に『賢さと引き換えに自分の言葉を捨て』てしまったって言ってましたよね。」
思わず口をついて出た言葉に、少年も目を丸くする。
そんな少年に、老婆は、真剣な眼差しを向ける。
「僕、そうじゃないと思うんです。」
ここまで言ったらもう後には引けないと、引かないと、少年は老婆に語りかける。
普段なら自分の考えなど絶対に人に言わない少年は、しかし、どうしても自分の言葉を、老婆に伝えたいと思ったのだ。
「そうしないと、生きていけないんです。」
そんな少年の思いに応えるように、老婆はただただ黙って、少年の言葉に耳を傾ける。
「僕、長い物に巻かれるって考え方、正しいと思うんです。」
少年は、ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。
老婆はそれに、一切の言葉を挟まない。
「イエスマンの何が悪いのか、分からないんです。」
夏の生暖かい風が、少年と老婆を包み込む。
辺りの喧騒と蝉時雨と、果たして大きく聞こえているのはどちらか。
「だって、反論さえしなければ、別に誰ともぶつからない。ぶつからなければ嫌われることもない。」
この前喧嘩をしていた子供達は、何事もなかったかのように遊びまわっている。
相手と自分の考えが食い違っても、相手の意に反する事を言っても大丈夫だと思えなくなったのはいつからだろう。
「なら、どう思ってたってそれを言わない方がいいじゃないですか。」
少年の言葉を受けて、老婆は子供たちの方を見る。
屈託のない笑みを浮かべて走り回る子供たちを見て老婆が何を思うのか、少年には判らない。
「それを賢くなったって言うんだよ。」
老婆はそう言うと、少年の方をゆっくりと見遣ると、再び子供たちの方を見る。
「子供は、決して自分に嘘を吐こうとしない……出来ないんだよ。」
老婆は、何処か懐かしむように呟く。
「それが、大人になるにつれて段々と、否が応でも自分に嘘を吐くように、吐くことを覚えていくんだよ。」
暑苦しい真夏の熱気に包まれて、少年はただ、汗を拭いながら老婆の言葉に耳を傾ける。
「それは、周りと上手くやっていくために必要なもんなんだよ。だから、あたしゃあんたの考えを否定しないし、あんたは寧ろ誇りに思っていいんだよ。あんたはそれだけ成長したんだ。」
老婆はそう言うと、しわくちゃの顔に満面の笑みを浮かべる。
少年は、そう言われて、何となく今までの疑問に思っていたことに対する答えを見つけられたような気がする。
それと同時に、少しだけ、今ある自分に自信を持てたような気がした。
「でもね、それだけじゃダメなんだよ。」
老婆は、真っ直ぐ少年を見つめると、少年の方を頭に手を自分の手をのせる。
「その知恵は、あんたに毒を溜めちまうんだ。その毒は少しずつ、あんたも気づかないうちに、あんたをあんたじゃなくしちまうんだよ。」
初めて少年に触れた老婆の手を、少年は無意識にそっと掴む。
少年が触ったそれは、もう随分としわだらけで、骨ばっている。
けれどとても温かいくて、何故か少しだけ心が落ち着いた。
「それはあんたが自分のために嘘を吐いてるからだ。自分が嫌われないためっていう理由のためだけに、嘘を吐いてるからなんだよ。」
老婆の顔は、とても優しい。
けれど、少年には判らない。
その手の嘘を、人のために吐こうという人間の気持ちが判らないのだ。
「自分が嫌われたくないがために吐く嘘は、いつか本当のあんたを見失わせちまう。でも、人の心を慮って吐いた嘘は、あんたの事を絶対に裏切らないんだ。」
諭すように言われても、少年の心の蟠りは消えない。
「だから、本当の自分を受け入れてくれる人……自分の意見をとことん聞いてくれて、相手も自分の言いたいことをとことん言ってくれて……そんな事ができる人を見つけるんだよ。」
老婆は、クシャクシャと少年の頭を撫でる。
少年は、相変わらず老婆の言葉を理解できないし、信じられない。
しかし、不思議と、不快感は覚えない。
「じゃ、あたしゃ帰るよ。」
その言葉と共に、少年の頭に触れていた老婆の手は、少年の頭からそっと離れる。
ほんの少しだけ名残惜しさを感じながら、少年は立ち上がる老婆の姿を見守る。
杖をついて家路に着く老婆の背中を見送ってから、少年もベンチから立ち上がる。
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