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第4章 同化
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昔々、あるところに、ある少年がいた。彼の父は有名な外科医、母は薬剤の研究者。環境にも才能にも恵まれた彼は、あまり、両親と接する事がない。それでも、
「秀人、誕生日おめでとう。」
「今日は秀人の大好きなハンバーグ、作ってみたわよ!」
親の愛情は、十分すぎる程に感じていた。誕生日やクリスマスの度に増えてゆくプレゼント、歪な形のハンバーグ、普段家にいない両親が家にいるこの日が、とても大好きだった。
少年は、たまに変なものを見る。今、自分が話している筈の相手が、他の人には見えていない。遊んでいた筈の友達が、そこにはいないーー気味悪がられることも多かった。しかし、少年には知力がある。運動もそこそこできた。人望が疑念を上回っている中で、彼に悪さをする人間はいない。けれど、何となく、周囲と自分が違うような気がしていた。
滅多に会えない両親のことを、しかしながら少年はとても尊敬していた。
「あのね、ぼく、いつかおとうさんみたいなおいしゃさんになるんだ。」
屈託なく笑う少年に、父は照れ臭そうに微笑んだ。
『父のような医師になる』そんな目標のため、たゆまぬ努力を続けていた少年。
「久しぶりに、お散歩しましょう?」
やっと休暇をとった母が、少年を散歩に誘う。
「うん。」
春の日差しの中、小柄な少年と母は、手を繋いで歩く。空、建物、道ーーいつも見ている筈の景色が、今日は特別綺麗に映る。辿り着いた公園に、ソレは、いた。
「ねえ、おかあさん、」
少年は、不思議そうな顔で母の手を引っ張る。
「どうしたの?」
優しく問い返す母。春の公園に、今、二人以外に人はいない。
「あのこ、だあれ?」
春一番が、言葉を拐う。次の瞬間、少年は母の胸の中にいた。
「今まで構ってあげられなくてごめんね……」
震える、母の声。積み上げてきた違和感が、静かに形を成す。心療内科に連れていかれたその日、自分が『普通』ではないことを、知った。
それでも、ソレらは見えてしまう。人に紛れて、人を装って、少年に話しかけてくる。
「あれはかべのしみ……かぜのおと……」
必死に誤魔化す現実は、大きなうねりを伴って少年に襲い掛かった。それでも、
「……あれは……ただのかげ……」
怯えながら一人、必死に見えるものを覆い隠し続けた。
あの日以降、少年は尚更必死に努力した。
「……秀人、少し休んだら?」
「……ここまでやってから休むよ。」
持って生まれた才能と努力の結果、勉強でも運動でも、彼に勝る者はいなくなっていた。中学三年生、丁度受験が迫る時期、多分、どの高校でも余裕で通るだろうと、周囲は踏んでいた。それでも、何かに追われるように、少年はひたすら努力を続けた。そんな最中、嬉しそうな母の声。
「お父さんねえ、今日テレビに出るのよ!」
「そうなんだ。」
食事をしながら、普段は消えたままのテレビを見る。そこには大きく映る父の姿があった。医師としての自負、信念ーー対談するキャスターは感銘を受けている。父も母も、少年にとっては誇らしかった。最前線で命を救う父と、それを支えるため、日夜研究する母。少し違う自分でも、いつかは二人の背中を追える、そう思っていた。
「子供さんも、ゆくゆくはお医者様に?」
いつしか移行していた家族の話題。思わず、耳を傾ける。少しでも、自分は両親の理想に近づけただろうかーー
「そうですねえ……」
高鳴る心に響いたのは、
「『普通』に育ってくれれば、それだけで十分ですかね。」
到底自分だは到達し得ない理想だった。自分の中で、何かが崩れ落ちた瞬間だった。
それからは、全てがどうでもよくなった。医学部、薬学部以外で適当に決めた進路。すんなりと決まった大学、家。特待生なので、学費はいらない。とりあえず、生活費はバイトで稼ぐ。親の力は一切借りないと、強く誓った。それでも、家を出る時に強引に押し付けられた通帳だけは、今も机の抽斗で眠ったままだ。
子の心を、親もまた、知ることができなかったのだ。
秀人はまた、廃墟の前に立っていた。今度は一人で中に入る。右手に大きなカッターを、隣に、怪異を携えて。明りも灯さず、一歩、また一歩と歩みを進める。軋む階段を上がった先、二階のあの部屋ーー怪異が人間だった頃、命を絶った場所ーーに、何の躊躇もなく向かう。そして、
「……」
まずは試しに切ってみる。手首に深く引かれたこの世との稜線から、体の温度が抜け出してゆく。
「秀人、誕生日おめでとう。」
「今日は秀人の大好きなハンバーグ、作ってみたわよ!」
親の愛情は、十分すぎる程に感じていた。誕生日やクリスマスの度に増えてゆくプレゼント、歪な形のハンバーグ、普段家にいない両親が家にいるこの日が、とても大好きだった。
少年は、たまに変なものを見る。今、自分が話している筈の相手が、他の人には見えていない。遊んでいた筈の友達が、そこにはいないーー気味悪がられることも多かった。しかし、少年には知力がある。運動もそこそこできた。人望が疑念を上回っている中で、彼に悪さをする人間はいない。けれど、何となく、周囲と自分が違うような気がしていた。
滅多に会えない両親のことを、しかしながら少年はとても尊敬していた。
「あのね、ぼく、いつかおとうさんみたいなおいしゃさんになるんだ。」
屈託なく笑う少年に、父は照れ臭そうに微笑んだ。
『父のような医師になる』そんな目標のため、たゆまぬ努力を続けていた少年。
「久しぶりに、お散歩しましょう?」
やっと休暇をとった母が、少年を散歩に誘う。
「うん。」
春の日差しの中、小柄な少年と母は、手を繋いで歩く。空、建物、道ーーいつも見ている筈の景色が、今日は特別綺麗に映る。辿り着いた公園に、ソレは、いた。
「ねえ、おかあさん、」
少年は、不思議そうな顔で母の手を引っ張る。
「どうしたの?」
優しく問い返す母。春の公園に、今、二人以外に人はいない。
「あのこ、だあれ?」
春一番が、言葉を拐う。次の瞬間、少年は母の胸の中にいた。
「今まで構ってあげられなくてごめんね……」
震える、母の声。積み上げてきた違和感が、静かに形を成す。心療内科に連れていかれたその日、自分が『普通』ではないことを、知った。
それでも、ソレらは見えてしまう。人に紛れて、人を装って、少年に話しかけてくる。
「あれはかべのしみ……かぜのおと……」
必死に誤魔化す現実は、大きなうねりを伴って少年に襲い掛かった。それでも、
「……あれは……ただのかげ……」
怯えながら一人、必死に見えるものを覆い隠し続けた。
あの日以降、少年は尚更必死に努力した。
「……秀人、少し休んだら?」
「……ここまでやってから休むよ。」
持って生まれた才能と努力の結果、勉強でも運動でも、彼に勝る者はいなくなっていた。中学三年生、丁度受験が迫る時期、多分、どの高校でも余裕で通るだろうと、周囲は踏んでいた。それでも、何かに追われるように、少年はひたすら努力を続けた。そんな最中、嬉しそうな母の声。
「お父さんねえ、今日テレビに出るのよ!」
「そうなんだ。」
食事をしながら、普段は消えたままのテレビを見る。そこには大きく映る父の姿があった。医師としての自負、信念ーー対談するキャスターは感銘を受けている。父も母も、少年にとっては誇らしかった。最前線で命を救う父と、それを支えるため、日夜研究する母。少し違う自分でも、いつかは二人の背中を追える、そう思っていた。
「子供さんも、ゆくゆくはお医者様に?」
いつしか移行していた家族の話題。思わず、耳を傾ける。少しでも、自分は両親の理想に近づけただろうかーー
「そうですねえ……」
高鳴る心に響いたのは、
「『普通』に育ってくれれば、それだけで十分ですかね。」
到底自分だは到達し得ない理想だった。自分の中で、何かが崩れ落ちた瞬間だった。
それからは、全てがどうでもよくなった。医学部、薬学部以外で適当に決めた進路。すんなりと決まった大学、家。特待生なので、学費はいらない。とりあえず、生活費はバイトで稼ぐ。親の力は一切借りないと、強く誓った。それでも、家を出る時に強引に押し付けられた通帳だけは、今も机の抽斗で眠ったままだ。
子の心を、親もまた、知ることができなかったのだ。
秀人はまた、廃墟の前に立っていた。今度は一人で中に入る。右手に大きなカッターを、隣に、怪異を携えて。明りも灯さず、一歩、また一歩と歩みを進める。軋む階段を上がった先、二階のあの部屋ーー怪異が人間だった頃、命を絶った場所ーーに、何の躊躇もなく向かう。そして、
「……」
まずは試しに切ってみる。手首に深く引かれたこの世との稜線から、体の温度が抜け出してゆく。
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