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 ー高千穂町 招かざる者ー

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 タケルと阿比留はリサの家に寄って挨拶を済ませると、リサの車は置いて阿比留の車で高千穂町に向かった。
 南阿蘇村から高森町を過ぎて高千穂に向かう峠の上り坂は、阿蘇山のふもとに拡がる田畑や町並みが一望できる絶景ポイントだが、今は荒れた荒野にしか見えない。
  リサが後部座席から、阿蘇山を指さしながら声をかけた。
「阿蘇山の裾野にゆるやかな丘が見えるやろ!?その丘の下には龍が横たわっているらしくてね。阿蘇の米や野菜の栄養が高くて美味しいのは、その龍の背中で採れる作物だからって言う人もおるんよ」
「へぇ~」
 タケルと阿比留が同時に口にした。
「今年はこんな状態やけん、米も野菜も口にはできんけどね」
 リサが残念がっていた。
「龍って、水と関係してなかったか?阿蘇山の裾野におるんなら、龍が雨を降らせてくれたらいいのにな」
 阿比留がちょっと皮肉を言った。

 高森町の峠を越えて高千穂へ続く高原の道は、南阿蘇村辺りとは別世界で、木々には若葉が萌えて鳥も鳴き、普通の田畑があるあたりまえの5月だった。

 高千穂町は、熊本県と隣接する宮崎県北部の深い山に囲まれた平地はわずかな町で、高い山の中腹辺りをバイパスが縫うように走って、旧道と川をはるか下に見るような所だ。
 
 太陽の神アマテラスが身を隠した天岩戸がある天岩戸神社や、八百万の神々たちがアマテラスを誘い出す相談をしたと言われる天安河原あまのやすがわらなど、日本神話にふさわしい神秘的な町だ。
 
 また、季節や天気などの条件が揃えば、国見ヶ丘から見える雲海は壮観で、雲海の中に神々がたたずんでいるかのような錯覚を起こしてしまう、そんな幻想的なところもあわせ持つ町でもある。

 リサの祖母信子が住む家は、高千穂町の中心から延岡市に行く国道から脇道に入った集落にあった。
「アビ君、この先の角を右ね。狭いから気をつけて」
「了解!」
 阿比留がハンドルを右に切った先の脇道に、白無垢に綿帽子の花嫁が、数人の黒紋付きを着た人と、庭木の間の道を玄関へと歩いているのを見かけた。
「結婚式!?綺麗やね~。なんか縁起がいいね!」
 リサは運転席まで身を乗り出して感動していた。

 タケル達を乗せた車が通りすぎ過ぎると、花嫁が立ち止まってゆっくりと振り向いた。
 振り向いた綿帽子の下の花嫁の白い顔は、目がつり上がっていた。

 リサの祖母信子が作ってくれた手料理はどれもが美味しく、特に山菜おこわは絶品だった。
 端午の節句ということもあって、ちまきも用意してタケル達をもてなした。

 遅い昼食を食べ終えた頃、縁側の方から声がした。
「のぶちゃん、居るね~?」
「居るよ~、キクちゃん。上がっておいで~」
 祖母の信子が、居間と縁側を仕切る障子に向かって声をかけた。
 よっこらしょ、と声がしたあと、障子が開いた。
 「あら、お客さんはリサちゃん達やったと!?」
 と、タケルと阿比留にも軽く頭を下げた。
「さっき地区長さんが来らして、のぶちゃんの家はお客さんみたいやから遠慮したと言いよったよ」
「キクおばちゃん、お久しぶり。元気そうやね」
「リサちゃんも元気そうやけど、南阿蘇村は大変みたいね。家の方は大丈夫ね?」
「うん、お陰さまで…」
「よかった。でも、変な天気の続きよるね!」
 祖母の信子と同じくらいの歳のキクは、リサが煎れたお茶を一口飲んで、あぁ、おいしいと言った。
「地区長さんは、遠慮せんでもよかったのに…」
「今年の山の神祭りのことで来らして、今年もよろしくと挨拶に来たみたいやったよ」
「もう、そげんな時期になったとやねぇ」

「山の神の祭りですか?」
 タケルが尋ねた。
「そう、この辺りでは林業を生活の糧にしてる人も多いけん、日頃の山への恩恵と山の神に感謝して、お神酒と料理をお供えしてお祭りをする風習があるとよ」
 と、キクが説明すると、
「山の神の日には、山の神が緋色の着物を着て、山の様子を見てまわるらしか…。
 その日、山に入って山の神の姿を見かけると、山の神の怒りに触れて怪我をしたり、最悪は死んだりすると伝えられててね…」
 と、信子がつけ加えて、さらに続けた、
「だから、その日はお祭りにして仕事を休み、山には近づかんようにしとると。
特に女はね…」
「え?なんで女はダメやと?」
 リサが不服そうな顔をした。
「山の神は女でね、女が山に入ると嫉妬するらしかよ」
「へぇ~、おもしろいね。嫉妬か~」
 リサが興味ありそうな顔をすると、
「もう私らは、半分はおじさんみたいなもんやけどねぇ」
 ポツリと言ったキクの言葉に、タケル達は顔を見合せ、少し間をおいてみんなで大笑いした。
「もう!キクおばちゃん、おもしろか!」
 リサがキクの肩をつついた。
 キクは肩をすくめて見せた。
 信子は笑ったあと、エプロンで目じりを押さえて、
「山仕事は肉体労働でも、そう簡単には休めんし、かといって定休日があるわけでもないやろ!?
骨休めの意味もあって、みんなで飲んで騒いで、日々の仕事の辛さを忘れるとよ
お祭りって言えば、昼間っから堂々と酒が飲める口実にもなると…」
 と、言うと、
「私は、朝から飲んでもいいとやけどね」
 キクがまた笑わせた。
「昔の人たちは仕事も多かったし、遊ぶ所もなくて近所の人とも顔を合わせることが少なかったけん、お祭りやら常会とかの集まり事を作って、コミュニケーションをとったり、情報交換をしたりする場を設けたんやろうね」
「そっか! 今のように何でも電話で済むような時代じゃなかったんやもんね。
でも、いい事よね。最近は隣に住む人の顔も知らんような時代やもん…。
あ、そうそう…。ここに来る途中に結婚式を見たよ。嫁入りって言うんかね?
綺麗やったよ~。ね!」
 リサが、タケルと阿比留に同意を求めた。
「嫁入り!?この辺で?」
 信子が驚いた。
「うん、すぐ近くで」
「おかしいねぇ、狭い地区やからそんな話があれば私たちにも伝わるとに。ね!?キクちゃん…」
「うん、誰の家やろう?私も聞いとらんねぇ」

「そう言えば、私らが子どもの頃、花嫁はこの世のものではない…って言いよったよね…」
と、しみじみとした声で付け加えた。
 


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