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江戸編
第11話 筆は猫になる④
しおりを挟む「おい,誰かいるのか?」
商人は恐々と荷馬車に声をかけた。
彼は上方と江戸を往復している商人だ。
十五のときに商売を始め,少し板についてきたところだ。
いくつかの大店も,仕事を任せてくれるようになった。
買うとき少しだけ値がはった荷馬車の中には,江戸で売るつもりの商品や,自分が使う仕事道具が積まれている。
最近,なんだか妙な気配がしていたので,少し警戒していた。
もしや,物の怪にでも取り憑かれているのだろうか。
上方で坊主にもらった,あの筆のことを考える。
あんなに高級そうな筆を,ただでくれる人間がいるわけがない。
それにあの筆を使っていると,なんだか背筋がぞわぞわとしてくるのだ。
考えすぎだと,他の人は言うのだが。
商人は元来,相当な怖がりであった。
しかし,その勘は意外と外れていないということを,本人も周りも知らないのだ。
あの筆は怖い。
江戸に着いたら,早いところ質に出そう。
そう思いながら辺りを警戒していたところ,宿場町を通り抜けるあたりで,荷馬車の中から声がしたのだ。
もしや,最近多いという盗人だろうか。
思い過ごしかと思ったが,通りすがりの野菜売りも聞こえていたようで,商人が焦っている間に岡っ引きを呼んできてくれた。
なんだなんだと,周りからも野次馬が寄ってくる。
「ああ,ありがとうございます。すみません,私の思い過ごしであれば良いのですが…」
「なに,困ったときはお互いさまだよ。もし盗人であったら大変でさぁ。」
野次馬が見つめる中,私は恐る恐る荷馬車の扉を開け,中を見た。
荷馬車には,誰もいなかった。
声がしたときとは違い,しいんとしている。
「おかしいな,確かに声がしたんだよ」
「誰かが出てきたりもしてねえぜ」
「隠れられるような場所もないぞ」
野次馬たちも,首をかしげながら荷馬車を見渡した。
いけない。他の人に入られて,大事な商品が傷ついたりしたら困る。
この世は,親切な人ばかりではないのだ。
「どうやら,私の気のせいだったようですね。お騒がせしました。それでは…」
私は荷馬車が安全だとわかると,すぐに馬を引いて歩き出そうとした。
歩き出せなかった。
背筋がぞわぞわしている。これはいけない。
「おい,ちょっと待てよ兄ちゃん」
いつも間にか囲まれていた。
さっき人を呼びに行った野菜売りを含めて,周りにいた人間が私と,私の荷馬車に立ち塞がっている。
「あ,あんたたち,どういうつもりだい!」
私が慌てていると,
「だってよお,なあ?」
「俺らの手を煩わせたんだぜ?ちょっとくらいおこぼれがあったって罰は当たらないよな?」
この人たちこそ,悪人であったのだ。
この前から感じていた妙な気配は,どうやらこの盗人たちだったようだ。
金子をばらまいたら見逃してくれるだろうかと考えていると,野次馬の1人に突き飛ばされた。
為すすべもなく地面に転がされる。
「へへ,ちらっと見ただけだが,ずいぶん上等な品があっただろう?俺たちがもらって,有効活用してやるよ」
「っ,誰か!盗人だ!助けてください!」
「助けてください!盗人がいます!」
私は必死に声を上げた。
「馬鹿が,誰も助けになんか来ねえよ。さっさと頂戴してずらかろうぜ」
そう言ったのは,岡っ引きの格好をした男だった。
まさか,岡っ引きもぐるなのか。
必至に見渡すと,いつの間にか大通りに人はいなくなっていた。
商人は頭が真っ白になった。
どうしよう。このままいたら,殺されるんじゃないだろうか。
そんな考えすら頭に浮かぶ。
それに,大事な商品を取られたら,生きていくことはできない。
盗人の1人,野菜売りの格好をしている男が荷馬車の扉に手をかけた。
ばん!
すると荷馬車の中から扉が勢いよく開いた。
ぶへっ,という声がして,盗人がよろけた。
「な,なんだあ?」
やっぱり誰かいたのだろうか。
しかし,九死に一生を得た。
早いところ,荷馬車を引いて逃げなければ。
そう思ってなんとか立ち上がったとき,それは外に飛び出してきた。
「に“ゃあああっ!にゃん,なあああお!」
猫だった。
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