僕たちはその歪みに気付くべきだった。

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まずは「死にたい」と思うことから

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「あの……、聞き違いかもしれないので、もう一度お願いできますか?」
「え? 聞こえてなかった? では改めて」

 そう言うと、ホタカ先生はコホンと咳払いをする。

「トーキくん! 私と一緒に死んで下さいっ!」
「はい、オーケーです。聞き違いじゃなかった。ノーサンキューでお願いします」
「えぇっ!!?? 分かった! もっとちゃんとお願いするっ! 天ヶ瀬 燈輝様っ! どうかワタクシめと一緒に死んでつかーさいっ!」

 そういって彼女は土下座のポーズを取り、懇願してくる。

「いや、言い方とかパフォーマンスの問題じゃないですから! あとホントにソレちゃんとお願いしてるんですか!?」
「えーっ! じゃあどうすればお願い聞いてくれるの~?」
「どうするも何も、僕は死ぬつもりなんてありませんよ! 第一、カウンセリングってそうならないようにケアするのが目的なんじゃないですか!?」

 僕がそう言うと、彼女は何故か大きく溜息を吐く。
 そして、恨めしそうな視線で僕を見つめながら、ぽつりぽつりと言葉を溢していく。
 
「いい? トーキくん。今からキミが置かれている状況を少しずつ整理していくからね? 黙って聞いててね」
「は、はい」

 僕が応えると、ホタカ先生は再び大きく咳払いをする。

「天ヶ瀬 燈輝、16歳。今年、都立長江ながえ高校に入学してきたピチピチの高校1年生。学力的にはもう少し上の高校を狙えたけど、受験当時から入退院を繰り返していたお祖母ちゃんのため、家から近いこの高校を選んだ。ここまで間違いない?」

 彼女はさっきまで僕が話していた情報を、一方的に話し始めた。
 もちろん、間違いはない。
 でも、自分のパーソナルな部分をそう赤裸々に話されると、どこか落ち着かないというか、気恥ずかしい。

「まぁ……、そうですね。僕が言ったことですし」

 彼女は黙って頷き、自分語り、ならぬを続ける。

「そして今。キミはトラブルに巻き込まれて、入学早々イジメのようなものを受けている。そのことは親御さんも知らない。担任の先生は知っているけれど、飽くまで知らないポーズを決め込んでいる。キミの境遇を知っているのは一部のクラスメイトと、一つ下の妹さんだけ。ここまでも間違いない?」
「は、はい……。ていうか、あんまり大きい声で言って欲しくないんですけど……」
「でも、事実でしょ? 素朴な疑問なんだけどさ。しんどくないの? 何だかキミ、凄い平然としてるけど」

 平然、か。
 周りから見れば、やはりそう見えるのだろうか。
 というより、その発言はカウンセラーとしていかがなものかとは思うが、ここはスルーしておこう。

「……まぁ僕みたいな高校生なんて、掃いて捨てるほどいるでしょ? 特段、自分が辛い状況だなんて思ってませんよ。幸い、妹に関してはという立場なので、何か不都合が起きているわけではありません。でももし、ここで僕が騒いでしまったら妹にまで危害が及びます。僕は長男です。兄貴として妹の身の安全は守るべきだし、家庭に波風を立てるわけにはいきません」

 僕がそうまくし立てると、ホタカ先生は目をぱちくりとさせる。
 その後、大きく溜息を吐く。

「はぁ……。しょーもな」

 彼女はそれまでとは打って変わった冷たい声で、僕を蔑むように言った。

「あのさ。さっきから黙って聞いてたらナニそれっ!? 偉そうにっ! 長男なのがそんなに偉いの!? 自分は我慢、妹だけでも……って馬鹿にしてんの!? そんなに妹さんにマウント取りたいワケ!? 妹さん、キミのこと知ってるんでしょ!? キミがそうやって我慢することで、妹さんがどれだけ罪悪感を感じるか一度でも考えてみたことある!?」

 ホタカ先生は、憎悪を込めたような口調で、次から次に言葉を連打してくる。
 そんな彼女を前に、僕は何も言えなかった。
 なおも怒りが収まらないのか、彼女はさらにまくし立ててくる。

「大体さ! キミ、まだ高校生だよ!? 家庭に波風が、とかナニ一丁前なこと言ってんの!? 頼れる親がいるなら、頼ればいいじゃん! そうやって恩着せがましく我慢して、我慢して、我慢して……、一方的に社会に対して恨みを溜め込んで……。感情の消化の仕方を知らないと、いつか爆発するよ!? 頭いいんでしょ!? 自分でも気付いてるんじゃないの!?」

 なるほど……。
 確かにホタカ先生の言っていることは、正しいのかもしれない。
 長男と言っても、所詮は子どもだ。
 僕一人が意固地になったところで、背負えるものなどたかが知れてる。
 ただ、それでも……。僕にだって言いたいことはある。
 僕は、かつてないほど頭に血が上っている自分がいることに気付いた。

「アンタに……、何が分かんだよ……」

 一度彼女の挑発に乗り、感情に支配されてしまったからにはもう止まらない。
 堰を切ったように言葉が溢れ出てしまう。

「『頼れる親がいるなら、頼ればいいじゃん!』とか言ったな!? 何すか!? アンタこそ舐めてんのか!? 親がいれば漏れなく頼れるとでも思ってんのか!? カウンセラーのクセしてそんなことも分かんねぇのかよ!? アイツらに話したところで、どうせ何も変わんねぇよ! 今までどんだけ放置されてきたと思ってんだよっ!」

 長年隠し通してきた、他人に見せたくないどす黒い部分が次から次に湧いて出てくる。
 それでも僕は止まらなかった。

「妹が罪悪感を感じてるって!? 知るかっ!! 誰のせいでこうなったと思ってんだよ! 別に好きでアイツの兄貴やってるわけじゃねぇっつーの! 今まで何度も思ってきたよっ! アイツなんか生まれて来なきゃ良かったって! 兄貴だからって何で色々と我慢しなきゃなんねーんだよ……」

 ダメだ。
 それを言ったら、きっと全てが壊れてしまう。
 分かっていたにも関わらず、僕の口は止まってはくれなかった。
 その瞬間、ふと我に返る。
 僕はバツの悪さから、自然と顔を俯かせてしまう。
 
 やってしまった。
 妹のためだの散々偉そうなこと言っておいて、このザマだ。
 こんな僕を見て、ホタカ先生はどんな顔をしているのだろうか。
 僕は恐る恐る顔をあげ、彼女の方へ向く。
 すると、これまでのことなどどこ吹く風とばかりに、ニタニタと不敵な笑みを浮かべていた。

「あの……、どうして笑っていらっしゃるんですかね?」

 警戒心を隠すこと無く、僕は問いかける。
 率直に言って怖かった。
 そもそも、僕は彼女に心中を持ちかけられていたのだ。
 まだ僕の中で、彼女の存在そのものを消化しきれていない。

「べっつにぃー。ただ、キミもそんな顔するんだなーって。なんてーの? 凄いよ! 今の!」

 人間らしい、か。
 これが人間らしさなら、絶望しかない。
 汚らわしい。
 僕がこんな醜態を晒してまで守ろうとしていたものに、価値なんてあるのだろうか。
 その時、僕はハッとする。
 そんな僕の様子を見た彼女は何かを察したのか、その表情を一層歪ませる。

「ふふ。私の言いたいこと、分かった?」
「はい、まぁなんとなく、は……」
「そ。所詮、人間なんてどんなに前置きで飾っても、自分本位なのは変わらないの。でも、安心して。それはキミだけじゃないから」

 自分本位、というのは確かにその通りかもしれない。
 ということは、僕は現状に甘んじる言い訳としてアイツを利用していただけ、なのか?

「でもね。キミの場合はちょっと違う。まだキミ自身、その汚らわしさの正体に気付いてないだけ。というより逃げてるの。その汚らわしさ……、いえ。言い方を変えよっか。キミ自身のから」

 僕自身の痛み。
 それが人の汚らわしさとどう直結するのか、僕には分からなかった。

「トーキくん。正常性バイアスって言葉、分かる?」
「はい。聞いたことくらいは……」
「まぁ端的に言っちゃうと、予想していなかった事態に遭遇した時に、勝手な思い込みで大したことないって判断しちゃう、心の防衛反応みたいなモンかな。トーキくん、心当たりあるんじゃない?」
「そう言われても……」
「もちろん、トーキくんだけじゃないよ。これは誰にでも起こり得ることなの。昔、海外の事件でね。電車の乗客の放火で車両火災が起こった、ってことがあるんだけどね……」
「……いや、イキナリ何の話ですか?」
「イイから聞いて! その時もね、誰でも一目見れば火事だって分かるレベルで煙が充満してたんだけど、皆座ったまま逃げなかったんだ。そのせいで、死者と負傷者が何百人も出たっていう大惨事になったの。それも、乗客の正常性バイアスで避難が遅れたからって言われてるんだ。キミが巻き込まれたトラブルとか、それが原因で受けている仕打ちとか、さ。似たようなこと、あるんじゃない? どこか他人事っていうか、大したことないって思ってない?」

 きっと、そんなことは……、ないと思う。
 別に辛くないわけじゃなかった。
 実際にこうして、ホタカ先生の前で醜態を晒してしまったわけだ。

「確かにさっきは、ちゃんと思ってること言ってくれたよね。でも、そんなのは飽くまでも一瞬だけ。実際に今、キミが後ろめたさを感じていることが、何よりの証拠だよ」

 そんなの……、感じるに決まっている。
 例えば、もし。小岩がさっきの僕の姿を見ていれば、心底軽蔑するだろう。

「率直に言うね。キミは今、感情が馬鹿になっている」

 正直に言って、ホタカ先生が何を言ってるか分からなかった。
 確かに彼女はカウンセラーだ。
 証明書も、実際にこの目で見た。
 プロの目線で、僕の精神状態を分析しているのだから、きっと間違いはないのだろう。
 でも、だからって……。

「ソレの……、何が悪いんですか」

 僕が静かにそう溢すと、彼女はただじっと僕の顔を見つめてくる。

「僕が痛みに鈍感で、何が悪いんですか!? それで周りが丸く収まるなら安いモンじゃないですか!? 第一、人ってそういうモンでしょ!? 結局、みんなおんぶに抱っこで生きていくしかないから、その場の雰囲気を優先するんだ! だから必然的に僕の本音みたいなものは嫌われる。多かれ少なかれ、みんなどこかで割を食ってるんだ! カウンセラー以前に大人だったら、そのくらい分かるでしょ!? 大体アンタは」

 僕が言い終える前に、彼女は満面の笑みを浮かべながら勢いよく僕の両手を取る。

「そうだよ! その通りだよトーキくん! キミの言うとおり、社会なんてだって思わない!? 逃げ道なんてどこにもないと思わない!? もう死ぬしかないって思わない!?」

 ホタカ先生はそのキラキラとした真っ直ぐな瞳とは裏腹に、物騒なセリフを投げかけてくる。
 僕自身、そのギャップに戸惑いを隠せない。

「いや……、だから何でそうなるんですか!?」

 僕は彼女の手を振り解き、抵抗を試みる。
 しかし、ホタカ先生は全く構う様子もなく続ける。

「でもね、トーキくん。だからこそ、中途半端な意志で死んで欲しくないんだ。今、キミが心の奥底で抱えている痛みとしっかりと向き合った上で、判断して欲しいの。それで本当の絶望を知るの。それまではまぁ……、かなー」

 猶予期間、という言葉に純粋な恐怖を覚えた。
 場合によっては……、とでも言うつもりか。
 というより、もう僕は彼女と死ぬことが確定しているのだろうか。
 ホタカ先生の犯罪予告ともとれる言葉に、僕は二の句が継げない。

「……いいんですか? そんなこと言って。法律のこととかよく知らないけど、自殺ほう助とか、そういうのに当たるんじゃないんですか?」

 僕は彼女の提案を煙に巻くため、話の軸をずらす。
 すると、彼女は大きな溜息を吐く。

「ハァ……。分かってないなぁ、トーキくん。私はこの通り、自殺志願者なんだよ? そんな私に恐いものなんてあると思う? 言っちゃえば、今流行りのだよ?」

 ホタカ先生は心底呆れた様子で、僕に諭すように言う。
 内容が内容だが、無駄に説得力がある分タチが悪い。
 今後、この人とまともに話をして大丈夫なのだろうか。色々な意味で。
 
「……百歩譲って、アナタが自殺志願者なのは理解出来ました。でも、何で僕を巻き込もうとするんですか!?」

「いや、だって……。言うて、私だって死ぬのは怖いしぃ~。単純に誰かと一緒なら心強いかなーって思ったからだよ! アハハ!」

 頭を掻きながら、平然とそう話す彼女の姿を見て、やはり絶対に関わってはいけない人種だということを再認識した。

「とーにーかーくっ! 死ぬとかソレ以前に、キミはもっと自分に正直に生きることっ! 話はそれから! まずは心の底から『死にたい!』って思うことから始めようよ! それまではクライアントであるキミのこと、全力でサポートするから!」

 そう言いながら僕を見据える彼女の瞳は、どこか狂気に満ちている気がした。
 彼女の言う、サポートが意味するものは、一切分からない。
 でも、ただ一つだけ確信したことがある。
 きっと、彼女は僕を逃してくれない。
 だから僕はこの時、彼女の提案を黙って聞き入れるしかなかった。

 とは言え、僕自身も心のどこかで気になっていたのかもしれない。
 ホタカ先生の、その狂気の正体が何なのか。
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