僕たちはその歪みに気付くべきだった。

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向き合う覚悟

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「お兄ちゃん!」
「風霞……」

 僕たちは、図らずもお互いの胸の内を明かすことになった。
 それが根本的解決に繋がるのかは分からない。
 結局のところ、父さんたちが窮地を迎えていることに変わりはないのだ。

 まぁそうは言っても、穿った見方ばかりもしていられない。
 時は刻一刻と過ぎていくし、その中でベターな選択をしていくしかない。
 恐らく父さんたちは、これから遺族として色々とやることがあるのだろう。
 であれば、僕としてはこの場に長居するよりも、他にやるべきことがある。
 そう思い、一足先に自宅へ向かおうとした時だった。
 入院棟の階段の踊り場で、風霞に呼び止められる。
 振り向きざまに、肩で息をしている彼女の姿を見ると、自分なりに気を利かせたとは言え、少しばかり罪悪感に苛まれる。

「……なんで付いてきたんだよ」
「だって……、お兄ちゃんがまた一人で何かしようとしてたから!」
「別に……。、帰って家事しておこうって思っただけだよ。父さんたちは忙しいだろうし」
、じゃないでしょ!?」
「はぁ?」

 僕の反応に、風霞は呆れたように溜息をつく。

「あのさ。お兄ちゃん? 何か忘れてない? お婆ちゃん、死んじゃったんだよ!?」
「そんなの、分かってる……」
「だったらさ……。お兄ちゃんだって動揺は、してるでしょ?」

 動揺、か。確かにしている。
 今の心境を言語化するならば、一番しっくり来る言葉かもしれない。  
 でも、それは……。

「他にもさ……、お父さんたちが隠してたことだってあるし、いくらお兄ちゃんでもすぐには割り切れないと思うんだ。違う?」
「まぁそりゃ、な」
「お兄ちゃんたちの気持ちは、さっき聞かせてもらったから分かるよ。別に私は幻滅もしてないし、責めるつもりもない。でもさ……」

 風霞は呼吸を整え、またゆっくりと言葉を紡ぎ出す。

「そういう気持ちに蓋してたら、いつかまたすれ違っちゃう気がするんだよね。私、もうお兄ちゃんとそんな風になりたくないよ……」

 涙ながらにそう話す風霞を見て、改めて実感する。
 僕が意味もなく背負っていた、兄貴としてのプライド。
 いや。もっと正確に言えば、ある意味でのだ。
 僕はそれを一方的に思い描いて、いつしかそれに頼るようになっていた。
 でも、それは結果的に言えば、間違いだったのだろう。
 それなら僕は彼女の要望通り、酷く情けない兄貴としての姿を晒し続けるしかない。

「……大丈夫だって。分かってる。あの頭のおかしいカウンセラーにも口酸っぱく言われたしな。だから風霞にもしっかり働いてもらうからな。まずは手始めに婆ちゃんの部屋、掃除するぞ」

 僕が言うと、風霞は屈託のない笑みを浮かべる。

「うんっ! 私、めっちゃ頑張るから!」

 健気にそう言い張る風霞の姿を見ると、自然と笑みが溢れてしまう。
 心底、安心する。
 この向き合い方が、正しいのかは分からない。
 ただ少なくとも、手前勝手な『兄貴像』に縋っていた僕自身も、彼女の負担になっていたことは忘れてはならない。

「いや。別にそんな頑張らなくてもいいから」
「えーっ!? お兄ちゃん、イキナリ妹のやる気を挫くつもりっ!?」

 そんな、こそばゆいやり取りをしながら、僕たちは病棟の出口に向かった。
 そうして病棟を出ると、正面玄関前のロータリーのベンチに腰掛けている人影に気付く。

「あ、ホタカ先生! こんにちは!」
「トーキくんに、フーカちゃん……」

 薄々そんな気もしていた。
 とは言え、彼女にも大人としての矜持というか常識がはあるかと思い、その僅かばかりの可能性に賭けていたが、結果的に裏切られるカタチとなった。
 彼女と別れてから既に数時間ほど経っており、もはやという建前は通用しない。
 単純に帰る気がなかったのだろう。

 彼女のその様子たるや、いつになく呆然としていて、心ココにあらずといったところか。
 風霞が挨拶しても、どこか反応が鈍い。
 この人の思考なんて、いくら考えたところで分かるはずもない。
 だから僕は、せめてもの抵抗としてを捧げることにした。

「……帰ったんじゃないんですか?」
「帰る、とも思ってなかったでしょ?」

 悪気もなく、ケロッと言って退けるあたり、流石と言わざるを得ない。
 ここまで開き直られると、怒る気も失せるというものだ。

「まぁ……、そうですね。その通りですね」
「おっ! 早くも諦めた? 私、結構非常識なことしてると思うんだけど」
「自覚があるなら、なんでこんなこと……」

 僕はそう言いつつも、またしてもホタカ先生の謀略に乗せられた感が拭えなかった。
 そんな僕を見透かすように、彼女は得意げに笑ってみせる。

「何か……、ホタカ先生のその表情も見飽きましたね」
「うわっ! 酷っ! レディに対して飽きたとかいうなんて!」
「いや、あの。そういうこと言ってるんじゃなくて……」
「でさっ! どう変わったのかな?」

 ホタカ先生は僕の制止を遮り、いきなり本題に切り込んでくる。
 分かっている。
 あの時、ホタカ先生に発破をかけられなかったら、僕はきっと婆ちゃんの最期に立ち会えなかっただろう。
 だから、ここは真摯に応える他ない。

「僕たちが変わった、というより婆ちゃんがずっと変わらなかった、と言った方が良いかもしれませんね」
「そっか。それは!」

 ホタカ先生は、また底の知れない笑みを浮かべる。
 いつにも増してそれが不気味に見えてしまった。

「いや、あの。婆ちゃん、亡くなってるんですけど……」
「うん。それで? キミはなんて声を掛けて欲しいのかな?」
「別に。同情してくれだなんて言いませんよ。僕はただ……」
「ただ?」

 皮肉にも婆ちゃんの死がきっかけとなり、僕たち家族は向き合うことになった。
 それが良いか、悪いかは一先ず置いておくにしても、僕にはそもそも根本的に釈然としていないことがある。
 しかし、これを面と向かって聞いていいものなのかは、甚だ疑問だ。

「なんだね? トーキくん! 分からないことがあるなら、このお姉さんに相談してみたまえ!」

 ホタカ先生は胸を張り、不敵に笑って見せた。
 その平常運転ぶりに、自然と身体の力が抜けてくる。
 彼女になら、聞いてみてもいい気はする。

 疑問だった。
 婆ちゃんは誰のために生きたのか。
 何のための人生だったのか。
 婆ちゃんは、僕の質問に何の躊躇もせずに頷いた。
 頭では理解したつもりだった。
 でも実のところ、しっくりといっていない部分もある。
 ホタカ先生はどう考えるのだろうか。

 ……いや、違う。そうじゃない。
 他ならぬ、はどうなのだろうか。

「あの……、ホタカ先生。一つ聞いてもいいですか?」
「ん? ナニナニ? イイだろう! 聞こうじゃないか!」

 そう言うと、彼女は嬉しそうに僕の方に向けてその身を乗り出す。

「ホタカ先生は……、幸せって感じたことありますか?」

 ホタカ先生の顔から笑みが消えた。
 当然、か。
 こんな質問をされたら、誰だって言葉に詰まる。
 彼女とて、例外ではないのだろう。

 ところがホタカ先生は、すぐにいつもの笑顔に戻る。

「ないよ」

 彼女はあっさりと言い切った。

「そ、そうですか……」
「あれ? 『思ってたんとちゃう!』みたいな感じ?」
「いや。逆ですね。相変わらずブレないなって」
「ふふ。段々私のこと分かってきたじゃん! でもそうだな~。トーキくんなら、もう気付いてるかもしれないけど、一応補足しておくね!」

 ホタカ先生は、ひと呼吸置いて続ける。

「幸せってさ。その全てが本物であって、欺瞞なんだよ。私はそんなアヤフヤなもの要らないし、キミも目指さなくていいと思うよ」

 彼女はそう言ってベンチを立ち、ゆっくりと歩き出した。

 僕は彼女に何も言わなくて良いのだろうか。

 どこか寂しげにそう呟くホタカ先生を見て、身の程知らずにも思ってしまった。

 『一番救われるべきは彼女なんじゃないか』と。

 別にだとか、大層なものを感じているわけじゃない。

 もちろん、彼女と関わって変わったことが、無いわけでもない。

 でも、具体的に何か救われたかと問われれば、今のところはない。

 いや……、ココは見方を変えよう。

 これまで彼女は誘導してきたんだ。

 別に僕一人が痛みに押し潰されたところで、世間様にとってはどうでもいいことだ。

 だから言ってしまえば、それは別段気付かなくてもいいことだし、なかったも同然のものだ。

 むしろ、気付いたら気付いたで、また別の苦しみが生まれてしまう。

 実際、今の僕は彼女に絶望的な現実に気付かされて、深みにハマっている状態だ。

 だからある意味で、僕は彼女の被害者だ。

 であれば、少しくらいを貰ってもバチは当たらないだろう。


「あの……、ホタカ先生っ!!!」

 夕焼けの中、トボトボと先を行く彼女に、僕は出せ得る限りの声で呼びかける。

「……何?」

 僕の呼びかけに、ホタカ先生は振り向くことなく応える。

「聞かせて、くれませんか? ホタカ先生のこと」
「私の、こと?」
「どうして、僕に言ったんですか?」
「あんなこと?」
「……この期に及んで惚けるんですか?」

 僕の問いかけに、彼女は背を向けたまま何も応えない。
 しかし、大きく息を吐いた後、ゆっくりと振り向く。

「あーあ! 相変わらずダメだなー、トーキくんは」

 ホタカ先生は両手を上げ、いかにも呆れたかのようなジェスチャーをする。
 その実、いつもの調子を装っている気がした。
 今日ばかりは、彼女もではないのかもしれない。

「トーキくん! そういうこと聞く時は、まずは、でしょ!?」
「へ?」
「だーかーらっ! そろそろあの事件のこと、話してくれてもいいんじゃないの~?」

 冗談めいた雰囲気でホタカ先生は話す。
 どこまで本気で聞いているのかは分からない。
 でもまぁ……、確かに、ホタカ先生の言うことにも一理ある。
 どの道、逃げ場なんて、ずっと前に塞がれてしまった。

「分かりました」
「……へ?」

 僕が承諾すると、ホタカ先生は今まで聞いたことのないような気の抜けた声をあげる。

「何ですか? 『思ってたんとちゃう!』みたいな感じですか?」
「いや、そういうワケじゃないけど」
「どの道、いつかは話さなきゃいけないんですよね? 捜査、するんでしょ? 

 そう言うと、ホタカ先生はフフっと笑みを浮かべる。

「分かったよ。キミが話した後、ちゃんと話すね」

 真っ直ぐな瞳で、僕にそう話す彼女は、今までで一番素朴に見えた。
 呑気にも、そんな感傷に浸っていた僕を見て、何か感じたのだろうか。
 彼女は必死に悟られまいといった様子で、いつもの胡散臭い笑顔に戻り、咳払いをする。

「さて、トーキくん! それでは面談の続きを始めます! キミの思いの丈を思う存分話したまえ!」
「は? いや、面談て……」
「忘れたの? 私、一応プロのカウンセラーだよっ!? キミのカウンセリングはまだ道半ばだよ! そもそも『見立て』も完成してないんだから!」

 確かにそんな話だった。
 事件にかまけて、当初の流れを忘れかけていた。
 あの時、僕があの部屋のドアを叩かなければ、この面倒で厄介な人に出会わなかった。

「……分かりましたよ」
「うん! 聞かせて!」

 ホタカ先生はそう言うと、また無邪気に笑ってみせた。
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