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2-1 Question And Distrust

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 朝方、キッチンに立つ流雫はフライパンを見つめながら、イヤフォンを耳に挿していた。
 蕎麦粉のクレープ、ガレット。流雫の実家が有るブルターニュ地方の郷土料理で、ナイフとフォークを使って口にする。このペンションの名物となっていて宿泊客からの評判も高く、毎朝焼くのが少年の日課だ。
 聞こえてくるのは音楽ではなく、フランス語。その相手は宿題を片付けながら
「お前も標的になったのか……」
と言い、頭を抱える。懸念していたことが現実になっているからだ。
「ただ、ミオのフレンドが狙われたことが引っ掛かる」
と流雫は言った。
 「犯人はAIを神と言った、でもEXCは未プレイ。でもそのフレンドを、神に逆らう女だと言った」
「神に逆らう女……」
「EXC以外でAIが崇められるもの……」
「テクノロジーの最先端としてはよく有る話だが、宗教の崇拝と同列となると、話は別だ」
とアルスは言う。
 「崇拝の入口は様々だ。宗教から俗に言う推しまで、何が引き金になるかは本人さえ判らない。だが、崇拝はあくまでも人を支えるためのものだ。俺が女神を崇拝するのも、その守護を感じることが俺の背中を後押しするからだ」
「だが、忘れてはいけないのはダイバーシティだ。人によって異なる崇拝を尊重しなければならない。それができない奴に、崇拝する資格は無い」
その言葉に、アルスは自戒を含ませている。かなり誇張した言い方をすれば、16年前パリで起きた大規模テロで、間接的にとは云え流雫をフランスから追い出したからだ。
 戦争の歴史は宗教間対立の歴史でもある、だからアルスは尊重による和平を望んでいる。無論、綺麗事でしかないことぐらい判っている。
 「……崇拝が原因だとすれば」
とアルスは前置きして、言った。
「その犯人は、EXCのAIの存在を何らかの弾みで知った。恐らくはネットのEXCプレイ動画か何かだろう。そしてAIを崇拝するようになった。しかしミオのフレンド……」
「アウロラ」
と流雫が教える。
「アウロラがAIに疑問を抱いているか、批判的な発言をしたのを知り、敵意を露わにした」
「至上の存在に肯定的じゃないから……?」
「奴にとっては、そう云う感覚だろうな。それが気に食わなかったんだろ」
そう言ったアルスにとって、それでも引っ掛かるものが有る。
 「だが、プレイ動画を見ただけなら、何故AIを崇拝するようになったのか。プレイして、そのAIに少なからず触れているなら話は別だが」
と言ったフランス人に、元フランス人は数秒置いて続く。
「……インフルエンサーを崇拝していたから?」
「インフ……カリスマか」
とアルスが言った。
 カリスマ呼ばれるようなユーザーが、EXCにもいる。信者はカリスマの投稿を、条件反射で拡散する。カリスマこそ絶対正義だと信じて、微塵も疑わないのだ。
「元々フォローするカリスマが、EXCやAIを絶賛しているとすれば。そして、AI批判を叩いたとすれば」
「カリスマの発言を正義だとして、信者が針小棒大に騒ぎ立て、一種の社会的制裁に発展させる。それがカリスマにとっての勝利になる。……当人はそう思っていなくても、信者はそう信じて疑わない」
「今回の犯人は、そのパターンの可能性……」
「可能性はゼロじゃない。……近いうち、ミオの父親が解決するだろ。それまで何事も無いといいが」
とアルスは言い、ノートを閉じる。
「そう願いたいよ」
「……スターダストコーヒーのサブスク1ヶ月分で、お前たち3人の無事を祈ってやるよ」
「アルスが布施を強請ったと、アリシアに伝えてもいいならね」
「それだけは止めろ、序でにと毎日奢らされる」
と笑うアルスと流雫。
 流雫がこうして年頃らしく話して笑う相手は4人だけ。そのうちの1人であることは、アルスにとっての救いだ。
 通話が終わると、流雫は生地をフライパンに流す。この平和な時間が何より尊い。

 通話を切ると、アルスは別のノートを開く。今までの話をまとめるべく、茶色のペンを紙面に走らせる。
 カリスマへの信仰は、宗教のそれと酷似している。
 楽しむためではない目的でゲームをするのは、自分から決めていながら乗り気にならない。ただ、明日にはログインしてみよう……そう思ったアルスはスマートフォンを枕元に置き、部屋の照明を消した。

 午前中に退院した悠陽を出迎えたのは、弥陀ヶ原と名乗る刑事だった。弥陀ヶ原陽介、常願の後輩刑事で、その右腕。流雫にとっては、アルスの次に仲がよい男。
 臨海副都心の端に建つ臨海署に連行され、取調室に通される。
「昨日の事件とスタークについて、知っていることを全て話してほしい」
と刑事は言う。悠陽は思わず声を上げる。
「スターク……?まさか私を疑って……!?」
「その通りだ」
と、弥陀ヶ原は答える。
俺は刑事だ。砂粒ほどでも犯人の可能性が有る限り、疑わざるを得ない」
そう言った弥陀ヶ原に、悠陽は溜め息をついて話し始める。別に疚しい部分が有るワケではないから、一度話し始めれば後は流れに任せるだけだ。
 ……先輩刑事の一人娘と同い年の少女を疑わざるを得ないことを、弥陀ヶ原は不憫に思う。だが、スタークの件は無実だと判る一方、駅で狙われたことは不可解さが拭えない。
 通り魔のように見えるが、最初から悠陽を標的として捉えていた。ただ、アバターと本人の外見が一致しただけで、アウロラを悠陽だと特定するのは流石に無理が有る。以前からストーキングしていたとすれば話は別だが、そもそもEXCにノータッチだった男が、どうやってEXCを接点にこのユーザーを知り、狙おうとしたのか。
 やはり頼るべきは澪、悠陽はそう思った。ゲームの点では相容れないが、その恋人も何だかんだで頼りになるだろう。
 臨海署から家に送られる間、悠陽は弥陀ヶ原にEXCの基礎知識を教えていた。一方で開いてみたSNSには、未だメンテナンスが終わっていないことに不満を漏らす投稿が見られる。
 夕方には終わるだろう……と悠陽は思いながら、同時に夜、澪に今日のことを話そうと思った。

 エクシスが予告したEXCの大規模メンテナンスは、9時から始まった。東京の本社と福岡の支社に設置されたデータセンターで稼働する2系統のサーバを、全てシャットダウンした。
 本来は片方を稼働させたままメンテナンスを行うことで、サービス停止時間が無いようにできる。ただ、今回はAIの大規模メンテナンスと新たなゲームフィールドの実装を同時に行うため、全て停止することにしたものだ。
 数人のエンジニアがキーボードを忙しなく叩き、MMOのアップデートを進めていく。新フィールドの実装やバグフィクスは難なく終わったが、眼鏡を掛けたアドミニストレータAIの担当は頭を抱えていた。
 問題行為の検知と処罰の決定を司る、まさにサービスの守護神。更なるサービス向上のために初の新バージョンを投入する予定だったが、準備が間に合わない中でメンテナンス当日を迎えた。
 AIに連動させる不正行為対策システムとの整合性に問題が有り、そのフィクスが上手くいかなかったのだ。
 これは、かつて関連システムの設計に携わっていた契約プログラマが得意とするところだった。今はフリーランスだが、だからと今から呼び出すことは……できない。昨日の朝、線路に飛び込んだからだ。
 既存のメンバーもシステムに関与しているが、やはり精度に不安が残る。EXCではスタークと名乗っていた男……新宮秀明に、事実上丸投げ状態だったからだ。その影響が今、EXCのメンテナンスにも及んでいる。
「……何故死んだ……」
と、エンジニアの1人は呟き、キーボードをひたすら叩く。
 4時間ほどで終わるハズだったメンテナンスは、7時間半後に終了した。AIの新バージョン投入も行ったが、当面はエンジニアが交代で常駐してモニタリングと修正を施すことにした。配信元のUACがサービス再開を急がせたことが、事実上の見切り発車の原因だった。
 サービス再開と同時にアプリの更新も開始され、熱心なファンは我先にとアップデート版をダウンロードする。
 予定より時間が掛かった上に、イレギュラー対応となったが、ひとまず形にはなった。今後はアドミニストレータAIが安定した段階で、外国語版へのローカライズも進めることになる。
 誰もが大仕事を成し遂げた達成感で満たされている。しかし、1人だけ不安に駆られ、笑顔は微塵も無い。
 新バージョンは、新宮が遺したシステムとの整合が不完全だ。運用中に修正するとしても、EXCやAIに批判的なユーザーを全て処罰対象と判断するのではないか。そして、それに対する批判の矢面に立たされるだろう。時間内にメンテナンスを終えられないばかりか、完全な状態ではないままメンテナンス完了と虚偽の報告をした、と。何時まで新宮の遺産に頼る気だ、と云う批判も社内で飛ぶだろう。
 上層部、それどころかプロジェクトリーダーすら敵か。エクシスやUACに対する不信感が芽生えた瞬間だった。
「……今日、イベントだから帰るわ」
と言って、男はグレーのジャケットを羽織り、パスケースを掴む。顔写真付きのプラスチックカードに記されていた名前は、美浜椎葉。
 都内の大学を卒業後、エクシスにAIエンジニアとして勤務。ゲーム開発には自律型AIを実装するEXCから携わるようになり、今はアドミニストレータAI担当のリーダーだ。
 オフィスから4駅離れたフリースペースで開かれる、AIエンジニア同士のカンファレンスイベント。椎葉はスピーカーとして登壇することになっていた。
 専用のプラットフォームで配信されるだけでなく、会場では写真や動画も撮影可能なイベント。オーディエンスを前に話すことは別に苦ではない。全てアドリブで話すが、それも難しいものではない。
 スピーカーとしての役割は無事果たした。後はオーディエンスとして他のスピーカーの話に耳を傾け、軽食を手にエンジニア同士のプチ懇親会。それが、今の椎葉にとってはアドミニストレータAIの不安を紛らわせる特効薬だ。
 会場のドアを開けた瞬間、椎葉のスマートフォンが鳴る。それは今オフィスでPCに張り付いているエンジニアからだった。特効薬の効果が切れた瞬間だった。
「専用SNSの投稿がフォーマットされた」
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