Head or Tail ~Akashic Tennis Players~

志々尾美里

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第76話 それぞれが懸けるもの

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 女子シングルスの試合展開は、1stセットがタイブレークへと突入した。互いにマッチポイントを握るも、両者ともに獲り切れぬまま、デュースを6度繰り返す。チームの勝敗を懸け、意地と意地がぶつかり合う様は、男子にも引けを取らない迫力があった。

(ここまで来たら獲り切りたい、けど、最後が獲れない……!)

 タオルで汗を拭いながら、ミヤビは集中力の維持に努める。相手の絶え間ない攻撃をひたすらしのぎ続け、既に体力的には限界に近い。だが、ここを獲られたら次はもっと厳しくなるだろう。こういう競った展開は、体力や数字以上にメンタル的な消耗が激しい。必死に食らいついた挙句にセットを失うというのは、やっとの思いで積み上げたトランプタワーを、完成直前に崩されたような最悪の気分になる。その精神的ショックは、否が応でも後を引く。

(とはいえ、あまり頑なになりすぎると、勝負所で力んじゃう)

 7度目のデュース。深呼吸して息を整えるミヤビ。全身に疲労感はあるが、頭の先からつま先まで、自分の意思がしっかり伝わり切っているように感じる。大丈夫、まだ全然やれると気力を振り絞り、ティッキーのサーブに備えた。対する相手は、可視できそうなほどの闘志を漲らせ、女子とは思えぬ見事な一撃を放った。ラインの上をギリギリかすめ、ミヤビは触ることすら出来ない。

「Points Italy 13-12 points.」

 サービスエースが決まり、審判が無感情にポイントをコールする。

(ここでそれ入るの?! 冗談でしょ……)

 ボールの軌道的にフォルトかと思ったミヤビが目を疑う。しかしラインジャッジは最新の測定器を用いられているため、誤審は起こり得ない。仮に昔ながらの人の目による判定だったとしても、主審がインと判定すればそれが覆ることは無い。ミヤビは恨めしそうにボールが着弾した位置を見つめてしまう。

(切り替えて。次はこっちの番。きっちりキープして、もう一度チャンスを狙う)

 ポイントは先行されたが、次はミヤビのサーブだ。ティッキーのサーブりょくには劣るが、ミヤビも確率とコースの精度を下げずここまで来ている。ただ、相手のブレイクチャンスであるため、有利なはずのサーブではあっても、ミヤビには強い精神的重圧プレッシャーがかかる。

(相手が攻めてくるとしたらここ。リターンで一撃を貰わないように、ここまでは彼女が攻撃し辛い場所を中心に狙ってきた。けど、そろそろ慣れてきちゃってるよね。なら、裏をかいて敢えて得意な方? いえ、上手くいけばミスを誘えるかもしれないけど、リスクが高すぎる。ここはやっぱりコース重視。優勢は取れない前提で、すぐ攻撃に備えよう)

 自分と相手の二手、三手先を想定し、ミヤビは方針を固める。あまりデータ分析は得意ではないため、ミヤビは基本的に感じるまま打つ場所を決めるプレイヤーだ。実際に相手が打ってくる大まかな傾向に加え、試合のなかで相手の攻めの呼吸やリズムを感じて総合的に判断する。そのやり方が、もっともミヤビの性に合っていた。

「大丈夫、やれるよ」

 自身に言い聞かせ、構えながらミヤビは静かに息を吐き切る。波打つ水面を鎮めるように、より深く集中を研ぎ澄ます。音の無い滑らかな動きでトスを上げ、身体を弓のようにしならせる。美しいフォームから放たれたサーブが、鋭くティッキーのボディ側へ跳ねるように飛んでいく。

(――良し!)

 サーブに手応えを感じ、ミヤビは優勢を確信する。だが方針は変えない。想定を上回るリターンが来る可能性は充分にある。攻め急ぎたい気持ちにブレーキをかけ、相手の反応を窺う。ティッキーもボールをギリギリまで引きつけ、その瞳にボールを映しながらも、同時にミヤビの状態へ注意を払っている。センター寄りに着弾したボールが、スライス回転により目論み通り返球し辛いボディへ食い込む。非利き手側バックハンドでリターンを試みたティッキーは、その長い腕をやや窮屈そうに折り畳む。

(――強打はこない。でも深く返って来る!)

 瞬時にミヤビは警戒を強め、先手を取るために身を縮める。例えラインを越えたアウトボールであろうと必ず返球する、そういうつもりで準備した。――それが裏目になった。

虚を突く零れ球ドロップ・リターン

「ッ!?」

 ボールはネットを越えるとすぐ、役目を終えたと言わんばかりに推進力が失われる。かすかに掛かったサイドスピンが、バウンド後に軌道を変えた。遠くから見つめる事しかできないミヤビから、更に離れるような跳ね方をして転がる。それが妙に意地悪く感じられ、ミヤビにしては珍しく、怒りを露わにしてコートを強く踏みつけた。

           ★

「Game Italy, 1st set 7-6. The next 2nd set begins with Japan serving」

 審判のアナウンスが流れ、コート上の二人は一旦ベンチに向かう。観客からの歓声に混じって、それぞれの選手に向けて両国のチームベンチから、試合を見守る仲間たちの声援が飛んだ。

「いよおし! 良くやったティッキー! このまま行けぇ!」
「ミヤビー! 悪くなかったよ! 気持ち切らさないで!」

 座った状態で時おり足を小刻みに動かしながら、一旦気を落ち着けようとするミヤビ。相手が常に攻勢を仕掛けてくる以上、どうしても守備に力を置かざるを得ない。だが、リスクを負って攻撃を続けて来るにも関わらず、ティッキーのミスは少ない。そのうえ、最後の最後であんなテクニカルなプレーをしてくるとは。

(やられたな~。あーもう、やんなるなぁ! あんな場面でふつードロップする? いくらポイント先行してるからって。……いや、認めよう。あの状況ならリスクを負うのは間違ってない。それにたぶん、配球を読まれたんだ。もしくは想定されてたか。じゃなきゃリターンでドロップは打てないよ。相手の予想を裏切れなかった時点で、あのポイントは取れなかった)

 カバンから取り出したバナナの皮を剥きながら、ミヤビは頭のなかで反省する。気持ちの切り替えが早いのは、彼女の自覚する長所だ。試合で怒っても疲れるだけ、悔しさはエネルギーに変えて、次に活かそうと自分で自分を宥める。

(それにしても)

 バナナを頬張り、スポーツドリンクで流し込むミヤビ。試合による緊張感のせいで、ミヤビの内臓はまるで、その全てが一つのカタマリになっていたかのようだった。飲み下した甘いバナナと、酸味のあるドリンクがそれらをゆっくり解きほぐし、身体の奥へ沁み込んでいく。セット間の短い休憩だが、こういうちょっとした場面での回復は試合に少なくない影響を及ぼす。栄養補給で気持ちと身体を整えながら、ミヤビは考えを巡らせた。

(彼女、攻撃が得意なタイプなんだろうけど、立ち上がりの1stセットでここまで高い水準を維持できるなんて。カウンターを意識させてどうにか無理を強いてるけど、それにしたってミスが少ない。一球一球、一打一打に強い覚悟を感じる。本当に強い。でも……)

 タオルで口元を拭いながら、ミヤビはティッキーを盗み見る。

(なにか焦ってる? というより、妙に鬼気迫るものがあるんだよね。それもなんていうか、痛ましさを感じるほどに。それこそ、何かの為に命懸けでテニスをしてるような。珍しくは無い、けど、ちょっと質が違う気がする)

 ミヤビはこれまでも、大袈裟ではなく文字通り人生を賭けて試合に挑む選手と戦った経験がある。ここを敗ければ、テニスの世界で自分の目指した場所へはもう行けない、そう決めてしまっているかのような、そんな相手。プロを目指す以上、ジュニア選手は都度試合という名のふるいにかけられる。どこかで突き抜けられれば希望は見えるが、当然そうでない者の方が圧倒的に多い。そしてその最後の瀬戸際に立たされた選手は、自分の人生を賭け全身全霊で試合に臨む。

(この予選はリーグ制。私だって負けるつもりはないけど、仮に負けてもそれで終わりじゃない。トーナメントと違って次があるし、個人の敗北が必ずしもチームの敗北にならない場合もある。確かに今回は私たちの試合がそのままチームの勝敗だけど、まだ予選の1戦目だよ? なのに彼女はまるで、今ここで自分が負けたら全てが終わり、そんな風に思ってるんじゃないかって感じがする)

 この大会に出場する各国の選手たちは、国ごとの差はあれど既にプロとして活躍するのに充分な資質と実績を持っている者が殆どだ。次世代を担う各国のジュニア選手を、幅広く世界にアピールするのが今大会の主なコンセプトだ。勝つことに大きなメリットが伴うのは勿論だが、ここで負けたからといって何かデメリットがあるのかというと、ミヤビの知る限りそんなものは無いように思える。それにも関わらず、相手からはやけに悲壮なまでの覚悟を感じてしまう。

時間ですタイム

 審判が2ndセット開始を促す。ミヤビは軽やかな足取りでコートへ向かう。ボールを受け取り、思考の表層から徐々に改めて集中を深めていく。1セットダウン。ここを落せば敗北が確定する場面だ。獲り返さなければ、という使命感に似た何かがミヤビのなかで沸き立っていく。

(あ、そうか)

 同時に、先ほど考えていたことが、ふと頭のなかで形を成した。

(彼女は、テニスを楽しんでないんだ)

 そのことが少し、悲しかった。

           ★

 ミヤビがテニスを覚え、そしてその才能を発揮し始めた頃、日本ではもう一人の天才少女が、既にその名を世間に知らしめていた。

 素襖春菜。

 同い年の彼女とミヤビを、周囲はライバルだと面白おかしく持て囃したが、ミヤビからすれば実力に差があり過ぎてとても対等だとは思えなかった。これまでにも何度となく対戦しているが、ミヤビは一度も勝てたことが無い。ライバルというのは勝ったり負けたりするものだとミヤビは考えていたので、自分などは恐れ多いと感じていたぐらいである。それでも春菜の方はミヤビを友達だと思ってくれているらしく、同世代のテニス仲間としてミヤビも春菜とは友好的な関係を築いていた。

「なんかさぁ、みんな勝とうとし過ぎだと思うんだ~」

 ミヤビと春菜が中学生のとき、出場した大会で二人は対戦した。結果はミヤビのストレート負け。何度やっても春菜に勝つことができないミヤビだったが、不思議なことにミヤビは春菜と試合をするのが嫌ではなかった。毎回自然と新しい気持ちで、今度こそ勝ってやると充実した気持ちで挑めたからだ。試合後にクールダウンしようと春菜から誘われ、シャワーを浴びた二人は会場に併設されているジムへ向かった。ストレッチエリアで気持ちよく身体を伸ばしていると、春菜がぼやくように言って、ミヤビはその意味が分からずに尋ねてみた。

「勝とうとし過ぎ、って?」
「なんていうのかな、勝とう、勝つぞ、勝ってやる、みたいな?」
「それはそうでしょ。みんな試合に勝ちたいだろうし」
「まぁね~、それは分かるんだけどさ~。そうじゃなくてさ~」

 イマイチ春菜の言いたいことが分からないミヤビ。試合に参加する以上、みんな勝ちたくて当然だ。格上を相手にするときなど、勝気を強く持つのは当たり前のことではないのだろうかと不思議に思う。ミヤビとて春菜と試合するときは、いかに春菜の弱点を突いて勝機を見出すかを必死で考えている。それこそ、対戦が決まった時から試合が終わるまでずっと。

「ハルちゃんは勝とうと思ってない、っていうこと?」
「そんなことはないよ。常に勝ちたくてやってる」
「う~ん? じゃあどういうこと?」

 両腕を真っ直ぐ伸ばし、背中の筋肉をほぐす春菜。むーっと伸びをすると綺麗な形のヘソが顔を覗かせた。力を抜いて脱力すると、春菜は気の抜けたような表情を浮かべる。それだけ見てると、とてもテニスで無類の強さを見せる天才少女には見えない。天真爛漫で、少し幼い印象を受ける普通の女の子だ。

「勝つにしろ、敗けるにしろ、もっと楽しんだら良いのに~って思う」
「ん~、分かる、けど、結構それ難しくない?」
「そう? 楽しくて始めたのに、勝ちたいから苦しくなるって変じゃない?」

 相手が誰であろうと、基本的には勝ってしまう春菜だからこその考えじゃないか、とミヤビは思う。とはいえ、春菜といえど無敵ではない。年が上の選手や、大人相手では太刀打ちできない場合もあるし、極まれにだが同世代に負けることもある。

「ハルちゃんだって、たま~に負けることあるけど、その時はどう思うの?」
「ちょー悔しいよ。気ぃ狂いそうになる」
「でしょー? そしたら、勝ちたいと思って試合するのは普通じゃない?」
「えっとね~、勝ちたいと思って試合するのは良いんだけど、勝とうとし過ぎて楽しくなさそうだなぁ、っていうのが気になっちゃう。もっと楽しく試合すれば良いのに。スポーツなんだしさ~」

 もっと楽しく試合すれば。
 その言葉がやけに、ミヤビのなかに染みわたる。

「ねぇ、今日の私は楽しそうだった?」

 試合の時の自分がどうだったのか気になり、ミヤビは尋ねる。すると春菜はニッコリ笑って、嬉しそうに言った。

「ミヤちゃんは私とやるとき、いつも楽しそう。だから私も楽しい」

 なんだかすごく褒められたような気がして、ミヤビもつられて笑顔になってしまう。ちょっと照れ臭いなぁと思ったが、ふとさっき敗けたばかりだということを思い出し、すぐに笑顔を引っ込める。またもやヘソを出しながら背中を伸ばしている春菜に向けて、ミヤビは真顔で言った。

「じゃあ、次は勝たせてよ」
「や~だ~」

 予想通りの返答を合図に、ミヤビは人差し指で春菜のヘソをつっついた。

           ★

 相手のカウンターを常に警戒しながらも、ティッキーは積極的に攻撃を仕掛けた。オフェンシブなプレーで相手を圧倒し、まずは対戦者の戦意を砕く。パワーとコントロールを駆使した攻撃を受け続ける相手は、次第に守り重視となって後手に回るようになり、そこへつけ込んでさらに攻撃を重ねるのがティッキーのもっとも得意とするゲームメイクだ。

(だというのに、コイツは本当に心が強い。大したメンタルだ)

 対戦相手であるミヤビのプレー自体は、ティッキーの思惑通り守備に重点を置きつつある。だが、決して彼女は守りに徹しようとしない。自身のリスクを最小化するような安全策を採らず、常に反撃の機会を窺っている。まるで攻撃する為に守っ・・・・・・・・ている・・・かのように。

(それどころか、むしろこちらの攻撃を歓迎してる、そう思うのは気のせいか?)

 先にセットを奪取し、勝利へと大きく前進したティッキー。彼女はこれまで、公式戦において逆転負けをしたことが一度もない。つまり、勝つときも負けるときも常にセットカウントはストレート。ゆえに、自身の経験から彼女はもう自分の勝利を微塵も疑っていない。だというのに、彼女の心のなかでは、何かが幽かに引っ掛かりを覚え始めていた。

(! よしッ!)

 ティッキーの攻撃で、相手のミヤビが大きくコートから追い出される。返球は深くチャンスボールとは言い難いが、ポイントを先行しているこの場面で攻め手を緩める理由はない。ティッキーはオープンコート目掛けて素早い一撃をお見舞いしようと、しっかりボールを呼び込む。同時に、周辺視野では体勢を立て直しながら相手のミヤビがオープンコートへ走り始めたのを捉え、ティッキーは即座に狙いを変更。ミヤビの逆を突いた。――はずだった。

走って戻るフリリカバーフェイク!)

 ミヤビはオープンコートを守りに行くフリ・・だけして、その場に留まった。ティッキーは相手の動きを見てすぐ狙いを変更して打ち始めてしまい、ミヤビのフェイクにまんまと引っ掛かった。逆を突いたつもりが逆に突かれる形となり、反撃を食らってティッキーはポイントを失う。相手はポイントを奪ったあと、チームベンチに向けて笑顔を見せる。続くポイントでも、途中まではティッキーの優勢で進行したが、最後は出し抜かれる形で奪われた。

「いいぞー、日本! イタリアに・・・・・負けるな!」
「頑張れー! まずはセット獲り返せー!」
「負けてるってのに、あの子は楽しそうにやるなぁ!」

 ふと耳に入った、観客の声援。客観的に聞けば、セットダウンしている日本への判官贔屓ほうがんびいきな声であることは明らかだ。仮にそうでなかったとしても、外野の声にあれこれ心を乱すティッキーではない。だが、たまたま声援の方に笑顔を向けたミヤビを見て、ティッキーの心にほんの少しだけ影が差す。

――練習コート? いや、埋まってるよ

――試合前のアップ? あんたと? 悪いけどさ……

――いえ、コートは最初から5番です。遅れた貴方は棄権失格デフォですね

 太陽を見上げながら、深く息を吐くティッキー。

(ジオ、悪いが、楽しむのはあとだ。我々は、勝たなければならない)

 勝利への意志を更に固めながら、彼女は構えた。

                                続く
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