Head or Tail ~Akashic Tennis Players~

志々尾美里

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第148話 狼と静かに訪れる夜

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 シャワーに要した時間はおよそ十分からそこらだったが、PCに新しい依頼の通知が六件ほど溜まってるのを見て、幾島は小さくため息を吐いた。大半はマフィア連中が寄越してきた仲介仕事・・・・に関するもので、このところ件数が増えてきている。目先の事しか考えられない連中は、ひとたび簡単に儲けられそうなネタを見つけると、蟻のように群がってくる。即物的で分かり易く、愚かで下劣。暴力で世界を裏から牛耳っているように見えるが、所詮は裏側。いくら影の支配者を気取ろうが、表あっての裏社会だ。真面目に生きている人間を出し抜いているつもりでも、負っているリスクとデメリットの大きさを考えれば、とても割に合うものではない。そんなことは少し考えれば分かりそうなことだが、連中はそれを理解しようとしない。まったくもって度し難く、知らず侮蔑するような視線でメッセージに目を通していた。

「ヒトのことは言えん、か」
 新しいメッセージの確認を終えると、幾島は自嘲気味にぼやく。時計に目をやると、午前四時前。宿泊しているホテルから空港まではタクシーで三十分程度なので、タイミングが合えばファーストフライトに間に合うかもしれない。エアチケットを予約し、少し早いがルームサービスで朝食を注文しておく。シャワールームでバスタブに水を張り、四分の一ほど水が溜まったところで、電源をつけたままのPCを躊躇なくそのまま放り込む。点いていた液晶画面が、恨めしそうにゆっくり消えていく。ホワイトカラー気取りのデスクワークに、未練などない。自分はどちらかといえば、身体を張った仕事をする方が性に合っている。そんなことを思いながら沈めたPCを見つめていると、チャイムが鳴った。

「ルームサービスです」
 畏まった声がドアの向こうから聞こえてくる。
 本当に来た・・・・・、と、幾島は内心で小さく驚いた。
 メッセージの送り主が彼でなければ、恐らく信じなかったかもしれない。

「鍵なら開いてる。持って入ってくれ」
 ドア越しに言って、幾島は部屋のソファに腰かけた。
 入口には背を向けて、わざとらしく新聞を広げて読むふりをする。

「失礼致します。朝食をお持ちしました」
 幾島は振り返らず、背後に感じる人の気配を探る。言葉遣いこそ慇懃だが、緊張感とは別種の、重さみたいなものが含まれていた。冷静な態度を装っていても、恐らくこういうことには慣れていないのだろう。しかし、それを差し引いても冷静さを保っているのは分かる。そこから、相手の覚悟の強さが見て取れる気がした。

「あぁ、そこに置――」
「手を挙げろ」
 カチャリ、と硬質な金属音。
 真新しいガンオイルの臭いが、珈琲の香りに混じって鼻に届く。
 幾島は指示に従い、ゆっくりと両手をあげる。

「幾島丈だな? 聞きてェことがある」
 変声期を終えたばかりの、まだ若い男の声だ。精一杯低い声を出しているのだろうが、そこに凄みは感じられない。強いて言えば、声が上ずっていないのは、合格といえるだろう。しかし、いかんともしがたく、その経験の無さと甘さが現れてしまっている。

「近すぎるぜ。そんな距離だと、」
 言い終わる前に、幾島は振り向くことなく、精確な動作で銃を掴んだ。

「ッ!」
 掴むと同時に指をトリガーにねじ込み、誤射を防ぐ。振り向きざまに立ち上がり、反射的に銃を奪われまいとする相手の力を利用し、そのまま捩じり上げる。痛みで声をあげる男を無視し、押し倒して制圧。銃を奪い、流れるような手つきで弾倉を抜き、遊底を引いて薬室の弾丸を外し、ベッドに放り投げる。抗議するように苦悶の声をあげながら、男が幾島を睨みつけていた。

「早かったな。珈琲でも飲むか? 弖虎・モノストーン」

 余裕たっぷりに、幾島は二人分の朝食が乗ったサービングカートを顎で示した。

          ★

 アスリートをサポートするスポーツエージェント、幾島丈の居所はすぐに分かった。聖を通して彼の情報をアドが把握していたというのもあるが、そもそもそれほど秘匿されているようなものでもなかったのだ。テニス以外でもプロのアスリートをバックアップしているフリーランスで、幾島のサポートを希望する選手はことのほか多いらしい。

 深夜三時頃、アドは最低限の荷物をまとめて閉鎖されたスタジアムを出た。恐らく、もう戻ることはないだろう。行動を開始するのに必要な情報も金も、まだ充分とはいえない。しかし、ボルコフのように噂を聞きつけてやってくる人間が出てきたとなると、居場所がバレるのも時間の問題だ。リアル・ブルームは今も弖虎の行方を追っているはず。心理的な虚を突いて、抜け出した病院近くに留まっていたが、それももう危険だと判断し、運営のサマンサたちに書き置きを残して、アドは行動を開始した。

<その凄腕エージェント様が、マフィアとグルになってゲノム・ドーピングの窓口やってるってのか? なんのために?>
「そりゃ金だろ。なんともガメツそうだったしな。詐欺師としてもやっていけそうな胡散臭いツラァしてたぜ? もっと大きなヤマを狙いませんか? ってセリフが似合いそうだった」
<なんじゃそりゃ>

 ボルコフの証言から幾島に辿り着いたアドは、まず狙いを幾島に定めた。幾島本人はただの仲介役かもしれないが、末端のマフィア構成員などより遥かに本命に近いだろうと判断したためだ。どこで偽アーキアの移殖手術を行っているかが判明すれば、その運用を取りまとめる人間がそこにいるはず。そこからさらに辿れば、目的としている本命への足掛かりとなるに違いないと考えた。

<っつーか、オリジナルのアーキアの開発はリアル・ブルームとGAKSOガクソだってのはハッキリしてるじゃねぇか。本命ってのはそっちだよな? ロシアンマフィアが扱ってるのはパチモンだぜ? そっちから追いかける理由はなんだよ?>
「理由はいくつかあるが、簡単に言えば取っつき易いからだ。オメェを囲ってた製薬会社の連中は、ちょいとガードが固すぎる。ピンで挑むにゃ戦力が足らねェ。イカれたマッドサイエンティスト集団についちゃ、そもそも拠点らしいモンがねェ。連中はSF作品よろしく、全てのやり取りを独自のネットワーク空間でやってるって話だし、代表のイカレジジイは神出鬼没で行動がまったく読めねェ。つか、あのジジイに関しては、本当に一人かどうか・・・・・・・・・も怪しいンだよ。それに今、下手にジジイを嗅ぎまわると後々やり辛くなる。それよりは、パチモン扱ってはしゃいでるマフィアの方が穴がデカい」

 アドがいうように、弖虎が所属していたリアル・ブルームは、表向き国際的な製薬会社だ。過去に世界中で流行した伝染病のワクチン開発に携わり、その大半を請け負うような、アメリカを代表とする超巨大企業。小国の軍隊に匹敵する私設セキュリティチームを有するため、簡単には手が出せない。そしてGAKSOは、世界有数の科学者が何人も所属する集団でありながら、具体的な拠点らしきものがない。現実的な問題として、今のアドと弖虎が直接アプローチできそうなのが、マフィアと繋がりのある幾島というわけだった。

「もちろん、本命はモノホンのアーキアを運用してる連中、つまりリアル・ブルームやらGAKSOの連中だ。ただ手持ちの情報が無さすぎるからな。パチモンとはいえ、正規品に近いモンを作ったからには、マフィア連中が何か情報を握ってる可能性は高い。まずはそっからだ」

 アドの説明に対し、弖虎は何か言いたそうだったが、結局は言葉を引っ込める。何をどうするにしても、行動を起こすのは自分ではないのだ。今はまだ分からないことが多いため、ひとまずはアドのやり方に任せようと納得することにした。

<ま、いいや。っつーか、それ・・使ったことあんのか?>
 一点だけ、気がかりな点を指摘する。あくまで弖虎の印象に過ぎないが、とても使い慣れているとは思えない。普段の口の悪さや態度も、言ってしまえば不良がイキがってるだけに思えるのだ。もっとも、それは弖虎自身にも当て嵌まりそうなことではあったが。

「あン? ナメンなって、こちとら荒事にゃ慣れっこよ」
<……まるっきり信用ならねぇな>
「任せとけって」

 数十分後、弖虎の予感は的中することとなる。

          ★

<ぶっちゃけ、さっき死んでてもおかしくねぇよな?>
(……ちょっと黙っといてくンね?)

 後ろ手に縛られ、ソファに座らされたアドが苦々しい表情を浮かべる。

「どこで手に入れたんだ? こんなモン」
「知らねェのか? アメリカは銃社会なンだぜ」
フロリダ州ここじゃ未成年は所持禁止だよ。ったく」
 幾島は奪った銃を簡単に分解し、使えないようにしてテーブルへ置く。スライドを外してバレルを抜き、リコイルスプリングもガイドロッドと分ける。殺傷力を持つ小型兵器が、ただの鉄で出来た部品になり下がった。

「弖虎・モノストーン。お前がリアル・ブルームの病院から姿を消したって話は聞いていたが、まさかこんな近くに潜んでいたとはな。目的はなんだ? なぜオレのところにやってきた?」
「…………」
 アドは幾島を睨みつけるばかりで、答えない。
 幾島は幾島で、そのことを気にしている風でもない。
 お互いに視線をぶつけ合い、言葉以外で相手の真意を探ろうとする。
 そしてしばしの沈黙のあと、幾島が先に口を開いた。

「ま、いいか。ひとつ提案がある。聞くか?」
 薄っすらと笑みを浮かべる幾島。その笑みは見ようによっては怪しく、見ようによっては優し気だ。しかし普通に考えれば、命を奪う事さえ辞さない準備を整えてきた相手に向ける表情ではない。形勢有利であるがゆえの、余裕の笑みであるに違いなかった。

「提案? 命令じゃねェの?」
「実質的にはな。だが別に、断られてもオレは困らない」
「…………」
「一つ目は、ここでお別れだ。何のアテもなく、国際的な大企業が持つ軍隊並みの私設セキュリティの目を掻い潜りながら、自分の目的のために一人で足掻きたければそうしろ。二つ目は、オレと日本へ行く。これはオレの知り合いのプランで、日本に着いたらオマエはその人と会ってもらう」
「はァ? 誰だよ、ソイツ」
 嘲笑混じりに、アドが疑問を投げつける。

「言ったところで、どうせお前は知らない人間だ。しかしその人は、今日お前がここに来ることを予想していた人物でもある。ヒントをやろうか? 元GAKSOの研究員で、アーキアの開発初期に重要なポジションにいた人だ。思い当たる人間がお前にいるか?」
 当然ながらそんな人物は浮かばず、アドは首をひねる。
 それは弖虎も同じらしく、二人そろって疑問符が頭に浮かんでしまう。

「どんなやつ? 男? 女?」
 思わず敵愾心を忘れ、アドは素直に疑問を口にする。

「そうだな……恐ろしく頭がキレる、常に考えることをやめない狼、って感じかねぇ」

 その人物の特徴を口にする幾島の表情は、どこか忌々し気だった。

          ★

 薄暗い部屋のなか、無数のモニターが様々な数値を映し出している。その一つ一つを丁寧に確認しながら、榎歌考狼えのうたこうろうはそこから導き出される先の状態を予測し、適宜調整を施す。今のところ数値は安定しており、問題なく推移していた。

「終わりましたよ、バンビ。お疲れ様」
 少し離れたところにあるベッドで横たわっていた少女が、むりと起き上がる。手慣れた様子で、身体に張り付いたセンサーパッドを外していく。検査中に半分眠っていたのか、表情はどこか胡乱げで、大きなあくびをしている。

「言いつけは守れているようですね。感心しました」
「ったり前だろぉ、バンビはできる子だかんなぁ~っあふ」
 乱雑に検査着を脱ぎ捨て、上半身裸になるバンビ。パッと見る限りでは、身体にも異常は見られない。上手くいけば、このまま完全に休眠化できそうだと、榎歌はほっとする。そういえば、このところ身長も少し伸び、身体つきも女性らしくなりつつあるように思える。できることなら、彼女にはこのまま普通の人間として成長して欲しいと、榎歌は願ってやまない。

「オイ、ジロジロ見てんじゃねぇよスケベ」
「おっと、これは失礼しました」
 モニターに視線を移して、残りの作業に取り掛かる。
 ひとまず、今日のところは問題なさそうだ。

「そーだ、なんか今度、女子の団体戦出ようって、彩葉さいはが」
 ゆったりした上下ピンクのスウェットに着替え、バンビは榎歌の隣に座る。
「構いません、が、使うのは」
「わーってるよ。使わなねーって。てゆーか、使わなくてもバンビ最強だし」
「相手が不正してきても、ですよ?」
「チッ、イモジャッジしてくるヤツは良いだろぉ? クソなんだし」
「ダメです。何の為にこうして検査してるか、何度も説明してるでしょう」
「なーんーでーだーよー! イモるやつなんざ真面目に相手するだけ損じゃん! あっちがその気なら、こっちだってやり返してなにがワリィんだよー!」
「ダメなものはダメです。あなたの命に係わるんですから」
「ヘーキだって。使い方のコツなら、もうバッチリ掴んでるし!」
「ダメなものはダメです。さ、今日はもう帰りなさい」

 駄々をこねるバンビを帰すと、榎歌は珈琲を淹れる。騒がしい少女がいなくなると、部屋のなかは途端に静まり返った。ほどなくして、夕方を報せるメロディが微かに聞こえてくる。ノイズ混じりのその曲は、チェコの音楽家ドヴォルザークの『家路』だ。日本国内では『遠き山に日は落ちて』の曲名で知られ、夕刻を知らせるメロディとして採用されることが多い。その音色はどこか懐かしく、聴くものに望郷の念を抱かせる。榎歌はふと席を立ち、半開きのカーテンを開けた。茜色の夕日が、街並みに沈みかかっているのが見えた。もう間もなく、夜が来る。

『空港へ到着しました。20時にはそちらへ伺います』

 メッセージが入り、スマートウォッチが小さく震えた。
 それを見て、榎歌は短く返信する。

「明けない夜は無い、か」
 夜の先にやってくるのは、果たして新しい世界だろうか。
 沈みゆく太陽を見つめながら、そう独り言ちた。

                                   続く
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