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双子の金木犀
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大学の講義が休みの日、もしかしたら彼に逢えるのではないかと期待して遠回りする。
家から駅の大型本屋まで行こうと思えば、断然大通りを言った方が近道だ。お店は少ないながら、ウィンドウショッピングも楽しめるし、間違っても砂なんかで靴が汚れる心配もしないで済む。……けれど、少し静かな住宅街に入ってしまえば、宏平さんに逢える可能性がはるかに上がるのだからしょうがない。家族にかかれば無駄な努力も、ダイエットを兼ねた散歩にしてしまえば立派な理由になる。最近気になりだした各所の脂肪を、少しでも減らせるなら安いものだ。
宏平さんはバイト先の先輩であり私の恋人で、二個上の大学三年生だ。
来年には就職活動で忙しくなるだろうけれど、前々からインターンなどで経験を積んでいるし、彼の成績から見れば就活もあっさり終わるだろうとこっそり期待している。忙しくなる彼との貴重な時間を潰さないように、今から私もとれる講義はすべてとって、落とさないように頑張っている。逢えないからと言って、無駄にする時間など、恋する私にありはしないのだ。
この涙ぐましい努力を兄は笑うけれど、神様は頑張る私にときどき優しくしてくれる。うっすら雨が降り出しそうなあやしい曇り空でも、光り輝く存在を一本道の先に見つけた。すらりと伸びた背筋だけで、見間違いようがない。あれは愛しい恋人の姿だ。
「あっ、宏平さんだぁー」
彼の前では特別、甘い声を意識して喉を震わせる。
常ではもっと歯切れよくしゃべっているけれど、これはもう癖のようなものだからしょうがない。一気に間を詰めて、振り向く隙すら与えず近寄る。
「こんなところで逢えるなんて、嬉しいな」
語尾に音符でもつきそうなテンションで、ぎゅっと腕に縋り付く。
あまり馴れ馴れしすぎると嫌がられるだろうと、体が触れるか触れないかのギリギリを狙っておく。軽い子だと思われたくないけれど、少しくらい私を意識してほしい。逢えるか分からないのに、こうしておしゃれまでしてきたのだ。ちょっとは健気な乙女心を汲んでくれても良いと思う。
嫌がられてないかと、少し高い位置にある彼の顔を見上げる。
首を不自然にあげなければいけないのはちょっとつらいけれど、それよりも宏平さんの近くにいられるのが嬉しい。思わずにこにこしてしまう私を見て、彼は眉を下げならゆっくり口を開いた。
「―――お義兄さん、いい加減に勘弁してください」
「えー?またお兄ちゃんがいるのっ。もう、いっつも変なことばかりするんだから!今度私が怒っておくからねっ」
ごめんね?なんて、さっきよりも相手の懐に飛び込んでみるけれど、さすがいつもこちらの狙いをかわすだけある。幸い周囲に人がちらほら歩いているから、無理やり引きはがされるようなことはない。だが、困った様子はそのままに、確信めいた口調ではっきり拒絶される。
「……本当に、そろそろ放してくれないと、本気で柚木ちゃんに言いつけますよ」
大分つまらなく嫌なことを言われて、つかんでいた腕をぱっとはなす。
少々乱暴に手を払ったのは、何度挑戦してもこの男に勝てたためしがない腹いせだ。
「―――なんだ、未来の義兄候補を、簡単に売り渡すのか?」
わざわざ『妹』の服を着て張り込んでいたし、瓜二つの双子と巷では有名な俺たちだ。そんな俺が兄の方だと見破るなんて、生意気な奴だ。こんなに気色悪い程めかしこんで、るんるんしている妹になりきってやったのに。少しきつい服を無理やり着たことで、下手すれば妹に「お兄ちゃんが着て伸びたんだから、新しい服買って!」なんて脅されてしまうのに。
常であれば、女である妹と間違われるなんて面白くないのだが、生まれてこの方『可愛い』としか褒められたことがない俺を、どうやって判断しているのかと悔しくなる。
最近できた妹の恋人は、見た目がいいだけの優男だと思っていたのに、なかなかしっぽをつかませない。腕だって腹立たしくも俺より太いし、鍛えども鍛えども筋肉がつかないこちらに、少しはその身長を分けてくれても罰は当たらないと思う。俺のごりごり削られた精神力や羞恥心なんかを返せって言うんだ。八つ当たり交じりに睨みつける。
「このまえ声をかけた時のことだって、あいつにバラしたろ?お前のせいで、家で無茶苦茶怒られたんだからな」
「お義兄さんが、俺を試そうとするから悪いんですよ。俺は彼女とお義兄さんを間違えることはないですから、とっとと諦めてください」
「はぁぁ?そんなの今まで運が良かっただけだろ。第一、何でもかんでも柚木に聞かれたからって喋ってんじゃねぇよ」
「そりゃあ、あんなに可愛い彼女のためなら、簡単に『どんなことでも』教えちゃいますよ」
「……おい、」
兄貴に向けて、何てギリギリなセリフを吐きやがる。
一発殴りつけてやろうとした拳は、突然聞こえた絶叫に妨害されることになった。
「あぁぁ-!何しているのよ、流犀お兄ちゃんっ」
バタバタと前からやってくる妹は、珍しいことに、そう長くない髪を編み込みにして可愛くしている。
姿かたちは同じなのに、こうしていると妹が世界で一番可愛いんじゃないかと思えてくる。この前の誕生日だって、めったにないほどめかしこんだ姿が可愛くて何枚も写真を撮った。可愛くてかわいくてしょうがない妹なのだ。……ただし、今のように怒っていなければと、注釈が入るが。
「柚木ちゃん」
こちらが「うへぇ……」なんて言いたくなるような甘ったるい声で、宏平が妹の名前を呼ぶ。これまで俺と話していたのとは別人のような対応に、端から見破られていたのだと改めて実感する。
イケメンにそんな顔を向けられて、単純な妹の意識は一気にそちらへ向いたらしい。ころっと態度を変え、ぱっと頬を染める。怒りをうまく分散してくれたこの男に、今だけ感謝してやってもいい。
「今日は髪、可愛くしてるんだね?」
「あっ……うん。次のデートで、この髪型をしていこうと思って、練習してみたんだ」
「本当?俺のためなら、嬉しいな。すっごく似合っているよ」
「ぎゃああー」
あまりに甘ったるすぎる恋人同士の会話に、いっそこの場で砂を吐きたくなる。
だが、あいにく俺の口から出るのは砂でも砂糖でもなく、一刻も早く桃色の雰囲気を消し去りたいが故の、濁った悲鳴だった。
「うるさいわよ、お兄ちゃん!」
「そんなこと言ったって、自分の顔を鏡で見てみろよ!男の俺とまったく一緒じゃねぇかっ。何だよ今の、気持ち悪い褒め言葉っ」
いくら妹を可愛く思えど、あからさまに同じ顔を野郎に褒められて、さむイボが立つ。
これは正当な反論だというのに、妹は全く理解する様子がない。さっき自分で妹の思考を思い浮かべていただけでも限界だったのに、この会話を聞いて限界を突破してしまい、叫ばずにはいられなかった。
「この前だって、わざと後ろを向いたまま話していたのに、気づいたんだぞ!」
「あら。それだけ彼が私のことを、よく見てくれているってことよ」
まるで自分の手柄だと言わんばかりに胸を張って見せているが、俺はあのときぶ厚いコートを着ていた上に、あまり顔を見せないようにしていた。悔しいことに、背丈も声もほとんど変わらない俺と妹を見分けたなんて、いっそ薄ら寒いものを感じる。
「柚木は、今頭の中が桃色に染まっているのかもしれないけれど、なかなか気持ち悪いからな?愛の力なんていう、綺麗なものでも素敵なもののお陰でも、絶っ対ないから」
「もう、いくら私の方が先に恋人が出来たからって、お兄ちゃん酷いよ!こんなに優しいのに、彼のどこが気に入らないの?」
そんなの、澄ました顔で考えている腹の内や、時折見せる鋭いまなざしが気に食わないに決まっている。この前だって様子がおかしかったのに、柚木は気づいていないのだ。あれは、たしか名前の由来を聞かれた時のことだ。
「名前の由来?そんなの、俺は動物のサイのように勇ましい男だから、この名前を付けられたんだ!」
「お兄ちゃん、くだらない嘘いわないの。お母さんが金木犀を好きだったから、お兄ちゃんが犀の字を取って流犀って名前で、私を柚木にしたんだって」
「ふーん。柚木ちゃんの名前って可愛いだけじゃなく、素敵な意味があったんだね」
「金の字はどこいったって感じだけどな。『金』を無くしちゃまずいだろ、普通」
「もう、お兄ちゃんはいちいち茶々いれないの!せっかく宏平さんが素敵って褒めてくれたのに」
「……本当。うらやましすぎて、お兄さんに嫉妬してしまいそうですよ」
なんて呟いた男の顔は、確実に危険な表情をしていた。
これ以上下手なことをしゃべれば痛い目に遭いそうな雰囲気に、自分の家なのにすごすごと違う部屋へ避難したのは嫌な思い出だ。あの男は絶対に、兄の俺ですら邪魔だと判断すれば、簡単に切り離す類の人間だと確信した。
……が。そんなこと言ったら、致命的にこの男を敵に回し、妹には悪人扱いされるだろう。自分が悪者になるのがわかっていても「反対だっ」と喚くほど考えなしではないので、虎視眈々と尻尾を出す瞬間を狙っている。目下の目標は「一卵性双生児である俺たちを、絶対見分けてみせる」という妹の幻想を、崩して見せることだ。
―――第一、今まで親ですら見抜けなかったのに、こうもたやすく見破られると悔しいものがある。
男というプライドもかなぐり捨てて、大事な妹のために、日夜この男の仮面を少しでもはがしてやろうと研究している。
✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾
あれから数日たって、何度目かしれない戦いに敗れた。
今度は極力声を出さないでいたのに、また秒殺されてしまった。これまで散々似ていると言われて育ってきたのに、意外と自分たち兄妹は似ていないのかと自信がなくなる。今まで、服装なんかを同じにしていれば両親や、数人の友人にしか見分けられたことがないのに。こんな、降って湧いた付き合いの短い人間に見破られるなんて、自分は考え違いをしていたのかもしれない。もしもまったく似ていないのなら、自分は女装までしてとんだ恥ずかしい人間だ。今更ながら、何をやっているんだと自分の行動に溜息が出る。
「なぁ。具体的には、俺たちのどこが違うんだ?」
正直、自分だって寝ぼけた状態で鏡を見たら、妹がいるのかと思う時がある。
それなのに、どうしてこの男だけは分かるのか純粋に興味もあった。……しかし俺は、気軽に尋ねたことをすぐに後悔することとなる。
「そんな、違いなんてたくさんあるじゃないですか」
まだ、この時は普通だった。若干、子どもに言い聞かせるように上から目線で言われたのには、カチンときたが我慢できた。問題は、この後だった。
「柚木ちゃんの髪はつやつやで天使の輪があるし、頬は桃色でお義兄さんより気持ち赤みが強いです。まつ毛は流犀さんの方が長いけれど、彼女のまつ毛はくるっと綺麗な曲線を描いていて、瞳の印象を強くしてます。それから……」
「いや、もういい。充分だ。これ以上身内に対する惚気なんて、聞きたくない」
「えぇーこれからが、いい所なのに」
どこか子どもっぽい反応は、こいつのすかした顔を崩すという目標を達成した結果ではあるのかもしれない。だが、藪を突いて出てきたのは、蛇よりやっかいな変人だった。
「とりあえず、あんたが気持ち悪い程に妹をよく見ているのは分かった」
それこそ、こっちがドン引きするほどマジマジと妹をガン見しているのだろう。
正直、それを考えると引き離した方が良いのではないかと思ってしまうが。残念なことに柚木は「そんな所も素敵……」なんて阿呆なことをぬかしており、双子としていつ何時でも自分を見分けてくれる存在に対するあこがれも、理解できてしまう節がある。
自分だってこれまで何度となく、「どうして、女である妹と見分けがつかないのか」と怒りを覚えたことがある。妹は可愛いが、男としての矜持というものが俺にだってあるんだ。……たとえ今は、女装状態だったとしても。
「もうそろそろ、潮時かなぁー」
「そうですよ。どんなに試されても、『必ず』見分けるので諦めてください」
「あーあ、そういう自信満々なところもむかつくんだけどなぁー」
軽く拳を繰り出すと、驚く様子もなくスマートに避けられてイラっとする。
「こういう時は、黙って殴られるもんだぞ」
「怪我をすると、彼女が心配するんですよ。すみません、お義兄さん」
笑うその表情すら平和的で、どうもすっきりしない気持ちはあるものの、もういい加減認めてやるかと息を吐く。男女の仲なんてどうなるかは分からないけれど、しばらくはこのまま見守ってやろうという気持ちになった。そうなってくると一つ、ずっと気にかかっていた事を注意しておかなければならないだろう。
「別に本気でぼこぼこにしたい訳じゃねぇし、いいけどさ。とりあえず、年下の俺相手に『お兄さん』なんて呼ばなくていいよ」
「お義兄さんと呼ばれるのは、嫌ですか?」
「そりゃ、妹は喜ぶかもしれないけれど。柚木がいないこんな時くらい、楽をしなきゃ長く付き合ってられないぜ?」
「いや。無理している訳では、ないんですけどね……?」
「ほら。その敬語だって、年下相手に気を使いすぎだって。義兄候補のいうことは素直に聞くもんだぞ?」
気安くぽんぽんと、自分より高い位置にある肩をたたく。
この男が妹と出逢ったのはバイト先で、どうやら先輩だったこいつの方から交際を持ちかけたのだという。おしゃれな喫茶店なんて、「チャラチャラしている所でバイトなんて大丈夫か?」と心配して張り込んだこともあるけれど、こいつがナンパ目的の男からさらりと妹を守っているのをみて安心したのに。当のこの男に持って行かれるとは、とんだダークホースだった。
変なナンパな男に掻っ攫われるよりいいけれど、油断していた分だけおさまりが悪い。
これまで色々なちょっかいをかけていたのは、双子としての矜持が傷つけられたことのほかに、自らの『人を見る目がある』と信じたかったからかもしれない。少々引っかかる部分はあるものの、現在はこいつになら自分の片割れを任せても良いかという気持ちになってきていた。
「あんたの方が年上なんだし、肩の力抜いとけって」
「―――いえ、本気でゆくゆくは義兄になって貰うつもりでいるので、無理じゃなくて予行練習しているだけですよ」
ようやく妹の彼氏として認めてやろうと歩み寄っているというのに、意地を張るなと忠告しようとした俺へ、予想していない言葉が聞こえてぽかんと口を開く。もしや冗談で和ませようとしたのかと表情を窺うが、相手は怖いほどの真顔で見つめてくる。
「えっ……?いや、何も人生そんなに早く決めんでも、」
「彼女に見放されたら、駄目になるのは俺の方ですよ」
うわぁー少女漫画大好きな妹に感化されて、そのお相手まで乙女チックになっちまってるー。まず最初に浮かんだのは、そんな感想だった。けれど、それは少し間違っているのだと気付いたのは、それからすぐの事だった。
目の前の優男は、ハーレム系の話に登場しそうなヤンデレ男も真っ青な言葉を繰り出してくる。どうやら、これでも妹の前では抑えていたらしい。以前に聞いたことのある賛辞より明け透けな表現で、いかに妹を大事に思っているのか口にしてみせた。正直、男同士であろうとも、そんな発言聞きたくなかった。耳をふさぎ、自分は無関係だと言いたくなるような、濃厚な告白に違う意味で気分が悪くなる。
下手なホラーより、怖すぎる。
「あまりに好きすぎて、下手をすればストーカーにでもなってしまいそうだ」
「いや、マジでシャレにならんし。怖いからやめてくれよ!」
「ふふっ、ただの冗談ですよ。……今はね?」
「ぎゃぁぁー、逃げろ柚木!」
「嗚呼、嘘でもそんなことは口にしないでください。いくらお義兄さんだからって、本気で怒ってしまいそうだ」
「ゴメンナサイ」
ひたすらガタガタ怯える俺に、「彼女のことは精一杯大事にしますから安心してください」なんて全然安心できない言葉をのたまって、男は去っていく。
昔から双子の妹を大切に思ってきたし、守ってやりたいと思っていた。……だが、「双子なんて彼女に近い存在でいられる貴方を、これ以上妬むあまり嫌いにならせないでくださいね?」なんて恐ろしいことを口にする男に立ち向かう勇気のない俺は、ひたすら妹が幸せになれるようにと祈るほかなかった。
家から駅の大型本屋まで行こうと思えば、断然大通りを言った方が近道だ。お店は少ないながら、ウィンドウショッピングも楽しめるし、間違っても砂なんかで靴が汚れる心配もしないで済む。……けれど、少し静かな住宅街に入ってしまえば、宏平さんに逢える可能性がはるかに上がるのだからしょうがない。家族にかかれば無駄な努力も、ダイエットを兼ねた散歩にしてしまえば立派な理由になる。最近気になりだした各所の脂肪を、少しでも減らせるなら安いものだ。
宏平さんはバイト先の先輩であり私の恋人で、二個上の大学三年生だ。
来年には就職活動で忙しくなるだろうけれど、前々からインターンなどで経験を積んでいるし、彼の成績から見れば就活もあっさり終わるだろうとこっそり期待している。忙しくなる彼との貴重な時間を潰さないように、今から私もとれる講義はすべてとって、落とさないように頑張っている。逢えないからと言って、無駄にする時間など、恋する私にありはしないのだ。
この涙ぐましい努力を兄は笑うけれど、神様は頑張る私にときどき優しくしてくれる。うっすら雨が降り出しそうなあやしい曇り空でも、光り輝く存在を一本道の先に見つけた。すらりと伸びた背筋だけで、見間違いようがない。あれは愛しい恋人の姿だ。
「あっ、宏平さんだぁー」
彼の前では特別、甘い声を意識して喉を震わせる。
常ではもっと歯切れよくしゃべっているけれど、これはもう癖のようなものだからしょうがない。一気に間を詰めて、振り向く隙すら与えず近寄る。
「こんなところで逢えるなんて、嬉しいな」
語尾に音符でもつきそうなテンションで、ぎゅっと腕に縋り付く。
あまり馴れ馴れしすぎると嫌がられるだろうと、体が触れるか触れないかのギリギリを狙っておく。軽い子だと思われたくないけれど、少しくらい私を意識してほしい。逢えるか分からないのに、こうしておしゃれまでしてきたのだ。ちょっとは健気な乙女心を汲んでくれても良いと思う。
嫌がられてないかと、少し高い位置にある彼の顔を見上げる。
首を不自然にあげなければいけないのはちょっとつらいけれど、それよりも宏平さんの近くにいられるのが嬉しい。思わずにこにこしてしまう私を見て、彼は眉を下げならゆっくり口を開いた。
「―――お義兄さん、いい加減に勘弁してください」
「えー?またお兄ちゃんがいるのっ。もう、いっつも変なことばかりするんだから!今度私が怒っておくからねっ」
ごめんね?なんて、さっきよりも相手の懐に飛び込んでみるけれど、さすがいつもこちらの狙いをかわすだけある。幸い周囲に人がちらほら歩いているから、無理やり引きはがされるようなことはない。だが、困った様子はそのままに、確信めいた口調ではっきり拒絶される。
「……本当に、そろそろ放してくれないと、本気で柚木ちゃんに言いつけますよ」
大分つまらなく嫌なことを言われて、つかんでいた腕をぱっとはなす。
少々乱暴に手を払ったのは、何度挑戦してもこの男に勝てたためしがない腹いせだ。
「―――なんだ、未来の義兄候補を、簡単に売り渡すのか?」
わざわざ『妹』の服を着て張り込んでいたし、瓜二つの双子と巷では有名な俺たちだ。そんな俺が兄の方だと見破るなんて、生意気な奴だ。こんなに気色悪い程めかしこんで、るんるんしている妹になりきってやったのに。少しきつい服を無理やり着たことで、下手すれば妹に「お兄ちゃんが着て伸びたんだから、新しい服買って!」なんて脅されてしまうのに。
常であれば、女である妹と間違われるなんて面白くないのだが、生まれてこの方『可愛い』としか褒められたことがない俺を、どうやって判断しているのかと悔しくなる。
最近できた妹の恋人は、見た目がいいだけの優男だと思っていたのに、なかなかしっぽをつかませない。腕だって腹立たしくも俺より太いし、鍛えども鍛えども筋肉がつかないこちらに、少しはその身長を分けてくれても罰は当たらないと思う。俺のごりごり削られた精神力や羞恥心なんかを返せって言うんだ。八つ当たり交じりに睨みつける。
「このまえ声をかけた時のことだって、あいつにバラしたろ?お前のせいで、家で無茶苦茶怒られたんだからな」
「お義兄さんが、俺を試そうとするから悪いんですよ。俺は彼女とお義兄さんを間違えることはないですから、とっとと諦めてください」
「はぁぁ?そんなの今まで運が良かっただけだろ。第一、何でもかんでも柚木に聞かれたからって喋ってんじゃねぇよ」
「そりゃあ、あんなに可愛い彼女のためなら、簡単に『どんなことでも』教えちゃいますよ」
「……おい、」
兄貴に向けて、何てギリギリなセリフを吐きやがる。
一発殴りつけてやろうとした拳は、突然聞こえた絶叫に妨害されることになった。
「あぁぁ-!何しているのよ、流犀お兄ちゃんっ」
バタバタと前からやってくる妹は、珍しいことに、そう長くない髪を編み込みにして可愛くしている。
姿かたちは同じなのに、こうしていると妹が世界で一番可愛いんじゃないかと思えてくる。この前の誕生日だって、めったにないほどめかしこんだ姿が可愛くて何枚も写真を撮った。可愛くてかわいくてしょうがない妹なのだ。……ただし、今のように怒っていなければと、注釈が入るが。
「柚木ちゃん」
こちらが「うへぇ……」なんて言いたくなるような甘ったるい声で、宏平が妹の名前を呼ぶ。これまで俺と話していたのとは別人のような対応に、端から見破られていたのだと改めて実感する。
イケメンにそんな顔を向けられて、単純な妹の意識は一気にそちらへ向いたらしい。ころっと態度を変え、ぱっと頬を染める。怒りをうまく分散してくれたこの男に、今だけ感謝してやってもいい。
「今日は髪、可愛くしてるんだね?」
「あっ……うん。次のデートで、この髪型をしていこうと思って、練習してみたんだ」
「本当?俺のためなら、嬉しいな。すっごく似合っているよ」
「ぎゃああー」
あまりに甘ったるすぎる恋人同士の会話に、いっそこの場で砂を吐きたくなる。
だが、あいにく俺の口から出るのは砂でも砂糖でもなく、一刻も早く桃色の雰囲気を消し去りたいが故の、濁った悲鳴だった。
「うるさいわよ、お兄ちゃん!」
「そんなこと言ったって、自分の顔を鏡で見てみろよ!男の俺とまったく一緒じゃねぇかっ。何だよ今の、気持ち悪い褒め言葉っ」
いくら妹を可愛く思えど、あからさまに同じ顔を野郎に褒められて、さむイボが立つ。
これは正当な反論だというのに、妹は全く理解する様子がない。さっき自分で妹の思考を思い浮かべていただけでも限界だったのに、この会話を聞いて限界を突破してしまい、叫ばずにはいられなかった。
「この前だって、わざと後ろを向いたまま話していたのに、気づいたんだぞ!」
「あら。それだけ彼が私のことを、よく見てくれているってことよ」
まるで自分の手柄だと言わんばかりに胸を張って見せているが、俺はあのときぶ厚いコートを着ていた上に、あまり顔を見せないようにしていた。悔しいことに、背丈も声もほとんど変わらない俺と妹を見分けたなんて、いっそ薄ら寒いものを感じる。
「柚木は、今頭の中が桃色に染まっているのかもしれないけれど、なかなか気持ち悪いからな?愛の力なんていう、綺麗なものでも素敵なもののお陰でも、絶っ対ないから」
「もう、いくら私の方が先に恋人が出来たからって、お兄ちゃん酷いよ!こんなに優しいのに、彼のどこが気に入らないの?」
そんなの、澄ました顔で考えている腹の内や、時折見せる鋭いまなざしが気に食わないに決まっている。この前だって様子がおかしかったのに、柚木は気づいていないのだ。あれは、たしか名前の由来を聞かれた時のことだ。
「名前の由来?そんなの、俺は動物のサイのように勇ましい男だから、この名前を付けられたんだ!」
「お兄ちゃん、くだらない嘘いわないの。お母さんが金木犀を好きだったから、お兄ちゃんが犀の字を取って流犀って名前で、私を柚木にしたんだって」
「ふーん。柚木ちゃんの名前って可愛いだけじゃなく、素敵な意味があったんだね」
「金の字はどこいったって感じだけどな。『金』を無くしちゃまずいだろ、普通」
「もう、お兄ちゃんはいちいち茶々いれないの!せっかく宏平さんが素敵って褒めてくれたのに」
「……本当。うらやましすぎて、お兄さんに嫉妬してしまいそうですよ」
なんて呟いた男の顔は、確実に危険な表情をしていた。
これ以上下手なことをしゃべれば痛い目に遭いそうな雰囲気に、自分の家なのにすごすごと違う部屋へ避難したのは嫌な思い出だ。あの男は絶対に、兄の俺ですら邪魔だと判断すれば、簡単に切り離す類の人間だと確信した。
……が。そんなこと言ったら、致命的にこの男を敵に回し、妹には悪人扱いされるだろう。自分が悪者になるのがわかっていても「反対だっ」と喚くほど考えなしではないので、虎視眈々と尻尾を出す瞬間を狙っている。目下の目標は「一卵性双生児である俺たちを、絶対見分けてみせる」という妹の幻想を、崩して見せることだ。
―――第一、今まで親ですら見抜けなかったのに、こうもたやすく見破られると悔しいものがある。
男というプライドもかなぐり捨てて、大事な妹のために、日夜この男の仮面を少しでもはがしてやろうと研究している。
✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾ ✾
あれから数日たって、何度目かしれない戦いに敗れた。
今度は極力声を出さないでいたのに、また秒殺されてしまった。これまで散々似ていると言われて育ってきたのに、意外と自分たち兄妹は似ていないのかと自信がなくなる。今まで、服装なんかを同じにしていれば両親や、数人の友人にしか見分けられたことがないのに。こんな、降って湧いた付き合いの短い人間に見破られるなんて、自分は考え違いをしていたのかもしれない。もしもまったく似ていないのなら、自分は女装までしてとんだ恥ずかしい人間だ。今更ながら、何をやっているんだと自分の行動に溜息が出る。
「なぁ。具体的には、俺たちのどこが違うんだ?」
正直、自分だって寝ぼけた状態で鏡を見たら、妹がいるのかと思う時がある。
それなのに、どうしてこの男だけは分かるのか純粋に興味もあった。……しかし俺は、気軽に尋ねたことをすぐに後悔することとなる。
「そんな、違いなんてたくさんあるじゃないですか」
まだ、この時は普通だった。若干、子どもに言い聞かせるように上から目線で言われたのには、カチンときたが我慢できた。問題は、この後だった。
「柚木ちゃんの髪はつやつやで天使の輪があるし、頬は桃色でお義兄さんより気持ち赤みが強いです。まつ毛は流犀さんの方が長いけれど、彼女のまつ毛はくるっと綺麗な曲線を描いていて、瞳の印象を強くしてます。それから……」
「いや、もういい。充分だ。これ以上身内に対する惚気なんて、聞きたくない」
「えぇーこれからが、いい所なのに」
どこか子どもっぽい反応は、こいつのすかした顔を崩すという目標を達成した結果ではあるのかもしれない。だが、藪を突いて出てきたのは、蛇よりやっかいな変人だった。
「とりあえず、あんたが気持ち悪い程に妹をよく見ているのは分かった」
それこそ、こっちがドン引きするほどマジマジと妹をガン見しているのだろう。
正直、それを考えると引き離した方が良いのではないかと思ってしまうが。残念なことに柚木は「そんな所も素敵……」なんて阿呆なことをぬかしており、双子としていつ何時でも自分を見分けてくれる存在に対するあこがれも、理解できてしまう節がある。
自分だってこれまで何度となく、「どうして、女である妹と見分けがつかないのか」と怒りを覚えたことがある。妹は可愛いが、男としての矜持というものが俺にだってあるんだ。……たとえ今は、女装状態だったとしても。
「もうそろそろ、潮時かなぁー」
「そうですよ。どんなに試されても、『必ず』見分けるので諦めてください」
「あーあ、そういう自信満々なところもむかつくんだけどなぁー」
軽く拳を繰り出すと、驚く様子もなくスマートに避けられてイラっとする。
「こういう時は、黙って殴られるもんだぞ」
「怪我をすると、彼女が心配するんですよ。すみません、お義兄さん」
笑うその表情すら平和的で、どうもすっきりしない気持ちはあるものの、もういい加減認めてやるかと息を吐く。男女の仲なんてどうなるかは分からないけれど、しばらくはこのまま見守ってやろうという気持ちになった。そうなってくると一つ、ずっと気にかかっていた事を注意しておかなければならないだろう。
「別に本気でぼこぼこにしたい訳じゃねぇし、いいけどさ。とりあえず、年下の俺相手に『お兄さん』なんて呼ばなくていいよ」
「お義兄さんと呼ばれるのは、嫌ですか?」
「そりゃ、妹は喜ぶかもしれないけれど。柚木がいないこんな時くらい、楽をしなきゃ長く付き合ってられないぜ?」
「いや。無理している訳では、ないんですけどね……?」
「ほら。その敬語だって、年下相手に気を使いすぎだって。義兄候補のいうことは素直に聞くもんだぞ?」
気安くぽんぽんと、自分より高い位置にある肩をたたく。
この男が妹と出逢ったのはバイト先で、どうやら先輩だったこいつの方から交際を持ちかけたのだという。おしゃれな喫茶店なんて、「チャラチャラしている所でバイトなんて大丈夫か?」と心配して張り込んだこともあるけれど、こいつがナンパ目的の男からさらりと妹を守っているのをみて安心したのに。当のこの男に持って行かれるとは、とんだダークホースだった。
変なナンパな男に掻っ攫われるよりいいけれど、油断していた分だけおさまりが悪い。
これまで色々なちょっかいをかけていたのは、双子としての矜持が傷つけられたことのほかに、自らの『人を見る目がある』と信じたかったからかもしれない。少々引っかかる部分はあるものの、現在はこいつになら自分の片割れを任せても良いかという気持ちになってきていた。
「あんたの方が年上なんだし、肩の力抜いとけって」
「―――いえ、本気でゆくゆくは義兄になって貰うつもりでいるので、無理じゃなくて予行練習しているだけですよ」
ようやく妹の彼氏として認めてやろうと歩み寄っているというのに、意地を張るなと忠告しようとした俺へ、予想していない言葉が聞こえてぽかんと口を開く。もしや冗談で和ませようとしたのかと表情を窺うが、相手は怖いほどの真顔で見つめてくる。
「えっ……?いや、何も人生そんなに早く決めんでも、」
「彼女に見放されたら、駄目になるのは俺の方ですよ」
うわぁー少女漫画大好きな妹に感化されて、そのお相手まで乙女チックになっちまってるー。まず最初に浮かんだのは、そんな感想だった。けれど、それは少し間違っているのだと気付いたのは、それからすぐの事だった。
目の前の優男は、ハーレム系の話に登場しそうなヤンデレ男も真っ青な言葉を繰り出してくる。どうやら、これでも妹の前では抑えていたらしい。以前に聞いたことのある賛辞より明け透けな表現で、いかに妹を大事に思っているのか口にしてみせた。正直、男同士であろうとも、そんな発言聞きたくなかった。耳をふさぎ、自分は無関係だと言いたくなるような、濃厚な告白に違う意味で気分が悪くなる。
下手なホラーより、怖すぎる。
「あまりに好きすぎて、下手をすればストーカーにでもなってしまいそうだ」
「いや、マジでシャレにならんし。怖いからやめてくれよ!」
「ふふっ、ただの冗談ですよ。……今はね?」
「ぎゃぁぁー、逃げろ柚木!」
「嗚呼、嘘でもそんなことは口にしないでください。いくらお義兄さんだからって、本気で怒ってしまいそうだ」
「ゴメンナサイ」
ひたすらガタガタ怯える俺に、「彼女のことは精一杯大事にしますから安心してください」なんて全然安心できない言葉をのたまって、男は去っていく。
昔から双子の妹を大切に思ってきたし、守ってやりたいと思っていた。……だが、「双子なんて彼女に近い存在でいられる貴方を、これ以上妬むあまり嫌いにならせないでくださいね?」なんて恐ろしいことを口にする男に立ち向かう勇気のない俺は、ひたすら妹が幸せになれるようにと祈るほかなかった。
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