満ちた月に啼く

麻戸槊來

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満ちた月に啼く

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時々……黄金の瞳に見詰められている夢を見る。

それは、とてもまぁるく輝いていて、月のようにすら見える。いつもその丸い輝きしか見えなくて、魅せられたようにそれ以外は認識できない日々が続いた。

実際に、それが瞳なのだと気付くまでは、満月が視界いっぱいに広がっているのだと勘違いしていた。一度近くにあるのが瞳だと気付いてからは、とてもきれいな瞳で目が離せなくなった。透き通って見えるのに、深みがあって。時々思考するように揺らぐそれに、魅了されない訳がなかった。こんな瞳を持っている生き物が、何を考えているのかと知りたくてさらに注視する。

その瞳の持ち主は、もともと自分でこちらを見ていたというのに、私が見つめると驚いたように少し目を見開く。それは何度夢を見ても同じで、決まって驚いたようにさっきよりも珍しいものを見るように観察するのだから笑ってしまう。瞳しか見えていないのに、感情が顕著に表れてみていて楽しくなるのだ。





ある一時まで、私はずっと自分を想像力豊かな人間だと思っていた。
レンガの壁には隠し通路への入り口を探したし、荷馬車には実は秘密結社が乗っているのではないかとわくわくした。
繰り返し見る夢はとてもリアルだったし、それでいて幻想的だった。こんな夢を見ることが出来るなんて、もしかしたら私は絵の才能があるのかもしれないなんて、一時は芸術家になることすら目指していた。

早々に音楽の才能がないのはわかっていたから、消去法ともいえる。自らの中に眠る、芸術センスを腐らせるなんてもったいないと思っていた時は、思い出したくない。……まぁ、ただの幼い子どもの夢同様、自分に特別な力などないのだと実感する結果に終わったけれど。



自分の才能不足に気付いてからも、不思議と夢は潰えることなく続いていた。
夢の内容はいつも同じだったし、頻度は違えど、二月と間をおかずに必ず見ていた。何かの深層意識がこんな夢を見させるのかと悩んだこともあったし、もしや予知夢でもみているのかと、夢から何かのヒントを得ようと日記につけてみたりした事もある。……けれど、いくらリアルでも夢は夢であり、現実にはなりえない。どんなに自分がしっかり覚えていようと思っても、目が覚めた時に覚えていることなんて微々たるものだった。





いろいろ試し考えた結果、私は「これは夢なんだ」と自分の生活の一部として受け入れることにした。
だから、仕事帰りの疲れた頭で、家に帰ったらやらなきゃいけないことのリストをまとめていた私が反応できないのは無理がないし、本当にあの夢は日常のひとこまだったのだ。暗い夜道を一人で歩いても、思い出さないくらいには。

「―――最近、帰りが遅いぞ」

暗い夜道は危険だと、諭す相手の正体が分からず恐ろしくなる。
通り慣れた道は、仕事で遅くなっても良いように選んでいた。実際に、剣士や旅人などの荒くれ者が集まる酒場は避けているし、この辺でも比較的明るい道だ。
けれど、こうなってしまえば仕方がない。不審者に怯えていると勘付かれたくないし、変に友好的だなどと思われたくもない。まるで野生の凶暴な動物に遭遇したかのように、相手を見据えたままじりじりと下がる。


相手は建物の陰から出てこようとはせず、黒い服装をしているのか身の丈もあいまいだ。
先ほどの声でかろうじて男性だと分かるだけで、どくどくと嫌な汗が流れる。

「おい、聞いているのか」

「ひっ」

「なんだ、何を怯えることがある」

「ど、どちら様ですかっ」

何を怯えるって、貴方の存在も言葉のどれをとっても、怯えない訳がないだろう。
幾ら引く手あまたとは言えない身でも、こちとら年頃の娘だし。国の中心街では、若い女性だけねらった強盗も頻発しているらしいし他人事ではない。

そんな事を考えつつも、じりじりとすり足で後ろへ下がる。
本音を言えば、ダッシュで逃げ去りたい気分なのだけれど、そんなことしては逆効果だろう。おまけに、野生の腹ペコクマに遭遇した時、「死んだふりをすると良い」というのは、大嘘らしい。最悪、生きたまま内臓を食べられるとかいう、ある意味十八禁的な展開になるというのだから恐ろしい。

そんな風に、必死に『今の脅威』から意識を家出させていたら、相手はいつの間にか街灯の元へ出てきたらしい。
ゆっくりと見上げたその顔に、「おや?」と見慣れた物を見つけて首をかしげる。
なにか、とんでもなく見慣れた気がするのに、彼の顔を見ても全然顔見知りな気がしない。それどころか、一般人にすら見えないので、頭は混乱に満ちている。

「何だ、いつも逢っているだろう?」

「っっ、」

鋭く、息を飲む。

まさかまさかと思っていたけれど、本当に私のストーカーだった。どうして、こう嫌だと思った結論にばかり結びついてしまうのだろう。マーティーの法則のように、その時起こりうる最悪を招きよせなくてもいいじゃないかと顔をゆがめる。

「いつもお前は、俺が近づくとその凡庸な瞳で見つめてくるじゃないか」

凡庸な茶色の目でスミマセンと、嫌味の一つも出なかったのは衝撃が強すぎたせいだ。
驚きに見開いた目でよくよく観察してみると、『彼』は確かに黄金色の瞳をしていた。





突然だけれど、私が住んでいるこの国では、まず黄金色の瞳なんて見たことがない。
大抵が黒か茶色か、紺青色の瞳で、薄くなればなるほど珍しいとされる。それでも完全に彼のような瞳を持つ存在がいない訳ではないが、それはごく一部の限られた存在で私は初めて見た。それこそ、『夢でしかあり得ない』瞳の色なのだ。何せそれは……。

「えっ、せ、星獣様っ?」

「……そんな呼び名に、意味などない」

彼……星獣様には否定されてしまったけれど、これは一大事だった。
なにせ星獣様とは、国ごとにいらっしゃる守り神様のような存在で、ほとんどの方はすみかである森から出てくることはない。姿は人間とさして変わらないのだけれど、注目すべきはその瞳と力だ。
八か国どこでも星獣様はいるのだけれど、それぞれ特別な力を持っているとされる。彼らはそれで世界の調和を図っているのだと聞かされている。寿命はあるらしいけれどとんでもなく長生きで、星獣様の寿命が尽きる前に次代の星獣様がお生まれになり育てられるらしい。

まぁ、一般庶民である私が知っているのなんてこの程度の知識だけで、星獣様によって性格が違くて、引きこもっていたり動き回ってばかりで会えたらラッキーといわれる存在もいるなんてゴシップみたいなネタばかりだ。

ここ数年は私の国でも、星獣様をお見かけする機会が減ったという事だったけれど、各地で目撃証言が出ていたから、生きてはいるのだろうとみんな安心していた。

「ひょっとしたら、ずっと引きこもっているのに飽きたんじゃないか?」

「そうかもしれないわね」

なんて家族と軽く話していた自分を、叱りつけてやりたい。
あのときだって、一生に一度お目にかかるか分からない星獣様より、自分の薄くなってきた頭の方が気になるらしい父親は、読んでいた新聞の次のページに目を向けた。何せ父親が見たがっていたのは育毛薬の研究の方で、星獣様の目撃証言を定期的に載せているページではなかった。あの時はそんな記事、気にしてすらいなかった。

あなたたち親子がそんな事を軽々しく言うから、こうして出てきてしまったんじゃないかと、過去の自分たちに文句を言いたい気分にかられる。

「こ、こうして直々に星獣様の、お姿を拝見できるのは光栄ですが。わ、わたしは……何か、してしまったのでしょうか?」

「―――いや。お前たち一族は『星獣の世話係』だというのに、自覚が足りていないようだから、様子を窺っていた」

「―――っはぁ?」

ちょっと反応が悪くなってしまったのは、許していただきたい。
ひたすら困惑する私に、焦れたのだろう。一つため息をつき「お前たちは、そんな事すら忘れたのか」と呆れたように睨まれる。

「事態をうまく読み込めていませんが、なんだかすみません」

「良くわかっていないのに、どうして謝る」

「何を言ってるんだ、こいつは」と見てくる相手に、今度ばかりは反論しそうになってぐっと飲み込む。私は大人として、怒っている相手に謝罪してみせただけだ。本来ならそんな必要ないと思うけれど、相手の言い分も聞かないまま否定するのもはばかれるし、処世術のようなものなのだ。

それにいちいち突っかかってくる相手の方が、よっぽど大人げなくてよろしくないと思う。
まぁ、星獣様に『大人』とは何たるかと説教する気なんてさらさらないけれど。「この星獣様は何しに来たのか」と思ったところで、私はとんでもない爆弾発言をいただいて、泡を吹いて倒れる寸前だった。





いわく、私は『星獣様のお世話係』を賜っている一族の末裔だとか。
いわく、私が生きている時代に、新しい星獣様がお生まれになる可能性が高いだとか。

まるで蜃気楼のようにどこかから湧くイメージの星獣様だったけれど、意外と出生はしっかりしているらしい。星獣様によると、彼らは世界樹の森と呼ばれるところにある大木から生まれるらしい。その大木には不思議なことに、木の実ではなく大きな卵が生り、中には星獣様がいるという。

正直、謎すぎて全然理解できた気がしないけれど、とりあえず自然界の生き物としていろいろ規格外なことは分かった。あと、私が長年見ていた夢は、寝ぼけながら実際に見ていた星獣様の瞳だったらしい。正直、どんな理由があるにしろ、『人が寝ているときにこっそり部屋へ侵入されていた』事実は丁重に抗議させて頂いた。第一、人の寝顔をあんな至近距離からまじまじと眺めないでほしい。

「どうして、星獣様の出生について書かれた資料はないのでしょう?」

「そんなの、私利私欲にまみれた人間共に、利用されたら困るからに決まっているだろう」

「……それならどうして、私たち家族は何も聞かされていないのでしょう?」

「それは、爺さんが破産して一家路頭に迷った挙句、お前の父親と母親が駆け落ちしたせいだろう」

「しょ、衝撃の事実っ!」

これまで聞かされたことはなかったけれど、死んだと聞かされていた父方の祖父は生きていたらしい。おまけにその祖父が破産したせいで、親戚と疎遠だとかあまり聞きたくなかった。夜逃げ当然で住み着いた土地で見つけたお母さんを見初め、さらにお父さんは別の土地へ駆け落ちしたとか、内容が濃すぎてうまく飲み込めない。確かに実家近くでは珍しい髪色をしていると思っていたけれど、「旅をし過ぎて、髪の色が抜けちまったんだ」などとお父さんは言っていたから、「抜けたのは色だけじゃなく、髪自体もよね……」なんてお母さんの言葉に惑わされていた。


―――とりあえず、いろいろ両親には聞かなければならないことは分かった。


ひとまず『星獣の世話係』と言っても、その任に就くのは私がずいぶん年を取ってからになるという。
正直、憧れの存在である星獣様が儚くなる姿なんて見たくないし、少しでも後になればいいのにと願ってしまう。もっとも、人間の子どもかそれ以上に、次代の星獣様を今の星獣様と育てていくのだというから考え深いものがある。ましてやそれが、「成体となってからも、俺は色々利用価値があるらしく命を狙われたりした」なんて存在だと、余分なことを考えないなんて不可能だった。

「それは、複雑ですね」

「?どこが複雑なんだ。世界が混乱しないように、調和できるものが次の物を用意する。お前が理解するには難しかったのか?」

心底わからないといった顔の彼には、複雑な女心も切ないといった感情も理解できないのだろうと言葉に出すことはやめておいた。最後に忠告されたことといえば、「我々の存在を一族以外に明かせば、承知しないぞ」というものだった。随分怖い瞳だったので、今日聞いたことを両親意外に話せば、私もただでは済まないだろう。

それからというもの、なぜか星獣様に見詰められたまま起きるという……ある意味ホラーな寝起きドッキリを連日経験することになった。





とある、少し冷たい風が吹き始めた暖かな日。
今日も一日良く働いたと、寝支度をしている途中ですっかりなじんだ気配がして窓を振り向いた。

「……別に、そんな風にしょっちゅう見張りに来なくても、貴方のことを人に話したりしませんよ」

多大な呆れと、ほんの少しの不満をにじませ息を吐く。本当は逢えてうれしいはずなのに、そんなにも私は信用されていないのかと思えば悔しいとともに情けなくなる。この星獣様は、「次代をまかせる人間が居なくなっては困る」といって、ちょくちょく私の家を訪れていた。考えていた以上に彼は優しかった。

「ほら、栄養豊富な果物を見つけたからやる」とか、「もっと防犯に気を付けなければ、犯罪に巻き込まれるぞ」などといって色々気を使ってくれている。
例え利用価値があるからだとしても、これだけ気遣われればほだされるというもので。自分に託された大きすぎる使命を無しにしても、彼と逢うのは楽しみになりつつあった。

だからこそ、こんな風に自分を信じてもらえていないような対応は、ちょっと悔しくなってしまうのだ。
思わず唇を尖らせた私の軽い甘えに対し、相手はとことん冷淡な返答を寄越す。

「いや、信用できない」

「……そんなに、はっきり言わなくても、わかってますよ」

信用されていない事なんて、彼の行動からわかってしまう。悔しくて悔しくて……けれど、心のどこかではそれもしょうがないと諦めている。そんな、中途半端に物分かりの良い自分自身が、何より苛立たしくてしょうがなかった。

相手は、ほんの少しの油断で命を落とすかもしれない生き方をしてきたのだ。
ぬくぬくと安穏に生きてきた私が、彼に偉そうなことなど言えるわけがない。こんな私でも、人を信じる難しさや怖さを知っているのに、命がかかるとなればなおのこと慎重になるだろう。

「―――それでも信じてほしいだなんて、わがまま言っちゃ……駄目ですよね」

自分の言葉を肯定されるのも辛くて、瞳を落とす。
思いっきり下を向いてしまえば、彼がどんな表情をしていても傷つくことはない。……その代り、彼の反応を想像するだけで怖くてたまらないけれど。そんな私の反応に呆れたのか、しばらく彼は、私が起きている時に姿をあらわさなくなった。





まるい……まぁるい黄金色の瞳が、私のそれを見据える。
睨まれているのかと勘違いするほどの真剣さで、まじまじとその瞳はぶれることがない。どうやら彼は以前のように、私が寝ているうちに部屋へもぐりこんできたらしい。彼に言われて防犯には気を付けているのに、こうもやすやす侵入されてしまうと複雑なものがある。……だというのに、やっぱり彼に逢えるのは嬉しい。久しぶりに見たその瞳は、以前と変わらずとっても魅力的だった。もしかしたら、私の役目が訪れるまで会えないかもしれないと思っていたから、早い再会に胸が高鳴る。

「―――どんな宝石よりも、きらきら綺麗」

「っっ」

思わず口にしてしまった言葉に、不快感を与えてしまうかと口を押える。
だけど、そんな事をしたところで発した言葉を取り戻せるわけもない。彼は信じられないほど驚いたかと思えば、思いっきり体をそらして私との距離を開けようとしている。



まるで、ひと月以上着っぱなしの魔術師のローブを前にしたような反応に、心底落ち込む。

魔術師たちは、一度実験に没頭すると平気で何日も飲まず食わずで通すという。
そんな状況でお風呂に入ろうなんて意思が働くはずもなく、「体がかゆくなったら濡れタオルで体を拭いているから清潔だ」なんて偉そうに言っていた知人を思わず鞄で「近寄るな!」と殴ってしまった私は悪くないと思う。何せ、どんな効果があるか怪しい薬や薬品を組み合わせて、時に毒薬、時に良薬といった具合で作っている連中なのだ。魔術師たちは厄介な薬品を扱う手前自分に防御魔法を施しているけれど、一般人が知らず触れれば大惨事だ。

知人と少し話していただけで、「皮膚が爛れて痛みます」なんて状況になりたくない。





話はだいぶ脱線してしまったが、ある意味それだけの危険人物たちと同じような対応をされてしまい痛く傷ついたということが伝われば幸いだ。
どうして突然そんな反応をされるのかわからないけれど、きっと彼にとっては不愉快なことをしてしまったのだろう。彼のことを少し知れて分かったことは、『一般的』という狭い言葉の枠で彼を図ろうとするのは無理だということだ。「彼のことは、彼に聞くのが一番」それが私の出した答えだった。

「―――なにか、私は貴方を不快にさせることを、言ってしまいましたか?」

「……抉るのか?」

「はぁ?」

彼の意図がわからず、思わず声を出す。
多少雑な感じになったのは認めるけれど、あまりに予想外だったのだから許してほしい。何時にもまして、何を考えているのかさっぱりわからない。そんな私の反応にも構うことなく、彼は戸惑ったように言葉を紡ぐ。

「人間は、何でも……綺麗なものを収集したがるだろ?」

「抉りませんよっ!」

続けられた言葉で、ようやく合点がいく。
彼はさらりと何、恐ろしいことを口にしてくれているのだろうか。私には臓器の収集癖なんてないし、生き物を傷つけて平然としていられるほどおかしくもない。そもそも、そんな特殊な趣味の持ち主であると誤解されるだけでも嫌だ。近所迷惑も考えず、大声で否定した私は悪くないはずだ。心外すぎる問いかけに思わず怒鳴ったこちらをみて、きょとんとする彼は可愛くないこともないけれど、そんな事では騙されない。それこそ獣のように唸りながら威嚇するけれど、これでは普段と逆だと内心苦々しく思う。

「抉らないのか……」

「いい加減、しつこいです!」

話はこれで仕舞だと言っているのに、どうもしつこい彼にこちらが困惑する。
納得したような、していないような反応にも構うことなく「この話は終わりです!」と強制的に終了させた。

「大体、瞳を褒めただけで、どうしてそんな話になるんですか?」

もしや、私は彼に猟奇的な要注意人物として認識されているのかもしれないと疑ってしまう。これまでの行動も「危険人物である私の言うことなんて信用ならない」という意味合いだったのかと、内心落ち込みかけたところで、予想外の返答があり固まった。

「そもそも、『綺麗』だなんて言われたことがない」

「えっ……まさか、一度くらいあるでしょう?」

「ない。そもそも、まともに会話する相手すら限られているし、意味のないことを話すのなんてお前くらいのものだ」

『意味のない』の部分でずいぶんへこんでしまったけれど、よくよく考えてみれば喜んでいい部分かもしれない。要するに、彼は仕事関係でしか話をしないと言っていた。そんな彼が、必要に迫られて私の問いに答えてくれているだけだとしても、会話してくれている。

物は考えようだ。
どうせ導き出される答えが一緒なら、少しでも楽天的な方が気も楽になる。

「……えっと、よくわからないけど、ありがとうございます」

「?どうして、褒めたおまえが礼を言う。第一、よくわからない人間は普通そんなことを言わないだろう」

やっぱりお前は変わっているという言葉にすら、どこか肯定的なものを感じて嬉しくなる。思わずにやけてしまった私を、彼は訝しげな眼差しで見てくる。



一度思考がプラスに傾くと、どこまでも楽観的思考になれるのは、我ながら長所だと思っている。これまで信用されていないから見張られているのだと思っていたけれど、よくよく考えれば見張ることが目的ならば、わざわざ毎回逢いに来なくてもいいはずだし。

私の記憶が正しければ、彼の仕事がない時はしょっちゅう顔を出してくれていた。
以前に長く顔を見れなくて心配していた時なんて、次からはどれほど街を離れるか教えてくれるようになった。

考えれば考えるほど、彼の優しさが向けられていた事実に心が震える。彼は少なくとも、私との会話や交流を嫌がってはいないらしい。もしかすると、好意的にすら感じていてくれるかもしれない事実がくすぐったい。


絶対に面倒な人間だと考えられていただろうに、逢いに来て会話してくれる。
面倒なことが嫌いで、人との接触を最小限に抑えている彼からしたら、充分すごいことだろう。





冷たい風が吹き込んで、思わず首をぎゅっと引っ込める。
ここ最近では珍しくなくなってしまったけれど、突然にやってくる外の冷気はどうしても寒くて。「この部屋は、城と違って大して暑くないな」なんて、失礼な比較をしてくる彼にも今なら同意してしまいそうだ。

「また、勝手に窓を開けて入ってきたんですか?」

「―――この部屋の防犯は、不十分だ」

「何言っているんですか。最近は貴方の指示の元、国随一の鍵師に作ってもらった鍵を使用しているんですよ?これは王宮の貴重な場所で使われている物で、腕利きの軍人や魔術師にも敗れないと評判の品なのに……」

「対人間用では、不十分だった」

「嗚呼。確かに貴方は、人間には到底及ばない力を持っていますもんね!」

いい加減、呆れてしまって投げやりに返す。
どうして彼は、わざわざ私の家の防犯機能をことごとく潰してしまうのだろう。彼からしてみれば、より安全なように最善を尽くそうとしているのかもしれない。でも、それはあまりに無理が過ぎると思う。



彼からすれば人間なんてどんな賢者や大魔術師さえ、赤子とさして変わらないだろう。
そんな存在が満足するような防犯なんて、正直言って我が家に必要だとは思えない。……けれど、彼が私のことを案じてくれるのがすごくうれしくて。

「ん?お前も、やっぱり安全な家が嬉しいのか」

「嬉しいのは安全な家じゃなくて……」

「なんだ?」

「いえ、やっぱり何でもありません」

「変な奴だな」

一庶民の私に言わせていただくのなら、彼の方がよっぽど変わっていると思うのに。彼にしてみれば、私は相当変わっているらしい。あんまりにもこのままでは悔しいので、彼には別の言葉を返す。

「いいえ、ただ。貴方とこうして、普通に話すことが出来るようになったのが嬉しいんです」

「……やっぱりお前は、変わっている」

今までなら一周回って落ち込んでしまいそうな言葉も、わずかに頬の色が変わっているのに気付いてからは胸も痛まない。彼の顔色は非常に読みにくいのだけれど、照れているのだろう。一度そういう表情の変化に気付くと、意外と彼の感情をとらえることが出来るようになってきた。

今日も、「城で出された菓子がうまかったから、お前に持ってきた」なんて、口元に食べかすが付いた状態で持ってきてくれた。何も知らない頃なら、気を遣わせてしまったかと申し訳なくなるところだ。だけど今は、王様との挨拶もそこそこに来てくれたなんてと、愛おしくなってしまう。

「あーもう」

この星獣様は、なんて可愛いんだろう。

最近では、特にそう感じることが多くなった。もともと本音が分からないうちから、唐突に彼を可愛らしく感じることはあった。けれど、状況が状況だったし、まさかこんな風に話せるようなるとは思いもしなかった。今だからこそわかるけれど、彼は下手な一般人よりもよっぽど純粋で、可愛らしい一面を持っている。

……だから、思わずそんな親愛の感情を表に出してしまった私は、さほど悪くないはずだ。

彼の事を引き寄せて、少し遠かった頬に軽いキスをした。
これは、いうなれば母親が子どもにするような親愛のキスで、なんの疾しい気持ちもなかったとだけ主張したい。

「…………っ?」

しばらく、呆けた顔をして口を開け閉めしていたかと思うと、彼は突然顔を真っ赤に染めて窓から出て行ってしまった。まるで変質者から逃れるうら若き少女のようで、若干傷つく。

「窓開けっ放しって、防犯意識は……?」

散々お前は警戒が足りないと怒られてきた身としては、こんな風に放置されて申し訳ない気持ちより、「どうしてここまで過剰反応されなければならないのか」と怒りすら覚えた。

「たしかに勝手なことをして申し訳なかったけれど、何もそんな全力で逃げなくても……」

まるで、こちらがとんでもない痴女になったようで居た堪れない。
その時私は知らなかった。まさか、彼がこの行為を気に入って、事あるごとにほっぺチューやら、額へのチューを求められるようになるとは。






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