リスタート 〜嫌いな隣人に構われています〜

黒崎サトウ

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流されるな(3)

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 路地に連れ込まれて少し進むと、英司は立ち止まった。

 その隙に千秋は掴まれた手を今度こそ振り払うと、振り返って真剣な顔つきでこちらに向き直った。

 路地は電灯がなく通りからの光が差し込んでくる程度で、そんな少し薄暗い中、英司の端正な顔が余計際立つ。

 千秋は本能でまずいと思い、とっさに顔をそらした。

「高梨。お前、最近家帰ってないよな」

「そうですけど、それがどうかしたんですか」

 別に隠すことじゃない。まあ、気づいているとは思っていた。だけど、当初の目的「英司に会わないように」がアパート外で破られるなんて、自分の運の悪さに腹が立つ。さすがに偶然まで操ることはできない、か。

「そんなに俺に会いたくない?」

「そりゃ、そうなるのも仕方ないでしょ……あんた、俺にしたこと忘れたんですか」

「いきなりキスして復縁迫ったことか?」

「なっ!だから、そういう軽いのがっ」

「はあ?」

 眉間に皺を寄せた英司が、一歩、千秋に近づく。英司の方が少し背が高く、さらに少し腰をかがめて顔をずいっと寄せてきた。

「な、なんですか」

「俺の、どこが軽かったって?」

「軽いだろ!」

 それだけは間違いない。付き合っていたとはいえ、今はそうではない相手にこうベタベタしてくるなんて、軽い以外の何者でもない。

「言っとくけど、あれはお前だけだ」

「え……?」

「愛情表現ってやつ?あんなの、お前にしかしねえよ」

 愛情表現とか、恥ずかしいことを平気で口にする英司。軽いと言うか、これは真面目に言っているからタチが悪い。

「だとしても、付き合ってるわけじゃないし」

「だってお前、どう見ても本気で嫌がってる気しないしな……」

「はあ……!?」

 目、というか頭がおかしいんじゃないだろうか。こんな拒絶して、家まで出てるのに、本気で嫌がってないだと……?

「正真正銘嫌がってます。話、それだけなら俺帰るんで」

「おい、ちょっと待て」

「今度はなんですか」

「帰るって、俺らのアパートにだよな」

 英司は咎めるように、鋭い視線を向けてくる。だけど千秋は、この目に負けるわけにはいかない。

「他人の家に居候させてもらってるんで、ご心配なく!」

 語気強めに返事すると、今度こそ千秋は翻して帰ろうとする。

 が、それもまた叶わず、後ろから手を引かれると、壁に押さえつけられた。

「ちょっ、痛……」

 ……くはないか。頭は英司に支えられて、壁に打ち付けることはなかった。

「高梨。今泊まってるの、どういうやつのとこだよ」

 近い、近すぎる。問い詰める時に顔を近づけてくるのは、英司の癖だっただろうか。片手で肩は軽く押さえつけられており、逃げようとしてもすぐ捕まりそうだ。

「が、学校の友達のとこですけど……」

「男?女?」

「男」

「な、襲われたら大変だろうが!」

「ただの女好きの友達です!」

 英司じゃあるまいしそんなことあるわけない。今まで、元々女が好きな男に好かれたこともない。


 千秋がそう訴えているのにも関わらず、英司はまだ納得していないようだった。

「でも、万が一ってことがあるだろ。お前だったらいけるって気になられてもおかしくない」

「それこそありえないでしょ!」

「それがありえなくないんだって……」

 英司は少し呆れたようにため息をついた。馬鹿にされているのかと思って、千秋は少しムッとする。

「馬鹿にして……っ」

「してねえよ」

 英司が再び真剣な表情でこちらに目線を向けると、千秋は思わず黙ってしまった。

「なあ、お前が嫌なら俺が引っ越す」

「は……?」

 引っ越そうとしているのは千秋の方で、英司がわざわざ動く必要なんてない。原因はどうあれ、私情で人を他に追いやるなんてできるわけないだろ。

「だから、他の男の家に行くな……」

 脇の下から腕が背中に回り、抱きしめられる。

「柳瀬さっ」

 そのままさらに力を入れられて、ぎゅう、ときついくらいだ。

 表情は見えないけど、顔がすぐ耳のそばにあって、思わずドキリとした。

「高梨……」

 だめだ…突っぱねないと。何好き勝手されてんだ。このままにしておくと、この人はまた調子に乗り始めるだろう。そうわかっているのに、英司の切羽詰まった声が千秋をひどく困惑させる。

 こうして英司に抱きしめられたのは中学ぶりだ。前みたいに一瞬のキスじゃなくて、でも今こうしていると、どうしようもなく……ドキドキしてしまう。

 どんな風に囁かれたってつっかえせばいいのに、

 千秋は、無意識のうちに英司の服を掴んでいた。

「千秋……っ」

「んっ」

 英司は少し離れると、千秋の唇に余裕なく口付けた。この前とは違う、すぐには離さないキス。しばらくして離れると、すぐに二回目がやってきて、今度はちゅっ、ちゅっと少しずつ角度を変えてされる。

 千秋は、キス止まりだった昔の関係を思い出した。キスするときや、二人きりの時、英司は「高梨」ではなく「千秋」と呼ぶ。

「千秋、口開けて」

「やですっ」

 小さく言った英司に、千秋は小さな抵抗で返すが、力ないそれは意味をなさない。もう一度唇を重ねられると、遠慮のない舌が入り込んでくる。

「んぅ……!」

「ん……」

 あれから、千秋も何人かと付き合った。キスもした。でも、この人とのキスは、その何人かとは全然違う。なんでだろ、なんでかな……。

 英司の舌が千秋のそれに絡んできて、突かれて、舐め取られる。ただ激しいのとも違う、意味もなく暴れるわけではないそれは、確実に千秋をわけわからなくさせた。

 だめなのに、おれ、だめなのに……。

「えいしくん……、ふ……はぁっ……」

 ちゅ、と音を立ててようやく口が離れると、千秋はその音に顔を赤くしながらも呼吸を整えた。

 それを待つことなく、英司はそのまま千秋をそっと抱き寄せる。

「好きだ、千秋……」

 こんな路地で何やってるんだ、とか。通行人に見られたら、とか。そもそもまた許可なくこういうことを、とか。色々思ってること言いたいことはあった。


 ──でも、英司くんがあまりにも切なげに言うから、俺はいつもみたいに悪態をつくことができなかった。
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