羅針盤の向こう

一条 しいな

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 真澄ちゃんの言葉に戸井田はうなずいた。経験者らしい。僕はじっと見つめていると「わかるかな」と僕は独り言をつぶやいた。戸井田と真澄ちゃんは盛り上がっていた。入り込む隙もないくらい。
 なぜか恋愛の話で盛り上がっていた。教授が来てようやく終わった。とりあえず、出席票に名前を書く。デジタルでもやっているが、今日はパソコンを使わない。画面に写されたことをメモしていく。戸井田はしっかりと眠そうにメモをしている。


 授業が終わると開放感から笑い声が聞こえてくる。弁当を買いに行こうとすると真澄ちゃんに捕まった。真澄ちゃんは今日の髪型はウェーブをつけたものだった。
「あんた、毎回あののろけを聞いているの?」
「毎回ではないけど」
「ウザいとか思わない」
「別に」
 はあ、と真澄ちゃんはため息をついた。あきれているのは雰囲気から伝わってくる。それでも僕はなぜあきられているのかわからなかった。真澄ちゃんは「あんた。バカね」としか言わなかった。イライラした気持ちになりながら「話はなに」と尋ねた。
「どうラブは進展した」
「片思いに進展はない」
「進展させなさい。根性よ」
 根性と言われても、僕はつぶやいている。正直困っている。
「真澄ちゃんには関係ないでしょ」
「関係あるわよ。あんたをネタにするんだから。作家デビュー」
「印税で食べられるのは一握りだよ。あせくせ働いて、その空いた時間に作家は小説を書いているんだよ」
「わかっているわよ、それくらい。夢みたいじゃない」
「どうぞ。お好きに」
 真澄ちゃんを置いてコンビニに行こうとすると、真澄ちゃんは追いかける。真澄ちゃんはキラキラとした目つきで見つめてくる。
「あんた、本の登場人物になりたくない」
「ノーサンキュー」
「あら。いいじゃない。いいかしら」
「いやだ。だって、自分の頭で考えなきゃ、何もできないよ」
「何よ。あんたをヒントにするくらい、いいじゃない」
「ヒントなんてなくても文豪真澄ちゃんなら書けるよ」
 なにそれ、バカにしているのと真澄ちゃんは言い出す。バカにしていたのはわかっている様子だ。僕はコンビニに入るとサラダを買って、コンビニ弁当を買う。
「じゃあ。手作りのお弁当を作ってあげようかしら」
「いいよ」
「おっけ」
「ご遠慮いたします」
 そう言って僕は駆けだしていた。休み時間がなくなりそうだったから。真澄ちゃんも駆けだしていた。なんとか授業に間に合うと戸井田はニヤニヤと笑っていた。なんとなく理由はわかるので、僕はにらみつけていた。真澄ちゃんはなにやら紙に書いていた。授業のメモではないことは確かだ。真澄ちゃんは書きながら、うーんとうなっていた。僕にはどうするつもりもなかった。
 そんなことを考えていた僕に、戸井田は「おまえらできているのか」といきなり言われた。戸惑いを隠せなかった僕は戸井田をにらんだ。
「な、わけない」
 真澄ちゃんは後ろで聞いているのになんていうことを聞くんだと僕は思った。正直、真澄ちゃんは僕を狙う理由はただ一つ。ネタというものだ。それ以外考えられない。それを言おうとしたが、教授の視線に気がついて、足だけで答えた。


 真澄ちゃんと一緒にご飯を食べることになった。午後の授業は一緒なので、戸井田が気を利かせたらしい。いらない気の利かせた方だと僕は思った。コンビニ弁当を広げて、サラダを用意する。真澄ちゃんは手作り弁当である。女子も集まってきた。
「真澄ちゃん。ご飯一緒に食べようよ」
「拓磨ちゃんとご飯食べるの。ごめんね」
「えっ、最近仲いいね。もしかして付き合っているの」
「それはないから」
 はっきりと真澄ちゃんは主張する。僕は呆れながらその会話を聞いていた。真澄ちゃんはご飯を食べながら「さっきの話はどう」と言い出す。戸井田はさわらぬ神にたたりなしということわざが頭にあるのか、一切触れないで静観している。それがまた憎らしい。
「いやだ」
 僕はキャベツにドレッシングをかけながら言った。キャベツはまだ冬なのか堅い。キャベツの緑は薄い。敷き詰められた姿だ。コーンが散らしている。それをどうするつもりもなく、かき混ぜていく。
「あら、やっぱりいやなのかしら」
「普通の感覚を持っている人ならばいやだろうが」
 強めにいう僕に真澄ちゃんなるほどとつぶやいた。俗っぽい考え方ではないか。リアルから取材して、小説のネタにする。私小説ならばましも、人から許可なく使うなんてもってものほかだと僕は思う。崇高なる信念が必要である。
 それが伝わっているのか伝わっていないのかわからないが、真澄ちゃんは形を整えた眉毛が下げた。
「あんた、意外と頑固ね。ちょっとネタにするだけなのに」
 それがいやなんだと僕は思っていると戸井田はクスクスと笑い出した。
「もしかして、真澄ちゃんにかまってほしいのかよ」
 訳の分からないことを言われた僕はぽかんと戸井田を見た。真澄ちゃんはああと合点がついたのか「そうよ。どうなのよ」と言い出す。真澄ちゃんが性悪ということを僕は忘れていた。
「真澄ちゃんの気を引きたいから、あえて断っている。真澄ちゃんが好きなんだろう」
「絶対に違う。キモイことを言うな。絶対にないからな」
「あら、じゃあなんで断るのよ」
「プライバシーの観点から」
「あやしい」
「あやしい」
 と二人に言われた。
「絶対に違うからな」
 にらみつけてやると、まだあやしいと戸井田はニヤニヤしながら言っていた。



 真澄ちゃんと一緒に学科内のビルの中を歩く。学校は学科により、ビルや建築物が違う。今日はうちの学科のビルに来た。真新しいビルは作りたてである。ラウンジの新品の椅子に座る。そうして授業を終わるまで待っていようとすると、いきなり真澄ちゃんが隣に座る。ぎょっとしている僕に戸井田は笑い出す。正直、僕には予想外の出来事である。実際真澄ちゃんは涼しい顔をしている。
「真澄ちゃん。ここにいるのはなぜ」
「うんというまで付きまとうことにしたの」
 わかると真澄ちゃんに問いかけられた。わかりたくないところである。同じ授業を受けていると僕はそのことを忘れた。別々のグループに入り、真澄ちゃんは自分の考えていることを積極的に話していた。会話が主な授業なので、当たり前だ。僕はなるべく真澄ちゃんとは一緒にいないように気をつけていた。授業は夕方に終わるとようやく終わったと思う。
「あんた、カフェテリアに行くわよ」
「コンビニのコーヒーでいい? バイトがあるんだ」
 そう僕がいうと、わかったわと真澄ちゃんが言った。戸井田はじゃあなと言った。二人っきりにするつもりなのだろう。それがわかっていてもどうしても、裏切り者と思ってしまう。実際に裏切りに近い。真澄ちゃんと僕は、寒空の下、コーヒー片手にバスを待っていた。
 一口ずつ、濃い液体を飲む。香りがあまく、ゆっくりと冷えて緊張した神経が緩む。そうして、飲んでいる。小さなカップには、液体が並々と入っている。真澄ちゃんは静かだった。
「あんた。いいの。思いを秘めているだけで」
「秘めていないけど」
「チッ」
「まあ。真澄ちゃん。恋なんてどこに探しても似たようなものだよ」
「うるさいわね。しかし、相手はどうなんだろうね」
 僕は急に夜のことを思い出した。夜の横顔だ。鼻は普通なのに、顔が小さいせいか、すべてが整っているように思えた。
「好きな人のことを思い出すのは、いいわよね」
「実体験から書けば」
「いいわよ。私は。ゲテモノの恋なんて面白くもない」
「僕は面白いと思うよ」
「えっ」
「多分」
「弱気ね」
「真澄ちゃんは自分に自信がないんだね。不思議だ」
「開き直りに近いかしら、自信なんてそう簡単につくものでもないし。小学生にはお化けと言われて逃げられるのよ」
 真澄ちゃんは笑った。僕は笑った。事実なのか、わからないけれど、面白かったからだ。駅に向かう学バスが来た。赤いバスだ。並んでいる人は今日はあまりいなかった。僕は真澄ちゃんを見た。
「僕の恋なんてつまらないよ」
「そうね。本人がそういうならば、そう。でも第三者だから面白いってあるわよ」
 僕は真澄ちゃんの手を振った。真澄ちゃんはバスが行くまでじっと僕を見つめていた。僕は席に座り、バスが発車するときに手を振る。コーヒーは飲んで、窓の風景を見ていた。バイト先のことをもう考えていた。


 パン屋のバイトだ。女の子が多い中、パンを製造するバイトだ。本当は接客業だったが、製造業を手伝っていたら、こうなってしまった。パンを焼く。熱いし、ためらい傷はつく。それでも果敢に立ち向かう。鈴さん(りんさん)とい女性がいる。鈴本(すずもと)美知(みち)という名前で美知さんと最初は呼ぶが「鈴でいいよ」とおおらかにいう。おおらかな性格ではないが、こういうときおおらかである。
 鈴さんが僕に怒鳴っている。ぼうっとしていたからだ。調理場は人の口に入るものを作るからぼうっとしたらやたら目立つ上、危険だ。だから、僕は怒鳴られて頭を下げた。
「あんた、しっかりしなさいよ。あんたのゴタゴタなんてお客様には関係ないのよ。お客様の口に入るものなのよ。わかる。その意味」
 鈴さんに怒れ、僕はすみませんと言った。それくらい落ち込んだ。なぜかは自分がよくわかっている。
 仕事をなめている自分がいたこともまた恥ずかしく、当たり前のことで怒られた事実もまた恥ずかしく感じるからだ。
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