羅針盤の向こう

一条 しいな

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 僕はマンションの出入り口から出てきて、コンビニに向かう。コンビニはマンションからすぐに近くで、歩けばすぐある。寒い中、そんなに長い時間いたわけではない。ただ体を縮むような思いだった。
 朝の光は平等に僕や建物を白くする。まだ弱々しい光が、灰色の雑居ビルの壁に当たる。緑色の看板に反射して、寝ぼけ眼の僕を刺激した。ちらほらと人が歩いている。
 コンビニで、夜は雑誌を見ていた。エンタメ系雑誌、安くてお得の商品という雑誌だ。僕が来ると気配でわかったのか、夜は顔を上げた。
「よっ」
「よっ」
 にやけてしまうのを必死にこらえていた。そんな僕を夜は笑っていた。なぜ笑うのかわからなかった。
 バンドをしている人と付き合うのは危ないと言われている。わかっていたつもりだ。女の人は寄ってくるのはもちろん、お金の問題だってある。そういう話は僕の頭になかった。
「ちょっとついてくるだけなら、夜にすればいいのに」
 僕がいうと、夜は苦笑したのでああ、今日の夜は空いていないんだなと気がついた。
「まあ、いいけど。コンビニのおにぎりを買うけどいる」
「いらない」
 夜は条件反射のように言うから僕はさっき夜と同じ顔をした。
「まあ、いいじゃん」
 はい。なにを選ぶと僕は言った。夜は一番安いのではなく、焼き肉が入ったのにする。
「もっと安いのにしてくれ」
「学生だからか」
 鮭を選ぶ。そうして、ツナマヨ。僕も二つ。そうして夜は「飲み物を買う」という。うんとうなずいた。
 コンビニが出しているプライベートブランドを選ぶ。そうして、食パンを見ていた。
「自炊すれば」
「いいよ」
 そう言って会計した。バイト代で大丈夫かなと考えていた。夜はそんな僕を見ていた。夜はなにも言わなかった。
「金ねえの」
「入っているけど、貯金」
「はあ。バカだね」
 夜は歩きながらつぶやいていた。なにがバカなのかわからない。夜に貯金したことを言ったのがバカか、貯金しているのがバカなのか。
「真意を探るような目だな」
 夜がからかっていた。明らかに面白がっている。そんな夜が正直恨めしい。
 駅が近くなる。ここでお別れだ。僕は名残惜しいが、手を振る。夜は平然と立ち去っていった。人ごみの中に潜り込むように。二人の関係は秘密なのかわからない。
 わかっているのはキスなどしていない。夜の根城に来たことがある。小さなアパートで、両隣の建物が立ち、暗くて陰気なところだった。夜は上がってと言うなり、ギターを弾いていた。僕はまじまじと夜を見ていた。
 夜が言った。
「女に養ってもらえないからここ」
 養ってもらえないがよく耳に響いた。結局夜は僕に触れなかった。住人がいるからと言って、聞き耳も立てているばばあもいると言った。ギターを弾きながら夜が言った。
「びっくりした?」
「うん。まあ」
「ここに女を連れ込むと、いいところに住ませたい使命感に燃えてくれていいんだ」
 なにを言っているんだと僕は思っていると、顔に出ていたと思う。夜は苦笑いを浮かべていた。夜の当たり前と僕の当たり前は違うとようやく気がついた。
 お互いに好きだと言った。ただそれだけ。付き合うなんて言っていない。そこが夜のずるいところと気楽なところだ。もしかしたら夜の配慮かもしれない。
 そんなことを考えていた。
 電車は滑るように走る。駅名を確認してから僕は立ちながらぼんやりしていた。スマホを見ていればいいが、そんな気分になれなかった。座席に座り、資料をみればいいが、そんな気分にもなれなかった。
 流れるように風景が変わる。ドームが見えて土手が見える。そこからまた狭い街か展開される。住宅街からビルが立ち並ぶ。ビルが段差を作るように並んでいたり、同じ高さだったりまちまちだ。雑居ビルの白い色がまぶしい。
 通勤ラッシュという奴で隙間なく埋もれた人々の中にいるのになぜか僕の心は静かだった。しんと静かである。人の体温、息、香水、気配があるというのに、電車の外に意識を向けることばかりしている。がんっと、誰かの肘が当たる。いてぇと言った。ぎゅうぎゅうに押しつぶされそうになって、僕の静かな気持ちはどこかに行った。
 なんとか電車の外に出る。出るのも苦労だった。すみませんと言いながら、どいてもらいなんとか暑い室内から出られた。顔が熱い。
 ふらふらになりながらも、会社に向かう。
「企画書、書き直し」
 上司になっている人が不機嫌そうに言われた。言葉の誤用があり、文章の要点がわからない。また企画として、インパクトがない、だれでも考えられる、上面だけではなく、深層を見ろ。ネットなんか頼りにならない等言われた。
 頭の中はもやもやしている。なんでだめなんだ。どうしてだめなんだ。そういうものを自分で解くしかない。
 はあと頭を抱え込んだ僕に先輩がコーヒーを持ってくる。
「大丈夫?」
「あっ。すみません」
「みんな、ここでつまずづいてくるから大丈夫。ちょっとだけ考えてみたら」
 はいと言って、カップを受け取る。紙カップからマイカップに変わった。資源の無駄遣いはよくないということで、マイカップを持ってくるようにと上司に言われた。
 百均で買った、安上がりなカップからコーヒーメーカーで淹れたかぐわしい匂いがした。僕は緊張したものがほぐれてくる。
「ネットに頼るのはよくないですか」
「うん。まあ、ネットより先に気がつかなきゃいけないからね」
「なるほど」
「まあ。もっとみるべきものがあるよ」
 はいと僕はうなずいた。見るべきものとはと考えていた。そんな僕に「何がいいかわからないときは原点よ」と言われた。
 僕にはわからない言葉だった。なんでこの企画書を立ち上げたのかということよと言われた。そうして僕はメモ帳を取り出して紙に考えを書いていた。
 結局、お持ち帰りになった。
 企画書、期待しているからと上司に言われた。
 なぜか、膝を見られたらが、僕は気がつかないふりをした。
 夜、サービス残業というのはよくないから、僕は家に持って企画書を考えようとした。他の業務もたまっている。
「拓磨」
 いきなり呼ばれたから振り返っていた。上司がいた。
「大丈夫か」
「はい。すみませんでした」
「いいんだ」
 のぞくように顔を見られた。僕は自然と後ろに下がっていた。上司に笑っていた。
「なんだ。驚いていたのか」
「はい」
 顔が近いと僕は思っていた。そうして、逃げるように「それじゃあ」と言おうとした。上司は慌てた僕に「酒は飲めないのか」と問われた。
「まだ二十歳ではありませんから」
「若いな」
「どうだ。焼き鳥。企画書の相談くらいは聞く」
 僕は迷っているといいからと言って上司は言った。


 普通の焼鳥屋。背広のサラリーマンや働き盛りの女性が一緒の席でビールを飲んで、楽しげに話している。小さくなっている僕に「で、どうするんだ」と言って、僕は自分の考えを言っていた。
「うむ」
 真剣な顔で聞いている上司が率直な意見を言ってくる。メモに書き留めている。
「どうしてそう思うか。なんてよく聞かれないか」
「はい」
「商品を売る前に顧客として考える。難しいが、それが俺達の原点だからな」
「はい」
 胸に刻むように書いているといきなり、メモ帳をのぞかれた。びっくりしている僕に「もうちょっとあまえていいんだぞ」と言われた。
「いえ」
 体がガチガチに固まっていた。緊張している僕に上司の手のひらが伸びていく。ヒュッとのどが鳴いた。夜の顔が浮かんだ。
「お手洗いに行ってきます」
 あっ、そうと言われた。上司に意識するなんてどれだけ自意識過剰なんだよと僕は思っていた。罪悪感が胸に突き刺さるようで忸怩した気持ちだ。夜の顔を浮かべる。用を足して、手を洗う。
 スマホを見た。夜のメッセージはなかった。
 席に座ると上司は焼き鳥を食べている。炭火で焼いた、なんとも煙臭い。部屋中に充満している。その中でたばこを吸う人はおらずに、ひたすら周りはしゃべりながらビールと焼き鳥を食べていた。
「ビールは」
「いやいいよ」
 ありがたいような気がした。
「で、彼女とかいるの」
「います。いるのかな」
「なに、前はいなかったのに」
「えっと告白の返事をもらって」
「ああ。そうなの」
「オッケーしてもらいました」
「はあ」
 残念そうな顔をした上司がいた。
「いいな。拓磨は彼女がいて。俺なんか寂しい独り身」
「でも、ちゃんと見ている人は見ていますよ」
 上司の愚痴を聞いていた。なぜと思うが、おごりなのと上司ということで聞いていた。上司は焼き鳥を食べながら、取引先の感じ悪い女性やら、いじわるな同僚のことを話している。それでもユーモアを忘れない。
「あー話した」
 ひさしぶりかも、こんなに話したのと言われた。
「いつもしゃべっているじゃないんですか。飲み会だと」
「酔っているからわからない」
「いやそうでは」
 ふっと笑われた。僕はきょとんとしている。周りが笑い声。そんな中上司は寂しそうな顔をした。
「仕事はどう」
「楽しいです」
「バイトは」
「厳しいです」
 うむと言われた。苦々しい笑い方になったのは気のせいかもしれない。
「うちでアルバイトしない」
「えっ」
「企画書は書かないけど。就活には有利だと言われなかった」
 僕は首を振っていた。
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