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1 鑑定の儀編

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 現実逃避すると決まったら、やることは一つ。現実を見ないこと。
 というか見たくない。
 頭と胴体が分離した魔物の死骸なんて見たくない。荒れ果てた木々や地面なんて見たくない。
 膝の上で、にゃーと鳴く、かわいい猫は見てもいいかな。

 よし、見たくないものはなかったことにして。視線は上に固定しよう。

 私は地面にぺったり腰を降ろしたまま、背を仰け反らせるように上を向いた。
 膝の上には猫。
 少し前までとはうってかわって、澄み渡るような青空が、木々の間から目に映った。朝からの曇天はなんだったんだ?と思いたくなるくらい。

 なんだか日差しも暖かくてポカポカする。身体も少し気怠い。気持ち悪さも治った。チカチカする目も、ドクンドクンとしていた心臓も落ち着いた。
 このまま昼寝でもしたい気分になって、膝の上の猫は、にゃーと鳴く。

「なんて、のどかなんだろう」

 思わずつぶやいた。そのとき。

「ネー、ジュ、さま!」

 すぐ近くで、ジンの怒鳴るような声と、ハアハア息を切らす音が合わさって聞こえてしまった。
 正直、見たくない。返事したくない。
 これ、絶対怒られるやつだわ。

「ネーー、ジュ、さま!!」

 ジンからしつこく名前を呼ばれる。返事したくないんだけどな。

「返事!!!」

 ジンの大声。耳が痛い。

「あー、はいはい」

 しぶしぶ返事をして、私はジンの方にちらっと目をを向けた。
 白を通り越して真っ青な顔色をしたジンが、すぐそばにいる。ハアハアしている。目も血走っている。ちょっと怖い。

「これの、どこが、のどか、なんです、か!」

 ジンの息が、まだ切れてる。
 ヤバい。ジンは私が見当たらなくなったので、私を探してあちこち駆け回っていたんだ。
 護衛対象が突然突っ走ってどこかに消えて。探して駆け回っていたら、ドオォォォォォォォン、というもの凄い音とか聞こえて。
 何事かと思ったら、私を見つけて、この惨状……ってところなんじゃないかなぁ。
 他人事ながら、自分がジンの側の立場じゃなくて良かった良かった。

 ジンは私の専属護衛でバリバリのイケメン騎士。剣術や体術の指導係も兼ねている。
 私より五歳ほど年上のれっきとした成人男性だけど、小柄で、体毛も薄いし、ヒゲもない。
 金茶の明るい髪は肩までかかる長さ。それを首の後ろで一つにまとめている。
 髪色と同系色の瞳は少し垂気味で、顎も細い。
 男とも女ともとれる中性的な印象もあってか、私と同じか少し年下くらいの年代にも見える。
 もともとはグランフレイムの私設騎士団の一人で、精霊騎士としても優秀だったとのこと。
 体格と顔立ちに似合わず頑強さが売りで、その能力を買われて、私の専属護衛に抜擢されたと聞いた。

 そんな、普段は優しげな美少年的な感じのイケメン、ジンが、目を血走らせて怒鳴る。

「ご自分の姿、分かってますか? 分かっていませんよね? 分かっていたら、そんなところで、そんな格好していませんよね?
 まったく何をやったら、そうなるんですか!
 全身、土埃まみれだし! 髪なんてバサバサしてるし! 葉っぱもついているし! せっかくの銀髪が黒ずんでます!
 立てますか? 立てませんか? ケガしてないですよね?
 急に消えたと思って探し回って、やっと見つけたと思ったら、さっきまでとはまるで違う姿じゃないですか?!」

 うん。ジンの小言がうるさい。
 まるで、母親のようだわ。
 と言っても、母は小さいときに亡くなってるから、母の記憶なんてまるでないんだけれど。

「突っ込むところ、身だしなみなの?」

 血走った目でギロッと睨まれた。怖い。

「熊の頭と体が分離して転がっていたり、木が軒並み吹き飛んでいたり、地面があちこち抉れていたり、岩もゴロゴロ転がっていたり、それを指摘して説明を求めたりした方がよろしかったですか?」

 あれ? おかしい。惨状が増えてるわ。
 自分の認識よりジンの指摘の方が散々で、思わず固まった。

「ともかく、ケガもなさそうですね」

 ジンは私の顔や身体をチェックした後、良かった、と聞こえないほど小さな声でつぶやいた。
 私に聞かせるつもりはなかったんだろうけど、私の耳は指向性地獄耳。意識して聞こうと思った音は、どんなに小さくても拾えちゃう。
 表情も声も、ようやく、普段のジンに戻る。

「ジンはちゃんと私のことを心配してくれるんだよね」

「これを追求しないとは、一言も言っていませんよ」

 ジンは、私を心配するのは当然だろうという顔をしながらも、あっち(=惨状)を指差してキッパリ言い切った。
 いやー、あっち(=惨状)は見たくないんだって。

「だいたい、熊一匹にここまでやる必要あります? 過剰攻撃でしょう」

 熊みたいな魔物に近づくジン。
 いや、そうだね、そうだよ、ただの熊相手なら完全に過剰攻撃だよね。

「あー、ただの熊一匹にやり過ぎた、かな」

 惨状から目をそらしながら答えた。
 ラッキー、誤魔化せそうだわ。
 そう、それは熊。ただの熊。
 心の中でつぶやく。

 ふと、ジンの足音が止まった。

「…………ネージュ様」

 気のせいかジンの声がさっきより低い。

「これ、熊じゃありませんね?」

 ジンが何かに気づいたようだ。気づかなくていいのに。

「えー、熊じゃないなら魔獣かな?」

 惨状は見ない。断固見ない。

「これ、魔獣でもありませんよね?」

「あー、そうなの?」

 ジンの声が低い。でも見ない。白々しくしらを切る。

「これ、魔物ですよね?」

 ギクッ

「へー、魔物ねー」

 下手に返事をしたらヤバい。でも返事をしないのもヤバい。

「分かってましたよね?」

 ギクギクッ

「えー、魔物なんて見たことないし」

 これは事実! 堂々と事実!
 魔物の魔の字も目の当たりにしたことなかったし! 昨日まではね!

「魔物だと分かっていたから、こんな(=惨状)になったんですよね?」

「えー」

 ジンの追求は続いた。どんどん声が低くなっていく。怖い。

「魔獣程度なら、もっと簡単に倒してますよね」

「いや……」

「分かっていたんですよね?」

「その…………」

「ですよね?」

「…………はい」

 魔物よりジンの追求の方が怖かった。
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