上 下
211 / 384
4 騎士と破壊のお姫さま編

5-4 騎士は悟る

しおりを挟む
「ジン!」

 ネージュ様の最期の叫び声。

 俺は悲痛な叫び声で目が覚めた。まだ、耳の奥に生々しく残っている。

 汗ばんだ額を拭って、身体を起こし、窓を見る。カーテンがうっすら明るい。どうやら夜は明けたようだ。

 もう一度、寝直して、同じ夢を見るのも辛いので、俺はベッドから降りる。

「ネージュ様は消えてしまわれた」

 大神殿での話し合い。

 俺はこれでネージュ様が戻っていらっしゃるきっかけができると思っていた。浅はかにも。

 身体の汗を拭い、寝衣から部屋着に着替える。

 いつもなら稽古着に着替え、朝の訓練をしているが、今はそんな余裕がない。身体全体に力が入らない。
 何か大事なものが身体の中心から抜け出てしまったようで、虚無感が全身を襲う。

「ネージュ様が消えて、クロスフィア様になられた」

 真実は簡単だった。

 覚醒前がネージュ様で、覚醒後がクロスフィア様。クロスフィア様は元ネージュ様だけど、ネージュ様そのものではない。

 言葉遊びをしているようで混乱する。
 どっちでも同じじゃないかとも思う。

 しかし、クロスフィア様にとって、赤種にとってはまったく違うことらしい。

 身体がだるい、頭が痛い。

 俺は自室を出て階下に降りた。まだ朝も早い時間で誰も起きていない。静かだ。だるい身体を引きずるようにして外に出た。

 明らんできた空を見上げたとき、ふと、耳にネージュ様との最後の会話が聞こえてくる。

「クッキーをご用意しておきます」

「メモリアの紅茶もお願い」

「かしこまりました」

 この時。無理を言ってネージュ様に同行すれば、ネージュ様の隣にいるのはあの男じゃなく自分だったのではないか。

 ずっと思っていたことも否定された。

「正直なところ、あそこにお前がいても、グランフレイムのバカたちに対して、何もできなかった」

 あの場では反論したが、きっと、バーミリオン様の言う通りだった。

「良かったじゃないか。目の前でネージュが落とされるところを見ないで済んで」

 バーミリオン様の蔑むような言葉が俺の心を深く抉った。




「ジン、早いじゃないか。お前も眠れなかったのか?」

「父さん」

 小ぎれいに管理されている庭園で、声をかけてきたのは父だった。
 穏やかな声、穏やかな顔。何かがなくなってスッキリしたような穏やかさだ。俺とはまったく違う。

 そんな父を見て、なんでこんなに朝早く、と思う前に、別のことを思ってしまった。

「父さんはなんでそんなに、穏やかでいられるんだ?」

 あのネージュ様の最期の映像を見て。ネージュ様が消えたという事実を聞かされて。なのになんで。俺はこんなに空っぽになってしまったのに。

「父さんだって、あの映像は衝撃的だったぞ。おかげでよく眠れなかった」

 父の言葉で我に返った。

 そうだった。まだ、空が明るんできたばかりの時間だった。
 空はどんどん明るくなってきているが、こんな時間にここにいるってことは、俺と同じく眠れなかったんだ。

 俺は恥じるように下を向き、何か言わないとと思って、言い訳じみたことを口にする。

「俺は身体の力というか、気力が抜けたようで、空っぽの気分だ」

「今までずっと、気を張っていただろうからな」

「あぁ、そうかもしれない」

 空をもう一度、見上げる。

 曇りがちのこの季節には珍しく、雲一つない、澄み渡った空だった。
 父のようにスッキリとした、俺の心のようにガランとした空。

「お前はずっと、やるべきことはやってきた。努力もしてきた。今回だってやれるだけのことはやった」

「結局、無駄に終わったじゃないか」

 俺は澄み渡った空から目を背けた。
 そんな無気力な俺に父は声をかけつづける。

「人生に無駄なことなんてないぞ」

「本当に?」

「今回だって、クリムゾン様が元ネージュ様だということが分かった。ネージュ様の記憶も持っていらしたのも分かった」

「でも!」

「ネージュ様をお迎えすることは叶わなくなったが、クリムゾン様はご自身の居場所を見つけられ、充実した生活を送られてる」

 俺の顔に光が差した。日が登ってきたようだ。一気に辺りが明るくなる。

「お前の目的は達成できたじゃないか」

「俺の目的?」

 俺の目的はなんだ? ネージュ様をお迎えすることだったか? ネージュ様のおそばにいることだったか?

 違う。ネージュ様の健やかな生活だ。

 それを守るために、俺はあそこにいたんだ。なのに!

「それに、クリムゾン様のあの身のこなしは、お前が身につけさせたものだろう?」

 父の言葉にハッとする。

 大神殿のあの身のこなしも、武道大会でのあの動きも、俺が教えたものだった。
 ネージュ様に危険がないように。万が一の時には、ご自身で身を守れるように。

「クリムゾン様をお守りする役に立っていて、良かったな」

 ネージュ様は消えてしまわれたが、クロスフィア様の中に引き継がれているんだ。
 そして、健やかに楽しそうに暮らしていらっしゃる。

 一番そばでお支えすることができなくなった。ただ、それだけだ。

 目の奥がじんとしてきて、父の顔が滲んだ。言葉が何も出てこない。

「今度は次の目的を探す番だぞ」

 朝日がきらめいて、父の顔がはっきり見えない。声だけが俺に届く。

「お前も疲れてるだろうから、ゆっくりでいい。それと」

 父が俺の肩に手を置いた。

「そのペンダント。クリムゾン様に直してもらえて良かったな」

 遺品となったペンダントの割れた紅い石が元の姿に戻り、俺の胸でキレイな光を放っていた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

悪徳令嬢はヤンデレ騎士と復讐する

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:2,293pt お気に入り:259

ミノタウロスの森とアリアドネの嘘

ミステリー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:23

あなたの妻にはなれないのですね

恋愛 / 完結 24h.ポイント:50,488pt お気に入り:403

踏み出した一歩の行方

BL / 完結 24h.ポイント:177pt お気に入り:66

好きだから手放したら捕まった

BL / 完結 24h.ポイント:1,121pt お気に入り:1,587

初恋の王女殿下が帰って来たからと、離婚を告げられました。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:51,254pt お気に入り:6,937

今度こそ穏やかに暮らしたいのに!どうして執着してくるのですか?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:32,448pt お気に入り:3,450

処理中です...