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〈三〉
しおりを挟む匂わせ画像の衝撃は大きかった。その晩は卒業論文が手につかなかったほどだ。
しかしそれもいっときのことだった。
――来るべきときが来たってだけだよね。
悟はモテ偏差値の高い、珠緒には分不相応の恋人だったのだ。いつまで続くだろうかなどと諦めていたくらいなのであって、浮気されても別れを告げられても不思議でもなんでもない。
そう考えたら肩の荷が下りる気がする。
〈別れよう〉
珠緒は自分からメッセージを送った。ゼミ友から送られてきたSNS画像も添付しておく。
そして卒業論文を提出したのち、珠緒はひたすらアルバイトに励んでいる。
悟とは連絡をとっていない。チャットツールアプリにじゃんじゃかメッセージが届くのでブロックした。ラメちゃんとかいうゆるふわ小動物系女子と仲良くすればいいのだ。
働こう。
珠緒は勤労意欲に燃えている。
メインのアルバイト先はシフトが重ならないように避けていても大学の近くとあって悟と出くわす可能性が高く面倒だ。お歳暮仕分けの臨時アルバイトを見つけて一日八時間、しゃかりきに働いている。
「もうおしまいかあ……」
お歳暮仕分けアルバイトはごくごく短い。十二月半ば過ぎ、クリスマス前に終わってしまった。
――年末年始のアルバイト、探さなきゃ。
つらつら考えながらアパートに戻ると、部屋の前に男がふたりいた。
ひとりは悟だ。もうひとり、比較的長身の悟よりさらに大柄で筋骨逞しい男には見覚えがない。
「珠緒、頼む! ゆる――」
「十時過ぎてるんだけど? 大きな声出さないでくれる?」
「珠緒ぉ、――ッ」
「悟、声を抑えろ」
大男が低い声で悟を制した。
仲がよい相手なのだろう。ハーフコートにストレートのデニムパンツ、短く整えられた黒髪に厳しそうな顔立ちという外見と低い声とで落ち着いた雰囲気だがおそらく年齢は近い。近所中に騒ぎが響き渡れば住人である珠緒が恥をかくことに思いが至らないらしい悟に対して、他人事だからだろうが大男は気がまわるようだ。
これ以上騒ぎが大きくなっても困る。
「行きましょう」
せっかくアパートに帰ってきたのに。
珠緒は部屋に入らず踵を返した。
「行く、ってどこに?」
「話ができるとこ」
めそめそしている男とめそめそに付き添っている大男を引き連れずんずんのしのし駅前へ戻る。こういうときはファミリーレストランがいいと分かってはいる。しかし東京とはいえ私鉄駅前の小体な商店街にそんなものはない。しかたなく居酒屋に入ったが話の内容が内容だ。痴情が縺れている。狭い店内でほかの客の注目を集めてしまった。
「何あれ?」
「三角関係が拗れてるっぽい」
違う。元カレ元カノ善意の第三者だ。三角関係ではない。訂正してまわりたい。
しかし店員も客も興味津々で耳をそばだてる環境では話にならない。一杯目、とりあえずの生ビール中ジョッキもそこそこに店を出た。
「――ええっと、できれば公園とかですませたいんだけど。そうでなければ日をあらためるとか」
「初対面の野郎の家に入りたくないのはよく分かる。だがここはこらえて悟の話を聞いてやってほしい」
数駅移動した先のマンションの前で大男と小声でひそひそ言い合う。築年数のそこそこ経った古びた建物だ。
「ここで放り出されたら困る」
憔悴していた悟は疲れのせいか居酒屋で酔い潰れ、大男に肩を借りている。話を聞いてほしいも何も本人はべろんべろんだ。放り出されて困るのは珠緒も同じだった。最終電車の時刻は過ぎてしまったし、冬の夜更け、ご丁寧に雨まで降ってきた。
「帰りはちゃんと送るから。頼む」
「万が一のことが起きたらただじゃおかないから」
ぐにゃぐにゃの悟を支える大男が真剣な目で珠緒を見つめる。
「そんな事態にはならないし、させない。信じてくれ」
都会で独り暮らししながら大学の卒業見込みがたつところまで無事になんとかやってこれたのは、羽目を外すことなく物堅く過ごしてきたからに他ならない。理性は初対面の男をほいほい信用してはならないと警鐘を鳴らしている。
でも、真面目にしてきた結果がこれだ。
大事に関係を育んできた恋人を寝取られてしまった。イケメンの悟と釣り合わないから。
真面目の何が悪いという気持ちと、真面目な性格で損をしたという気持ちと、
――信じてくれ。
真面目そうな大男への淡い好感とが綯い交ぜになり、珠緒はどうでもよくなった。連日のアルバイトで疲れた体にビールが思いのほか効いてしまったかもしれない。
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