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がつ子、曲がるつもりのない曲がり角で立ち止まる
6.
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リーズナブルな居酒屋でよかった。しこたま呑んだわりに安い。そして広居主任の鞄にショルダーストラップがあってよかった。自分の鞄といっしょに斜めがけにする。樹子の肩にずっしりとふたり分の荷物の重みがのしかかるが仕方ない。
「主任、帰りましょう。歩けますか」
「うん……」
居酒屋のレジ前のベンチに腰掛けでろんとうなだれていた大きな体が大儀そうに立ち上がった。よろよろする主任に肩を貸すと、
「へ、いき」
離れようとする。
「危ないですよ。遠慮されても困ります。タクシー、拾いましょう」
全体重を預けられても困るが、ふらついて転んだり通行人を巻き込んだり立て看板を破壊したりしようものなら困るどころではすまない。
「大路、……ごめん」
いいんですよ、と安請け合いはできない。それでも誰がこうして肩を貸しているかが認識できているのはいいことだ。正体を失うよりずっといい。
「ええっと、――」
駅前のタクシー乗り場で客待ちの車に主任を乗せ、スマートフォンのメモアプリを見ながら聞き出した住所を読み上げていて
「…………」
運転手と目が合った。なんと雄弁な目だ。「このぐでんぐでんのお客さんに付き添ってくれますよね? ひとりで放置しませんよね?」と縋りつかんばかりである。
仕方ない。
タクシーに放り込んでおしまいにしたかったが樹子は溜め息をこらえ、広居主任の隣に乗り込んだ。
タクシーの車窓から眺める夜の街は水底のようだ。
街灯。店の看板。信号。ネオン。オフィスビルやマンションの灯り。道路を行き交う自動車のテールライト。
酔いのまわった樹子の目には光が水の流れのように見える。
数多の灯りが川と化しのろのろと流れる道路で主任と樹子を乗せたタクシーも光の尾を引く水の分子のひとつだ。
雨の気配が近づきつつある。
濃藍の深海に沈む街は雲を呼ぶかのように光の水をめぐらせていた。
広居主任の住まいは樹子と同じ路線のふたつ都心寄りの駅から少し離れた静かな界隈にあった。
「ここまで、すまなかった。気をつけて帰っ、――てくれ」
樹子の手にくしゃ、と一万円札を握らせると主任はタクシーを降りた。よろよろとマンションのエントランスへ向かう。
「だいじょうぶですかねえ」
運転手が首をめぐらせ、開いたままのドアの先を見遣る。
ぐわしゃ。
鈍い音が聞こえてきた。
広居主任が転んだに違いない。しこたま飲ませ酔わせたのは樹子だ。責任を感じる。
「精算、お願いします」
樹子はタクシーから降りた。ばたん、とドアが閉まりタクシーがぶうん、と走り去る。広居主任は
「痛ててて……」
マンションのエントランス前でずべらと転んだまま呻いていた。
「主任、だいじょうぶですか」
「へい、き」
とても平気には見えない。少し離れたところに落ちていた鞄を拾い、主任のスーツから軽く埃を払ってから肩を支える。
「おお、じ……?」
「そうです。歩けますか」
「ん、タクシー、行っちゃった……?」
「だいじょうぶです。さ、立ってください」
部下がいっしょだとしゃんとしなければという意識が働くのか、広居主任はよろよろと立ち上がった。何とかエントランスからエレベーター、廊下と肩を貸して移動し、借りた鍵で解錠しドアを開けた。
「主任、帰りましょう。歩けますか」
「うん……」
居酒屋のレジ前のベンチに腰掛けでろんとうなだれていた大きな体が大儀そうに立ち上がった。よろよろする主任に肩を貸すと、
「へ、いき」
離れようとする。
「危ないですよ。遠慮されても困ります。タクシー、拾いましょう」
全体重を預けられても困るが、ふらついて転んだり通行人を巻き込んだり立て看板を破壊したりしようものなら困るどころではすまない。
「大路、……ごめん」
いいんですよ、と安請け合いはできない。それでも誰がこうして肩を貸しているかが認識できているのはいいことだ。正体を失うよりずっといい。
「ええっと、――」
駅前のタクシー乗り場で客待ちの車に主任を乗せ、スマートフォンのメモアプリを見ながら聞き出した住所を読み上げていて
「…………」
運転手と目が合った。なんと雄弁な目だ。「このぐでんぐでんのお客さんに付き添ってくれますよね? ひとりで放置しませんよね?」と縋りつかんばかりである。
仕方ない。
タクシーに放り込んでおしまいにしたかったが樹子は溜め息をこらえ、広居主任の隣に乗り込んだ。
タクシーの車窓から眺める夜の街は水底のようだ。
街灯。店の看板。信号。ネオン。オフィスビルやマンションの灯り。道路を行き交う自動車のテールライト。
酔いのまわった樹子の目には光が水の流れのように見える。
数多の灯りが川と化しのろのろと流れる道路で主任と樹子を乗せたタクシーも光の尾を引く水の分子のひとつだ。
雨の気配が近づきつつある。
濃藍の深海に沈む街は雲を呼ぶかのように光の水をめぐらせていた。
広居主任の住まいは樹子と同じ路線のふたつ都心寄りの駅から少し離れた静かな界隈にあった。
「ここまで、すまなかった。気をつけて帰っ、――てくれ」
樹子の手にくしゃ、と一万円札を握らせると主任はタクシーを降りた。よろよろとマンションのエントランスへ向かう。
「だいじょうぶですかねえ」
運転手が首をめぐらせ、開いたままのドアの先を見遣る。
ぐわしゃ。
鈍い音が聞こえてきた。
広居主任が転んだに違いない。しこたま飲ませ酔わせたのは樹子だ。責任を感じる。
「精算、お願いします」
樹子はタクシーから降りた。ばたん、とドアが閉まりタクシーがぶうん、と走り去る。広居主任は
「痛ててて……」
マンションのエントランス前でずべらと転んだまま呻いていた。
「主任、だいじょうぶですか」
「へい、き」
とても平気には見えない。少し離れたところに落ちていた鞄を拾い、主任のスーツから軽く埃を払ってから肩を支える。
「おお、じ……?」
「そうです。歩けますか」
「ん、タクシー、行っちゃった……?」
「だいじょうぶです。さ、立ってください」
部下がいっしょだとしゃんとしなければという意識が働くのか、広居主任はよろよろと立ち上がった。何とかエントランスからエレベーター、廊下と肩を貸して移動し、借りた鍵で解錠しドアを開けた。
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