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第一章:画面を抜けて
7、奏汰との出会い(前半)
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放課後、私はパティスリーツチヤの店先をいつものように通りかかった。焼き菓子の甘い香りがふわっと漂ってきて、立ち止まらずにはいられなかった。
(今日こそ、少しだけ話してみたいな)
けれど、お店の入り口から入る勇気はまだなかった。私は小さく息を吸い、裏口の方へと足を向けた。
裏手はひっそりとしていて、夕方の空気にひんやりとした静けさが漂っていた。ふと、物音がして目を向けると、少年が箱を並べているのが見えた。
その横顔を見て、私はすぐに気づいた。(あ、あの子……)
彼は奏汰くん。私と同じ学校の同級生で、同じクラスではないけれど、給食の時間や図書室で何度か見かけたことがある。話したことは一度もない。でも、どこか落ち着いた雰囲気が印象に残っていた。
今、彼はツチヤの裏でお店のお手伝いをしていた。手に持った小さな箱を丁寧に棚に収めていくその様子は、慣れているというより、ひとつひとつに心をこめているみたいだった。
「こんにちは」
私は、少し緊張しながら声をかけた。
彼は箱を置く手を止め、驚いたように私の方を見た。そして、小さく「……こんにちは」と返してくれた。
それだけで、なぜか少しほっとした。
「その……並べてるの、お手伝い?」と私が言うと、彼はこくりとうなずいた。
「うん。たまに、こうやって焼き菓子の箱を棚に並べてるんだ。お店、家なんだ」
「そうなんだ。私、ここのお菓子、大好きで……」と私が言うと、奏汰くんは少しだけ口元をゆるめた。
「昨日より一箱多いな、って思ってさ」彼は、並べた箱を見ながら言った。
「数えてるの?」
「うん、どのくらい売れたかとか、どれが人気あるかとか。そういうの、ノートに書いてる」
「ノート?」
私は思わず聞き返した。すると、彼はポケットから取り出した小さなメモ帳を見せてくれた。
表紙には、少し曲がった字で〈お菓子観察帳〉と書かれていた。
「味とか、香りとか、焼き加減とか。そういうの、気になったときに書いてる。家の仕事、少しだけだけど、手伝ってるから」
私はびっくりして、心の中がぱっと明るくなった。(同じだ。私と、同じ……)
「私も、お菓子ノート書いてるの。材料とか、作り方とか、なんでおいしかったのか、って」
奏汰くんは目を丸くして、嬉しそうに笑った。
「へえ……じゃあ、味の理由とかも、考えたりするんだ?」
「うん、昨日、ここのフィナンシェ食べたんだけど……焦がしバターの香りがすごくて」
「わかる! あれ、焼きすぎると苦くなるし、焦がしが足りないと香りが立たない。むずかしいよね」
「作ったこと、あるの?」
「あるよ。試作品ばっかりだけどね。家のオーブン使わせてもらってる」
「私も、うちのキッチンでこっそり作ってるよ。ノート、見せていい?」
「うん」
私はランドセルからノートを取り出して、レシピのページを開いた。奏汰くんは目を細めて読み、ぽつりとつぶやいた。
「すごい、細かい……。ここ、温度調整のことも書いてある」
「うん、うまくいかないときって、たいていオーブンの温度のせいかなって思って」
「たしかに」
ふたりでノートを見ながら、小さな声でレシピや材料の話をする。その時間が、私はとても好きだった。
「俺さ、焦がしバターにメープルシロップ入れてみたことあるんだ」
「え、どんな味になるの?」
「ちょっとコクが出る。バターとはちみつだと、優しい甘さになるけど、メープルは深い感じになる」
「やってみたいな、それ」
私はすぐにメモを取り出し、書き込んだ。
〈メープル入り焦がしバターフィナンシェ →香りとコクが深くなる!〉
「ありがとう。試してみるね」
「こっちこそ、ありがとう」
ふと、店の奥からツチヤさんの声が聞こえた。
「奏汰ー、そろそろ中に入ってくれー」
「……うん。じゃあ、またね」
「うん。またね」
奏汰くんが店の中へ戻っていく後ろ姿を見送りながら、私はノートを胸に抱きしめた。
(お菓子のこと、もっと話したいな。もっと知りたい)
ゆっくりと歩きながら、私は新しいページをめくった。
そこに、小さくこう書いた。
〈話すのは、ちょっとだけ勇気がいる。でも、伝わると、うれしい〉
夕暮れの空が、少しだけ優しく染まっていた。
(今日こそ、少しだけ話してみたいな)
けれど、お店の入り口から入る勇気はまだなかった。私は小さく息を吸い、裏口の方へと足を向けた。
裏手はひっそりとしていて、夕方の空気にひんやりとした静けさが漂っていた。ふと、物音がして目を向けると、少年が箱を並べているのが見えた。
その横顔を見て、私はすぐに気づいた。(あ、あの子……)
彼は奏汰くん。私と同じ学校の同級生で、同じクラスではないけれど、給食の時間や図書室で何度か見かけたことがある。話したことは一度もない。でも、どこか落ち着いた雰囲気が印象に残っていた。
今、彼はツチヤの裏でお店のお手伝いをしていた。手に持った小さな箱を丁寧に棚に収めていくその様子は、慣れているというより、ひとつひとつに心をこめているみたいだった。
「こんにちは」
私は、少し緊張しながら声をかけた。
彼は箱を置く手を止め、驚いたように私の方を見た。そして、小さく「……こんにちは」と返してくれた。
それだけで、なぜか少しほっとした。
「その……並べてるの、お手伝い?」と私が言うと、彼はこくりとうなずいた。
「うん。たまに、こうやって焼き菓子の箱を棚に並べてるんだ。お店、家なんだ」
「そうなんだ。私、ここのお菓子、大好きで……」と私が言うと、奏汰くんは少しだけ口元をゆるめた。
「昨日より一箱多いな、って思ってさ」彼は、並べた箱を見ながら言った。
「数えてるの?」
「うん、どのくらい売れたかとか、どれが人気あるかとか。そういうの、ノートに書いてる」
「ノート?」
私は思わず聞き返した。すると、彼はポケットから取り出した小さなメモ帳を見せてくれた。
表紙には、少し曲がった字で〈お菓子観察帳〉と書かれていた。
「味とか、香りとか、焼き加減とか。そういうの、気になったときに書いてる。家の仕事、少しだけだけど、手伝ってるから」
私はびっくりして、心の中がぱっと明るくなった。(同じだ。私と、同じ……)
「私も、お菓子ノート書いてるの。材料とか、作り方とか、なんでおいしかったのか、って」
奏汰くんは目を丸くして、嬉しそうに笑った。
「へえ……じゃあ、味の理由とかも、考えたりするんだ?」
「うん、昨日、ここのフィナンシェ食べたんだけど……焦がしバターの香りがすごくて」
「わかる! あれ、焼きすぎると苦くなるし、焦がしが足りないと香りが立たない。むずかしいよね」
「作ったこと、あるの?」
「あるよ。試作品ばっかりだけどね。家のオーブン使わせてもらってる」
「私も、うちのキッチンでこっそり作ってるよ。ノート、見せていい?」
「うん」
私はランドセルからノートを取り出して、レシピのページを開いた。奏汰くんは目を細めて読み、ぽつりとつぶやいた。
「すごい、細かい……。ここ、温度調整のことも書いてある」
「うん、うまくいかないときって、たいていオーブンの温度のせいかなって思って」
「たしかに」
ふたりでノートを見ながら、小さな声でレシピや材料の話をする。その時間が、私はとても好きだった。
「俺さ、焦がしバターにメープルシロップ入れてみたことあるんだ」
「え、どんな味になるの?」
「ちょっとコクが出る。バターとはちみつだと、優しい甘さになるけど、メープルは深い感じになる」
「やってみたいな、それ」
私はすぐにメモを取り出し、書き込んだ。
〈メープル入り焦がしバターフィナンシェ →香りとコクが深くなる!〉
「ありがとう。試してみるね」
「こっちこそ、ありがとう」
ふと、店の奥からツチヤさんの声が聞こえた。
「奏汰ー、そろそろ中に入ってくれー」
「……うん。じゃあ、またね」
「うん。またね」
奏汰くんが店の中へ戻っていく後ろ姿を見送りながら、私はノートを胸に抱きしめた。
(お菓子のこと、もっと話したいな。もっと知りたい)
ゆっくりと歩きながら、私は新しいページをめくった。
そこに、小さくこう書いた。
〈話すのは、ちょっとだけ勇気がいる。でも、伝わると、うれしい〉
夕暮れの空が、少しだけ優しく染まっていた。
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