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第一章:画面を抜けて
11、土屋さんの工房へ(前半)
しおりを挟む「ことり、帽子忘れてるよ!」
母の声に振り返って、私はあわてて麦わら帽子を取りに戻った。
朝の陽ざしはすでに強くて、駅まで歩くだけでじんわりと汗がにじんできた。
今日は、夏休みの自由研究の一環として、ツチヤさんの工房の見学に参加する日だ。
近所の小学生限定で企画されたイベントで、申し込んだのは母。
「せっかくだから、行っておいで」と背中を押してくれたけれど、正直、今は少しおなかのあたりが落ち着かない。
(工場って……こわくないかな)
土屋さんの店には何度も行ったことがあるけれど、裏の工房には入ったことがなかった。
奏汰に聞いた話だと、そこでたくさんのお菓子が一気に作られているらしい。
「大きなミキサーもあるし、温度管理もすごく厳しいんだよ」
私の頭のなかには、銀色の機械がぐるぐる回っているイメージと、白衣を着た人たちが黙々と動くシーンが浮かんでいた。
午前10時。
集合場所の店の前には、すでに見学に来た小学生たちが何人か集まっていた。
すぐに奏汰の姿も見つけた。
「ことり!」
「おはよう、奏汰」
「今日、土屋さんは出張でいないけど、代わりに案内してくれる人がいるって」
そのとき、店の裏から現れたのが、長い三つ編みをした女性だった。
やわらかそうな口調で「おはようございます。今日ご案内する村井ゆきこです」と名乗った。
白衣に帽子、首にはタオル。
見た目はきっちりしているのに、話しかけやすそうな雰囲気だった。
「さっそく中に入ってもらう前に、ちょっとだけお話をしますね」
子どもたちは黙ってうなずいた。
私は緊張で手をそわそわと動かしていたけれど、その声に少し安心した。
工房の中は、思った以上に広くて、きれいで、涼しかった。
天井からぶら下がる銀色のダクト、大きな冷蔵庫、どっしりとしたオーブン、そしてぐるぐる回るミキサー。
「すごい……」
私は思わずつぶやいた。
けれどそのすぐあと、周囲で交わされる言葉に、急に自分だけが置いていかれるような気がした。
「これはコンベアラインで、1時間に300個のフィナンシェを成形できます」
「こちらが真空冷却装置。焼き立てのお菓子を傷ませずに冷ますんですよ」
専門用語が次々に飛び出し、それを聞いてメモを取っている子もいれば、「へえ~」とただ驚いている子もいる。
私はというと……
(ぜんぜん、わかんない)
どこを見ても初めての景色。聞いたことのない言葉。動き続ける機械の音。
思わず、私は足を止めてしまった。
「どうしたの?」
すぐそばで、優しい声がした。
振り向くと、案内していた村井ゆきこさんが私の顔をのぞきこんでいた。
「ちょっとびっくりしちゃって……。すごすぎて」
「うん。そうだよね。最初はみんなそう言うよ」
ゆきこさんはにっこり笑って、私の肩を軽くたたいた。
「わかんないって思えるって、すごいことなんだよ」
「え?」
「だって、知ってるふりって簡単だけど、わからないって思えるのは、ちゃんと見てる証拠だから。
それに、大人でも全部が分かってるわけじゃないの。私も最初は、チョコテンパリングって何?から始めたんだから」
私は、ゆきこさんの言葉に、胸の奥がじわっとあたたかくなるのを感じた。
(私、わかんないって思ってよかったんだ……)
その後の見学では、少しずつ自分のペースでメモをとることにした。
〈このミキサー、回転の速さで気泡の入り方が変わるって……どういうこと?〉
〈クッキーを並べる間隔は空気の通り道を考える? 面白い!〉
〈工房の中って、チョコの匂いよりもバターと焼けた粉の匂いがするんだ……〉
私のノートは、感想と不思議マークでどんどん埋まっていった。
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