体に悪くて、心に沁みるひとりご飯

武内れい

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第1章:暮れ色の帰路

9、静かな昼食、孤独の味(前半)

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 午後のオフィスは、妙に静かだった。
 蛍光灯の光が天井でちらつくたび、私の視界もわずかに滲んだ。薄曇りの空が窓ガラスをぼんやりと白く染めている。外の様子はほとんどわからない。
 ときおり、遠くのほうで車が水をはねる音がして、小雨が降っているのかもしれないと気づく。

 私は席に戻ると、肩のカーディガンを直して椅子に腰を下ろした。
 午後一番の電話対応を終えて、ようやくひと息つける時間。オフィスの隅で、コピー機が機嫌悪そうに唸っている。

 デスクの上に、コンビニの紙袋をそっと置く。
 取
 り出したのは、カップの味噌汁と、海苔巻きのおにぎり。それだけ。いつも通りの、何のひねりもないお昼ごはん。味気ないけれど、すぐ食べられて、すぐ終わる。私にはちょうどいい。

 お湯を入れに給湯室まで行くのは面倒で、デスク下のマグボトルを開けた。今朝、家を出る前に沸かしたお湯。
 少しぬるくなってるかも、と思いながら注ぐと、ふわりと湯気が立ちのぼった。

 その香りに、思わず一瞬、目を閉じる。

 ──味噌とわかめ。小さな豆腐が一片、ぽとんと浮いた。

「……いい匂い」

 思わず声に出た。
 でもその音は、周囲のざわつきにすっかり飲み込まれて、誰にも届かない。いや、そもそも届かなくていい。

 おにぎりの包みを開けながら、誰に聞かせるでもない声で、もう一度つぶやいた。

「これだけで、十分なんだよね……」

 まるで自分に言い聞かせるように。

 カップを手のひらで包み込むと、じんわりと温かさが伝わってくる。それだけで、少し気持ちがほどける気がした。
 人と話さなくても、こうして温かいものを口にすれば、まだ私は今日をやり過ごせる。そんな気がした。

 一口、味噌汁をすする。
 ぬるめのお湯でも、塩気が舌に染みて、なんだかほっとした。ワカメが思ったより多く入っていて、ちょっと得した気分。
 豆腐もちゃんと柔らかくて、舌の上でゆっくりと崩れた。

 ……なんてことのない、ありきたりな味。
 けれどそれが、今の私にはちょうどよかった。

「ちゃんと、生きてる味だ」

 また、声にならない声が漏れる。
 誰も聞いていないのに、心の中の誰かに向かって、ひとりごとを言いたくなる。SNSに投稿するでもなく、手紙を書くでもなく、ただ空気に溶けていくような声。

 向かいの席では、営業部の若い子たちが何かの話題で笑っている。
「昨日の飲み会、ほんとヤバかったっすよ~」とかなんとか。彼らの世界は、私のそれとはまったく別物のように思える。
 隣の島では電話が立て続けに鳴っていて、バタバタと書類を探す音が聞こえてくる。

 だけど、この四角い机の上だけは、まるで別世界みたいに静かだった。

 私のデスクは、必要最低限のものしか置いていない。
 PC、電話、日報ファイル、そしてトートバッグの中に折りたたまれたランチ袋。植物も、家族の写真も、マグカップすらない。
 まるで「私はここに仮で存在してます」と言わんばかりの、味気なさ。

 ……いや、植物は、少しだけ憧れてる。
 小さなサボテンとか、デスクの隅に置いてる人、よく見かける。でも、私はよく倒しそうだし、枯らしてしまいそうで、結局一度も手を出せずにいる。

「育てるって、責任だもんね」

 口の中で、海苔巻きをもぐもぐしながら、ぼんやり思う。
 梅干し入り。酸っぱさがちょうどよくて、口の中をすっきりさせてくれる。……昔、母が作ってくれたおにぎりも、たしか梅だった。
 塩が強めで、梅もまるごと入っていて、ぎゅうぎゅうに固かったっけ。

 けれど、今口にしているのは、機械が巻いた、真っ黒な海苔で包まれた均一な形のコンビニおにぎり。あのときの母の手の感触なんて、思い出せない。

 味は薄い。でも、悪くない。

 味噌汁をもう一口すすると、湯気がふわりと鼻をくすぐった。
 一瞬だけ、部屋の空気があたたかくなる気がする。──そんな気がするだけだ。
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