恋や友情が、なくても

武内れい

文字の大きさ
13 / 40
第一章:日常のさざ波

13、パン屋のおばさんと心の声(前半)

しおりを挟む
 春の午後、学校からの帰り道。空は薄い雲に覆われていて、時折そよ風が頬を撫でる。日差しは柔らかく、だけどまだ少し肌寒さが残っていた。

 ほのかはリュックの中におつかいのメモを入れて、ちょっとだけ緊張しながらこむぎ日和の前に立った。学校の近くにある小さなパン屋さんで、ガラスのショーケースには焼きたてのパンがずらりと並んでいる。
 甘い匂いがふわっと鼻をくすぐり、つい立ち止まってしまう。

「いらっしゃい、ほのかちゃん」

 優しい声が背後からかかった。振り返ると、パン屋のおばさん、春日さんが笑顔でこちらを見ていた。花柄のエプロンがよく似合う、温かそうな人だ。

「こんにちは。今日はおつかいですか?」

 ほのかが小銭入れを手に取りながら頷くと、春日さんは手際よくパンを袋に入れ始めた。カウンター越しに並ぶパンは、どれも美味しそうで、目移りしてしまう。

 つい、ショーケースの中のクリームパンをじっと見つめてしまった。

「ほのかちゃん、いつも頑張ってるねぇ」

 突然の言葉に少し驚いた。誰かに「頑張ってるね」って言われることなんて、あまりない。ましてや、こんなに優しい声で言われると、胸の奥がぎゅっと温かくなる。

「ありがとう……でも、遊びたいなって思うこと、あるんです」

 口に出した言葉は、少しだけ照れ臭かったけど、自然に溢れてきた気持ちだった。

 毎日、ピアノの練習に塾、水泳のレッスン。忙しくて、遊ぶ時間なんてほとんどない。友達と笑い合ったり、外で自由に走り回ったりするのが、どこか遠い世界みたいに感じてしまう。

 でも、本当はそういう時間がほしい。自由に笑いたい。そんな自分の気持ちを誰かにわかってほしかった。

 春日さんはじっとほのかの目を見て、静かにうなずいた。

「そうか。その気持ち、大事にしな」

 その言葉は、ほのかの心にそっと染み渡った。否定されるんじゃなくて、そのまま受け止めてもらえたことが、どんなに嬉しかったか。

 袋の中でパンがかさかさと音を立てる。私はそれを受け取りながら、ふっと肩の力が抜けるのを感じた。

「ありがとう、春日さん」

 店のドアを開けて外に出ると、風がふんわりと吹き、少し冷たい空気が頬を冷やした。でも、その冷たさもどこか心地よくて、春の匂いがする。

 帰り道はいつもより少しだけ軽やかに感じた。

「また明日もがんばろう」

 そう心の中でつぶやきながら、ほのかは歩き出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

【奨励賞】おとぎの店の白雪姫

ゆちば
児童書・童話
【第15回絵本・児童書大賞 奨励賞】 母親を亡くした小学生、白雪ましろは、おとぎ商店街でレストランを経営する叔父、白雪凛悟(りんごおじさん)に引き取られる。 ぎこちない二人の生活が始まるが、ひょんなことからりんごおじさんのお店――ファミリーレストラン《りんごの木》のお手伝いをすることになったましろ。パティシエ高校生、最速のパート主婦、そしてイケメンだけど料理脳のりんごおじさんと共に、一癖も二癖もあるお客さんをおもてなし! そしてめくるめく日常の中で、ましろはりんごおじさんとの『家族』の形を見出していく――。 小さな白雪姫が『家族』のために奔走する、おいしいほっこり物語。はじまりはじまり! 他のサイトにも掲載しています。 表紙イラストは今市阿寒様です。 絵本児童書大賞で奨励賞をいただきました。

運よく生まれ変われたので、今度は思いっきり身体を動かします!

克全
児童書・童話
「第1回きずな児童書大賞」重度の心臓病のため、生まれてからずっと病院のベッドから動けなかった少年が12歳で亡くなりました。両親と両祖父母は毎日のように妾(氏神)に奇跡を願いましたが、叶えてあげられませんでした。神々の定めで、現世では奇跡を起こせなかったのです。ですが、記憶を残したまま転生させる事はできました。ほんの少しだけですが、運動が苦にならない健康な身体と神与スキルをおまけに付けてあげました。(氏神談)

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
児童書・童話
 毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 連載時、HOT 1位ありがとうございました! その他、多数投稿しています。 こちらもよろしくお願いします! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

王女様は美しくわらいました

トネリコ
児童書・童話
   無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。  それはそれは美しい笑みでした。  「お前程の悪女はおるまいよ」  王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。  きたいの悪女は処刑されました 解説版

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

ローズお姉さまのドレス

有沢真尋
児童書・童話
*「第3回きずな児童書大賞」エントリー中です* 最近のルイーゼは少しおかしい。 いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。 話し方もお姉さまそっくり。 わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。 表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

処理中です...