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没落令嬢の事情
しおりを挟む「ソフィア様。もうそろそろ覚悟を決めていただけませんか」
金貸しのガストンは渋い顔をしていた。
でも、私は取り繕った笑顔を浮かべて首を横に振る。
予想していたのか、ガストンはこれ見よがしに深いため息をついてみせた。
「お気持ちはわかりますよ? でも、先代がお亡くなりになって五年です。これ以上の引き伸ばしは難しいことくらい、わかっているはずでしょう?」
「もちろんわかっているわ。男爵位の継承の期限は、当主の死から六年以内だということくらい」
「それならば、覚悟を……」
「でも、こればかりはダメなの。私は心に決めた人がいて、私に待っていて欲しいと言ってくれた人がいた。だから、ガストンさんの御子息とは結婚できないわ」
「とは言いましてもね、男爵位はどうするんですか。六年が過ぎたら、完全に没収されてしまうんですよ」
ガストンの言葉は、正論だ。
前代フランジ男爵だった父が亡くなって五年。
没落してささやかな領地はずいぶん前に借金の抵当に入っていて、男爵位は空位のまま王家の預かりになっている。
私がガストンの息子ハールと結婚すれば、ガストンは支度金の名目で借金のほとんどを棒引きにすると言った。それどころか、男爵位の継承に必要な経費も、全てお祝い名目で出すとまで言ってくれた。
申し出はとてもありがたい。
私には年の離れた異母弟ロイドがいて、あの子が成人するまで男爵位は私が守りたいと思っている。できれば残った借金を返済して、領地経営を少しでも改善して、病弱だった父の晩年を明るく支えてくれた後妻アリッサにも報いてあげたい。
わかっている。
私がハールと結婚すれば、全てが解決するのだ。
でも、私はそれだけはしたくない。
だってハールは……長年の恋人がいて、彼女との間には二人の子がいて、ガストンが私に結婚話を持ちかけていてもその恋人は恋人のままで、私に全く隠そうとしていないから!
今のハールはそういう男だ。
彼のことは、あの色男がまだ小さくて川遊びで顔に水がかかっただけで泣いていた頃から知っている。
昔は素直でかわいい男の子だったのに。
今では「私に結婚しよう」といいながら、恋人とも別れる気配がない男になっている。
いや、恋人がいることは許している。
ただ……なぜその恋人との間に子供が二人も生まれているのに、まだ恋人のままなのか。
それが許せない。
私は昔ながらの堅苦しい価値観の中で育ち、貴族であっても愛人を持たなかった父しか知らないから。
「ごめんなさい。私はハールとは結婚したくないのよ」
ガストンに面と向かってハールの悪口は言いたくないので、言葉をぼやかしたまま謝罪する。
それをどう解釈したのか、ガストンは私を見つめてため息をついた。
「ガストンさん?」
「……平民の金貸しごときに『さん』付けなど不要ですよ。ソフィア様はフランジ家のお嬢様なのですから。いや、ハールとの結婚を迫っている私がいうべきことではありませんがね。でも、もうここまで来たら言わせてもらいますよ。ソフィア様。これ以上の時間伸ばしは無理です」
「でも」
「ええ、わかっています。ソフィア様が心に決めた方を待っていることはね。でも、その方はいつ来るのですか。本当に迎えに来てくれるのですか。なぜ今あなたの苦境を見逃しているのですか」
「それは……」
私は答えられずに目を伏せる。
ガストンはまたため息をついた。
「ソフィア様。せめて手紙を書いてはどうですか? もう待てないと急かすべきですよ」
私はますます答えられなくなった。
幸い、ガストンはそれ以上私を急かすことはなかった。
私が用意したわずかなお金を数え、利子の一部にしか満たないそれを大切に懐にしまった。
「……今日のところは、これで帰ります。結婚の準備は、いつでも取り掛かれるようにしています。王家に提出する婚姻申請の書類はまだですが、婚礼衣装用の布は出来上がっていて、男爵位継承のための手筈も整っているんです。あとはソフィア様が頷いてくれるだけですよ」
「……ごめんなさい」
「金貸しに謝らないでください」
ガストンはまたため息をついて、部屋を出た。
ハールとの結婚を迫っているくせに、ガストンは威圧的になることはない。
父が生きていた頃と少しも変わらない丁寧な言動を続けてくれている。
でも、私はハールとは結婚できないし、したくない。
ガストンには、私は心に決めた人を待っていることになっている。
でも、その人は絶対に私を救いにくることはないだろう。六年どころか、十年、二十年、いや私が死ぬまで待ち続けても現れないだろう。
仕方がないのだ。
そんな人、この世のどこにもいないのだから。
いや、それも正確な表現ではない。
心に決めた人も、私に「待っていてほしい」と言った人も、はじめから存在しなかった。
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