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四章 十三歳の旅立ち

(19)カラス

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 ヘイン兄さんの助言に従い、私は家を出る時から目立つ銀色の長い髪は黒っぽい色に染めた。
 それをぎゅっと一つに組んで服の内側に入れ込んでいると、男装のせいで完全に少年に見えるようだ。いかにも田舎から出てきた子供に見えるせいか、市場で食べ物を売っている店で注文すると「早く大きくなれよ」という言葉をもらうし、食べ物の盛りも少しいい。

 これはとてもありがたい。
 身長が伸びないわりに、私の食欲は成人男性並みで、いつもヘイン兄さんと量を競っていた。それでいて身長も体重もほとんど変わらない。さすがに農作業を一日中している父さんよりは少なかったけど。
 こういう私だから、今は子供扱いは大歓迎だ。年下に見られたって気にしない。

 道の端で払った金額よりかなり多い食事を堪能していると、近くの店のおばさんがパンを分けてくれた。息子が食べ盛りだった頃を思い出したらしい。
 ……全然バレないのは誇っていいのかな。一応、私は女なんだけど。
 と思いつつ、もちろんパンはありがたく頂戴した。

 腹が膨れると、これからどうしようかと、ようやく考えた。
 我ながらのんきなものだ。
 でも、魔道学院に潜り込んで魔法を習得するという目的だけははっきりしている。これだけは揺るがない。
 そのためには、まずは都に慣れなければ。それから金を稼ぎながら魔道学院の関係者に近付いて、親の許可がなくても潜り込む方法を探って……。

 広場の中央にある泉の横でそんな事を考えていると、カラスの鳴き声が聞こえた。
 よくいる種類のカラスだ。
 鳴き声もよく聞く平凡なものだ。でも、私はこのカラスの事は知っている。村にいたカラスだ。時々私を助けてくれたり、物を落としてきたり、感謝するべきか腹を立てるべきか、そんな感じではあるけれど、どこか不思議な雰囲気の顔馴染みだ。

 このカラス、実は村を出た二日後くらいから目に入るようになっていた。歩いている時とか乗合馬車から降りた時とか、ふと気がつくと近くを飛んでいたり木にとまったりしていたのだ。
 大きくも小さくもない、ありふれた種類なのにどこか変わっているカラスは、何が楽しいのか、今も私のいる場所から遠くない建物の屋根に止まっている。
 そのカラスが、もう一度鳴いた。
 さらに何かを訴えるように、くいくいとクチバシを動かした。おかしな動きに思わず見入っていると、ばさりと飛び上がった。つられて私も立ち上がると、カラスのくせに頭上に円を描くように飛んで、どこかの方向へと向かった。

「……たぶん、ついて来いと言いたいんだろうな」

 村からきたカラスが、なぜついて来いと言うのか、全く訳がわからない。でも動物たちが何かを伝えようとして来る時は、素直に好意を受け取る方がいい。
 これまでの経験からそう学んでいるから、私はカラスが飛んでいった方向へと足を向けた。



 カラスは思ったより遠くまで私を連れて行った。
 市場広場から遠ざかり、せっかく入ったのに外壁からも出ることになり、私は動物の好意というものを疑い始めていた。
 ……もしかして、ただこちらに飛びたかっただけだった?
 それとも、都はだめだと言いたいのだろうか。

「……まさかと思うけど、村に戻れって言いたいの? それはちょっと嫌だよね。たどり着いたばっかりなんだし……」

 思わず一人で文句をいってしまう。もちろん、誰も相づちなんて打ってくれない。心酔してくれる村の子供たちはいないし、大人びてしまった悪友たちもいない。呆れ顔をしつつも受け入れてくれるヘイン兄さんも当然いない。
 なんだか急に寂しくなって、つい唇を噛みしめてしまった。

 でも、そのしんみりした気分はすぐに吹き飛んだ。
 遠くないところから、恐ろしいうなり声が聞こえたのだ。
 普通の動物の声ではない。空気がびりびりと震えるようなこんな声は、動物が出せるものを超えている。でも私は、この手の声は何度か聞いたことがあった。

「村にいたあの黒狼……ではないよね、さすがに」

 なかなか懐いてくれない大きな狼としか認識していなかった巨大な黒狼が、実は魔獣だったことに気付いたのは昨年のことだ。
 知ってみればなるほどと思うけれど、どうして魔獣が平然と村のすぐそばにいるのかは謎だ。いやそれより、村人が平気な顔をしていたことも、もっと謎ではある。
 村人に悪意を持っていないようだったから、みんなは平気で過ごしていたのだと思う。でも、魔獣のくせにどうしてあんなに大人しかったのか。
 今まで魔獣だと気づかなかったのかと呆れていたヘイン兄さんは、あの黒狼はよっぽど怒らせないかぎり村人を襲ったりしないと言っていた。

 だから、人間に害意を持たない例外的な魔獣がいることは知っているけれど、普通は危険すぎて、吠え声が聞こえたら逃げなければいけない存在だ。
 一般常識で言えば、今もすぐに逃げるべきかもしれない。でも私はなぜかとても気になった。人間への威嚇に聞こえなかったこともある。
 私は一時的にカラスのことを忘れて、声がした方向へと早足で向かった。
 
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