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九章 十八歳の激動
(51)どうしてここに?
しおりを挟む冷水を浴びせられたように、私の高揚は消えた。そっと目を向けると、その男は唖然とした顔で私たちを見ていた。いや、魔王の膝に座っている私を見ていた。
なぜ私の名前を知っている? まさか知り合いだったりする?
私もまじまじとその男を見た。
体格のいい集団の中でも目立つ、とても背の高い男だった。顔立ちは一目でわかるほど整っている。
私の高揚を一瞬で沈めた冷水のようなものは、今度は骨の髄まで凍りつかせた。
多分、私の顔は真っ白だ。
寒気がするほどなのに、背筋を汗が伝い落ちるのを感じた。
幸か不幸か、私はあの顔を知っている。あんな唖然とした顔は初めて見たけれど、間違いなく知人だった。彼の名前はもちろん、ご両親や弟たちや妹たち、それに家や庭の広さも知っている。
彼のそっくりさんがいるのなら、もしかしたら別人かもしれない。でもただのそっくりな別人なら、私を見てあんな顔はしない。私の名前を呼んだりしない。
だから、言葉を失っているあの男は、彼だ。
「ナ、ナイローグ……どうしてここに……?」
どうしてナイローグがいるのだろう?
今ここにいるのは、魔王討伐隊と一眼でわかる武装騎士の集団のはずなのに……?
目の前に立ち並ぶ騎士たちの青いマントが、転移魔法の余韻で渦巻く風に煽られている。その下には、銀糸で飾られた黒い騎士服が見える。国王直属の騎士団とわかる装備なのに、貴族階級出身者が多い普通の騎士にはない荒っぽさがあった。
つまり。あの騎士たちはグライトンの連中だ。
この業界の人間なら誰でも知っている。あの制服を見たら即逃亡!が合言葉になっているくらいだ。
私の上司は部下が少なくて私があっさり採用されたくらい、どちらかと言えばパッとしない魔王だ。
でも最近の評判では、城を守る魔法結界だけは侵入者を寄せ付けない超一流と評判になっていた。結界は私が手がけていて、控えめに言っても半端な魔法ではない。自画自賛してもお釣りが出るくらいに堅固で完璧で、押し寄せてきた無礼者たちを軽く追い払ってきた。
だから、討伐に最強の武装集団が出てきてもおかしくはない。
魔王冥利に尽きるとも言えよう。
でも、なぜ彼が……ナイローグが、あのグライトン騎士団の制服を着てここにいるのだろう。
私は自分の状況を忘れて、真剣に悩んだ。
確かに、昔から剣を携えていた。
時々、ひどい怪我をしていた。
……そう言えばひどく疲れていたり怪我をしていた時期は、国内外で争乱があった頃だった気がしてきた。
昔は気のいい普通のお兄ちゃんだったのに、村に戻ってくるたびに洗練されていったのを思い出す。初めて会った人は、彼が田舎の農夫の子と気づくことはないだろう。
今ではとんでもない圧迫感を与える人だけれど……つまり、つまり、そういうことだった?
混乱した私は、やや暢気なことを考えていた。
……上司の膝に座ったまま。
一方、踏み込んできたグライトン騎士団にとっても意外な展開だったようだ。油断なく抜き身の剣を手にしたまま、言葉を失っているナイローグと、魔王の膝の上の私とを見比べていた。
それはそうだろう。魔王の膝に座るのは、魔王の愛人とか情人と決まっている。そんな女に名前で呼びかけたのだから、どういう関係かと訝しむのが普通だ。他人事なら、私だって興味丸出しで見る。
でもさすがというべきか、動きが止まりかけていても隙を見せることはなかった。威嚇の唸り声を上げる魔獣を目の前にしても、怯えた様子は全くない。魔法罠を前に無駄に突っ込んでいくこともない。
さすが、戦闘のプロだ。
やがてナイローグの横にいた騎士が軽く咳払いをして、ナイローグに話しかけた。
「えー、大変失礼ですがね、あの女の子はお知り合いっすか?」
「……郷里の幼馴染だ」
「郷里の……というと、もしかして例の?」
ナイローグと同年齢ほどの騎士は、表情を改めて私に目を向けた。
のんきそうな喋り方だったのに、急に冷静な観察をされて冷や汗をかいてしまう。
そしてようやく。
本当に今さらながら、ようやく私が腰掛けている椅子が魔王の膝だと思い出した。
ナイローグが絶句するのは当然だ。
近所の幼馴染の妹が、赤ちゃん時代から子守りをしてきた相手が、いきなり魔王の膝に座っているのを目撃したら、普通に絶句する。
しない方がおかしい。
あのヘイン兄さんなら、平然と挨拶するかもしれないけれど。
ああ、でも最近の兄さんは父さんに少し似てきたから、私のこんな姿を見たら問答無用で切りかかっているかもしれない。父さんだったら、間違いなく我に返った時点で上司は死んでいる。
上司のためには、ナイローグでよかった。多分。きっと。
そんな思考の逃避に走っている私からようやく目を離し、ナイローグはなぜかため息をついた。
「……例の、妹の方だ。そのつもりで行動して欲しい」
「了解」
短く応じ、その騎士はにっこりと笑う。そしておもむろに表情を引き締め、すでに抜いていた剣を高々と掲げた。
「野郎ども! 囚われの姫を守れ!」
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