婚約者を譲れと姉に「お願い」されました。代わりに軍人侯爵との結婚を押し付けられましたが、私は形だけの妻のようです。

ナナカ

文字の大きさ
32 / 54
本編

(33)レイマン侯子


 二人だけになるのは、まだ慣れなくて緊張します。
 でも、今日はそんな暇はありません。
 私はグロイン侯爵様とお話ししなければいけないのですから。


「……お忙しい中、突然お邪魔して、申し訳ありません」
「構わない。どうしても外せない時はお待たせしなければならないが、今日はそうでもないからちょうどよかった」

 侯爵様は私に椅子を勧めてくれました。
 でも、私は座りませんでした。
 落ち着くために深呼吸をし、侯爵様にもう一歩、二歩と近付きました。

 これから話すことは、できるだけ人に知られてはいけません。
 少なくとも、侯爵様が味方になってくれるとわかるまでは。

「……侯爵様に、お話ししたいことがあります」
「伺おう」

 私の固い顔に、侯爵様は僅かに眉を動かしました。
 でも、何も言わずに続きを促します。
 侯爵様の金色の目は揺るぎなく落ち着いていて、静かな自信に満ちていました。

 この方が味方になってくれたら、どんなに心強いでしょう。
 ……いいえ。この方には味方になってもらわなければいけないんです。 
 泣き落としでも、脅迫でも、どんな手段を取ってでも、絶対に。


「侯爵様」

 私は震える両手を握り締め、ぎゅっと目を閉じました。

「私たちに……力を貸していただけませんか?」

 アルチーナ姉様に。
 お姉様のお腹にいる子供のために。
 優しいロエルのためにも。
 私の大切な人たちを……大切な人を守りたい私を……どうか助けてください……!


「オズウェル! お茶を持っ……!」
「子供ができたんです!」

「……持ってきて……やった……ぞ?」


 勢いよく扉が開いて、ハーシェル様が呆然と立っていました。
 手にはお茶のお盆。
 背後には誰もいないようです。
 でも、その目は私を見つめ、やがてのろのろと侯爵様を見ました。

「ハーシェル」
「……いや、まだ何も言うな。少し待て」

 ハーシェル様はまず扉を念入りに閉めました。
 それから机の上にお盆を置き、ふうと息を吐いて襟元をくいと指先でくつろげました。

「……よし、落ち着いた。オズウェル、まずは殴らせろ」
「待て。全く落ち着いていないじゃないか」
「黙れっ! こんな若い奥方にもう手を出して孕ませるとは、さすがに許せないだろうっ!」
「違うから落ち着け!」
「お前でないなら誰が奥方を孕ませるんだ! 人のせいにするつもりか!」

 ハーシェル様が、侯爵様の胸ぐらを掴んでいます。
 ……何が起こっているのでしょう?


 呆然としていると、服を掴まれたままの侯爵様が、妙に青白い顔で私を振り返りました。

「身籠られたというのは、本当か?」
「本当です。でも何か……あ……ち、違います! 私ではありません! 姉ですっ! 妊娠したのは姉なんですっ!」

 誤解させている事に気付いて、慌てて訂正しました。
 途端に、侯爵様がほっとした顔になりました。長々と気の抜けたようなため息をついて、それからハーシェル様の手を振り解きました。

 ハーシェル様はまだ疑わしそうに私と侯爵様を見ていましたが、やがて納得したのか少し乱れた美しい金髪をかきあげました。

「……では、奥方殿は妊娠していないのですね?」
「はい、もちろんです」
「そして妊娠したのはあなたの姉君、と。……なるほど。アルチーナ嬢が妊娠、か」

 ハーシェル様は静かにつぶやきました。
 少し前のお姿は幻だったのではないかと疑いたくなるような、冷ややかな声でした。

 それでようやく、私はお姉様のことをハーシェル様にも知られてしまった、と思い至りました。


 急に体が震えてきました。
 ハーシェル様は侯爵様の同僚です。私にも何度もよくしてくださいました。
 ……でも、アルチーナ姉様のことはどうでしょうか。


「だいたい想像はできるが、敢えて確認させていただこう。アルチーナ嬢の妊娠は、メリオス伯爵にとっては望ましい事態ではないのですね?」
「……はい」
「しかしアルチーナ嬢は妊娠してしまった。と言うことは……メリオス伯爵が知れば堕胎を強制されかねないな。それを望まないあなたは、オズウェルに後ろ盾を求めるためにきた。これで合っていますか?」
「はい」

 私はうなずきました。
 体はひどく震えていますが、真っ直ぐにハーシェル様を見上げました。
 ハーシェル様の整った顔には薄い微笑みがありましたが、まるで大理石の彫像のようです。

「オズウェルはアルチーナ嬢にひどい恥をかかされた。それなのに、助けてやれと言うのか? 君はずいぶんと傲慢なのだな」

 ハーシェル様の口調が変わっていました。
 発音も美しい貴族のものに変わりました。
 表情の消えた端正な顔には、圧倒的な権力を持つ人特有の、凍りつくような冷たさがありました。


「君と姉君に、オズウェルを利用するだけの価値があると思っているのか?」

 今、私に問いかけているのは王国軍の騎士である「ハーシェル様」ではありません。生まれた時からレイマン侯爵となることを約束された貴族……レイマン侯子様です。

 この方は味方でしょうか。
 敵でしょうか。
 レイマン侯爵家が敵にまわってしまったら、私はお姉様をお守りできません。
 私はぐっと歯を食いしばり、気力を振り絞って顔を上げ、ハーシェル様ににっこりと笑いました。

「私は何の価値もない小娘です。でも、小娘だからこそ、目的のために無謀なことができるんですよ?」
「ほう? どうやって?」
「簡単です。ご協力いただけないのなら、お父様に、他に好きな人ができたから離婚したい、と言うだけです」

 足が震えます。
 それを見透かしているように、ハーシェル様はゆったりと頷きました。

「可愛らしい脅迫だな。そんな話が通用すると思うのか?」
「通用します。だってアルチーナ姉様という前例がありますから。例えば……ハーシェル様が好きですって言えば、お父様は嬉々として離婚へと動くはずです。……私とお姉様の入れ替えを実現させてしまったということは、お父様は『そういうこと』ができる人なのでしょう?」


 半分はぼんやりと思っていたことですが、半分は確信のない賭けです。眠れない夜に考えに考え続けて、ようやく思い至ったことでした。

 でも、賭けには勝ったようです。
 ハーシェル様は反論せず、ただ舌打ちをしました。

「それで? あの伯爵が、私との結婚を推し進めてくるとでもいうのか?」

「もちろんお父様は、本気でそんなことを求めたりしません。でも、ハーシェル様は屋敷まで来てくれたことがありますよね? だから全くの嘘にはなりません。ほんの欠片でも本当が混じっていれば、お父様はそれを大きく広げて、華々しく掲げて、私を侯爵様と離婚させて。……落ち着いたら他の貴族に嫁がせるでしょう」

「ふむ。なかなか悪くない脅迫だが、君たちの結婚は国王陛下の肝入りだ。そう簡単に離婚は認めらないよ?」

 優しい、囁くような声でした。
 子供に言い聞かせるような、怯える罪人に死刑を宣告するような、そんな声です。
 でも、私はここが勝負どころだと感じていました。
 ぐっと顔を上げ、精一杯の笑顔を作りました。

「普通ならそうだと思います。でも私の場合は、それほど難しくはないはずです。先ほどハーシェル様も言いましたよね? 私はまだ若すぎます。だから、本当の意味で結婚はしていません」
感想 18

あなたにおすすめの小説

突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。

橘ハルシ
恋愛
 ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!  リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。  怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。  しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。 全21話(本編20話+番外編1話)です。

本物の『神託の花嫁』は妹ではなく私なんですが、興味はないのでバックレさせていただいてもよろしいでしょうか?王太子殿下?

神崎 ルナ
恋愛
このシステバン王国では神託が降りて花嫁が決まることがある。カーラもその例の一人で王太子の神託の花嫁として選ばれたはずだった。「お姉様より私の方がふさわしいわ!!」妹――エリスのひと声がなければ。地味な茶色の髪の姉と輝く金髪と美貌の妹。傍から見ても一目瞭然、とばかりに男爵夫妻は妹エリスを『神託の花嫁のカーラ・マルボーロ男爵令嬢』として差し出すことにした。姉カーラは修道院へ厄介払いされることになる。修道院への馬車が盗賊の襲撃に遭うが、カーラは少しも動じず、盗賊に立ち向かった。カーラは何となく予感していた。いつか、自分がお払い箱にされる日が来るのではないか、と。キツい日課の合間に体も魔術も鍛えていたのだ。盗賊たちは魔術には不慣れなようで、カーラの力でも何とかなった。そこでカーラは木々の奥へ声を掛ける。「いい加減、出て来て下さらない?」その声に応じたのは一人の青年。ジェイドと名乗る彼は旅をしている吟遊詩人らしく、腕っぷしに自信がなかったから隠れていた、と謝罪した。が、カーラは不審に感じた。今使った魔術の範囲内にいたはずなのに、普通に話している? カーラが使ったのは『思っていることとは反対のことを言ってしまう魔術』だった。その魔術に掛かっているのならリュートを持った自分を『吟遊詩人』と正直に言えるはずがなかった。  カーラは思案する。このまま家に戻る訳にはいかない。かといって『神託の花嫁』になるのもごめんである。カーラは以前考えていた通り、この国を出ようと決心する。だが、「女性の一人旅は危ない」とジェイドに同行を申し出られる。   (※注 今回、いつもにもまして時代考証がゆるいですm(__)m ゆるふわでもOKだよ、という方のみお進み下さいm(__)m 

【完結】妹ばかり愛され追い出された姉ですが、無口な夫と暮らす日々が幸せすぎます

コトミ
恋愛
 セラフィナは、実の親と、妹によって、家から追い出されることとなった。セラフィナがまだ幼い頃、両親は病弱なカタリナのため設備環境が良い王都に移り住んだ。姉のセラフィナは元々両親とともに住んでいた田舎に使用人のマーサの二人きりで暮らすこととなった。お金のない子爵家な上にカタリナのためお金を稼がなくてはならないため、子供二人を王都で暮らすには無理があるとセラフィナだけ残されたのだ。そしてセラフィナが19歳の時、3人が家へ戻ってきた。その理由はカタリナの婚約が上手くいかず王宮にいずらくなったためだ。やっと家族で暮らせると心待ちにしていたセラフィナは帰宅した父に思いがけないことを告げられる。 「お前はジェラール・モンフォール伯爵と結婚することになった。すぐに荷物をまとめるんだ。一週間後には結婚式だ」  困惑するセラフィナに対して、冷酷にも時間は進み続け、結婚生活が始まる。

聖女の座を追われた私は田舎で畑を耕すつもりが、辺境伯様に「君は畑担当ね」と強引に任命されました

さら
恋愛
 王都で“聖女”として人々を癒やし続けてきたリーネ。だが「加護が弱まった」と政争の口実にされ、無慈悲に追放されてしまう。行き場を失った彼女が選んだのは、幼い頃からの夢――のんびり畑を耕す暮らしだった。  ところが辺境の村にたどり着いた途端、無骨で豪胆な領主・辺境伯に「君は畑担当だ」と強引に任命されてしまう。荒れ果てた土地、困窮する領民たち、そして王都から伸びる陰謀の影。追放されたはずの聖女は、鍬を握り、祈りを土に注ぐことで再び人々に希望を芽吹かせていく。  「畑担当の聖女さま」と呼ばれながら笑顔を取り戻していくリーネ。そして彼女を真っ直ぐに支える辺境伯との距離も、少しずつ近づいて……?  畑から始まるスローライフと、不器用な辺境伯との恋。追放された聖女が見つけた本当の居場所は、王都の玉座ではなく、土と緑と温かな人々に囲まれた辺境の畑だった――。

婚約者は妹のような幼馴染みを何より大切にしているので、お飾り妻予定な令嬢は幸せになることを諦めた……はずでした。

待鳥園子
恋愛
伯爵令嬢アイリーンの婚約者であるセシルの隣には『妹のような幼馴染み』愛らしい容姿のデイジーが居て、身分差で結婚出来ない二人が結ばれるためのお飾り妻にされてしまうことが耐えられなかった。 そして、二人がふざけて婚姻届を書いている光景を見て、アイリーンは自分の我慢が限界に達そうとしているのを感じていた……のだけど!?

秘密の多い令嬢は幸せになりたい

完菜
恋愛
前髪で瞳を隠して暮らす少女は、子爵家の長女でキャスティナ・クラーク・エジャートンと言う。少女の実の母は、7歳の時に亡くなり、父親が再婚すると生活が一変する。義母に存在を否定され貴族令嬢としての生活をさせてもらえない。そんなある日、ある夜会で素敵な出逢いを果たす。そこで出会った侯爵家の子息に、新しい生活を与えられる。新しい生活で出会った人々に導かれながら、努力と前向きな性格で、自分の居場所を作り上げて行く。そして、少女には秘密がある。幻の魔法と呼ばれる、癒し系魔法が使えるのだ。その魔法を使ってしまう事で、国を揺るがす事件に巻き込まれて行く。 完結が確定しています。全105話。

無能だとクビになったメイドですが、今は王宮で筆頭メイドをしています

如月ぐるぐる
恋愛
「お前の様な役立たずは首だ! さっさと出て行け!」 何年も仕えていた男爵家を追い出され、途方に暮れるシルヴィア。 しかし街の人々はシルビアを優しく受け入れ、宿屋で住み込みで働く事になる。 様々な理由により職を転々とするが、ある日、男爵家は爵位剥奪となり、近隣の子爵家の代理人が統治する事になる。 この地域に詳しく、元男爵家に仕えていた事もあり、代理人がシルヴィアに協力を求めて来たのだが…… 男爵メイドから王宮筆頭メイドになるシルビアの物語が、今始まった。

妹に全てを奪われた私、実は周りから溺愛されていました

日々埋没。
恋愛
「すまないが僕は真実の愛に目覚めたんだ。ああげに愛しきは君の妹ただ一人だけなのさ」  公爵令嬢の主人公とその婚約者であるこの国の第一王子は、なんでも欲しがる妹によって関係を引き裂かれてしまう。  それだけでは飽き足らず、妹は王家主催の晩餐会で婚約破棄された姉を大勢の前で笑いものにさせようと計画するが、彼女は自分がそれまで周囲の人間から甘やかされていた本当の意味を知らなかった。  そして実はそれまで虐げられていた主人公こそがみんなから溺愛されており、晩餐会の現場で真実を知らされて立場が逆転した主人公は性格も見た目も醜い妹に決別を告げる――。  ※本作は過去に公開したことのある短編に修正を加えたものです。