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ハブーレス伯爵家の婚約者 【過去〜現在】
(20)顔見知りの相手
しおりを挟む「ねえ、フィオナ。あなた、カイルのことはどう思っているかしら」
母親にそう問われたのは、フィオナが二十一歳になった翌日だった。
珍しいことを聞かれたと驚きながら母親を見ると、公爵夫人エミリアはニコニコと笑いながらチラリと背後に目をやった。
中庭へと繋がる扉の前で、カーバイン公爵がさり気なさを装って立っている。
常に多忙なカーバイン公爵が、何の目的もなくうろうろしているはずがないのだが、まるで偶然通りかかっただけのように外を見ている。
首を傾げたものの、フィオナはまず母エミリアに答えることにした。
「カイルというと、ハブーレス伯爵家の、あのカイルですか?」
「ええ、そのカイルよ!」
「お母様と伯爵夫人が親しいお友達ですよね」
「そうよ。ローザとは十代になったばかりの頃に会ったのだけど、お互いに嫁いだ後も気楽に付き合えるいい友人なの。だから、ね」
エミリアはもう一度夫を振り返り、それから真剣な顔で娘を見つめた。
「……カイルと、婚約するのはどうかしら?」
フィオナはゆっくりと瞬きをした。
今まで六人と婚約してきたが、顔はもちろん性格も含めて、ここまでよく知っている相手との縁談は初めてだ。
確か、フィオナより二歳年上の二十三歳。
母親同士が仲がいいだけあって、たまに会っても会話に困ったことはない。
次男ではあるが、財産はしっかり持っているはず。
そもそも、フィオナ自身は夫となる人の財産を気にする必要はない。これまでの婚約関係で、図らずもいろいろ個人資産が増えているのだ。下手な貴族の当主より財産持ちと言ってもいい。
つまり、結婚相手として考えた時、カイルという人物は悪くない。
二十三歳になっているのにまだ婚約すらしていないのは、次男という気楽な立場を謳歌していたためで、両親ももう少し後でも問題ないだろうと見做しているらしい。
そう聞いていたから、お互いに結婚できないなと気楽に笑い合っていた。
一般的にいえば、悪くないどころか、とてもいい相手なのだが……フィオナはまず首を傾げてからそっと聞いてみた。
「カイルは、私でいいと言っているのですか?」
「ローザからそれとなく聞いてもらったけれど、悪い感触ではなかったようよ。話を聞いた感じでは、フィオナと似た反応だったみたい」
(ということは、悪くないどころかいい相手だと思いつつ、なんで今更この話がきたのかだろうと意外に思ったというわけね)
自分の心情を正確に把握しているフィオナは、続くはずの母の言葉を待つ。
エミリアは真剣な顔をふわりと崩して、優しく微笑んだ。
「あなたたちの間に、恋とかそういうものはないのは知っているわ。でもね、恋だけが夫婦を結びつけるものではないと思うの。気楽に付き合える穏やかな関係というものも悪くはないんじゃないかしら」
フィオナは母の言葉をじっくりと考える。
父と母は恋愛結婚ではない。
でも、まるではじめから運命で決まっていた相手であるかのように、二人の間に流れる空気は自然だった。
恋は必要ない。必要なのは信頼と、できれば何らかの愛情だろう。
そう考えたフィオナは、小さく頷いた。
「確かに、カイルはいい相手のような気がします。ただやはり、直接会って確認しておきたいことも幾つか……」
「ええ、そうだと思って、明日カイルをお茶にお招きしているわ!」
娘の言葉を最後まで待ちきれなかったエミリアは、でもとても嬉しそうだ。
さり気なく木を眺めている父カーバイン公爵も、その横顔は心なし嬉しそうに見える。
両親が、自分のことでこんなに楽しそうで張り切っているのは久しぶりだ。
縁談のことを話すときに、いつからため息やらうつろな目やらをするようになったのだろうか。こんなに嬉しそうな両親を見るのは……きっと王太子との婚約が固まった頃以来かもしれない。
フィオナも、なんとなく嬉しくなっていた。
◇◇◇
「ということで、カイルと婚約したわ」
「……僕がちょっと王都を離れていた間に、そこまで話が進んだのか……まあ、いいんだけどね」
お互いに「本当にいいの?」「本当にいいのか?」と心配そうに確認しあった「見合い」を終え、正式にカイルと婚約したフィオナは、その二日後に戻ってきたシリルを捕まえて報告をした。
実はシリルは、王太子の密命を受けて半月ほど王都を離れていた。だから本当に寝耳に水なのだが、シリルはただ苦笑いを浮かべただけだった。
フィオナが二十一歳になったように、シリルも十九歳になっている。
線の細さがあるものの、少年時代とは違うすらりとした長身は優美で、思慮深いエメラルドグリーンの目は女性たちの心を騒がせる。
しかし、この美麗な弟の頭の中は老獪な貴族政治家そのものだ。
予想外の姉の婚約を聞いてすぐだというのに、すでにじっと何かを考えていた。
「……カイルに関しては、悪い噂は全く聞いたことがないし、性格もいい。財産はまあそんなに多くないけど、姑は母さんの友達で僕たちもよく知っている人だ。ハブーレス伯爵自身はちょっと愚痴っぽくて、カイルの兄君はほんのり脳筋気味だけど、まあ、カイル自身はいい人だから許容範囲だよね」
「相変わらず、シリルはいろいろ詳しいわね」
「まあね。でも、母さんも思い切ったな。何かあったら、ローザおばさんとの友情にヒビが入る覚悟で動いたんだろう? カイルなら大丈夫だとは思うんだけど……」
「シリルは心配性すぎるわよ。今度は絶対に大丈夫。だってカイルだもの」
王立図書院の廊下を歩きながら、フィオナはにっこりと笑う。
弟シリルが王都に戻ったのに、すぐに図書院に向かったと聞いたから、フィオナはわざわざ報告のために会いにきている。
しかし、弟はいつも通りに元気で、旅疲れの心配もないようだ。
昔からシリルにはいろいろ心配をかけてきた。そのシリルが太鼓判を押したのだから、今度の婚約は結婚まで無事に至るだろう。
ついに「結婚できない女」という評判を返上する時が来た。
気にしていないと言いつつ、年々、なんとなく気になっていた。もっと正直にいえば……二十歳を超えたあたりからひしひしと評判の重さを感じていたから、フィオナも上機嫌だった。
……しかし。
にこやかにさらに言葉を続けようとしていたフィオナは、口を閉じたぴたりと足を止めてしまった。
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