婚約破棄おめでとう

ナナカ

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ハブーレス伯爵家の婚約者 【過去〜現在】

(21)疑惑の男

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「どうしたの、姉さん」

 姉に合わせて足を止めたシリルは、首を傾げかけて、姉の視線の先にいる人物に気付いた。
 黒髪の背の高い男がいる。
 およそ静かな図書院には相応しくない、無骨な剣を帯びた姿だ。
 カーバイン公爵家の姉弟が足を止めてしまったのを見て、傷跡の残る口元はうっすらと微笑んだようだった。

「あの男……!」
「……姉さん、気にせずに行こう」
「でも」
「わざわざ、姉さんが不快になるために言葉を交わす必要はないよ」

 硬い顔のシリルは、いつになく強引にフィオナの手を引っ張った。
 しかし、二人よりもローグラン侯爵の方が動くのは早かった。
 ゆったりと歩いているように見えるのに、一歩が大きいのか、シリルとフィオナが通り過ぎる前に二人の前に立っていた。

「フィオナ嬢、お久しぶりですね。少しご挨拶できていない間に、また一段とお美しくなられた」
「……ローグラン侯爵」

 チラリと背の高い男を見上げたフィオナは、ふうと息を吐いてシリルの手を外した。
 ドレスの裾をさばいて、真っ直ぐに向き直る。
 できるだけ感情を消した目で見上げる。そうしていると、あまり背が高くないフィオナではあるが、実に堂々として見えた。

 ただし、目の前に立つ男は群を抜いて背が高い。
 どうしても見上げる形になってしまうが、フィオナの目はいささか好戦的すぎる光がある。おそらく誰もが気付くほど苛烈な視線だ。
 こんなに感情がよく出ているフィオナは珍しい。
 そのことに驚きつつ、シリルはこっそり首を振ってため息をつく。
 そしてすぐに笑顔を作って、何事もないかのように二人の間に割って入るように進み出た。


「これは、ローグラン侯爵。図書院であなたとお会いするとは珍しいですね」
「シリル君も、最近は活躍しているようだな。殿下の命を受けて視察に行っていたそうじゃないか。なのに王都に戻ってすぐに調べ物とは、さすが学問院を飛び級した秀才だ」

 姉の前に立つシリルに、ローグラン侯爵も笑顔を返す。
 しかしシリルは密かに舌打ちをした。
 話を逸らそうと割って入ったはずなのに、逆にシリルの近況を正確に把握していることを匂わされてしまった。

(……やっぱり面倒な相手だな)

 改めてそう判断して、シリルはさり気なく姉のドレスの端をそっと引っ張った。
 いつものフィオナなら、それだけで意図を察してくれる。しかし今日のフィオナは微笑みというには苛烈すぎる目の光でローグラン侯爵を睨んでいた。

 ……これはまずい。
 内心焦りながら、シリルはもう一度ドレスの端を引っ張る。
 今度は気付いてくれたようだ。フィオナのエメラルドグリーンの目がシリルに向いた。シリルの必死の目配せの意味も理解したのだろう。
 小さく眉を動かしてみせた。

「ローグラン侯爵。申し訳ないのですけれど、今日は働きすぎの弟をお母様のところに連れて帰るために来ています。失礼しますわね」

 いつもの人形のような、でも美しい微笑みを浮かべたフィオナは、一息にそう言って、フィオナはシリルの腕に手をかける。
 聡い姉の対応にシリルはホッとする。そして何事もなかったように、黒髪の侯爵に軽い挨拶をして歩き出そうとした。

「……ああ、そう言えば」

 突然、低い声がつぶやく。
 思わず二人の足を止まってしまったが、足と止めてしまったことを悔いるようにシリルもフィオナも振り返らない。
 そんな二人の前に回り込み、ローグラン侯爵はわずかに緑を帯びた白眼でフィオナを見つめ、鋭い目に合わない明るい顔で微笑みかけた。

「フィオナ嬢は婚約したそうだな。おめでとう。ついに良い相手が見つかったようで、我が事のように嬉しいですよ」
「……ありがとうございます」

 そう応じつつ、フィオナは目を逸らしたままだ。
 しかしローグラン侯爵は気にしていない。むしろ楽しそうに口元を歪めた。

「カイル君はいい青年だ。フィオナ嬢が今度こそ無事に婚礼の日を迎えられるよう、心からお祈りしよう」
「……あら、婚礼の日を迎えるくらい、邪魔をする無粋な人がいなければ簡単なことですわよ」

 フィオナはふわりと笑った。
 完璧な微笑みだ。人形が人に変わったかのような、艶やかな顔になっている。
 しかし黒髪の背の高い男を見上げる顔は美しくも鋭く、その横顔を見たシリルは姉の変貌に驚きながらも、背筋が寒くなった。
 だからあえて大股で足を踏み出した。

「姉さん、これ以上母上を待たせると、また叱られてしまう。急ごうよ!」

 シリルが大股で歩けば、手をシリルの腕にかけているフィオナは、引っ張られる形で足を進めるしかない。
 歩みとしては少し乱れたが、フィオナはすぐに歩調を整えて優雅に歩いた。

「フィオナ嬢。……カイル君によろしく」

 背後から、笑いを含んだ声が聞こえた。
 しかしフィオナは聞こえなかったふりをして、絶対に振り返らなかった。


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