26 / 30
26 地下水道
しおりを挟む
ルアージュとシャロンの婚約が白紙になった。
それでもレッドグレイブ公は追撃の手を緩めなかった。
彼にとって、ルアージュという王太子の存在はもう重要ではなくなっていた。
「ソフィアはまだ王太子に憧れているようで可哀想だが、諦めてもらおう。もっと大事な目的ができたからな」
頬に傷のあるダニエルが眼前に控えている。
「守備はどうだ」
「レスノ侯爵を買収し、視察に向かう王太子の護衛を途中でそっくり入れ替える予定です」
王太子の公務のスケジュールを管理するレスノ侯爵は陛下寄りの派閥だったが、不正を働いてしまったことで脅され、密かにレッドグレイブ門下に加えられていた。
「さらばだな。王太子」
レッドグレイブ公は、ダニエルに手で合図を出した。
ルアージュは王都郊外にいた。
視察で最近発見されたという古代の地下水道遺跡に来ていた。
「こちらでございます」
案内人が草原の一部に開けられた穴を指し示した。
地下までハシゴがかけられている。
「ん?この中に入るのか?予定にはなかったが」
「ぜひご覧になっていただきたいのです。それは素晴らしい遺跡なのです。シャロン様によい土産話ができるかと」
「シャロンに……」
ルアージュはシャロンと言われて心が揺れた。
いつかまたふたりで会えるようになったら、古代の地下水道の話なんてシャロンは大喜びで聞いてくれるだろう。
行かないほうがいいような予感がよぎったが、ルアージュは誘惑に負け、ハシゴを降りていった。
中は薄暗かった。
所々に明かりとりの穴が空いており、地下水道の姿を幻想的に浮かび上がらせていた。
すごい!
ルアージュは目を見張った。
天井がアーチ型になっている石造りの水路が枝分かれしながら、はるか彼方までつながっている。
水路は枯れていて所々壊れかけていたが、それがさらに悠久の歴史を感じさせた。
「この奥はもっと素晴らしいですよ」
「それは楽しみだな」
案内人に背中を押されるように、ルアージュはどんどん奥へと進んでいった。
しばらく歩いたあと、ルアージュは突然、頭に袋を被せられた。
「(何をする!放せ!!)」
抵抗するルアージュを偽の護衛がみぞおちに拳を入れ、気絶させた。
ルアージュは担ぎ上げられ、奥へと連れていかれた。
「う……」
気がついたルアージュは頭の袋を取り去った。
「どこだ、ここは……」
あたりには誰もいなくなっていた。
自分の息遣い以外、何も聞こえない。
ルアージュは地下水路の迷宮に、ひとり取り残されてしまっていた。
「ルアージュが行方不明だと!??」
レッドグレイブ公は、わざわざ自分で陛下の前に報告にあがっていた。
彼は蒼白になる陛下を内心ゆかいそうに見ていた。
「本来の予定は、地下水道遺跡の入り口を地上から視察するだけだったのです。しかし、王太子殿下はどうしても地下に降りたいとおっしゃったらしく、しばらく地下を歩いたあと、いつの間にか姿をくらましたそうです」
真っ赤な嘘だった。
「最近発見されたばかりで地図もない遺跡です。捜索は難航するでしょう」
お前の仕業なのではないのか?
落ち着き払っているレッドグレイブ公に、そう言いたくなる衝動を陛下はぐっとこらえた。
ルアージュが行方不明になったという噂はあっという間に広がった。
その頃、セレストは家門の騎士から話を聞いていた。
「古代水道跡の手前で、レスノ侯爵の家門の者が我々にこう言ったんです。
”君たちとはここで交代だ。ここからは我々が護衛を引き継ぐ”と。
事前に申し送りがなかったので、ちょっと疑問に思って私が振り返ると、遠くで王太子殿下が案内人たちと梯子で地下に降りて行っている様子がちらっと見えたんです」
地下水道に──!?
「中は迷路のようになっていて地図もないそうです。王太子殿下が心配で」
騎士は顔を歪ませた。
地図といえば。
シャロン。
セレストはふと浮かんだその名前に強い嫉妬を覚えた。
だが。
今はそんなことを言っている場合ではない……!
セレストはシャロンの元へ馬を走らせた。
「え──行方不明??」
シャロンはルアージュが行方不明になったことをたった今、マーサから聞かされたばかりだった。
嘘。
ルアージュ様──
シャロンはショックでめまいがした。
心臓がバクバクと張り裂けそうなほど打ち続いている。
その時、早馬でやってきたセレストがシャロンの屋敷に飛び込んできた。
「シャロン、王都郊外の古代の地下水道の地図を知らないか!?」
セレストはぶしつけにシャロンに聞いた。
「セレスト!?」
シャロンは日頃親交のないセレストの訪問にびっくりしている。
「ルアージュ様に関わることなのだ」
シャロンは地下水道遺跡の視察中にルアージュが行方不明になったと聞いていたので、もちろん知っている知識は提供するつもりだった。
「古代の地下水道なら地図で見たことがある」
やっぱり。
さすがシャロンだ。
「お願いだ、一緒に来てほしい。シャロンの力が必要だ」
「私で力になれるのなら」
セレストはシャロンを後ろに乗せ、王宮へと馬を急がせた。
レッドグレイブ公は館で悠々とワインを楽しんでいる。
部屋は夕陽色に染まり、間もなく夜が来る。
「うまくいったな。ふはははっ」
「父上、何かいいことがあったのですか?」
一緒に食卓についている12歳の愛息子ルイが興味深げに父を眺めた。
「そうだ。とてもいいことだよ。お前にとってもね」
「ほんとに?僕、楽しみだなあ」
王太子。
誰にも気づかれぬまま、地下で朽ち果てろ。
あとは私の可愛い息子が王太子を継いでやる。
レッドグレイブ公の新たな目的とは、もう一度、家門から王を出すことである。
シャロンに夢中で脈のないルアージュを彼は切り捨てた。
この世から消えるがいい。
ラングレイのように。
レッドグレイブ公はルアージュの兄の名を呟き、冷たく笑った。
セレストとシャロンは陛下の前にいた。
「あの地下水道を知っていると!?」
くいつくように陛下がシャロンに聞き返す。
「はい。位置からして、おそらくこれかと」
シャロンがテーブルの上に古い地図を広げた。
郊外に蜘蛛の巣のように広がった水路の地図だ。
古代文字や記号がところどころに記されている。
「見つかった入り口はここでしょう。中は迷路のようになっています。捜索隊を何組かに分け、ルートを分担し、入り口からしらみつぶしに探すのです」
シャロンは淡々と説明した。
落ち着いて見えたが、心臓は早鐘のように鳴り続け、シャロンはルアージュを助けようと必死だった。
「よし。三名ずつ一組になって捜索しよう」
大勢の捜索隊が地下水道に続々と降りていった。
ルアージュは小石で壁に印をつけながら出口を探し続けた。
しかし、行けば行くほど奥へと迷い込んでいるようで、自分がどこにいるのか全く見当がつかなかった。
日が落ちたのだろう。ランタンを持っていないので、辺りが真っ暗になる。
ルアージュは水路の片隅で夜を明かした。
水路の明かりとりにわずかに朝日が差し込んできた。
「朝か……みんな心配しているだろうな」
ルアージュは気を取り直して、歩き始めた。
喉が渇いた。
枯れた水路に水はない。
喉の渇きを我慢しながらルアージュは進んだ。
お腹もすいた。
虫がかさり、と渇いた苔のそばを通った。
「う……あれはさすがに食べられないな」
目を背けてルアージュは進み続けた。
「水だ!!」
運よくルアージュは水が沸いている場所に辿り着いた。
久々に喉を潤し、ルアージュは息をついた。
改めてみると、石が六角形に組まれている特徴的な泉だ。
六角形……
六角形、どこかで?
ルアージュははっとして、ポケットからハンカチを取り出した。
シャロンが手縫いの刺繍をしてくれたものだ。
宝物のハンカチをルアージュはいつもズボンのポケットに入れて持ち歩いていたのだ。
急いで広げると、ハンカチの地図の左端に六角形があった。
今でも使われている東西南北を示す記号も、地図と同じものが泉周辺の石畳に刻まれていた。
「これ、たぶんこの泉だ……シャロンがお気に入りだと言っていた地図はこの水路だったのか!」
シャロン、ありがとう!
これで戻れる!
ルアージュは地図を見ながら、最初にハシゴで降りた郊外の入り口付近に向かって歩き始めた。
それから五日が経った。
ルアージュはまだ見つからなかった。
「おかしい。おおかたの水路は探したはずだが」
「地下に食べ物はないに等しい。もし水もなかったとしたら──」
もう生きてはいないかもしれない。
全員がぞっとした。
実はルアージュはまさに最初の入り口付近まで辿り着いていた。
しかし、暗い道を空腹で朦朧とする頭で歩いたために、崩落でできた小さな隙間から、表からは分かりづらい違う道へと入り込んでしまっていた。
壁ひとつ隔てた向こう側に、救援隊の騎士たちが歩き回っているというのに。
ぼ、くは、こ、こ、にい、る──
ルアージュのかすれた声は無常にも彼らに届かなかった。
どうして……?
なんで見つからない?
シャロンも頭を抱えた。
穴があくほど地図を睨む。
「ん?」
シャロンは入り口付近の地図にかすれた線が描かれているのに気づいた。
「これはもしかして……予備水路か?」
可能性はあった。
災害時、メインの水路が壊れたり、清掃や修理などで使えない時、予備の水路を代わりに稼働させることがある。
予感がした。
「ここに迷い込んだのかもしれない!!」
捜索隊に同行したシャロンは予備水路の付近の壁を手で確認しながら歩いた。
額から汗が流れ落ちる。
少しずつ、天井の明かりとりの光がかげってくる。
「早く見つけないと、また夜になる!」
「ルアージュ様がこれ以上持ち堪えられるか──」
焦る一同に緊張が張り詰める。
諦めない。
絶対にルアージュ様を見つける──!
「ルアージュ様あああ!!」
シャロンがルアージュの名を叫んだ。
壁の向こうで、ピクっとルアージュの腕が動いて小石をはじいた。
「!?」
今音が──?
光が当たらないある箇所で、シャロンの手が何かに引っかかった。
「あった!隙間だ!!」
するりとその隙間にシャロンが身を滑らせた。
「シャロン殿に続け!」
シャロンの後から、一同は次々と隙間に入っていった。
「いたぞ!!」
「ルアージュ様あ!!」
シャロン一向は、ついに壁際でうずくまっているルアージュを見つけた。
「ルアージュ様!」
その姿に、ふいにシャロンの脳裏にある光景がよぎった。
暗い洞窟でうずくまっていた少年。
あの頃、シャロンはまだメガネがなく視界がぼんやりとしていたため、顔をはっきりと認識できていなかった。
それが今、ルアージュと洞窟の少年の面影が重なりはじめる。
あの時の子は──
洞窟からようやく外に出て、まぶしそうにこちらを見た少年は。
──殿下、と呼ばれていた。
カチリ、と過去と現在の記憶が一致した。
あの子はルアージュ様だったんだ──!
シャロンはようやく気づいた。
いつかルアージュ様が言ったことは本当で、私たちは子どもの頃、すでに出会っていたんだ。
シャロンの胸に感動に似た熱い想いが込み上げてきた。
ルアージュ様。
ルアージュ様、しっかり。
誰?
僕を呼ぶのは。
遠くで聞こえる声。
意識が朦朧としている頭に、わんわんと歪んだ音が届く。
誰かがルアージュに手を差し伸べた。
その手は──
ルアージュにはわかった。
幼い頃、洞窟で助けてくれたのも。
バザールで暗殺者の手から救ってくれたのも。
また君なんだね。
いつも僕に手を差し伸べてくれるのは。
シャロン。
大好きだよ。
ルアージュのぼやけた視界が暗くなっていく。
安堵と疲労で、ルアージュはそのまま意識を失った。
それでもレッドグレイブ公は追撃の手を緩めなかった。
彼にとって、ルアージュという王太子の存在はもう重要ではなくなっていた。
「ソフィアはまだ王太子に憧れているようで可哀想だが、諦めてもらおう。もっと大事な目的ができたからな」
頬に傷のあるダニエルが眼前に控えている。
「守備はどうだ」
「レスノ侯爵を買収し、視察に向かう王太子の護衛を途中でそっくり入れ替える予定です」
王太子の公務のスケジュールを管理するレスノ侯爵は陛下寄りの派閥だったが、不正を働いてしまったことで脅され、密かにレッドグレイブ門下に加えられていた。
「さらばだな。王太子」
レッドグレイブ公は、ダニエルに手で合図を出した。
ルアージュは王都郊外にいた。
視察で最近発見されたという古代の地下水道遺跡に来ていた。
「こちらでございます」
案内人が草原の一部に開けられた穴を指し示した。
地下までハシゴがかけられている。
「ん?この中に入るのか?予定にはなかったが」
「ぜひご覧になっていただきたいのです。それは素晴らしい遺跡なのです。シャロン様によい土産話ができるかと」
「シャロンに……」
ルアージュはシャロンと言われて心が揺れた。
いつかまたふたりで会えるようになったら、古代の地下水道の話なんてシャロンは大喜びで聞いてくれるだろう。
行かないほうがいいような予感がよぎったが、ルアージュは誘惑に負け、ハシゴを降りていった。
中は薄暗かった。
所々に明かりとりの穴が空いており、地下水道の姿を幻想的に浮かび上がらせていた。
すごい!
ルアージュは目を見張った。
天井がアーチ型になっている石造りの水路が枝分かれしながら、はるか彼方までつながっている。
水路は枯れていて所々壊れかけていたが、それがさらに悠久の歴史を感じさせた。
「この奥はもっと素晴らしいですよ」
「それは楽しみだな」
案内人に背中を押されるように、ルアージュはどんどん奥へと進んでいった。
しばらく歩いたあと、ルアージュは突然、頭に袋を被せられた。
「(何をする!放せ!!)」
抵抗するルアージュを偽の護衛がみぞおちに拳を入れ、気絶させた。
ルアージュは担ぎ上げられ、奥へと連れていかれた。
「う……」
気がついたルアージュは頭の袋を取り去った。
「どこだ、ここは……」
あたりには誰もいなくなっていた。
自分の息遣い以外、何も聞こえない。
ルアージュは地下水路の迷宮に、ひとり取り残されてしまっていた。
「ルアージュが行方不明だと!??」
レッドグレイブ公は、わざわざ自分で陛下の前に報告にあがっていた。
彼は蒼白になる陛下を内心ゆかいそうに見ていた。
「本来の予定は、地下水道遺跡の入り口を地上から視察するだけだったのです。しかし、王太子殿下はどうしても地下に降りたいとおっしゃったらしく、しばらく地下を歩いたあと、いつの間にか姿をくらましたそうです」
真っ赤な嘘だった。
「最近発見されたばかりで地図もない遺跡です。捜索は難航するでしょう」
お前の仕業なのではないのか?
落ち着き払っているレッドグレイブ公に、そう言いたくなる衝動を陛下はぐっとこらえた。
ルアージュが行方不明になったという噂はあっという間に広がった。
その頃、セレストは家門の騎士から話を聞いていた。
「古代水道跡の手前で、レスノ侯爵の家門の者が我々にこう言ったんです。
”君たちとはここで交代だ。ここからは我々が護衛を引き継ぐ”と。
事前に申し送りがなかったので、ちょっと疑問に思って私が振り返ると、遠くで王太子殿下が案内人たちと梯子で地下に降りて行っている様子がちらっと見えたんです」
地下水道に──!?
「中は迷路のようになっていて地図もないそうです。王太子殿下が心配で」
騎士は顔を歪ませた。
地図といえば。
シャロン。
セレストはふと浮かんだその名前に強い嫉妬を覚えた。
だが。
今はそんなことを言っている場合ではない……!
セレストはシャロンの元へ馬を走らせた。
「え──行方不明??」
シャロンはルアージュが行方不明になったことをたった今、マーサから聞かされたばかりだった。
嘘。
ルアージュ様──
シャロンはショックでめまいがした。
心臓がバクバクと張り裂けそうなほど打ち続いている。
その時、早馬でやってきたセレストがシャロンの屋敷に飛び込んできた。
「シャロン、王都郊外の古代の地下水道の地図を知らないか!?」
セレストはぶしつけにシャロンに聞いた。
「セレスト!?」
シャロンは日頃親交のないセレストの訪問にびっくりしている。
「ルアージュ様に関わることなのだ」
シャロンは地下水道遺跡の視察中にルアージュが行方不明になったと聞いていたので、もちろん知っている知識は提供するつもりだった。
「古代の地下水道なら地図で見たことがある」
やっぱり。
さすがシャロンだ。
「お願いだ、一緒に来てほしい。シャロンの力が必要だ」
「私で力になれるのなら」
セレストはシャロンを後ろに乗せ、王宮へと馬を急がせた。
レッドグレイブ公は館で悠々とワインを楽しんでいる。
部屋は夕陽色に染まり、間もなく夜が来る。
「うまくいったな。ふはははっ」
「父上、何かいいことがあったのですか?」
一緒に食卓についている12歳の愛息子ルイが興味深げに父を眺めた。
「そうだ。とてもいいことだよ。お前にとってもね」
「ほんとに?僕、楽しみだなあ」
王太子。
誰にも気づかれぬまま、地下で朽ち果てろ。
あとは私の可愛い息子が王太子を継いでやる。
レッドグレイブ公の新たな目的とは、もう一度、家門から王を出すことである。
シャロンに夢中で脈のないルアージュを彼は切り捨てた。
この世から消えるがいい。
ラングレイのように。
レッドグレイブ公はルアージュの兄の名を呟き、冷たく笑った。
セレストとシャロンは陛下の前にいた。
「あの地下水道を知っていると!?」
くいつくように陛下がシャロンに聞き返す。
「はい。位置からして、おそらくこれかと」
シャロンがテーブルの上に古い地図を広げた。
郊外に蜘蛛の巣のように広がった水路の地図だ。
古代文字や記号がところどころに記されている。
「見つかった入り口はここでしょう。中は迷路のようになっています。捜索隊を何組かに分け、ルートを分担し、入り口からしらみつぶしに探すのです」
シャロンは淡々と説明した。
落ち着いて見えたが、心臓は早鐘のように鳴り続け、シャロンはルアージュを助けようと必死だった。
「よし。三名ずつ一組になって捜索しよう」
大勢の捜索隊が地下水道に続々と降りていった。
ルアージュは小石で壁に印をつけながら出口を探し続けた。
しかし、行けば行くほど奥へと迷い込んでいるようで、自分がどこにいるのか全く見当がつかなかった。
日が落ちたのだろう。ランタンを持っていないので、辺りが真っ暗になる。
ルアージュは水路の片隅で夜を明かした。
水路の明かりとりにわずかに朝日が差し込んできた。
「朝か……みんな心配しているだろうな」
ルアージュは気を取り直して、歩き始めた。
喉が渇いた。
枯れた水路に水はない。
喉の渇きを我慢しながらルアージュは進んだ。
お腹もすいた。
虫がかさり、と渇いた苔のそばを通った。
「う……あれはさすがに食べられないな」
目を背けてルアージュは進み続けた。
「水だ!!」
運よくルアージュは水が沸いている場所に辿り着いた。
久々に喉を潤し、ルアージュは息をついた。
改めてみると、石が六角形に組まれている特徴的な泉だ。
六角形……
六角形、どこかで?
ルアージュははっとして、ポケットからハンカチを取り出した。
シャロンが手縫いの刺繍をしてくれたものだ。
宝物のハンカチをルアージュはいつもズボンのポケットに入れて持ち歩いていたのだ。
急いで広げると、ハンカチの地図の左端に六角形があった。
今でも使われている東西南北を示す記号も、地図と同じものが泉周辺の石畳に刻まれていた。
「これ、たぶんこの泉だ……シャロンがお気に入りだと言っていた地図はこの水路だったのか!」
シャロン、ありがとう!
これで戻れる!
ルアージュは地図を見ながら、最初にハシゴで降りた郊外の入り口付近に向かって歩き始めた。
それから五日が経った。
ルアージュはまだ見つからなかった。
「おかしい。おおかたの水路は探したはずだが」
「地下に食べ物はないに等しい。もし水もなかったとしたら──」
もう生きてはいないかもしれない。
全員がぞっとした。
実はルアージュはまさに最初の入り口付近まで辿り着いていた。
しかし、暗い道を空腹で朦朧とする頭で歩いたために、崩落でできた小さな隙間から、表からは分かりづらい違う道へと入り込んでしまっていた。
壁ひとつ隔てた向こう側に、救援隊の騎士たちが歩き回っているというのに。
ぼ、くは、こ、こ、にい、る──
ルアージュのかすれた声は無常にも彼らに届かなかった。
どうして……?
なんで見つからない?
シャロンも頭を抱えた。
穴があくほど地図を睨む。
「ん?」
シャロンは入り口付近の地図にかすれた線が描かれているのに気づいた。
「これはもしかして……予備水路か?」
可能性はあった。
災害時、メインの水路が壊れたり、清掃や修理などで使えない時、予備の水路を代わりに稼働させることがある。
予感がした。
「ここに迷い込んだのかもしれない!!」
捜索隊に同行したシャロンは予備水路の付近の壁を手で確認しながら歩いた。
額から汗が流れ落ちる。
少しずつ、天井の明かりとりの光がかげってくる。
「早く見つけないと、また夜になる!」
「ルアージュ様がこれ以上持ち堪えられるか──」
焦る一同に緊張が張り詰める。
諦めない。
絶対にルアージュ様を見つける──!
「ルアージュ様あああ!!」
シャロンがルアージュの名を叫んだ。
壁の向こうで、ピクっとルアージュの腕が動いて小石をはじいた。
「!?」
今音が──?
光が当たらないある箇所で、シャロンの手が何かに引っかかった。
「あった!隙間だ!!」
するりとその隙間にシャロンが身を滑らせた。
「シャロン殿に続け!」
シャロンの後から、一同は次々と隙間に入っていった。
「いたぞ!!」
「ルアージュ様あ!!」
シャロン一向は、ついに壁際でうずくまっているルアージュを見つけた。
「ルアージュ様!」
その姿に、ふいにシャロンの脳裏にある光景がよぎった。
暗い洞窟でうずくまっていた少年。
あの頃、シャロンはまだメガネがなく視界がぼんやりとしていたため、顔をはっきりと認識できていなかった。
それが今、ルアージュと洞窟の少年の面影が重なりはじめる。
あの時の子は──
洞窟からようやく外に出て、まぶしそうにこちらを見た少年は。
──殿下、と呼ばれていた。
カチリ、と過去と現在の記憶が一致した。
あの子はルアージュ様だったんだ──!
シャロンはようやく気づいた。
いつかルアージュ様が言ったことは本当で、私たちは子どもの頃、すでに出会っていたんだ。
シャロンの胸に感動に似た熱い想いが込み上げてきた。
ルアージュ様。
ルアージュ様、しっかり。
誰?
僕を呼ぶのは。
遠くで聞こえる声。
意識が朦朧としている頭に、わんわんと歪んだ音が届く。
誰かがルアージュに手を差し伸べた。
その手は──
ルアージュにはわかった。
幼い頃、洞窟で助けてくれたのも。
バザールで暗殺者の手から救ってくれたのも。
また君なんだね。
いつも僕に手を差し伸べてくれるのは。
シャロン。
大好きだよ。
ルアージュのぼやけた視界が暗くなっていく。
安堵と疲労で、ルアージュはそのまま意識を失った。
231
あなたにおすすめの小説
令嬢の皮を被ったヘビースモーカー、侍女に化けて敵情視察。〜猫を拾ってタバコを吸っていただけなのに、なぜか次期伯爵に愛の告白をされました〜
御厨そら
恋愛
「婚約破棄されたのよ!」
最悪に仲の悪い姉・ルイーザが泣き崩れる姿を見て、妹のフィオレは歓喜した。
自室にダイブして爆笑し、お祝いに父の書斎からくすねた一級品の葉巻をくゆらす——。
そんなフィオレに、父が下した命令は「姉を振った男、ライネーリ伯爵邸への潜入調査」だった。
黒髪おカッパのカツラにメガネ、そばかすメイクで別人『侍女モニカ』に変装し、いざ敵地へ!
……のはずが。
厨房の男と隠れてタバコを吸い、子猫のルーを拾って可愛がり、義眼の同僚と秘密を共有し、気づけば屋敷の面々と仲良くなっていく。
さらには、姉を振ったはずの次期伯爵ジェラルドが、なぜか偽姿のフィオレを執拗に追いかけてきて……?
「君に行ってほしくないんだ。結婚してくれ、フィオレ」
ちょっと待って。私、変装してるよね? そもそもアンタ、お姉ちゃんの元婚約者でしょ!?
そして潜入先の書斎で見つけた、**『次女フィオレは10年前に死亡している』**という不可解な報告書の謎。
一つの体を共有する姉妹の、あまりに歪で、あやしい「ヒ・ミ・ツ」の物語。
一夜の過ちで懐妊したら、幼なじみの冷酷皇帝に溺愛されました
由香
恋愛
没落貴族の娘・柳月鈴は、宮廷で医官見習いとして働いていた。
ある夜、皇帝即位の宴で酒に酔い、幼なじみだった皇帝・李景珩と再会する。
遠い存在になったはずの彼。
けれど、その夜をきっかけに月鈴の運命は大きく動き出す。
冷酷と恐れられる皇帝が、なぜか彼女だけには甘すぎて――。
【完結】伯爵令嬢は婚約を終わりにしたい〜次期公爵の幸せのために婚約破棄されることを目指して悪女になったら、なぜか溺愛されてしまったようです〜
よどら文鳥
恋愛
伯爵令嬢のミリアナは、次期公爵レインハルトと婚約関係である。
二人は特に問題もなく、順調に親睦を深めていった。
だがある日。
王女のシャーリャはミリアナに対して、「二人の婚約を解消してほしい、レインハルトは本当は私を愛しているの」と促した。
ミリアナは最初こそ信じなかったが王女が帰った後、レインハルトとの会話で王女のことを愛していることが判明した。
レインハルトの幸せをなによりも優先して考えているミリアナは、自分自身が嫌われて婚約破棄を宣告してもらえばいいという決断をする。
ミリアナはレインハルトの前では悪女になりきることを決意。
もともとミリアナは破天荒で活発な性格である。
そのため、悪女になりきるとはいっても、むしろあまり変わっていないことにもミリアナは気がついていない。
だが、悪女になって様々な作戦でレインハルトから嫌われるような行動をするが、なぜか全て感謝されてしまう。
それどころか、レインハルトからの愛情がどんどんと深くなっていき……?
※前回の作品同様、投稿前日に思いついて書いてみた作品なので、先のプロットや展開は未定です。今作も、完結までは書くつもりです。
※第一話のキャラがざまぁされそうな感じはありますが、今回はざまぁがメインの作品ではありません。もしかしたら、このキャラも更生していい子になっちゃったりする可能性もあります。(このあたり、現時点ではどうするか展開考えていないです)
婚約破棄ですか、では死にますね【完結】
砂礫レキ
恋愛
自分を物語の主役だと思い込んでいる夢見がちな妹、アンジェラの社交界デビューの日。
私伯爵令嬢エレオノーラはなぜか婚約者のギースに絶縁宣言をされていた。
場所は舞踏会場、周囲が困惑する中芝居がかった喋りでギースはどんどん墓穴を掘っていく。
氷の女である私より花の妖精のようなアンジェラと永遠の愛を誓いたいと。
そして肝心のアンジェラはうっとりと得意げな顔をしていた。まるで王子に愛を誓われる姫君のように。
私が冷たいのではなく二人の脳みそが茹っているだけでは?
婚約破棄は承ります。但し、今夜の主役は奪わせて貰うわよアンジェラ。
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
婚約破棄寸前、私に何をお望みですか?
みこと。
恋愛
男爵令嬢マチルダが現れてから、王子ベイジルとセシリアの仲はこじれるばかり。
婚約破棄も時間の問題かと危ぶまれる中、ある日王宮から、公爵家のセシリアに呼び出しがかかる。
なんとベイジルが王家の禁術を用い、過去の自分と精神を入れ替えたという。
(つまり今目の前にいる十八歳の王子の中身は、八歳の、私と仲が良かった頃の殿下?)
ベイジルの真意とは。そしてセシリアとの関係はどうなる?
※他サイトにも掲載しています。
侯爵令嬢はざまぁ展開より溺愛ルートを選びたい
花月
恋愛
内気なソフィア=ドレスデン侯爵令嬢の婚約者は美貌のナイジェル=エヴァンス公爵閣下だったが、王宮の中庭で美しいセリーヌ嬢を抱きしめているところに遭遇してしまう。
ナイジェル様から婚約破棄を告げられた瞬間、大聖堂の鐘の音と共に身体に異変が――。
あら?目の前にいるのはわたし…?「お前は誰だ!?」叫んだわたしの姿の中身は一体…?
ま、まさかのナイジェル様?何故こんな展開になってしまったの??
そして婚約破棄はどうなるの???
ほんの数時間の魔法――一夜だけの入れ替わりに色々詰め込んだ、ちぐはぐラブコメ。
嫌われ者の王弟殿下には、私がお似合いなのでしょう? 彼が王になったからといって今更離婚しろなんて言わないでください。
木山楽斗
恋愛
冷遇されていたフェルリナは、妹の策略によって嫌われ者の王弟殿下ロナードと結婚することになった。
色々と問題があると噂だったロナードとの婚約に不安を感じていたフェルリナだったが、彼は多少面倒臭がり屋ではあったが、悪い人ではなかっため、なんとか事なきを得た。
それから穏やかな生活を送っていた二人だったが、ある時ロナードの兄である国王が死去したという事実を知らされる。
王位を継承できるのは、ロナードだけであったため、彼はほぼなし崩し的に国王となり、フェルリナはその妻となることになったのだ。
しかし、フェルリナの妹はそれを快く思わなかった。
ロナードと婚約破棄しろ。そう主張する妹を、フェルリナはロナードの助けも借りつつ切り捨てるのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる