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3 葬儀
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私は誰なのだろう。
どうして湖にいたのだろう。
アミアンは一生懸命考えたが、頭の中にモヤがかかったようにどうしても思い出せなかった。
「痛っ」
まだ頭の傷がうずくことがあった。
どうしてこんな怪我をしたのだろう。
アミアンは記憶を探ろうとしたがその底には恐ろしい何かが潜んでいるような気がして、考えるのをやめた。
少しずつ思い出せばいいわよね。
アミアンはシルヴィアの部屋を使わせてもらえることになった。元々ここは大公家の別荘として建てられておりシルヴィア用の私室も昔のまま保存されていた。
まだ十代だったであろうシルヴィアのための部屋は、明るい赤系の木彫家具とターコイズブルーのカーテン、可憐な小花の壁紙などに囲まれ、とても居心地の良い場所だった。
「紅茶をどうぞ」
ハンナが温かい紅茶をテーブルに置いてくれた。
「あの。私の名前はどうしたらいいでしょう」
「シルヴィアお嬢様、と呼ばせてもらってもいいかしら。使用人たちには私から事情を伝えておくから安心して。それと旦那様のことはお父様って呼んであげてほしいの」
「わかりました。そうさせていただきます」
この子は若いのに受け答えがしっかりしているし、礼儀作法もちゃんとしている。
やっぱりどこかの貴族の令嬢なのかしら……
一月ほどが経った頃、ハンナは気になってこの周辺で令嬢が行方不明になった家はないか出入り業者に聞き込みをしてみた。するとある業者が湖の向こうの伯爵家で葬儀があったようだと教えてくれた。
「伯爵家で?」
「はい。わしがその家の前をたまたま通りかかった時、棺が運び出されるのを見たんです。なんでも若い令嬢が亡くなられたという話でした」
「名前は?」
「そこまではわかりません」
「そう……ありがとう」
棺を出したということはご遺体があったってことよね。
それならあの子のことではないわ。
ハンナは少しほっとして業者に礼を言った。ハンナは違うと判断したが実はその家はアミアンの実家スターリング伯爵家だった。
あの子がいてくれたら大公様がもっとお元気になられるかもしれない。
あの子はお気の毒な大公様に神様がよこしてくださった娘かもしれないもの。
ハンナは大公に恩を感じていた。
ハンナの家は貧しかったが大公に使用人として仕えていた父の頭の良さを見出し、資金を出して医師の弟子にしてくれたのだ。そのおかげで父は医師になれてハンナも何不自由ない暮らしをできるようになった。
だからハンナは恩返しに大公のためにできることは何でもしてあげたいと思っていた。大公が静養することが決まると医術の心得がある自分がおそばでお仕えしたいと申し出たのだ。
このままあの子の記憶が戻らなければいいのに。
記憶を失ったまま生きていくのはアミアンにとっては酷かもしれないが、ハンナは大公家からアミアンを出したくなかった。ハンナはアミアンがずっとこの先も大公家に留まってくれることを願っていた。
その頃、スターリング伯爵家では教会でアミアンの葬儀が行われていた。
「アミアンお嬢様、お可哀想に」
弔問に来た親戚や領民たちが順に並び棺の中に花を手向けていく。伯爵はうなだれたまま長椅子でみなの様子をぼんやりと眺めていた。
「でもご遺体が見つかっていないという話らしいぞ」
弔問客たちが花を入れている棺の中には人の遺体ではなく大きめの人形が置かれていた。アミアンが亡き母からもらった着せ替え人形だった。アミアンは眠る時はいつもこの人形を横に置いて可愛がっていた。遺体の見つからない可哀想な娘の代わりに伯爵はこの人形を棺に置いたのだった。
「湖の底が深いからとうとう見つからなかったって。きっとまだ冷たい水の中にいらっしゃるのよ。伯爵様もお気の毒に」
ウィルとベティも喪服を来て葬儀に参列していた。ウィルは居心地が悪くソワソワしていた。ベティはうつむきハンカチで涙を拭うふりをしているが、口元には笑みが浮かんでいた。
私の勝ちだわ。
アミアンから奪い取ってやったわ。
ベティは冷酷な女だった。アミアンが死んだかも知れないのに悲しみも罪悪感も抱いていなかった。
『バレないかな……』
ウィルが小声でベティにささやいた。臆病なところがあるウィルはいつか自分たちの悪事がバレるのではないかと気が気でなかった。
『大丈夫よ。目撃者がいたらとっくに通報されているわ。今だにそういう話がないんだから心配いらないのよ』
実はベティのお腹にはウィルとの子がいた。つわりがきて初めてベティは妊娠に気づいた。だがまだ周囲にも親にも隠し通している。
このまま無事に葬儀が終わったら、タイミングを見計らってウィルと結婚するの。
ウィルはアミアンという婚約者がいながら、隠れてベティと関係を持っていた。ウィルに妊娠のことを告げ「このままだとウィルの家名に泥を塗ることになる」と脅し逃げ口を塞いだ上でアミアン殺害をそそのかしたのだ。
これでいいのよ。
幸せになるのはアミアンじゃない。
私なのよ!
ベティは爵位も上で自分より裕福で仕立てのいいドレスをいつも着ていたアミアンが大嫌いだった。
アミアンに勝った──!
ベティは葬儀の最中であっても勝利に酔っていた。
どうして湖にいたのだろう。
アミアンは一生懸命考えたが、頭の中にモヤがかかったようにどうしても思い出せなかった。
「痛っ」
まだ頭の傷がうずくことがあった。
どうしてこんな怪我をしたのだろう。
アミアンは記憶を探ろうとしたがその底には恐ろしい何かが潜んでいるような気がして、考えるのをやめた。
少しずつ思い出せばいいわよね。
アミアンはシルヴィアの部屋を使わせてもらえることになった。元々ここは大公家の別荘として建てられておりシルヴィア用の私室も昔のまま保存されていた。
まだ十代だったであろうシルヴィアのための部屋は、明るい赤系の木彫家具とターコイズブルーのカーテン、可憐な小花の壁紙などに囲まれ、とても居心地の良い場所だった。
「紅茶をどうぞ」
ハンナが温かい紅茶をテーブルに置いてくれた。
「あの。私の名前はどうしたらいいでしょう」
「シルヴィアお嬢様、と呼ばせてもらってもいいかしら。使用人たちには私から事情を伝えておくから安心して。それと旦那様のことはお父様って呼んであげてほしいの」
「わかりました。そうさせていただきます」
この子は若いのに受け答えがしっかりしているし、礼儀作法もちゃんとしている。
やっぱりどこかの貴族の令嬢なのかしら……
一月ほどが経った頃、ハンナは気になってこの周辺で令嬢が行方不明になった家はないか出入り業者に聞き込みをしてみた。するとある業者が湖の向こうの伯爵家で葬儀があったようだと教えてくれた。
「伯爵家で?」
「はい。わしがその家の前をたまたま通りかかった時、棺が運び出されるのを見たんです。なんでも若い令嬢が亡くなられたという話でした」
「名前は?」
「そこまではわかりません」
「そう……ありがとう」
棺を出したということはご遺体があったってことよね。
それならあの子のことではないわ。
ハンナは少しほっとして業者に礼を言った。ハンナは違うと判断したが実はその家はアミアンの実家スターリング伯爵家だった。
あの子がいてくれたら大公様がもっとお元気になられるかもしれない。
あの子はお気の毒な大公様に神様がよこしてくださった娘かもしれないもの。
ハンナは大公に恩を感じていた。
ハンナの家は貧しかったが大公に使用人として仕えていた父の頭の良さを見出し、資金を出して医師の弟子にしてくれたのだ。そのおかげで父は医師になれてハンナも何不自由ない暮らしをできるようになった。
だからハンナは恩返しに大公のためにできることは何でもしてあげたいと思っていた。大公が静養することが決まると医術の心得がある自分がおそばでお仕えしたいと申し出たのだ。
このままあの子の記憶が戻らなければいいのに。
記憶を失ったまま生きていくのはアミアンにとっては酷かもしれないが、ハンナは大公家からアミアンを出したくなかった。ハンナはアミアンがずっとこの先も大公家に留まってくれることを願っていた。
その頃、スターリング伯爵家では教会でアミアンの葬儀が行われていた。
「アミアンお嬢様、お可哀想に」
弔問に来た親戚や領民たちが順に並び棺の中に花を手向けていく。伯爵はうなだれたまま長椅子でみなの様子をぼんやりと眺めていた。
「でもご遺体が見つかっていないという話らしいぞ」
弔問客たちが花を入れている棺の中には人の遺体ではなく大きめの人形が置かれていた。アミアンが亡き母からもらった着せ替え人形だった。アミアンは眠る時はいつもこの人形を横に置いて可愛がっていた。遺体の見つからない可哀想な娘の代わりに伯爵はこの人形を棺に置いたのだった。
「湖の底が深いからとうとう見つからなかったって。きっとまだ冷たい水の中にいらっしゃるのよ。伯爵様もお気の毒に」
ウィルとベティも喪服を来て葬儀に参列していた。ウィルは居心地が悪くソワソワしていた。ベティはうつむきハンカチで涙を拭うふりをしているが、口元には笑みが浮かんでいた。
私の勝ちだわ。
アミアンから奪い取ってやったわ。
ベティは冷酷な女だった。アミアンが死んだかも知れないのに悲しみも罪悪感も抱いていなかった。
『バレないかな……』
ウィルが小声でベティにささやいた。臆病なところがあるウィルはいつか自分たちの悪事がバレるのではないかと気が気でなかった。
『大丈夫よ。目撃者がいたらとっくに通報されているわ。今だにそういう話がないんだから心配いらないのよ』
実はベティのお腹にはウィルとの子がいた。つわりがきて初めてベティは妊娠に気づいた。だがまだ周囲にも親にも隠し通している。
このまま無事に葬儀が終わったら、タイミングを見計らってウィルと結婚するの。
ウィルはアミアンという婚約者がいながら、隠れてベティと関係を持っていた。ウィルに妊娠のことを告げ「このままだとウィルの家名に泥を塗ることになる」と脅し逃げ口を塞いだ上でアミアン殺害をそそのかしたのだ。
これでいいのよ。
幸せになるのはアミアンじゃない。
私なのよ!
ベティは爵位も上で自分より裕福で仕立てのいいドレスをいつも着ていたアミアンが大嫌いだった。
アミアンに勝った──!
ベティは葬儀の最中であっても勝利に酔っていた。
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