夕日坂さんは変わらない

ポップコーン

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コーヒーと林檎

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 美味しい料理を食べると人は幸せになる。それはいつの時代も変わらない事で、食事は人にとって切っても切れない関係であるという事は誰でも知っている。

 ただ、一つ言いたい……なぜ僕は古物店でトーストを食べているのだろう。

 夕日坂古物店は相変わらず、古い置き時計が秒針を刻む音が響いているだけで、僕がお邪魔しているときに店のベルが鳴ったことは無い。

 夕日坂さんは、紅茶を飲みながら本を読んでいるし、どういう状況なのか……。

「あの、夕日坂さん……」

「ん……どうしたの?」

 タイミングが悪かった。夕日坂さんは口に含んでいた紅茶を素早く飲み込み、答える。

 横顔も綺麗なのに正面から見ると更に綺麗だ。彼氏とかいるのだろうか。

「そのティーカップ……商品ですよね?」

 彼女が紅茶を注いでいたそのカップは、ソーサーとセット物のようだ。白い陶磁器に青いラインの入ったシンプルだけど、高貴な印象を覚える。

 前に商品棚にあったものと酷似しているけれど、勘違いだろうか。

「これはね、私の私物よ。多分朝川くんが言ってるのはこっちね」

 そう言うと準備していたかの様にカウンターの下から、これまた白のティーカップセットが現れた。

 こちらも陶磁器で、色褪せた金のラインと皿の内側に一輪の桜が描かれていた。

 なるほど、店内が少し暗めだから見間違えたのか。それにしても似てるような……ティーカップってこういうものなのだろうか。

「今日のお話はそのティーカップについてですか?」

 そう尋ねると、夕日坂さんは顎に手を当て少し考えているような表情になる。

 どうやら、物にまつわる思い出を見ているようだ。すっと目を閉じると彼女のまつ毛の長さが際立つ。

 しばらくして、夕日坂さんは目を開く。すっと息を吸い込み。深く吐く。

「このお話はまた今度かなー」

 少し勿体ぶった感じで夕日坂さんは言う。意外と茶目っ気もある様で好感が湧く。

 しかし、今度というのはどういう意味なのだろうか。そう思っていた所に、

----チリン、チリン

 店のベルが響いた。

「夕ちゃん、おるかねー?」

 しわがれた、けれども活気のある声が店先から響いた。

「あら、山根さん。いらっしゃいませ」

 彼女は声の主に声をかける。山根さんと呼ばれたその人は、ゆっくりと自分たちの前に姿を表した。

「おや、随分若いお客さんだねぇ。珍しいもんだ」

 白髪だが、綺麗に切りそろえられた髪に、細すぎない体躯の男性がそこにいた。

 見た目では七十代ほどに見える老人は僕の隣に腰をかける。

「山根さんはコーヒーでいいですか?」

 夕日坂さんは慣れた様子でコーヒーを注ぐ。そこには妙な信頼関係がある様で、山根さんも静かに頷いている。

「君、名前はなんて言うんだい? 見たところ学生さんっぽいけど」

「はい、朝川っていいます。大学四年生です」

 山根さんは、そうかそうかと言って差し出されたコーヒーを飲む。

 優しい雰囲気を纏いつつ、凛とした彼のその姿は一種の憧れを覚える。

「朝川くん、君も既に経験しただろうけれど、夕日坂さんのお話。聞いてて不思議と思わないかね?」

「ええ、とても。……ただ、素敵な話も多いですし、この時間は大切なものだなと思います」

 それを聞くと、山根さんは目を閉じる。何かを思い出すかのように。

 それを見た夕日坂さんは、カウンターを拭く手を止め、僕の方を見る。

「山根さんも、最初はお客様だったのよ。このティーカップの持ち主だった方」

「そうなんですか? とても素敵ですよね。そのティーカップセット」

 それを聞くと山根さんは恥ずかしそうに、手を口元に当てる。

「夕日坂さん、それは言わない約束だったろう? まあ、この子になら話しても良いかもしれんなぁ」

 これは珍しい事もある。夕日坂さんの見た風景、思い出ではなく。本来の持ち主の話が聞けるようだ。

「私はね、喫茶店をやっていたんだよ。この町じゃあないがね。その時に使っていたのが、こいつらなのさ」

 山根さんはそう前置きをし、話しだす。



 山根さんはコーヒーが大好きだった。その愛情は自ら店舗を構えるまでに至り、それなりに繁盛した。

 しかし、そこでの人気メニューはコーヒーでも、まして飲み物ではなく。彼の作るアップルパイだった。

 山根さんは葛藤する。自信作のコーヒーより売れていくアップルパイに。

 もちろん、それはそれで喜ばしい事なのだ。全てのメニューに彼のこだわりが詰まっていて、減っていく在庫が愛おしく感じる。

 そんな彼に転機が訪れる。一人の男性が彼の店に足を運んだ。

 スーツにハットを被った。精悍な顔立ちの男性だ。

 彼は言う、「オススメはなんですか?」と。

 山根さんは悩んだ。一番人気のアップルパイか自慢のコーヒーか。

 悩む山根さんを見た彼は言う。

「では、一番人気の商品と一番自慢の商品を下さい」

 救われた。初見のお客様が出すの言葉に。

 山根さんは迷うことなくアップルパイとコーヒーを差出す。

 彼はまずアップルパイを口に含む、サクサクと生地が音を立て、仄かに甘い香りが口中に広がり、それを引き立てるバター。

 美味しいパイを飲み込んだあと、彼はコーヒーを口に含む。ブラックのままで、程よい苦味と、豆の香りが少し油の残る喉元を優しく流れていく。

 それから、彼が食事を終えるまでに時間はかからなかった。

 席を立ち、会計を済ませながら彼は言う。

「大変美味でした。特にコーヒー。あれが素晴らしい。カップにまで気を遣っていて、大変な努力とこだわりの賜物なのでしょうね」

 山根さんがお礼を言う間もなく彼は足早に店を去っていった。

 その言葉に、山根さんは2度目の救いを感じる。自分は間違っていなかったのだと。

 その後、山根さんの店は更に繁盛し会社となる。あの時のお客さんはどうやら雑誌かなにかの編集長だったらしく、店が雑誌に載ったらしい。


 そこまで聞き終えて、僕はある事を思い出した。

「もしかして、山根さんって……」

「そう、山根さんはヤマネコーヒーの会長さんよ」

 言うが早いか。夕日坂さんが僕に告げる。やっぱりそうだった。今ではコンビニで缶コーヒーとしても売られているブランド「ヤマネコーヒー」の創業者にして現会長というのが、山根さんの正体だ。

「まあ、普段は言わないんだけれどね。朝川くんなら良いんだよ」

 朝川さんは優しく微笑む。なるほど、若々しさはそう言った環境から来ていたのか。

 妙に納得していると、夕日坂さんが口を開いた。

「私の見た思い出より、鮮明でいいでしょう? 色んな人の話を聞くのって大切なことなの」

「そうですね。貴重なお話、ありがとうございます」

 そう言うと、山根さんはまた気恥ずかしそうに答える。

「なぁに、古い話さ。それに、夕日坂さんが私にティーカップから見えた話を聞いたときはびっくりしたものさ。それほどに彼女の感性も素晴らしいのだよ」

 言い終わったタイミングで、時計が6時を告げる。夕日坂古物店の閉店時間だ。

「今日もありがとうございました。また来ますね。山根さんも、また色々聞かせてください」

「老人の昔話でいいなら、大歓迎だよ」

「ええ、また来てね。朝川くん」

 二人は笑顔で見送ってくれた。今日は帰りにヤマネコーヒーでも買って帰ろうかな。



「良い子だね、あの子。若いのに話の聞き方を弁えている」

「ふふ、そうですね。私もつい色々話したくなっちゃうから」

「夕日坂さんがそう言うのは珍しいなあ。でも、彼のような子は貴重だよ。今の若い子は意外と話を聞いていないからね」

「そうですね。それに……」

 老人と女性は陽の落ちていく町で会話を続ける。

 他愛もない会話、誰も知らない会話を。話題の中心である青年もそれを知らない。

 それは、当たり前で。

 悪い事ではない。知らない事を知るという事はそういう事だから。

 そんな、美味しいコーヒーとアップルパイの紡いだ歴史。そんな一つの時代のエトセトラ。



Fin.
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