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第7話『仮面の裏、沈黙の契約』
しおりを挟む銀の十字の査察官を処理してから数日が経った。
王都からの次の動きはまだ見えない。だが、沈黙こそが最大の脅威だということを、私はよく知っていた。
空気が変わった。風向きが変わった。
それだけで、背筋に氷が走る。
ライオネルの報告書の文面が簡潔になった。
セシルの瞳に、微かな揺らぎが生まれた。
私は笑顔の奥で、次の手を打ち始める。
(“沈黙の同盟”との接触。それが、次の一手)
それは教会の粛清を逃れた異端者たちの集まり。
正式な記録には存在しないが、地下文献の断片や暗号化された文でその存在は確かめられている。
“神の声を聞かなかった者たち”が、集まっているという。
私は布教の名目で北部辺境へと向かう。
目的地は、アーヴェイル。
かつて魔族の手に落ちたとされ、今もなお灰色地帯とされている村。
教会の加護も、王権の手も及ばぬ場所。
だからこそ――契約が成立する。
◆
アーヴェイルの空は、曇っていた。
冷たい風が霧のように村を包む。
私は礼装のフードを深くかぶり、誰にも気づかれぬよう廃聖堂の裏手に回った。
木々に埋もれた古びた石扉。
そこに刻まれた十字架は、教会のものではない。
私は手の甲を切り、血で封を解く。
ギィ……と、扉が音を立てて開いた。
中はひんやりとした空洞だった。
かつて祈りが捧げられていたであろう祭壇は崩れ落ち、蝋燭の明かりだけが頼りだった。
その奥に、女がひとり、椅子に腰かけていた。
赤銅の髪に、翡翠の瞳。
年は三十に届くかどうか。だが、その眼差しには知識と猜疑が混在していた。
「“聖女”エレナね。……意外と若いわ」
「あなたが、“沈黙の同盟”の連絡係?」
「ええ。ナージャよ。昔は教会の図書館にいた。今は異端の巣の番人」
互いに名乗ることに、なんの信頼も込められていない。
だが、それでいい。信頼など、最初から必要ない。
「取引をしたいの。あなたたちの“記録改竄能力”と、“影の流通網”を使わせてほしい」
ナージャは眉をひそめる。
「何と引き換えに?」
「……戦のあと、“歴史の編纂権”を」
「ほう。つまり、勝つつもりなのね?」
「ええ、もちろん」
一瞬、沈黙が落ちた。
やがてナージャは、薄笑いを浮かべた。
「面白いわ。“聖女”が歴史を偽る。そんな皮肉、好きよ」
「歴史は常に勝者によって書き換えられてきた。なら私が勝てば、最初から正しい歴史になる」
「まるで神ね」
「いいえ、“神を殺した女”になるつもり」
ナージャの笑みが消えた。
沈黙ののち、彼女は一枚の羊皮紙を差し出す。
「じゃあ、これに刻印を。血で。文字は不要、声も不要。結果だけが契約を証明する」
私は指先を刃で裂き、滴る血で印を結んだ。
ナージャも同じように指を傷つけ、私の血と交わるようにその紙に触れる。
瞬間、羊皮紙が蒼く光り、一瞬で燃え尽きた。
“沈黙の契約”――口に出す必要すらない。
ただ互いが、目的を達するまで裏切らないという血の盟約。
◆
帰路。
霧深い山道で馬を進める私の隣に、ライオネルが並んだ。
彼は私の顔を見ずに言った。
「何か……不穏なにおいがするな」
「何の話かしら?」
「お前の匂いだ。“誰かと契約を結んだ匂い”がする」
私はふと口元に笑みを浮かべた。
さすがね、と心の中で呟く。
「それがもし、毒と取引した匂いでも?」
「構わんよ。……地獄を見るときは、隣にいてやるって決めたからな」
風が吹いた。霧の中に、彼の声は混ざっていった。
私は答えなかった。
だがその言葉は、胸の奥に沈み込んでいた。
私は誰よりも強くなりたい。
誰にも支配されず、誰にも奪われない立場へと昇り詰めたい。
だがそれは、たとえ“罪”であっても、
手を取り合ってくれる者がいるならば、もしかすると――
(……いいえ、私は、悪女でいいの)
――契約完了。沈黙の同盟は動き出す。
歪な歯車が、いま確かに音を立てて回り始めた。
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