修復術師のパーティメイク――『詐欺術師』と呼ばれて追放された先で出会ったのは、王都で俺にしか治せない天才魔術師でした――

紅葉 紅羽

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第二章『揺り籠に集う者たち』

第五十九話『踏み越えた先で』

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――全身が軋んでいるかのような錯覚がある。少しでも気を抜けば自分という存在がバラバラに崩れ去ってしまうかのような、決して長く味わっていたくない感覚。これがきっと、魔術神経が壊れていくときの感覚というやつなのだろう。

「……でも、後でマルクに直してもらえばいいわ」

 そう呟いて、リリスは体内で主張してくる苦痛を全て黙殺する。そんなことに意識を削がれていては、目の前に立つ男を仕留めるのは難しいのだと理解していた。

 ツバキに託してもらう形で展開している影魔術と、リリスが本来得意とする氷魔術の同時展開。発想自体はそうひねった物でもないが、その行為がリリスの体にかける負担は計り知れない。

 そもそも、他人の魔術の制御権を譲り受けて運用するという行為自体が体に多大なる負担をかけるものなのだ。その状態に更に負担を追加するような真似、想像してもやりたくないし、やれないのが実情だった。

「……長くはもたないわね」

 今リリスがいる領域は、代償を支払わなければ立っていられないような場所だ。その代償はリリスの魔術神経であり、それが支払えなくなれば次は命を蝕みだすだろう。……一手でも早く、リリスの目的を果たす必要があった。

「ふ……ッ‼」

 背後に展開した氷の槍を打ち放ち、いまだに立ち尽くしているクラウスを貫かんとする。そのまま動かないでいてくれたならそれ以上によい事はなかったのだが、迫りくる死に対しては流石にだんまりを貫いてもいられないようだった。

「クソ、が……‼」

 焦燥と苛立ちを隠すこともなく、クラウスは乱暴に剣を床に突き立てる。瞬間的に床がひび割れ、そこから飛び出してきた魔力の壁が氷の槍を全て打ち砕いた。

「……相変わらず、面倒な術式だこと」

 剣でありながら魔杖と同等の役割を果たせる剣というのは、護衛としていろんな人間と出会ってきたリリスの記憶の中でも数例しか使い手がいなかった貴重な武器だ。今後同じような武具が出てきた場合、リリスは否応なしにクラウスのことを思い出すことになるのだろう。

 その事実を嫌がるように首を振って、リリスはまた氷の槍を装填する。一度の掃射で壁が破れないなら、破れるまで打ち続ければいい。……物量でごり押すのは、生まれつきの魔力量に優れたエルフとしての特権のようなものなのだから。

「……あんたはずっと、そこで剣を構えて踏ん張ってなさい‼」

 獰猛な笑みを浮かべて、リリスはより威力に特化させた氷の槍を打ち放つ。速度こそ一発目より落してはいるが、その分重量感のある仕上げだ。……いくらあの剣が優秀なものであれ、魔力に限界のない術者などいるはずがない。

「が、ぐうううううッ……‼」

 その大物量を前にして、クラウスはただ耐えることしかできない。出力を上げているのか床のひび割れはさらに大きくなっていたが、それにもリリスは動じなかった。

「諦めが悪いのね。……それじゃあ、少しだけ趣向を変えようかしら」

 こんこんとつま先で床を叩き、氷の槍を三度装填する。そこまで見れば第二撃と同じことが起きているのだが、そこからの変化がクラウスの目を大きく見開かせた。

「せっかく限界を踏み越えてるんですもの。その恩恵、存分に使わなくっちゃね」

 空中に装填された武装の一つ一つに、影が纏われていく。影を待とうということがどれほどの効果をもたらすか、ここまでの戦いを見れば一目瞭然だった。

 正確なところを言えば、今のリリスは一度に扱う魔力量のリミッターを無際限に解除しているようなものだ。それ故に恩恵は最初から受けているのだが、今度のそれは明らかに分かりやすい。鋭さと硬さを兼ね備えた影の氷槍は、魔力障壁の影に隠れるクラウスを正確に狙っていて――

「……これで終わりよ‼」

 黒い槍が一斉に放たれ、魔力障壁を突き破らんと衝突する。ギリギリと何かがかすれ合うような音がダンジョン内に響き、クラウスの表情が歪んだ。

「負ける、かよ……ッ‼」

 愛剣の柄を強く握りこんで、クラウスは咆哮する。間近に迫った敗北を拒絶するかのように、目の前に立つ怪物を否定するかのように。

 クラウスの意地によって絶え間なく魔力は剣に流し込まれ、剣はそれを障壁に変換する。本来ならばそれだけで防御としては十分すぎるのだが、今回ばかりは相手が悪い。――リリスの追撃は、まだ終わらないのだ。

「しぶとい、やつね……‼」

 表情を歪めながらではあるが、リリスは作り上げた氷槍を再び影によって彩る。破壊される寸前で耐え凌いでいる魔力障壁にとっては、それが一本追加されるだけで致命的だ。

 そのような武装を一度に五、六本作り上げるのだから、それがどれだけ絶望的な物かは言うまでもない。……勝負を終わらせるそれは、無慈悲に魔力障壁へと打ち放たれた。

 それが着弾すれば、魔力障壁はあっけなく崩壊するだろう。そうすれば、そのすぐ後ろで剣を握りしめているクラウスにも直撃するのは避けられない。……つまり、障壁の崩壊はそのままクラウスの敗北を意味する。……そして、この場合の敗北というのは、そのまま死に直結するものだ。

「……そんな事、認められるかよ」

 その事実を自覚して、クラウスの心臓がズクリと跳ねる。あまりにもネガティブな衝動が、クラウスの中からせりあがって来る。それを拒絶する理由なんて、クラウス側には何一つありはしなくて――

「……俺は、『最強』なんだよッ‼」

 クラウスの濁った黒い瞳が、一瞬だけ妖しい赤色に発光する。その不可解な現象が起きた瞬間、壊れかけだった魔力障壁がまばゆいばかりの輝きを放った。

 障壁にはひびが入ったままで、それがじきに崩壊することには変わりがない。だが、その光はリリスの攻撃を全てのみ込み、噛み砕いていく。……障壁を突き破ったのちにクラウスの命をも突き穿とうとしていたはずの槍たちが、魔力障壁を砕いただけでその役目を終えていく。

――光がやんだ時、そこには何の魔術もなかった。いるのは剣を手に立っているクラウスと、如何にも力尽きたように片膝をつくリリスの姿だけ。……渾身の一手は、しかしクラウスの誇りが生み出した『何か』によって砕かれたのだ。

「……こればかりは、予想外ね……」

 丈夫なはずのダンジョンの床は不快ひび割れが入っており、これ以上刺激を加えれば崩壊してしまうんじゃないかと思わせるくらいのありさまをさらしていた。リリスの攻撃は、それだけの威力を秘めたものだったのだ。……特異点があったのだとしたら、クラウスの方。

「言ったろ? ……最強に手を伸ばそうとしたこと、後悔させてやるって」

 一度逆転した状況は、クラウスの意地によって再び逆転した。リリスの姿にそれを確信して、剣を引き抜いたクラウスはゆっくりとリリスに歩み寄る。ここまでの戦いを、勝利宣言なしに終わらせるのはあまりにも惜しかった。

「……後悔なんて、してないわよ。ここで戦ったことに、間違いなんて何一つないわ」

「へえ、そいつは殊勝なこった。……その結果がこれなんだから、おとなしく受け入れるしか選択肢は残されていないけどな」

 注意深くリリスの姿を観察しながら、クラウスは歩みを続ける。もし最後の余力を振り絞って変な動きをすることがあったら、その時は必ず叩き切る。弱り切った姿に油断を見せないのは、クラウスなりの強者へのリスペクトだ。

 惜しむらくは、クラウスに魔力感知の才能がなかったことだ。様々な魔力が飛び交うこのダンジョンの中でも、自分に迫って来る魔術くらいは感知できれば――なんて、そんな芸当が出来るのはのはエルフの中でもリリスを含めた一握りだけなのだけれど。

 勝負を分けたところがあるのだとしたら、その一点の違いに尽きる。クラウスは可能な限り最大限の警戒をしていた。自分のできる精一杯で、リリスの動きに反応する準備をしていた。……それゆえに、そのうつむいた表情の先にある光に気づくのが遅れたのかもしれないが。

「……ええ、私は素直に受け入れるわ。この戦いの結果を、ね」

「そいつは助かる。……それじゃあ、せめて大切なリーダーとともに――」

 やけに素直なリリスの言葉に笑みを浮かべながら、ゆっくりとクラウスは愛剣を大上段に構える。それを振り抜けば、二人の体はあっさりと両断されるだろう。今度はそれを防ぐための影ももう伸ばされていないし、今度こそこの戦いは決着する――

「……が、ふ?」

――ただし、リリスたちの勝利という形でだが。

 背後から何かに突き抜かれるような衝撃が走って、クラウスは愛剣を地面に取り落とす。……ふと見れば、地面から一本の影の刃がクラウスに差し向けられていた。それが腹部を貫通しているのを認識した瞬間、クラウスの口元から血がこぼれる。

「保険はかけておくものね。まさかこれを使わないと勝てないくらいに追い込まれるなんて、それこそ予想外ではあるけど」

 脱力していく体にムチを打ってリリスの方を向けば、そこには獰猛に笑う少女の姿がある。震えてはいるがしっかりと二本の足で立って、クラウスの濁った瞳を見つめていた。

「この結果、しっかり受け止めておくわね。『限界を踏み越えて戦ったくせに、最後は保険として床のひび割れの中に仕込んでおいた影の刃が決め手になった』――なんて、マルクが聞いたらため息をつきそうだわ」

「クソが、クソがクソがクソが……ッ‼」

 完璧に、それは意識外からの一撃だった。クラウスが憤っているのは果たしてリリスになのか、その奥の手を最後まで引き出せなかった自分になのか。……きっと、その両方なのだろう。クラウスに勝機をもたらした誇りは、最後の最後でクラウスを守らなかった。

「影の刃は獰猛だから、治療はしっかり施した方がいいわよ。……それじゃ、出来ればもう二度と会わないで済むように祈ってるわ」

「待ち……やが、れ……‼」

 マルクを抱えて悠然と歩み去っていくリリスの背中に、クラウスは必死に手を伸ばす。その瞬間影の刃が引き抜かれて、支えを失ったクラウスの体は力なく崩れ落ちた。……一人で立つことすらも、今のクラウスには許されていない。

「このクソども、が……ッ‼」

 腹から血を流しながら、クラウスは半分吐血するようにしてリリスへの――いや、マルクたちへの怨嗟を叫ぶ。しかしそれが足を止める理由にはならず、勝敗をひっくり返す要因にもならない。

――『プナークの揺り籠』の一部屋で起きた撤退戦は、最強『だった』男の咆哮ともに終結した。
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