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第三章『叡智を求める者』
幕間『ノア・リグラン』
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「生命そのものの魔力化、そして対象への充填……ねえ。不老不死なんて大方トリック付きのハッタリでしかないのは分かってたけど、思った以上に原始的なやり方で成り立ってたわけだ」
ノートをゆっくりと閉じながら、赤髪に緑色の目をした少女――ノア・リグランは独りごちる。その直後、ノアは目の前に焚かれた小さな火の中にポイッとノートを放り込んだ。
防火対策などは施していないようで、炎の中に投げ入れられたそれはあっけなく炭の塊へと変じていく。狂信者が継ごうとした研究の最後がこうして燃え尽きることでもたらされるのは、何となく風刺が効いているような気がした。
「あっけないもんだね。どれだけ高く高く理論を積み上げたところで、反証が可能になったらすべてがパーだ。それも今回はそれが冒険者によってもたらされたって言うんだから、この世界はよくわからないや」
冒険者を貶めるつもりは全くないが、しかし彼らが研究者の道行きを阻むことなどありえないとノアが思っていたことは紛れもない事実だ。ノアは冒険者というものに必ずしもいい印象を持っているわけではないし、マルクたちが信用できるからと言って冒険者全体を信用するつもりも毛頭ない。……簡単に言えば、交わることがない世界だと思っていたのだ。
冒険者も研究者も、ロマンを追い求める者であることには変わりない。だが、そのベクトルは真逆と言ってもいいものだとノアは考えている。冒険者は富や名声といった即物的なものを、研究者はこの世界に転がる謎の解明、人の可能性の探求というどことなく抽象的なものを。同じダンジョンを目にしたとしても、そこで冒険者と研究者が思うことは全く真逆である。……そう、思っていたのだが。
「……それとも、今回の例が外れ値に当たるのかな。ウチのことを信じて託してくれた、あの子たちが」
そうであってほしくはないと思いながらも、それが正しい現実なのだろうなとノアは口に出しながら思う。すべての冒険者がマルクたちのようにいてくれればそれほど嬉しい話はないが、残念ながらその判例に当たるような冒険者の姿をノアは何度となく目にしてきてしまっているのだ。
――いっそのこと、マルクたちの仲間になれば楽になれるのだろうか。冒険者としてあの朗らかな三人と日々を過ごせたのなら、ノアの中にある劣等感もいずれは雪のように解けてくれるのだろうか。
「……いや、それは無理だな。……ウチは、どこまで行っても研究者にしかなれないや」
ふと浮かび上がってきた自問にすぐさま自答して、ノアは移籍中からかき集めてきたノートをまた一冊手に取る。中身をぱらぱらと流し読みして、また火の中へと放り込んだ。
ずいぶんと崇められていた不老不死の術式だが、ノートを追うことによって見えてきたその仕組みは単純なものでしかない。呪印に命の形を記憶させておくことで、命を落とそうとも自然と記憶されていたものへと復元される。本来ならば魔力の消費が半端なものではないため実現不可能なやり方だが、それを他の魔物から命ごと徴収することでカバーするというとんだパワープレーっぷりである。
「……ほんと、そこまでして生きて何がしたかったんだろうね。結局研究が間に合わずに死んでるし、これじゃバカみたいじゃん」
また一つ燃え尽きるノートを見つめながら、ノアは答えの返ってこない問いを続ける。……その左手首にはなにも刻まれておらず、ただ色白な素肌だけが緑の目に映っていた。
この地に足を踏み入れたものすべてに制限時間を設ける奪命の呪印も、結局のところは不老不死を演出するための舞台装置でしかなかったわけだ。そう思うとここで命を落としてきた人や魔物のことが不憫に思えて仕方がないが、しかし偲んだところで命が返ってくるわけでもなし。
「……ウチにできるのは、徹底的にこの術式を殺しきること。こんなものを信仰する馬鹿な人がもう出てこないように、きれいさっぱり痕跡を消し去ることだけ」
また一冊ノートを火にくべて、ノアは少し遠くの壁に目線を向ける。……そこでは、不老不死を信じた男が胸にナイフを突き刺して息絶えていた。
意識を取り戻したとき、あの男は何を思ったのだろうか。神話の崩壊を嘆いたのか、それともただただ自らの愚かさを恥じたのか。……とにもかくにも、あの狼がアゼルにとって生きる意味であることに間違いはなさそうだった。
「それがなくなった以上、死ぬことに何のためらいもない、か。……ある意味では、その姿も研究者らしいのかな?」
同情……とまでは絶対に行かないが、少しばかりの理解をノアはアゼルの亡骸に示す。――それは奇しくも、アゼルの死に対する疑問をリリスがこぼしたのとほぼ同時刻でのことだった。
死んでから初めて理解ができるというのもまた皮肉な話だが、アゼルが狂信者である前に研究者であったことはそれを見ればわかった。……研究者という生き物の中には、たった一つの謎に生涯を燃やし尽くすような種類もいるものなのだ。ノアはそうなれるタイプではないと、自身でそう思っていたが。
「……だけど、今なら少しだけ理解ができるかも。たった一つの謎に、どうしてそこまで焦がれられるのか」
研究の証をまた一つこの世界から消して、ノアは冷たくなって久しいアゼルに語り掛ける。……そして、ノアは最後の一冊を手に取った。
その表紙には『②』とナンバリングされており、主に呪印術式の仕組みとそれによって可能になることの一例が記述されていた。ちょうどその中に不老不死もあったあたり、もとからこの呪印を作った人間は大きな野望を抱くタイプだったようだが――
「――『しかし、人間の繊細な魔術神経でそれらの術式を運用すれば魔術神経は一日と保たずに崩壊するだろう。その問題を解決するためにも、国境付近に存在していると噂される修復術師の里に接触を図る必要がある』――」
『不老不死の実現のために』と銘打たれたページの一節を、ノアは改めて読み上げる。その視線は、アンダーラインまでひかれて強調されている『修復術師』という四文字に集約されていた。
「……ねえ、これはただの偶然? ……それとも、もっと大きな自然の流れ?」
運命論というものを信じるつもりははなはだないが、しかしこの巡り会わせにはそんな胡乱な物すら疑いたくなるような何かがある。……ノアですらその存在を知らなかった『修復術師』は、しかし古代から存在していたものらしい。そして、彼が保持する術式がかつては不老不死のためのキーパーツであるとまで来たものだ。
――あの優しい男の子は、それを知っているのだろうか。きっと何も知らないのだろうなと、ノアは一秒もかからずに結論を出す。……だが、そこで疑問は終わらない。……終わらないから、ノアは自分が研究者であるということを自覚せずにはいられないのだ。
「分からないままじゃ終われない、自分の中で納得がいかなきゃ止まれない。……ほんと、好奇心ってのは熱病みたいなものなんだね」
それは少し恋にも似ているが、そんな甘いものではない。もっと本能に訴えかけるような、ノア・リグランという存在の根幹を突き動かすような衝動だ。……きっとアゼルが呪印術式を知った時と同じような熱病に、ノアは今浮かされてしまっている。
「……マルク・クライベット。役立たずだととあるパーティを追放された、今を生きる修復術師」
ノートをぱたりと閉じ、ノアはそれをごみであるかのように雑に放り投げる。前に目にした単語が幻覚でないと確認できたのなら、ノートが存在する意味なんてもはや無に等しかった。
今やノアの興味は別のところにある。解き明かさなければいけない謎だけが、ノアを突き動かしている。心の底から自然と湧き上がってくる言の葉に、ノアはただその身を任せて――
「……ねえ、君は一体何者なの? ……その気高い在り方の影に、君は何を背負っているの?」
知りたい、知らずにはいられない。ふわふわとしていたノア・リグランの生きる意味が、今この瞬間を以て一つの謎へと収束する。……それは、研究者という生き方を侵す熱病だ。特効薬はなく、また対症療法もない。一度罹患したが最後、ノアはこの命をたった一つの謎のために燃やし尽くすほかないのだ。
今日この日、ノア・リグランという研究者は二度目の産声を上げた。それを祝福する者はなく、ただ火が煌々と燃え盛るのみ。あまりに大きく、しかし密やかな熱情は、後にマルクたちをも巻き込んだ大波乱へと発展していくことになるのだが――
「ごめんね、皆。……ウチ、やっぱり根っからの研究者みたいだ」
――『夜明けの灯』がその事実を知るのは、まだまだ先の話である。
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「……それとも、今回の例が外れ値に当たるのかな。ウチのことを信じて託してくれた、あの子たちが」
そうであってほしくはないと思いながらも、それが正しい現実なのだろうなとノアは口に出しながら思う。すべての冒険者がマルクたちのようにいてくれればそれほど嬉しい話はないが、残念ながらその判例に当たるような冒険者の姿をノアは何度となく目にしてきてしまっているのだ。
――いっそのこと、マルクたちの仲間になれば楽になれるのだろうか。冒険者としてあの朗らかな三人と日々を過ごせたのなら、ノアの中にある劣等感もいずれは雪のように解けてくれるのだろうか。
「……いや、それは無理だな。……ウチは、どこまで行っても研究者にしかなれないや」
ふと浮かび上がってきた自問にすぐさま自答して、ノアは移籍中からかき集めてきたノートをまた一冊手に取る。中身をぱらぱらと流し読みして、また火の中へと放り込んだ。
ずいぶんと崇められていた不老不死の術式だが、ノートを追うことによって見えてきたその仕組みは単純なものでしかない。呪印に命の形を記憶させておくことで、命を落とそうとも自然と記憶されていたものへと復元される。本来ならば魔力の消費が半端なものではないため実現不可能なやり方だが、それを他の魔物から命ごと徴収することでカバーするというとんだパワープレーっぷりである。
「……ほんと、そこまでして生きて何がしたかったんだろうね。結局研究が間に合わずに死んでるし、これじゃバカみたいじゃん」
また一つ燃え尽きるノートを見つめながら、ノアは答えの返ってこない問いを続ける。……その左手首にはなにも刻まれておらず、ただ色白な素肌だけが緑の目に映っていた。
この地に足を踏み入れたものすべてに制限時間を設ける奪命の呪印も、結局のところは不老不死を演出するための舞台装置でしかなかったわけだ。そう思うとここで命を落としてきた人や魔物のことが不憫に思えて仕方がないが、しかし偲んだところで命が返ってくるわけでもなし。
「……ウチにできるのは、徹底的にこの術式を殺しきること。こんなものを信仰する馬鹿な人がもう出てこないように、きれいさっぱり痕跡を消し去ることだけ」
また一冊ノートを火にくべて、ノアは少し遠くの壁に目線を向ける。……そこでは、不老不死を信じた男が胸にナイフを突き刺して息絶えていた。
意識を取り戻したとき、あの男は何を思ったのだろうか。神話の崩壊を嘆いたのか、それともただただ自らの愚かさを恥じたのか。……とにもかくにも、あの狼がアゼルにとって生きる意味であることに間違いはなさそうだった。
「それがなくなった以上、死ぬことに何のためらいもない、か。……ある意味では、その姿も研究者らしいのかな?」
同情……とまでは絶対に行かないが、少しばかりの理解をノアはアゼルの亡骸に示す。――それは奇しくも、アゼルの死に対する疑問をリリスがこぼしたのとほぼ同時刻でのことだった。
死んでから初めて理解ができるというのもまた皮肉な話だが、アゼルが狂信者である前に研究者であったことはそれを見ればわかった。……研究者という生き物の中には、たった一つの謎に生涯を燃やし尽くすような種類もいるものなのだ。ノアはそうなれるタイプではないと、自身でそう思っていたが。
「……だけど、今なら少しだけ理解ができるかも。たった一つの謎に、どうしてそこまで焦がれられるのか」
研究の証をまた一つこの世界から消して、ノアは冷たくなって久しいアゼルに語り掛ける。……そして、ノアは最後の一冊を手に取った。
その表紙には『②』とナンバリングされており、主に呪印術式の仕組みとそれによって可能になることの一例が記述されていた。ちょうどその中に不老不死もあったあたり、もとからこの呪印を作った人間は大きな野望を抱くタイプだったようだが――
「――『しかし、人間の繊細な魔術神経でそれらの術式を運用すれば魔術神経は一日と保たずに崩壊するだろう。その問題を解決するためにも、国境付近に存在していると噂される修復術師の里に接触を図る必要がある』――」
『不老不死の実現のために』と銘打たれたページの一節を、ノアは改めて読み上げる。その視線は、アンダーラインまでひかれて強調されている『修復術師』という四文字に集約されていた。
「……ねえ、これはただの偶然? ……それとも、もっと大きな自然の流れ?」
運命論というものを信じるつもりははなはだないが、しかしこの巡り会わせにはそんな胡乱な物すら疑いたくなるような何かがある。……ノアですらその存在を知らなかった『修復術師』は、しかし古代から存在していたものらしい。そして、彼が保持する術式がかつては不老不死のためのキーパーツであるとまで来たものだ。
――あの優しい男の子は、それを知っているのだろうか。きっと何も知らないのだろうなと、ノアは一秒もかからずに結論を出す。……だが、そこで疑問は終わらない。……終わらないから、ノアは自分が研究者であるということを自覚せずにはいられないのだ。
「分からないままじゃ終われない、自分の中で納得がいかなきゃ止まれない。……ほんと、好奇心ってのは熱病みたいなものなんだね」
それは少し恋にも似ているが、そんな甘いものではない。もっと本能に訴えかけるような、ノア・リグランという存在の根幹を突き動かすような衝動だ。……きっとアゼルが呪印術式を知った時と同じような熱病に、ノアは今浮かされてしまっている。
「……マルク・クライベット。役立たずだととあるパーティを追放された、今を生きる修復術師」
ノートをぱたりと閉じ、ノアはそれをごみであるかのように雑に放り投げる。前に目にした単語が幻覚でないと確認できたのなら、ノートが存在する意味なんてもはや無に等しかった。
今やノアの興味は別のところにある。解き明かさなければいけない謎だけが、ノアを突き動かしている。心の底から自然と湧き上がってくる言の葉に、ノアはただその身を任せて――
「……ねえ、君は一体何者なの? ……その気高い在り方の影に、君は何を背負っているの?」
知りたい、知らずにはいられない。ふわふわとしていたノア・リグランの生きる意味が、今この瞬間を以て一つの謎へと収束する。……それは、研究者という生き方を侵す熱病だ。特効薬はなく、また対症療法もない。一度罹患したが最後、ノアはこの命をたった一つの謎のために燃やし尽くすほかないのだ。
今日この日、ノア・リグランという研究者は二度目の産声を上げた。それを祝福する者はなく、ただ火が煌々と燃え盛るのみ。あまりに大きく、しかし密やかな熱情は、後にマルクたちをも巻き込んだ大波乱へと発展していくことになるのだが――
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