修復術師のパーティメイク――『詐欺術師』と呼ばれて追放された先で出会ったのは、王都で俺にしか治せない天才魔術師でした――

紅葉 紅羽

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第四章『因縁、交錯して』

第二百九十一話『掴んだ結果の一歩先』

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 ツバキから伸ばされた影が、メリアの体の中に次々と入り込んでいく。草原の上に倒れ込むメリアを見つめるその姿は、俺が今まで見てきた中で最も不安げで必死だった。

 まるで微調整をするかのように指先を動かして、かすかに息を吐きながらなおも影を操る。リリスに影を預けたばかりで負担も大きいだろうに、それを微塵も感じさせないぐらいにツバキは集中していた。

 メリアも意識を失っているわけではない様で、必死に影を伸ばすツバキの姿をどこか呆然とした様子で見上げている。……大方、さっきまでやりあっていた相手に治療されているこの状況を呑み込みかねているんだろう。

 ま、言うべきことは全部リリスがぶつけてきてくれただろうから俺から言う事なんて何もないんだけどな。ツバキの必死さが全ての答えなんだから、そこに俺が分かったような面をしてこれ以上の解説を差しはさもうだなんて傲慢もいいところだ。

 そんなことを思いつつ、俺はメリアと向かい合うツバキの横顔を見守る。……その視線が唐突に俺と正面衝突したのは、影による治療を初めてから大体三分ぐらいたってからの事だった。

「……マルク、少し力を貸してくれるかい? ボクの影を入れることでメリアの精神に侵食してた影は大体無力化できたけど、魔術神経が傷ついてるのかうまく魔力が循環してるように思えないんだ」

 そのおかげで魔力の流れが元通りにならなくてさ、とツバキは真剣な表情でメリアに起きている異変を説明する。それに俺はすぐ頷いて、倒れ込んでいるメリアの右手を取った。

 その直後、俺の脳内にメリアの魔術神経の様子が流れ込んでくる。……やはりあれだけの影を操ってノーダメージなんてことがあるはずもなく、主に胴体部分の魔術神経がそれはもうボロボロだった。

 しかし、それでもなおあれだけの魔術を使った後と考えるならば軽傷と言える範疇だ。あのまま放置していれば俺の修復術でも治せないところまで傷ついていたかもしれないし、ツバキの予言通り死んでいたってなにもおかしくはない。……メリアもまたツバキと同じだけの才能を持っているのだと、あらためてひしひしと感じさせられるな。

「ああ、ツバキの言う通り上半身を中心に魔術神経が傷ついてる。これだけ傷ついてたら当然魔術は使えないし、日常生活にももしかしたら支障が出るかもしれねえ。……だけど大丈夫だ、修復術式が通用するからな」

「……本当かい? メリアから影魔術すらも奪われるような、そんな事態にはならないよね?」

「大丈夫だよ、少し頑張らなくちゃいけないタイプの損傷ではあるけどな。……だけど、それがお前の我儘を叶えるためなんだったらためらう理由は何もねえ」

 高揚しながらもなお不安が抑えきれないツバキの眼を見つめて、俺は再度頷いて見せる。……それを見て、ツバキも少しは安心してくれたようだった。

「……うん、それじゃあ君に任せるよ。ごめんね、できる限り秘密にしておきたいって話だったのに」

「気にすんな、仲間の頼みは『できる限り』の例外に当たる最優先事項だ。だから安心して、一瞬だけメリアを俺に預けてくれ」

 本格的に修復術の準備に入りつつ、俺はツバキに向けて片目を瞑る。そうしてから魔力に意識を集中しようと思っていたその時、俺の耳に微かな声が聞こえてきた。

「……どうして、お前も……」

 消え入りそうなその声は、やけに弱々しい響きを伴って聞こえてくる。姉を取り戻そうと躍起になっていたあの少年と今の声の主が同じだとは、とてもではないが信じられなかった。

 その続きを聞こうと耳を澄ますが、しかし声はそれ以上聞こえてこない。だからその言葉の真意は推測することぐらいしかできないが、『どうして俺までメリアを助けようとするのか』とかそういう範囲の話だろう。……そして、それに対する答えなら一番簡単なのがある。

「……ツバキが、覚悟を決めてたからだよ」

 メリアへの修復に入る準備を済ませてから、俺は簡潔にそう返す。野暮になりたくはなかったけど、それでも聞かれたからには答えなくてはいけないような気がした。

『死なせたくない』と涙ながら零したツバキの我儘を、俺はずっと憶えているだろう。それぐらい珍しいことだし、それぐらいメリアがツバキにとって特別な存在であることは分かっている。……なら、それを今みすみす見殺しにすることなんてできそうになかった。

「客観的に見てお前を助けるべきなのか、その正解は分かんねえ。だけど、何が間違った答えなのかに関してはちゃんとわかってるつもりだからな」

 ツバキがメリアの命を優先順位の低いところに置いていたから、リリスは半ば強引にでもそれを俺たちと同じところにまで引っ張り上げた。なにも取り落としたくないって、そう我儘を言う事を正解だとした。……なら、俺もそれが間違っていないって信じさせてもらおう。

 それだけを伝えて、俺はもう一度目を瞑る。さっき読み取ったメリアの体内の状況をもう一度思い起こして、明らかに傷ついている個所を中心に魔力を回す。……少し負担は大きいが、これぐらいだったらまだ想定内だ。

 千切れた部分は繋げて、切れかけているところは必死に補修して。百パーセントの治療は無理でも、それに限りなく近いクオリティにまで戻せるように魔力を回す。……そして、それらの魔力が全て定位置についたのを確認してから――

「……繋がれ‼」

「……ッ⁉」

 叫びとともに修復術を完了させた瞬間、メリアの身体が痙攣したかのように一度大きく跳ねる。それが収まるか収まらないかというようなタイミングで、ツバキの影が再びメリアの体内へと潜り込んでいった。

「……うん、明らかに影の通しやすさが変わってる。完璧な仕事だよ、マルク」

「なんてったって俺は修復術師だからな。これが本分なんだから、こんな大事なところで失敗するわけにはいかねえよ」

 心の底から安堵するように零すツバキに、俺は強気に胸を張って見せる。メリアのケアをするうえで俺がやれることはもう終わり、あとのことがうまく行くかはすべてツバキにかかっていた。

 どういうプロセスを経てメリアに起きた異変を取り除くかは分からないが、それがツバキにしかできないことなのは疑いようのない事だ。……だから、俺にできるのは最大限に背中を押すことだけで。

「……ふう。とりあえずはこれで大丈夫……かな?」

 しばらく指をあれこれと動かして数分、ツバキはそう言って強張っていた肩を少し落とす。それと同時に影がするするとツバキの指先へと戻っていって、最後には何事もなかったかのように消え失せた。

 その治療を受けたメリアはと言えば、体力も気力も限界を迎えたのかすうすうと落ち着いた息を立てている。……しばらく目を覚ますことはないだろうが、危険な状況が過ぎ去ったのはその様子を見れば何となく理解できた。

「……これで一件落着……ってことで、いいのよね?」

 そのタイミングを見計らって、少し離れたところに立っていたリリスがとことこと俺の隣まで戻ってくる。そのまま草むらにどっかりと腰かけると、『疲れた』と言いたげな顔をして右手を差し出してきた。

 その右手を取って修復術の準備に入りながら、俺はツバキに視線を向ける。……二人分の視線を受けて、ツバキは感慨深そうに首を縦に振った。

「ああ、とりあえずはね。ここから先どうすればいいかとか、色々と考えなくちゃいけないことは残ってるけどさ」

「それはそれこれはこれ、よ。……少なくとも私の修復が終わるまでは、ツバキの我儘が無事に果たされたことを喜ぶべきだわ」

 握られた俺の手に体重を預けながら、リリスはツバキを気遣うようにそう返す。……その声色は、さっきメリアに向けて声をかけていた時のものととても良く似ていた。

 リリスの存在が心強いのはいつものことだが、この戦いでのリリスの貢献っぷりはいつにも増して大きなものだ。影の支援を受けずしてメリアを撃破した上に暴走まで止め、一時は弟を救うことを諦めかけていたツバキの心を引っ張り上げた。……もし仮に『この依頼の報酬を独占させてくれ』なんて言われたら、俺は喜んでその頼みを受け入れることだろう。

「……ああ、そうだよね。この戦いが始まる前だったら、考えられないようなことだ」

 少しだけ目を伏せながら、ツバキはしみじみと息を吐く。傷つきはしたけれど誰も死ななかったこの結末は、あのショッキングな開戦からは想像できなかった理想的なものだ。……どちらかが死なないと終われないんじゃないかと、俺も途中までは本気でそう思っていた。

「本当に、ボクは最高の仲間に恵まれたなあ。これだけ無茶で身勝手な願いを受け入れて叶えてくれるなんて、君たちじゃなきゃ絶対にできないことだよ」

 穏やかな様子のメリアを見つめながら、ツバキは感極まったように声を詰まらせる。安堵の涙をこらえるようなその様子は、俺たちが正しい選択をすることができたことの証明のように思えた――

――なんて、思ったその時だった。

「……いやいや、流石に冗談でしょう?」

 修復術を受けている最中だったリリスの眼が突如見開かれ、繋いでいた手を強引に振りほどく。まだ八割ほどしか修復は終わっていないのだが、そんなのはお構いなしだ。

「……リリス、いきなりどうした――」

「下がりなさい。メリアを連れて、できるだけ遠いところまで」

 それを気にした俺の問いかけに、リリスは食い気味に答えながら地面に手を触れさせる。その瞬間に周囲の空気が少しだけ冷え込んで、リリスの纏う緊張感がよりピリピリしたものへと変わって。

「……氷よ、私たちを守りなさい‼」

 詠唱が響くと同時、大きな氷の壁が草原に突如として出現する。……その表面に切り付けられたかのような傷が走ったのは、その直後の事だった。

 それを見て、俺も初めてリリスが感じ取った異常事態に気づく。……修復を受ける間もリリスは一切警戒を解いていなかったという事に気づいたのも、それと同じタイミングの事だった。

「……あのね、私たちは今いろんな感慨に浸ってたところなの。それにこんな横槍を入れるなんて、無粋以外の何者でもないことぐらいわからないのかしら?」

 その攻撃を仕掛けてきた襲撃者に対して、リリスは皮肉をたっぷりと込めた言葉をお見舞いする。……すると、それに応えるかのように二つの人影がぬるりとどこからともなく出現して――


「……おいおい、それはお前たちの勝手な事情だろうが。というか、これでも俺たちは最大限我慢してやった方だぜ?」


 むしろその忍耐力に感謝してくれよ――と。

 どこまでも上から目線で返答しながら、声の主はゆっくりと歩み寄ってくる。……その正体を目で捉えて、俺は思わず息を呑んだ。

「……なん、で」

 信じたくない。今この目で捉えた情報を、俺はどうにかして幻覚として処理してしまいたい。……少なくとも、こいつとぶつかるべきは絶対に今じゃない。

 なのに、そいつは確かにそこにいる。……俺たちの姿を捉えて、確かににやりと笑っている。

「……よう、マルク・クライベット。こんなところで出会うとは、大した偶然だな?」

 まるでしばらく縁が途切れていた旧友にそうするかのように、豪奢な装備を身に着けた男――クラウス・アブソートは軽く手を挙げて俺たちに挨拶する。……相変わらずよく回るその口は、それはそれは楽しそうに吊り上がっていた。
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