修復術師のパーティメイク――『詐欺術師』と呼ばれて追放された先で出会ったのは、王都で俺にしか治せない天才魔術師でした――

紅葉 紅羽

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第五章『遠い日の約定』

第三百六十九話『聞こえぬ声、見えない意志』

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「……多分ね、お母さんとお父さんは知ってたと思うの。『守り手様』がどんなものなのかも、約定ってものがあたしたちの暮らしに大きく関わってたことも。――分かったうえで、秘密にしてたんだと思う」

 レイチェルがそんな風に話を切り出したのは、車が当てもなく走り出してから数十分が経ってからの事だ。カラカラと小気味いいタイヤの音に重なって、真剣身を増したその声は車内にはっきりと響いた。

 さっきまでは俺たちと一緒に窓の外の景色を楽しむだけの余裕も少しずつでき始めていたのだが、やはり自分の現状に関わる話をするには相応の覚悟がいるという事なのだろう。――その表情は、少し前に比べて明らかに緊張している。

「ロアルグさんから聞くまでね、あたしは帝国の事情とかよく知らなかったんだ。あたしみたいな人でも戦力にしたがる人が居るってことだけは分かってたけど、それもお母さんがすごい剣幕で追い返してたし。それがどうしてなのか、今となってはもうわからないんだけどね」

 俺たちではないどこか遠い場所にピントを合わせながら、レイチェルは自分の過ごしてきた時間を思い返す。意識的にかそれとも無意識か、右手はしっかりとペンダントを握り締めていた。

 今やそのペンダントは家族とのつながりを示す唯一のもので、グリンノート家の意志が生きていることの数少ない証だ。それは間違いなくレイチェルの支えになっているのだろうが、それを身に着けている限り約定から逃れることは決して不可能ということでもある。

 レイチェルを支える大切な物が、同時にレイチェルを宿命に縛り付ける強靭な縄のようにもなっているのだ。……それはなんて皮肉な話なのだろうと、俺は内心ため息を吐かずにはいられなかった。

「家が襲われたときね、お父さんとお母さんは私のことを真っ先に逃がしたの。……今までに聞いたことのないぐらいに、強くて真剣な声で。怒られるときでだって、あんな口調で接されたことはなかったよ」

「つまり、それだけレイチェルとペンダントが大事だったってことか。……その全部が知識からくる打算だったとは、いくらなんでも思いたくないけどね」

 レイチェルの改装を受けて、ツバキが顎に手を当てながらそんな結論を出す。その後に付け加えられた願望については、俺もそうであってほしいところだった。

 純粋な愛情だと思っていたものに一かけらの打算が加わったところで、その大半が純粋な愛であることに変わりはないのだ。清水に一滴の汚水を垂らせばそれはもう飲めたものじゃないとはよく言ったものだが、愛にまで同じことを言いたくはない。……俺とリリスたちの関係だって、最初は打算から始まって今に至ってるんだからな。

 それはレイチェルもよく分かっているのか、ツバキの方を見てうんうんと首を縦に振る。レイチェルの両親が約定のことを伝えなかった理由は謎のままだが、それが判明したからと言ってレイチェルの思いが揺らいでいるなんてことはなさそうだ。

「このペンダントね、もともとはお母さんのものだったの。それをいつかの誕生日祝いだってあたしにくれて、それからはずっと肌身離さず着けてる。『お母さんのお母さんもそうしてきたのよ』って、満足そうに頭を撫でてくれたっけ」

 ペンダントを軽く持ち上げながら、レイチェルはさらに説明を続ける。俺たちの言葉が届いてくれたのか、レイチェルは自分の過去を口にすることを恐れていないように思えた。今までのどんな時よりも、俺たちは深くレイチェルの過去に触れることが出来ている。

 あの森で取り乱していたことを思えば、もうそれだけで大きすぎる成長だ。グリンノート家としての自覚がないだなんて言ったガリウスは人を見る目がないと言わざるを得ないし、それを叩きつけるために俺たちは動いているわけで。……その方針が間違っていなかったと、俺は改めて納得させられる。

「魔術の練習を本格的に始めるようになったのも、このペンダントをもらってからだったの。『守り手様があなたの頑張ってるところを見守っててくれるから』って、お母さんはそう言ってた」

「いい表現ね、それ。いまだってきっと守り手様はあなたのことを見守ってくれてるわよ」

 懐かしむような言葉に笑みを浮かべて、リリスはレイチェルの肩に優しく手を置く。守り手様の眼差しがレイチェルを守っていることは、俺たちからしたら間違いない真実だった。

 そうじゃなきゃ、俺があの時聞いた声に説明が付かないからな。あの声はレイチェルに気安く触れることを許していなかったし、事実俺はめちゃくちゃに吹き飛ばされた。帝国から王国の中心部にまでの転移を決められるだけの実力があることを考えると、それだって軽い牽制程度のものだろう。

 精霊が本気で俺たちを排除しにかかるのならば、抵抗する暇もなくすりつぶされるのが眼に見えている。それに抗う方法があるとすれば、全力のツバキとリリス以外にはありえなかった。

 あの夜にリリスが真剣な表情で出してきた警告を、俺は今でも鮮明に覚えている。……あの表情を見る限り、精霊をリリスたちが上回るには相当な代償が必要なように思えてならなくて――

「……うん、多分守り手様はあたしのことを見守ってくれてるんだと思う。だけどね、認めてくれてるかどうかは分からない。守り手様があたしのことをどう思ってるのか、あたしには知る術がないから」

「――え?」

 そんなことを考えていた矢先に聞こえてきたレイチェルの言葉に、俺は思わず間の抜けた声を上げてしまう。……それは、俺が聞いた精霊のものと思われる声を否定するようなものだった。

 ツバキとリリスもそれには気づいたのか、少し懐疑的な目で俺の方を一瞬だけ見つめてくる。レイチェルに気取られないようにしているあたり流石の技術だが、その一瞬だけでも二人の混乱を知るには十分だ。

 あの時聞いた声は幻聴などではないと、俺は胸を張って断言することが出来る。だが、それを聞いたのは俺だけだ。ツバキもリリスも俺からその存在を耳にしただけで、実際にそれを体験したことは未だにない。……そこにレイチェルからの言葉が加わるのだから、状況はさらにややこしかった。

 どっちだ、と俺は咄嗟に思う。守り手様のものと思しき声を聴いたことをここで打ち明けるべきか、それとも隠し通して話を聞き続けるべきか。……レイチェルを支える仲間として、どっちが正しいのだろう。

「守り手様が確かにそこにいるってことは、あたしにも何となく分かるの。魔術を使うときに後押ししてくれる感覚は今でも覚えてるし、そもそもあたしに転移魔術の心得なんてない。守り手様が実在していないのなら、あたしはもうとっくに死んでるよ」

 そんな迷いを抱えているうちにも、話はどんどん前へ前へと進んでいく。話すにせよ話さないにせよ、決断するための時間はそんなに残されていないらしい。

 俺に言わせてみれば、守り手様は今でもレイチェルを守ろうとしている。身を以て体験した俺はそれを知っているし、それが生半可なものじゃないことだって確信している。……けれど、そのことを外からの言葉で知ってしまってもいいんだろうか。

「守り手様は、たしかにあたしに力を貸してくれてる。……だけど、それが『守る』ってことに繋がってるかどうかが分からないの。だって、あたしの大切な家を守ることはできなかったから。襲われたときにあたしはただ逃げることしかできなくて、誰も助けることなんてできなかったんだから」

 沈痛な面持ちで、レイチェルは言葉を続ける。痛みを押し殺すかのように調子を押さえて話しているのが、かえってレイチェルの中の迷いを強調しているように思えた。

 過去と向き合えているとは言えども、心の中にはまだ暗い影が落ちているという事なのだろう。大切な家族を置いて一人生き残ってしまったことは、レイチェルに重石となってのしかかっている。

 両親とのエピソードを少し聞いただけの俺でも、レイチェルの両親が重石を残すために死んだわけじゃないことははっきりと分かる。だけど、こういうのは理屈じゃないのだ。……理屈と感情がどうしようもなく乖離するようなことがこの世界にはあることを、俺は確かに知っている――

「……づ、うううッ」

 そんなことを思った瞬間、脳内をまたしても締め付けるような痛みが這いまわる。それが何を言いたいのか俺にはてんで見当がつかないが、この街に踏み入ってから痛む頻度は増しているように思えた。

 だが、今はその謎を解明している場合でもない。もっと重大で具体的な問題が、今レイチェルの中には覆いかぶさっているのだから。

「守り手様の言う『守る』が何の事なのか、あたしには分からないの。あたしがあたしだったから、守り手様は転移魔術を使ってまであたしを守ってくれたのかな。それとも――」

 一度言葉を切り、レイチェルは少しためらうように息を何度も吸い込む。今から口にする言葉はきっと、それだけ心に負担をかける物なのだろう。それと正面から向き合えるようになったことも、俺たちからしたら拍手を贈りたいぐらいの意志の表れなのだけれど――

「――あたしが誰かなんてどうでもよくて、ただペンダントの持ち主を守りたかっただけなのかな?」

 ほかならぬレイチェル自身がそれを望んでいないことは、その言葉を聞けばよく分かる。レイチェルが新たに発したその問いは、過去とまっすぐ向き合ったが故に生まれたものと見て間違いなかった。
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