修復術師のパーティメイク――『詐欺術師』と呼ばれて追放された先で出会ったのは、王都で俺にしか治せない天才魔術師でした――

紅葉 紅羽

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第五章『遠い日の約定』

第三百八十七話『踏み出せる理由』

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 レイチェルが意を決してそう提案した瞬間、焦げ茶色をしたマルクの瞳が驚きによって大きく見開かれる。直後にその口が紡いだのは、ただただ心配に満ちた言葉だった。

「任せて、って……まさかお前、一人でアレを相手取るつもりかよ⁉」

 普段は落ち着いている声も裏返り、手の先もその動揺を現わすかのように忙しなく動いている。ともすればそれは男の復活を見た時よりも激しく動揺しているように見えて、こんな状況だというのにレイチェルは内心面白いと思ってしまった。普段は冷静に策を練るマルクでも、予想外の提案をされれば年相応の反応が返ってくるものなのか。

「そりゃ確かにお前の風魔術は強いし、俺がアイツに対して勝ち目がないのは事実だけど――だけど、お前がやられたらこの街は終わりだ。襲撃者の目的は果たされて、完璧に負けを認めるしかなくなる」

 その焦りを取り繕うこともなく、マルクは早口でレイチェルの決断への難色を示す。それに対してレイチェルが反論しようとしたとき、それを遮るように腕を振るう男の姿が見えた。

 それにはマルクも気づいていたようで、お互い話を中断して安全圏に回避する。一度直撃すればまず生きてはいられないだろうという剣の一撃は、しかし誰の事も傷つけることなくまた空を切った。

 最初見た時はその速度に驚かされたが、目が慣れた今ならその軌道をはっきりと追いかけることが出来る。倒れる前との戦い方の違いも相まってより凄みは増しているものの、今まで見てきたリリスたちの実力と比べれば数段落ちるのは間違いない。

 ともすれば、戦う事を好まなかった母親よりも劣るかもしれないぐらいだ。森を荒らす魔獣を一撃のもとに仕留めた母親の後ろ姿がいつもより妙に大きく見えた時のことを、レイチェルはなぜだか克明に思い出していた。

「……マルク。あたしね、お母さんに昔教えてもらったことがあるの。『魔術は誰かを傷つけるためじゃなくて、大切な誰かを守るためにある』って。グリンノート家の魔術師は、代々大切な人や物を守るために魔術を振るったんだって」

 それを初めて聞いたのはまだレイチェルが幼い頃、それこそペンダントを母親から受け継いだばかりの時の事だ。魔術の特訓を重ねる中でだんだんとできることが増えていくレイチェルにかけられたその言葉は、『だから誰かに向けてむやみに魔術を使わないように』というただの警鐘だと思っていた。

 だが、今ならこれ以上ないぐらいにはっきりと断言できる。レイチェルがここまで魔術を学んできたのは、きっとこういう時の為なのだと。――大切な人に降りかかる困難を払いのけるためにこそ、魔術はその本質を発揮するのだと。

「もしここにいるのがツバキやリリスだったら、二人は迷わずに魔術を使ってあの人を倒すと思うの。それに、マルクも特に何も言わずに『その作戦で行こう』って言ってると思う。『任せるって決断がすぐにできるのがマルクのいいところだ』って、昨日の夜に教えてもらったんだ」

 昨日の夜、失意の底に沈んでいた時にリリスたちが聞かせてくれた話を、この先レイチェルが忘れることはないのだろう。彼女らの考えは三歳しか違わないと思えないぐらいに成熟していて、揺らがない芯があった。その中心には、確かにマルクの存在があったのだ。

「……ツバキと、リリスが」

 その評価が意外だったのか、マルクは目をさらに見開いて小さな声で呟く。それを見たレイチェルは大きく頷いて、間髪入れずに言葉を続けた。……ここからが、レイチェルが今マルクに最も伝えたい言葉だ。

「それを聞いてあたしも思ったんだ、マルクたちに任されるような魔術師になりたいって。だから下ばっかりを向いてるんじゃなくて、一歩踏み出してみようって思った。……だってあたしも、『夜明けの灯』の一員なんだもん」

 少し前のレイチェルにとって、世界はグリンノート家とそれを取り巻く僅かな人たちだけで完結していた。大好きな両親と平和な時を過ごしたまに外へと出かける、それだけが世界の全てだった。

 だからそれが壊されたとき、レイチェルは世界の全てが滅んでしまったように思ったのだ。もうレイチェルの中には何も残っていなくて、そんな状態で一人で歩いて行かなければならない。――そんなレイチェルを拾い上げて仲間だと呼んでくれたのが、マルクたち『夜明けの灯』だ。

 何もなくなってしまったレイチェルに、『夜明けの灯』はいろんなことを教えてくれた。それで喪失の痛みが完全に消えるわけではなかったけれど、マルクたちといることで心が救われているのも確かだった。……そんな優しい仲間たちといてもなお、レイチェルは一度大きな挫折をしてしまったのだけれど。

「『仲間が失態をしたときにするべきことは責めることじゃなくて、まず自分の手で助けられないか考えを巡らせることだ』って、リリスはあたしに教えてくれた。だから考えたの。どうしたら困ってるマルクを助けられるか、この状況を突破できるのか――って」

「それでさっきの提案、ってわけか」

「うん。今のあたしなら、あの人の攻撃を見切ることも避けることもできる。さっきマルクがそうしたみたいに、あたしがまずあの人の隙を作りに行きたいの」

 合点がいったように零すマルクに、レイチェルは大きく首を縦に振る。もっと考える時間があったらその分だけ安全な作戦がひねり出せたのかもしれないが、生憎レイチェルに作戦を考えられるだけの戦闘経験はない。結局のところ、自分にできる全力で男に向かって行くのが一番効果的なように思えた。

「マルクがあたしを守ろうとしてくれてることも、そのために必死に頭を回してることも分かってる。……だけど、あたしのことも頼ってほしいんだ。確かにあたしはこれから約定を果たしに行かなくちゃいけないし、今ここでケガなんかしたら大変なことになる。……だけど、それでもね」

 レイチェルの言葉を遮るように再び迫った土の剣を片手間で交わし、同じように回避したマルクに対して余裕をアピールする。幸いなことに作戦会議を咎める気はないのか、男の攻撃ペースは何も変わっていなかった。

 今まで生きてきた中で、今が一番身体が軽いような気がする。自分のやるべきこととか魔術を練習してきたことの意味とか、『守り手様』が本当にいるのかどうかとか。……今までレイチェルの身体を縛り付けていたいろんな迷いからまとめて解放されたかのような不思議な爽快感が、今レイチェルの中に満ち溢れている。

 だからこそ、レイチェルは自信をもって断言できるのだ。ちょっとカッコつけで、後から振り返ったら恥ずかしくなってしまうかもしれないようなセリフでも、自信を持って。それを裏付けるように、マルクの瞳に移る自分の表情はとてもすっきりとしていて――

「あたしも『夜明けの灯』の一員、マルクたちの仲間で居たいの。……だから、遠慮なんてしないであたしにももたれかかって。たくさんの人に囲まれたとき、あたしの魔術を頼ってくれたみたいに」

 あの時とは状況も危険度も、全ての条件が違うことは分かっている。だけど、あの時の言葉はレイチェルにとって何よりも嬉しいものだった。今も同じように背中を押してくれれば負けることなんてあり得ないと、根拠もないのに揺るぎない確信が胸の内に渦巻いている。

 誰かのために振るう魔術がここまで強力なものであることを、レイチェルは十五年間生きてきて初めて実感することが出来た。敬愛する両親がそうしていたように、この力は大切な人を守るために振るわれるべきものだ。

 御伽噺になった守り手様も、大切な存在を守るために魔術を振るっていた。もしかしたら、その時の心持ちもこんな感じだったのだろうか。……後で顔を合わせた時に聞きたいことが、また一つ増えてしまった。

「大丈夫、あたしは簡単にやられたりなんかしないよ。……だって、マルクと守り手様が一緒に居てくれるんだもん」

 まだ迷うように揺れているマルクの瞳を見据えて、レイチェルは最後の一押しと言わんばかりに宣言する。それが決め手となったのか、マルクは降参と言わんばかりに一つ息を吐いた。

「……ああ、お前の言うとおりだな。今のレイチェルならやれるかもしれないって思ってたけど、多分無意識のうちに提案するのを遠慮してた。情けないところを見せてもいいって言ってくれたのに、それでも俺はカッコつけようとしてあれこれ遠回りをしてたみたいだ」

 強張っていた表情が少しだけ緩んで、声色も切羽詰まったものからわずかな余裕を感じる物へと戻る。剣呑な表情を浮かべているよりよっぽど『らしい』なと、そう思った。

「単純な暴力相手に何もできないリーダーでごめんな、レイチェル。……悪いけど、風穴を開けるために力を貸してくれるか?」

「悪いなんてことないよ、あたしが言い出したことだもん。あたしのこともどんどん頼っていいんだって事、この戦いで教えてあげるんだから」

 苦笑しながら差し出された拳に、レイチェルは笑顔で拳を合わせる。触れ合った部分を通じてマルクの持つ熱が伝わってきたような気がするのは、きっとただの錯覚ではないのだろう。

 状況は決していいものではないのに、不思議ともう負ける気がしない。こんなタイミングで再び迫ってきた攻撃も、なぜだかさっきより動きが鈍っているように見えて。

「――後は任せるぞ、レイチェル‼」

 マルクが思いを託して一足先に大きく跳び退るのも、視界の隅にはっきりと映っている。背中を押すようにまっすぐ突き出された拳に応えるかのように、レイチェルは胸元のペンダントを強く握りしめて――

「うん、そこで見てて! ……あなたが迎えてくれた仲間は、こんなにも強いんだってところを‼」

 思い切り叫ぶと同時、足元から吹きあがった風がレイチェルの身体を宙へと誘う。土の剣はことごとくその足元を通り過ぎて、レイチェルに掠ることすらできない。そして今、レイチェルの視界には攻撃し終わったばかりの男の姿がはっきりと映っている。

「――さあ、反撃開始よ!」
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