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第五章『遠い日の約定』
第三百九十七話『都市を守るということ』
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「……車の、暴走?」
『約定』を穏便に果たすための会談の場に割り込んできた騎士団員が口にした言葉を、ガリウスは思わず復唱する。だが、その報告自体に対する驚きの感情はさほど湧き上がってこなかった。
その代わりに胸の中に去来するのは、『やはりか』という四文字だ。一度『約定』が動き出せば、そのカギになる大規模な魔力リソースの塊――『精霊の心臓』がターゲットにされることは予測済みだし、警告までしっかりしたというのに。それなのに今、ガリウスたちはその所在を把握できずにいる。
「はい、報告によると唐突に車の制御システムが不具合を起こしたとのことで――それに加えて都市内の複数個所では何者かによる襲撃も発生しており、もはや都市は収拾のつかない状況です!」
そんなガリウスの内心など知る由もなく、騎士団員は息を切らしながらも背筋をピンと伸ばして続ける。まじまじと観察すればその隊服には無視できないサイズの赤黒い汚れがいくつも付着しており、襲撃から逃げ切ってここまで来たことが何となく分かった。
『精霊の心臓』を巡って過激派が動いてくる可能性自体は、正直予測していた。だが、その速さとやり口は正直言って想定しきれるものではない。まさか持ち主の来訪のその翌日、加えてベルメウが誇る都市のシステムを乗っ取っての攻撃など、予測出来てしまう方がどうかしているというものだ。
つまるところ、『精霊の心臓』を抱える時間が長くなればなるほどガリウスたちの不利はどんどんと大きくなっていくばかりなわけで。……まだ許容範囲だと譲歩して作った時間は、襲撃者に一線を越えさせるには十分すぎる猶予だったという事なのだろう。
(……この爺があーだこーだとゴネなければ、昨日にも『約定』に臨ませられる可能性はあったんだけどな……)
今となってはもう叶わない可能性を考えながら、ガリウスは長机を挟んで対面する年老いた白髪の男を見やる。もう長い事ベルメウを支えてきたという実績はあるらしいが、ガリウスから言わせてしまえばただ頭が固いだけの面倒な人だ。こういう人間がいるから都市の変革は進まないのだろうなと、話し合いの場を持つと身に沁みて感じさせられる。
名前もはっきりと名乗られたはずだが、ガリウスの中にそれが記憶されることはなかった。……どうせもうすぐ覚える必要もなくなる名前だと、こんな事態だというのにガリウスは冷徹に確信している。
「ベルメウのシステムが、不具合……? デタラメを言うのも大概にしろ、この都市のシステムに異常などありえるはずがない!」
そんな老人は今も、隊員が体に傷を作りながら持ち込んできた意見にそうやって難癖をつけている。都市のシステムに干渉されたのに驚いているという点ではガリウスも同じだが、そこで隊員の言葉を『デタラメ』だと断じてしまうのがこの爺の悲しいところだ。
あまりに長い時間頭を固くしていたものだから、その頭で考えられないことに対して頑としてはねつける以外の対処法を知らないのだろう。その愚かさでベルメウの都市をずっと支えていたと評されていたのかと思うと、この街を回す人々への信頼は急降下していくばかりだった。
「ええい、デタラメを言いに来た騎士などこの場には相応しくないわ! ガリウス君、これは君の部下だろう! それが失礼なことを言っているのだから、さっさとその責任を――」
「――ユノ。……僕の眼を見て、さっきの報告は真実であると断言できるかい?」
まくしたてる爺の言葉を遮り、ガリウスは報告に入ってきた隊員――ユノ・ラウェーズにそう問いかける。この前の春に騎士として配属されたばかりなのに、随分と面倒な場に立たされてしまったものだ。……だが、転じてこれは成長のチャンスでもある。
爺がどれだけ喚いていても、ユノのピンと伸びた背筋が曲がることはなかった。剣幕に気圧されることはあっても、それが姿勢に出ることはなかった。……ならば、後は言葉で示すだけだ。
(騎士団員として決死の覚悟で持ってきた連絡を、お前は今馬鹿にされたんだ。……まさか、それで黙っていられるわけがないよね?)
期待と願いを死線に籠め、ガリウスはユノの返答を待つ。今この場で一番手っ取り早く爺の口を塞げるのは、実際に襲撃を切り抜けてきたユノだけだ。目の前にいる爺が誰かなんて関係ない、ただ自分の中にある騎士としての誇りに沿って答えてくれればそれでいい。
唐突に投げかけられた支部長からの問いかけに、ユノは驚いたような様子でしばらく硬直する。……だが、やがてゆっくりと、しかし深々とユノは首を縦に振って――
「はい、騎士団としての誇りに懸けて! ――誰が何と言おうと、この報告は真実だと断言できます!」
腰に帯びた剣に手を当てながら、ユノは想定していた以上に堂々とした態度でガリウスに対してそう断言する。……その勇ましい表情を見て、思わず笑みがこぼれた。ガリウスの見る目は、どうやら間違ってなどいなかったらしい。
「ああ、よく言ってくれた。そこまで言ってくれるのならば、君の言葉は疑いようもなく真実だ」
大役を果たしたユノにねぎらいの言葉を駆けながら、ガリウスは少し離れた席で事態を静観していたロアルグに視線を投げる。同時多発的な攻撃を相手が仕掛けてきているというのならば、こちらもそれなりの対応をしなければいけなかった。
「ロアルグ、指揮の補佐を頼めるかい? 当代最高の騎士と呼ばれたその実力、存分に振るってもらいたいんだけど」
「言われなくてもそのつもりだ。……当然、お前にもあくせくと働いてもらうぞ?」
打てば響く様なロアルグの返答にガリウスは満足しながら頷き、思考のスイッチを切り替える。都市全体を標的とした襲撃計画を相手にするなど当然初めての経験だが、それでもどうにかしのぎ切るしかガリウスたちの勝機はない。
先手を取られた時点で相当な不利状況ではあるが、ユノが必死に情報を持ってきたおかげでまだ対応の余地はある。だから一刻も早く一人でも多くの騎士団員と合流して、敵勢力の鎮圧を――
「……なんだ。何なんだ、お前たちは」
想定される状況をいくつも脳内に描きながら外に出る準備を進めるガリウスの耳に、しわがれた唸り声のようなものが聞こえてくる。……それがはらむ感情を敏感に感じ取って、ガリウスは思い切り顔をしかめた。
「何も言わずに見ておけばなんだ今の茶番は、それが信じる根拠になるというのか⁉ 儂を誰だと思っておる、この儂の判断よりも信用できるものがこの都市にあるとでも――」
「あるに決まってるでしょ。言っておきますが、『何なんだ』はこっちのセリフです」
まだ頭を切り替えられない哀れな老人に向かって弩級の軽蔑を叩きつけながら、ガリウスは食い気味に即答する。……その視界の隅で、なぜかユノが震えあがっているのが見えた。
「『約定』に対する許可も先例がなんだと言って出し渋り、この会場設定も日程設定もゴネにゴネて僕の睡眠時間を削ってくる上に、挙句の果てには僕の優秀な部下の言葉を『茶番』と断じる。――逆にお伺いしますが、なんでそんな人間の言葉に重みが生まれるとお思いで?」
今までこの爺が騎士団にかけてきた迷惑を指折り数えながら、ガリウスは早口でまくし立てる。年老いたせいで劣化しているであろう聴力でどこまで聞き取れているかは定かではないが、そんなことすらどうでもよかった。……頭が固いという表現だけで擁護しきれなくなってきたこの爺の事情に付き合ってやる必要など、爪の先ほども存在しないのだから。
「あなたの思い描くベルメウがどれだけ理想郷なのかは知りませんが、少なくとも現実にはたくさんの問題が横たわっています。……その中には、貴方が愚かなせいで解決されない問題も残っていることでしょう」
「な、な、な……‼」
もはや嫌悪感を取り繕う事もしなくなったガリウスの言葉に、爺は体をわなわなと震わせながら口をパクパクと開閉させている。『酸素を求める魚みたいだ』――なんて喩えは、こんなのと比較させられる魚に申し訳ないから思うだけにとどめておいた。
「若造が、儂を何だと心得る! ベルメウの在り方を最も知る人間、バジ――」
「貴方の名前とか経歴とか知ったこっちゃありませんよ。これ以上話したところで時間の無駄だというのはよーく分かりました」
まるで権威を振りかざすように名乗ろうとしたその言葉を遮って、ガリウスはくるりと爺から背を向ける。……少しでもこちらに歩み寄る気配があるならもう少し譲歩してやらないでもなかったが、ここまで頑固だともうつける薬もなさそうだ。
「では、貴方の言葉を一部ですが信じることにしましょう。ユノが報告することを信じるならばこの会場の外にはすでに危険が存在しているでしょうが、僕たちは貴方に対して護衛を付けない。……この街が危険と無縁な場所であるというのなら、当然それに文句はありませんよね?」
努めて冷静な声で、怒りや当てつけの感情を感じ取られないように。あくまで『貴方の言葉を聞き入れましたよ』という態度を装いながら、ガリウスは爺に対してそう提案する。いっそのこと勘違いを抱えたままこの爺が死んでも構わないと、そんな思いすら胸の中にはあった。
ロアルグは騎士団の理想として『全ての人を守る』などとよく言うが、ガリウスにとってそれは夢物語でしかない。どうしたって救いようのない人間と言うのはいて、それを救おうと手を伸ばせばこっちがどんどん傷ついていくだけだ。アレを説得するために浪費した時間にも、未来ある命はどんどん失われていくかもしれないというのに。
支部長として、ガリウスの役割は『この都市を守ること』だ。この都市が明日も日常を迎えられるために、都市として死ぬことがないように、影に日向に守り続ける。……そして今、ガリウスの中では結論が出た。この爺が居なくなろうとも、ベルメウの都市機能に支障をきたすことはないだろう。
「では、そういう事なので僕たちはこれで。……ああそうだ、『約定』を動かす許可はもらったという事にしておきますね。なんせ僕たちにとっては緊急事態なので」
どうせ貴方はこれを生き延びられませんし――と、ガリウスは内心だけでそう付け加えておく。起きている事実を事実として受け止められない人間が、危険と隣合わせの状況を単独で生き抜くなんて到底あり得ない話だ。
「おい待て、本気で言っているのか! 儂の身に何かあれば、ベルメウと言う都市全体にとっての損失となるのだぞ‼」
言いたいことをあらかた言い終えて退出しようとするガリウスの背中に、少しだけ必死さを増した爺の声が届く。本当だったらもう何を言われても聞く耳を持つ気はなかったのだが、そのあまりの思い上がりっぷりだけはどうしても看過できなかった。
「ええ、本気で言っていますとも。本気ついでに、一つ僕の考えを申し上げさせていただくと――」
ガリウスに先立って騎士団の面々が外へと向かって行く中、ガリウスは足を止めて爺のしわに塗れた顔を一瞥する。その顔にはなおも自尊心がみなぎっていて、思わず口からこぼれるため息を抑え込むことが出来ない。
しわには人生の苦労が刻まれるなんて言うが、それもすべての人に適用されるわけじゃないらしい。あの顔のしわに刻まれているのは、自分の思うままにこの都市を動かしてきた経験だ。それが思い上がりを生み、この都市の膿としてアレを傲慢に居座らせ続けている。
そんな哀れな姿に引導を渡してやるのも、面倒ではあるが若い世代の役割という事なのだろう。……そんな思いを込めて、ガリウスはゆっくりと息を吸い込むと――
「――テメェ一人の死で崩壊するほどベルメウはヤワじゃねえよ、思い上がるな」
いつも意図的に丁寧にしている口調をあえて崩して言い放ち、ガリウスは部屋を後にする。……振り向く直前に見えた爺の豆鉄砲を食らったような顔が、ちょっとだけ痛快だった。
『約定』を穏便に果たすための会談の場に割り込んできた騎士団員が口にした言葉を、ガリウスは思わず復唱する。だが、その報告自体に対する驚きの感情はさほど湧き上がってこなかった。
その代わりに胸の中に去来するのは、『やはりか』という四文字だ。一度『約定』が動き出せば、そのカギになる大規模な魔力リソースの塊――『精霊の心臓』がターゲットにされることは予測済みだし、警告までしっかりしたというのに。それなのに今、ガリウスたちはその所在を把握できずにいる。
「はい、報告によると唐突に車の制御システムが不具合を起こしたとのことで――それに加えて都市内の複数個所では何者かによる襲撃も発生しており、もはや都市は収拾のつかない状況です!」
そんなガリウスの内心など知る由もなく、騎士団員は息を切らしながらも背筋をピンと伸ばして続ける。まじまじと観察すればその隊服には無視できないサイズの赤黒い汚れがいくつも付着しており、襲撃から逃げ切ってここまで来たことが何となく分かった。
『精霊の心臓』を巡って過激派が動いてくる可能性自体は、正直予測していた。だが、その速さとやり口は正直言って想定しきれるものではない。まさか持ち主の来訪のその翌日、加えてベルメウが誇る都市のシステムを乗っ取っての攻撃など、予測出来てしまう方がどうかしているというものだ。
つまるところ、『精霊の心臓』を抱える時間が長くなればなるほどガリウスたちの不利はどんどんと大きくなっていくばかりなわけで。……まだ許容範囲だと譲歩して作った時間は、襲撃者に一線を越えさせるには十分すぎる猶予だったという事なのだろう。
(……この爺があーだこーだとゴネなければ、昨日にも『約定』に臨ませられる可能性はあったんだけどな……)
今となってはもう叶わない可能性を考えながら、ガリウスは長机を挟んで対面する年老いた白髪の男を見やる。もう長い事ベルメウを支えてきたという実績はあるらしいが、ガリウスから言わせてしまえばただ頭が固いだけの面倒な人だ。こういう人間がいるから都市の変革は進まないのだろうなと、話し合いの場を持つと身に沁みて感じさせられる。
名前もはっきりと名乗られたはずだが、ガリウスの中にそれが記憶されることはなかった。……どうせもうすぐ覚える必要もなくなる名前だと、こんな事態だというのにガリウスは冷徹に確信している。
「ベルメウのシステムが、不具合……? デタラメを言うのも大概にしろ、この都市のシステムに異常などありえるはずがない!」
そんな老人は今も、隊員が体に傷を作りながら持ち込んできた意見にそうやって難癖をつけている。都市のシステムに干渉されたのに驚いているという点ではガリウスも同じだが、そこで隊員の言葉を『デタラメ』だと断じてしまうのがこの爺の悲しいところだ。
あまりに長い時間頭を固くしていたものだから、その頭で考えられないことに対して頑としてはねつける以外の対処法を知らないのだろう。その愚かさでベルメウの都市をずっと支えていたと評されていたのかと思うと、この街を回す人々への信頼は急降下していくばかりだった。
「ええい、デタラメを言いに来た騎士などこの場には相応しくないわ! ガリウス君、これは君の部下だろう! それが失礼なことを言っているのだから、さっさとその責任を――」
「――ユノ。……僕の眼を見て、さっきの報告は真実であると断言できるかい?」
まくしたてる爺の言葉を遮り、ガリウスは報告に入ってきた隊員――ユノ・ラウェーズにそう問いかける。この前の春に騎士として配属されたばかりなのに、随分と面倒な場に立たされてしまったものだ。……だが、転じてこれは成長のチャンスでもある。
爺がどれだけ喚いていても、ユノのピンと伸びた背筋が曲がることはなかった。剣幕に気圧されることはあっても、それが姿勢に出ることはなかった。……ならば、後は言葉で示すだけだ。
(騎士団員として決死の覚悟で持ってきた連絡を、お前は今馬鹿にされたんだ。……まさか、それで黙っていられるわけがないよね?)
期待と願いを死線に籠め、ガリウスはユノの返答を待つ。今この場で一番手っ取り早く爺の口を塞げるのは、実際に襲撃を切り抜けてきたユノだけだ。目の前にいる爺が誰かなんて関係ない、ただ自分の中にある騎士としての誇りに沿って答えてくれればそれでいい。
唐突に投げかけられた支部長からの問いかけに、ユノは驚いたような様子でしばらく硬直する。……だが、やがてゆっくりと、しかし深々とユノは首を縦に振って――
「はい、騎士団としての誇りに懸けて! ――誰が何と言おうと、この報告は真実だと断言できます!」
腰に帯びた剣に手を当てながら、ユノは想定していた以上に堂々とした態度でガリウスに対してそう断言する。……その勇ましい表情を見て、思わず笑みがこぼれた。ガリウスの見る目は、どうやら間違ってなどいなかったらしい。
「ああ、よく言ってくれた。そこまで言ってくれるのならば、君の言葉は疑いようもなく真実だ」
大役を果たしたユノにねぎらいの言葉を駆けながら、ガリウスは少し離れた席で事態を静観していたロアルグに視線を投げる。同時多発的な攻撃を相手が仕掛けてきているというのならば、こちらもそれなりの対応をしなければいけなかった。
「ロアルグ、指揮の補佐を頼めるかい? 当代最高の騎士と呼ばれたその実力、存分に振るってもらいたいんだけど」
「言われなくてもそのつもりだ。……当然、お前にもあくせくと働いてもらうぞ?」
打てば響く様なロアルグの返答にガリウスは満足しながら頷き、思考のスイッチを切り替える。都市全体を標的とした襲撃計画を相手にするなど当然初めての経験だが、それでもどうにかしのぎ切るしかガリウスたちの勝機はない。
先手を取られた時点で相当な不利状況ではあるが、ユノが必死に情報を持ってきたおかげでまだ対応の余地はある。だから一刻も早く一人でも多くの騎士団員と合流して、敵勢力の鎮圧を――
「……なんだ。何なんだ、お前たちは」
想定される状況をいくつも脳内に描きながら外に出る準備を進めるガリウスの耳に、しわがれた唸り声のようなものが聞こえてくる。……それがはらむ感情を敏感に感じ取って、ガリウスは思い切り顔をしかめた。
「何も言わずに見ておけばなんだ今の茶番は、それが信じる根拠になるというのか⁉ 儂を誰だと思っておる、この儂の判断よりも信用できるものがこの都市にあるとでも――」
「あるに決まってるでしょ。言っておきますが、『何なんだ』はこっちのセリフです」
まだ頭を切り替えられない哀れな老人に向かって弩級の軽蔑を叩きつけながら、ガリウスは食い気味に即答する。……その視界の隅で、なぜかユノが震えあがっているのが見えた。
「『約定』に対する許可も先例がなんだと言って出し渋り、この会場設定も日程設定もゴネにゴネて僕の睡眠時間を削ってくる上に、挙句の果てには僕の優秀な部下の言葉を『茶番』と断じる。――逆にお伺いしますが、なんでそんな人間の言葉に重みが生まれるとお思いで?」
今までこの爺が騎士団にかけてきた迷惑を指折り数えながら、ガリウスは早口でまくし立てる。年老いたせいで劣化しているであろう聴力でどこまで聞き取れているかは定かではないが、そんなことすらどうでもよかった。……頭が固いという表現だけで擁護しきれなくなってきたこの爺の事情に付き合ってやる必要など、爪の先ほども存在しないのだから。
「あなたの思い描くベルメウがどれだけ理想郷なのかは知りませんが、少なくとも現実にはたくさんの問題が横たわっています。……その中には、貴方が愚かなせいで解決されない問題も残っていることでしょう」
「な、な、な……‼」
もはや嫌悪感を取り繕う事もしなくなったガリウスの言葉に、爺は体をわなわなと震わせながら口をパクパクと開閉させている。『酸素を求める魚みたいだ』――なんて喩えは、こんなのと比較させられる魚に申し訳ないから思うだけにとどめておいた。
「若造が、儂を何だと心得る! ベルメウの在り方を最も知る人間、バジ――」
「貴方の名前とか経歴とか知ったこっちゃありませんよ。これ以上話したところで時間の無駄だというのはよーく分かりました」
まるで権威を振りかざすように名乗ろうとしたその言葉を遮って、ガリウスはくるりと爺から背を向ける。……少しでもこちらに歩み寄る気配があるならもう少し譲歩してやらないでもなかったが、ここまで頑固だともうつける薬もなさそうだ。
「では、貴方の言葉を一部ですが信じることにしましょう。ユノが報告することを信じるならばこの会場の外にはすでに危険が存在しているでしょうが、僕たちは貴方に対して護衛を付けない。……この街が危険と無縁な場所であるというのなら、当然それに文句はありませんよね?」
努めて冷静な声で、怒りや当てつけの感情を感じ取られないように。あくまで『貴方の言葉を聞き入れましたよ』という態度を装いながら、ガリウスは爺に対してそう提案する。いっそのこと勘違いを抱えたままこの爺が死んでも構わないと、そんな思いすら胸の中にはあった。
ロアルグは騎士団の理想として『全ての人を守る』などとよく言うが、ガリウスにとってそれは夢物語でしかない。どうしたって救いようのない人間と言うのはいて、それを救おうと手を伸ばせばこっちがどんどん傷ついていくだけだ。アレを説得するために浪費した時間にも、未来ある命はどんどん失われていくかもしれないというのに。
支部長として、ガリウスの役割は『この都市を守ること』だ。この都市が明日も日常を迎えられるために、都市として死ぬことがないように、影に日向に守り続ける。……そして今、ガリウスの中では結論が出た。この爺が居なくなろうとも、ベルメウの都市機能に支障をきたすことはないだろう。
「では、そういう事なので僕たちはこれで。……ああそうだ、『約定』を動かす許可はもらったという事にしておきますね。なんせ僕たちにとっては緊急事態なので」
どうせ貴方はこれを生き延びられませんし――と、ガリウスは内心だけでそう付け加えておく。起きている事実を事実として受け止められない人間が、危険と隣合わせの状況を単独で生き抜くなんて到底あり得ない話だ。
「おい待て、本気で言っているのか! 儂の身に何かあれば、ベルメウと言う都市全体にとっての損失となるのだぞ‼」
言いたいことをあらかた言い終えて退出しようとするガリウスの背中に、少しだけ必死さを増した爺の声が届く。本当だったらもう何を言われても聞く耳を持つ気はなかったのだが、そのあまりの思い上がりっぷりだけはどうしても看過できなかった。
「ええ、本気で言っていますとも。本気ついでに、一つ僕の考えを申し上げさせていただくと――」
ガリウスに先立って騎士団の面々が外へと向かって行く中、ガリウスは足を止めて爺のしわに塗れた顔を一瞥する。その顔にはなおも自尊心がみなぎっていて、思わず口からこぼれるため息を抑え込むことが出来ない。
しわには人生の苦労が刻まれるなんて言うが、それもすべての人に適用されるわけじゃないらしい。あの顔のしわに刻まれているのは、自分の思うままにこの都市を動かしてきた経験だ。それが思い上がりを生み、この都市の膿としてアレを傲慢に居座らせ続けている。
そんな哀れな姿に引導を渡してやるのも、面倒ではあるが若い世代の役割という事なのだろう。……そんな思いを込めて、ガリウスはゆっくりと息を吸い込むと――
「――テメェ一人の死で崩壊するほどベルメウはヤワじゃねえよ、思い上がるな」
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