修復術師のパーティメイク――『詐欺術師』と呼ばれて追放された先で出会ったのは、王都で俺にしか治せない天才魔術師でした――

紅葉 紅羽

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第五章『遠い日の約定』

インタールード④『取り戻すべきもの』

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 時の流れと言うものは残酷で、全ての事象を平等に押し流していく。楽しかった時間も、狂おしいぐらいの後悔も、はたまた何も成せなかった空白の時間でさえも。時間の前には全てが平等に押し流され、生きれば生きるほど過去からは遠ざかっていくことしかできない。となれば、遠くに流された過去であるほど手繰り寄せて取り戻すのが難しいのは自明の理なわけで――

「――本当に、良かった」

 天蓋付きのベッドに横たわり時折唸り声を上げながら身じろぎするマルクの姿を見つめながら、クライヴはぽつりと呟く。クライヴがずっと取り戻そうと足掻いてた過去が、今クライヴの目の前にはあった。

 やはり修復術の影響が大きいのか、奪還から五日経ってもマルクが目覚める気配はない。それほどまでに封じられていた過去はマルクにとって大きな意味を持ち、絶対に無視などできないものだ。……会えなかった数年の間のマルクが、別の大切な存在を見つけ出していたのだとしても。

 こうして実際に取り戻すまでは、記憶の戻ったマルクと会話できなければ満足できないと思っていた。だが、今こうしてマルクを見つめているクライヴの胸の中には確かな感慨が広がっている。クライヴの大切な一切合切を取り戻すための第一歩が、数年越しにようやく踏み出されたのだ。

 たとえどれだけ遠くに押し流されようと、クライヴの力があれば過去に手を伸ばすことが出来る。過去に取り落とした――否、奪われてしまった愛しい存在でさえも、この力があれば再びこの胸の中に抱き寄せられる。魔力を意のままに書き換える、『修復術』の力さえあれば。

 その名前とは裏腹に、この魔術の本質はどうしようもなく暴力的だ。魔術神経の修復などあくまでその副産物、本質は魔力の支配と歪曲に他ならない。自分たちの祖先にはよほどネーミングセンスがなかったのだろうと、クライヴは顔をしかめながらそう思う。

 世界のどこに行っても魔力とは無縁でいられないこの世界で修復術を完全に扱えるようになれば、それはもはや世界の全てを掌握したに等しい。計画が完遂された暁には、世界のあらゆる事象はクライヴに掌握され、思うがままに世界を歪曲させることさえできるだろう。……幼いクライヴの運命をこれ以上ないほどに歪めてみせた、あの忌々しい修復術師たちのように。

「……君もちゃんと思い出しているよね、マルク」

 身じろぎすることによって少し剥がれかけた毛布を掛け直しながら、クライヴはまたぽつりと呟く。クライヴの人生もさることながら、より修復術師の毒牙の影響を強く受けているのはマルクだろう。こうしてクライヴが助けに行くまで、彼は自らが毒牙にかかったことすら忘れていたのだから。

 クラウスで実験してはっきりした通り、修復術は人の記憶にまで干渉できる代物だ。思考回路を形作る脳に修復を施し、特定の記憶に思考がたどり着くのを阻害する。他者の記憶に鍵付きの箱を勝手に作り上げる、と言えば分かりやすいだろうか。

 クライヴはそのカギを握り締めていられたからどうにか抗えたが、マルクに至っては鍵の存在までもが箱の中へと放り込まれてしまった。故に一人では絶対に記憶を取り戻せず、強引に触れようとすれば凄まじい頭痛が襲い掛かる。こうして五日間眠り続けているのも、箱の中に詰め込まれていた記憶があまりにも多すぎたからなのだろう。

 その整理を終えて目覚めた時、マルクはどんな目を向けてくれるのだろうか。あの時と同じ呼び方で、クライヴの事を呼んでくれるだろうか。……クライヴが掲げる旗に、付いてきてくれるだろうか。

 付いてきてくれるならいい、そうなればクライヴの計画はほぼ完成されたも同然だ。だが、もしそうじゃなければ。……クライヴの知らないところで積み重ねた記憶の存在がマルクの事を変えてしまっていたら、その時は。

「お願いだ。……強引な手だけは、取らせないでくれよ」

 一瞬頭によぎった不穏な予感を振り切り、代わりに懇願するような言葉を口から絞り出す。クライヴが望む全てを取り戻すためには、マルクの力はどうやっても必要になる。マルクの事を傷つけたくないのは本心だが、気持ちが同じ方向を向けないのなら強引な手もやぶさかではなかった。

 大丈夫だ、特別な存在の間で優先順位を付けているわけじゃない。マルクの力を借りられれば、全てを取り戻すための道はグッと近づく。そうしてすべてが覆りさえすれば、クライヴ達は本当の幸せをつかみ取ることが出来る――

「――邪魔するぜ、大将」

 そんなクライヴの思索を断ち切るように、軽薄な印象を抱かせる声が扉の方から聞こえてくる。ふと振り向けば、そこにはアグニ・クラヴィティアが片手を上げながら立っていた。

「……アグニか」

「おう、大将はすっかりここがお気に入りになっちまったな。普段は百パーセントの警戒心もここじゃ薄れまくってるし、かなり油断してるのが後ろ姿からでも分かるぜ?」

 決して歓迎していないであろう低い声色を意に介することもなく、アグニは掲げた手を左右に振りながら歩み寄る。クライヴも随分と色々な人間を見てきたという自負があるが、アグニと言う人物だけはいつまで経っても読み切れる気がしなかった。

 クライヴが明確な目標をもって計画を遂行しているように、人と言うのはしばらく関われば少なからず『底』を晒す生き物だ。どんな道のりを辿って今の考えに至ったのか、その思想の原点には一体何が隠れているのか。……クライヴが今こうして組織を作れているのは、『底』を見つけ出す目が人よりも優れていたのが大きな要因だった。

 だが、アグニに関しては例外だ。彼がどんな出来事を経験して、そしてクライヴに付き従うようになったのか。それは知っている。だが、いつまで経ってもアグニは底を晒さない。諦念を纏いながらも足を止めることをやめないその在り方に行きつくきっかけを、クライヴはまだ見つけることが出来ずにいる。

「そんな調子じゃあ、大将もあっけなく寝首を掻かれちまうかもしれねえな。何せスパイの在籍経験もあった寄せ集めの組織だ、お前さんの首を取ろうって息巻いてる奴もいないとは限らねえぜ?」

「安心しなよ、自分に向けられる殺意に関しては常に敏感でいるつもりだ。……もし僕の寝首をかけるんだとしたら、その首謀者は十中八九君だろうね」

 結局のところ、利害が一致していれば離反を起こす意味は生まれないのだ。どれだけ根源にある思想が違おうと、ここが個々人の望みを叶えらえる組織であればいい。離反されては困るような人材達には、望みを叶えるのに十分な環境を提供しているつもりだ。

 だからこそ、離反を起こすとしたらその『望み』が何なのかそもそも分からないような人間でしかない。となれば、消去法で離反の首謀者はアグニ以外にあり得ないだろう。

「おいおい、オッサンにそんなことをする度胸はねえよ。俺みたいな大人になっちまった人間には世界をひっくり返すなんてことは出来ねえし、それを言葉にして見せるだけの気概もとうに枯れちまってる。だからこそ大将を支えることを俺は選んだんだぜ?」

 だからその穏やかじゃねえ目をよしてくれよ――と。

 わざとらしく手を左右に振りながら、アグニは自嘲気味な笑みを浮かべる。その答えを受けて、クライヴは『冗談だよ』と笑みを浮かべた。

「君がどうしてそんな人間になったかは知らないけど、君のゴールが僕の目指すものと一致してるのは確かだ。……ともすれば、他の幹部たちよりも明確にね」

「そうだぜ、だから俺は大将に夢を見てる。その夢を叶えるためにそこの眠り姫が絶対に必要だってんなら、俺は恭しくかしずいて歓迎してやるぜ。何なら執事の真似事だってやってやる」

 妙に様になっている執事の礼をして見せながら、アグニは何の迷いもなく即答する。アグニもマルクとは個人的な因縁があるという話だったが、それを持ち出してくる気はさらさらないらしい。……アグニを重用したのは正解だったと、改めてそう思った。

「……相変わらず、君にはプライドとか尊厳って言葉が通用しそうにないね」

 そんな評価を内心に押しとどめて、クライヴは笑みを浮かべる。軍師として頭角を現し始めた時から分かっていたことではあったが、やはりアグニにその手のしがらみは何もないようだ。

 だからこそ戦い方にこだわりもなく、ただ目的の完遂のみを目的としてアグニは動く。単純な戦闘力と言う面では他の幹部たちに劣るかもしれないが、計画の遂行力から見た時のアグニの能力はトップクラスと言っていいだろう。

「そりゃそうだ、オッサンの手の中に収まる物の量なんてたかが知れてるからな。それをこぼさないようにぎゅっと握り締めちまったら、プライドだの何だのが割って入る隙間なんてどこにもねえよ」

 答えに合わせて両手で作った器をグッと握りしめ、アグニはけらけらと乾いた笑みを浮かべる。それは年を取った自らへの嘲りなのか、それとも手の中だけは何があろうと取りこぼさないという不遜な宣言なのか。……いずれにせよ、クライヴにとっては好ましいものだ。

「ああ、僕も同感だよ。本当に守りたい存在だけを強く強く握りしめて、他の全てを踏み台にする。……そうでもしなきゃ、僕達の理想には届かない」

「正論だな。大将の場合、その『守りたい存在』の範囲が俺と比べて明らかにデカい気がしないでもないけどよ。……まあなんだ、それが才能の差って奴なんだろうな」

 クライヴの答えに苦笑して、アグニはくるりと背を向ける。そのまま扉の方に向かって数歩歩いたその後、アグニはいつになく真剣な声を発した。

「お前さんは、願いを果たすのに不要な物を全て食い荒らせる人間だと俺は見込んでる。……オッサンからかけられる期待にしちゃあ何とも気色悪いかもしれねえが、裏切らないでいてくれるよな?」

 底を見せないアグニが時折見せる、お茶らけた在り方を一切排除した態度。それの中でもこの問いはさらに重たいようなものに思えて、クライヴの背筋がかすかに震える。……この問いには誠意をもって答えなければならないと、本能がそう結論付けた。

「ああ、もとよりそのつもりさ。僕は何があっても大切な存在を取り戻す。組織も君たちも、そのためにかき集めた踏み台に過ぎないよ」

 クライヴの計画が完遂されたとき、きっと組織の面々はその犠牲となるだろう。彼らの望みはきっと叶わず、その時初めて彼らはクライヴが立てた計画の本質を知るはずだ。

 そうなるように意識して行動しているし、切り離されるその時が来るまでは不満なく在れるようにクライヴも最大限気を遣って動いている。……でも、それでも。

「……ああ、それならよかった。そうやって断言できるお前さんだからこそ、俺は安心してその背中を押してやれるぜ」

――アグニだけは自らの本懐を果たすのではないかと、そう思った。
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