修復術師のパーティメイク――『詐欺術師』と呼ばれて追放された先で出会ったのは、王都で俺にしか治せない天才魔術師でした――

紅葉 紅羽

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第六章『主なき聖剣』

第五百十三話『深化する影』

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『あの時と同じだ』と、本能が絶叫する。クライヴの前に倒れた時と同じ、意識外からの一手に命を脅かされる感覚。……それと同じだけの圧迫感を、眼前に迫るツバキは纏っている。

 剣を取り落としたことによって迎撃の策は潰え、リリスには前に踏み込むことの大きすぎるリスクだけが残った。このまま行けば負けしかない状況を覆すには、少し強引な仕切り直しが必要だろう。

「……ま、だぁッ‼」

 足の裏で地面を思い切り叩き、それを起点として風を炸裂させる。リリスとツバキの間に割って入るようにして生まれた突風は、お互いの身体を後方へと吹き飛ばした。

 ここから反撃につなげる術はないが、距離が開けばツバキにリリスを仕留められるだけの攻撃手段はない。今必要なのはゼロからの仕切り直し、一度握られてしまった主導権を放棄させることだ。

 距離が開くに伴って影がリリスの腕から離れ、それをきっかけとして腕の感覚が嘘のように復活する。あの至近距離でリリスに絡みついたあの影こそがツバキの新しい手札なのだと、リリスは身を以て思い知らされていた。

「あちゃ、あと一歩足りなかったか。……でもまあ、新しいボクのお披露目としては十分かな?」

「十分なんてもんじゃないわよ。模擬戦だってのに冷や汗がとまらなくて困るわ」

 お互いに体勢を立て直しながら、向かい合って言葉を交換する。ギリギリの接近戦を演じたこともあり、二人の額には玉のような汗がにじんでいた。

 それのどれだけが激しい運動によるもので、どれだけが冷や汗なのかは自分にも分からない。だが、リリスの想像をはるかに超えた戦いになっていることだけは確かだ。ツバキの持つ手札には、一撃で勝負を決定づけるほどの圧力がある。

(……でも、やりようが全くないってわけじゃない)

 十五メートルほど離れた位置からツバキの全身を観察しつつ、リリスは細かく足を地面に打ち付けながら小さく言葉を紡ぐ。まるで軽やかなステップでも踏んでいるかのようなそのリズムに従って背後に氷の武装が装填され、影を従えるツバキへと照準を合わせていた。

「それじゃあ、ここからは第二ラウンドって所かしら。勿論、判定勝ちなんて野暮はしないわよね?」

「しないさ、そんなんじゃボクがワガママを言った意味がなくなるからね。……今できること全てをつぎ込んで、ボクは君に挑戦するんだ」

 次々と数を増やしていく氷の武装に応えるかのように、ツバキもまた影を体から伸ばしていく。伸びた影の一つ一つがリリスにとっては未知の脅威であり、直接傷つける以外ならば何でも仕掛けてくる可能性の塊だ。……当然、全て捌き切らなければ勝機はない。

 呼吸を整え、もう一度イメージを強く描き直す。今求められているのは、影に上塗りされようと消えることのない鮮やかな色だ。……それが出来なければ、リリスが作り上げた全ては影に飲み干される。

「……上等よ」

 足元に渦巻く風の感触さえも疎ましいほどに研ぎ澄まされていく感覚の中、リリスの頬が無意識に吊り上がる。影魔術師として一皮むけたツバキへ向けられた感情は、何も驚きと焦燥感ばかりではなかった。

 認めよう。リリスの心は今、たまらなく高揚している。綺麗な景色を目の当たりにしたときのように、始めて自分たちの家を持った時のように。……底知れない可能性を携えて大きく飛躍した相棒の姿に、リリスの心臓は高鳴っている。

 超えられるのだろうかと、そんな疑問が頭をよぎる。影魔術が持つ可能性をより深く引き出したツバキに、今の自分は勝てるのか。――自問に対する答えは、この戦いを駆け抜けた先にしかないわけで。

「……行くわよ、ツバキ‼︎」

 地面を蹴り、氷の剣を手元に作り上げながら背後に装填した弾丸を一斉に発射する。一発一発丁寧に狙いを定めているわけではないが、それ故にこの一斉掃射を完璧にしのぎ切るのは困難だ。もしも弾丸に意識の全てが持っていかれるようであれば、リリスの手に握られた剣がツバキの喉元に突きつけられることとなるだろう。

 一撃の鋭さで届かないのなら、いつも通りの物量で押し切る。どちらのプランも高水準でこなせるからこそ、リリスは王都最強の一角足りえるのだ。

「なるほど、今までリリスと向かい合ってきた人たちはこれを相手にしてたわけだ。……はははっ、こりゃ凄いや」

 剣が、槍が、斧が、氷で作られた種々様々な武装が弾丸の如く飛来する光景を前にして、ツバキは楽しそうに笑いながら身を低くする。その手のひらが地面に触れた瞬間、音もなく影の領域がツバキの周囲に展開された。

 それは今までに何度も助けられてきた、音や匂い、そして視線をも遮断する絶対的な隠密空間だ。故に領域内に飛び込んだ武装たちの末路を見届けることは出来ず、その中でツバキがどんな手を打っているかもリリスには分からないままだ。――だがしかし、それでもリリスにとって都合のいい展開になっていないであろうことは想像に難くない。

 再び足踏みして武装の増産を打ち止めにしてから、リリスは影の領域を丁寧に観察する。しばらくして現れた時と同じように音もなく影が消え去った後、そこには整然と積み重ねられた氷の武装に囲まれるようにして立つツバキの姿があった。

「生憎だけど、ボクに真正面からの飛び道具は通じないよ。遠くからボクを倒したいなら、狙撃手にでもなって狙いすました一撃を放たなくっちゃ」

 弾丸としての役目を剝奪された武装の山から抜け出しつつ、ツバキは悪戯っぽく笑う。今まで数多の敵を押し切って来た物量押しも、ツバキ・グローザには通用しない。アドバイスされた通り一撃に賭けてみたところで、それもこの戦いの決定打にはならないだろう。

 最も頼りにしてきた手札も潰され、リリスの打つ手はどんどんと数を絞られていく。一度は遠ざけたはずの敗北の足音が再び近づいてくる中で、しかしリリスは笑みを深めながら口を開いた。

「ええ、最初から分かってたわよ。――今の貴女に、単純な力押しが通用しないことぐらいね」

 軽く足を踏みながら、一度は止めた足を再びツバキの方へ向けて動かし始める。それに呼応するようにして、ツバキの背後に積み重ねられた武装の内の一つがパキリと割れるような音を立てた。

 それを聞いてとっさに振り向いたツバキに、此の模擬戦を通じて初めて焦りの色が滲む。それはツバキにとっても既知の一手、完全に想定の余地がないわけではない策だ。……まあ、今まで見せてきた者とは少々『種』の形が違うのだけれど。

『式句』を設けることで複雑な術式も単純化され、その分改良や進化の余地が生まれる。今ツバキを驚かせているそれも、言うなればその一端と言うわけで――

「――さあ、咲き誇りなさい‼」

 高らかに吠えた瞬間、ツバキの背後に積みあがった武装の山が一つの氷の波となってツバキの背後を侵食する。種が芽を伸ばしやがて花を咲かせるように、武装の中にあらかじめ仕込まれていた大量の魔力は今存分に世界を染め上げている。

「これは、ちょっとだけマズいな……‼」

「逃がさないわよ、ツバキ。貴女の強さへの敬意を込めて、ここで確実に決着を付けるわ」

 背後から侵食してくる氷にツバキが対比の姿勢を見せた瞬間、思い切り踏み込んでリリスは宙を舞う。狙い自体は至極単純な挟み撃ちだが、氷の規模が大きい分その効果はてきめんだ。……複雑な策の練り合いでツバキに勝てるわけがない事ぐらい、リリスは戦う前からわかり切っている。

 あちらもすぐにその狙いを察したのか、させまいと腕を振るって影をリリスへと差し向けてくる。相棒として並び立っている時の影は頼もしい武装だが、この影は触れた部位の感覚を一時的に『喰らう』驚異的な代物だ。腕が呑まれてしまえば最後、魔術の精度は大幅に低下することになるだろう。

 ツバキの狙いがわかり切っているからこそ、リリスは手を軽く打ち鳴らす。それを合図として空中に氷の足場が生み出され、それを蹴ることで再度加速した体は伸ばされた影を完全にかわし切った。

「くそっ、もう対応してくるのか……‼」

「同じ手に何度もやられちゃ冒険者としても護衛としても失格だもの。……さあ、決着と行きましょ」

 氷の足場を経由しつつツバキへと肉薄し、氷魔術の展開準備を整える。これで前方が覆いつくされれば挟撃の完成、ツバキは確実に氷の中へと閉じ込められる。寸止めがルールの模擬戦ならここいらが潮時だろうなんて考えも頭をよぎった、その時の事だった。

「――まだだよ。確かに君は強いけど、まだ戦いは終わっちゃいない」

 リリスの内心を見透かすかのように、ツバキは凛とした声で宣言する。その瞳は今も戦意を色濃く宿し、越えるべき好敵手だけを一身に映し出していて。

「――『影写しの一』」

 その思いを形にするかのように、ツバキは初めて明確な『式句』を口にする。……瞬間、ツバキの周囲を漂う影の気配が一段と強まったのをリリスの肌は感じ取った。
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