修復術師のパーティメイク――『詐欺術師』と呼ばれて追放された先で出会ったのは、王都で俺にしか治せない天才魔術師でした――

紅葉 紅羽

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第六章『主なき聖剣』

第五百四十四話『記憶の価値は薄れない』

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「……夢の世界って、思った以上に何でもありだったんだな」

 何の変哲もないステッキを拾い上げながら、俺は首をかしげる。わざわざ使うぐらいだから何か仕掛けの類はあるのだろうと思っていたが、修復術を試してみても手ごたえ一つ返ってこない。種も仕掛けもないただ真っ黒なだけのステッキが、この戦いで得た唯一の戦利品だった。

 夢に干渉する以上仕方ないことなのかもしれないが、どうやら現実で戦う事になった時の備えをウォルターは何一つとしてしていないらしい。懐を探ってみても短刀なんて一本も隠されていなかったし、何ならステッキ以外の持ち物は皆無だったし。

 何か使える物や情報はないかと結構丁寧に探したのだが、それに見合った収穫は何一つとして見つからない。いっそ潔いと思えてしまうぐらいに、ウォルターは夢の世界に全てを賭けていたようだ。

「最後まで悪趣味なだけの奴だったな、お前」

 もう蘇らない紳士の亡骸を最後に一睨みして、俺は本来の目的地である城の方へと再び足を向ける。一人敵を削れたのは大きいが、俺の脅威になり得る敵なんてどこにでもいるのだ。どれだけ困難を乗り越えることができたところで、リリスたちに会えないのならそれは全て意味のないことになってしまうわけで――

「――げ」

 気持ちを切り替えて城に繋がる路地へ足を向けた瞬間、遠くに嫌なシルエットが見える。はっきりとは断定できないが、その集団はローブを纏っているように見えた。

 とっさに身を翻し、隣り合う路地の奥へと視線をやる。しかしそこは激戦区に繋がっており、今も魔術と両陣営の声が入り乱れている。今にして考えてみれば、戦いの間これだけ大きい音が聞こえなくなってたのもおかしな話だったな……。

 とにかく、中央の路地も進むのは少し難しいようだ。となれば最後の一本にしか希望は残されていないのだが、どうやらウォルターとの戦いで俺は当面の運を使い切ってしまったらしい。

「二度ある事は三度ある、ってか……?」

 こちらに向かってくるローブの集団を視界に捉えながら、俺は深々とため息を吐く。三叉路のどこを進んでも誰かとぶつかることは必至、どう足掻いても危険な綱渡りだ。あれほどはっきりと敵と分かる見た目を選んでくれていることだけが唯一の救いだろうか。

 むしろ今までこんなに人が居なかったことが不思議なぐらいだったわけだが、それについて考えるのは後回しだ。こうしている間にもローブ集団は近づいてきているのだから、とりあえず今はアイツらから身を隠せる場所に戻るしかない。

 三叉路に背を向け、大きな通りを小走りで進む。裏路地までは少し遠いが、そこに辿り着ければ落ち着いて考えるだけの時間はあるはずだ。出来るだけ安全を期して動いたほうが、結果的に合流までの時間短縮にもつながるだろう――

「……おい、そこでこそこそと何してる?」

――そう、思ってたんだけどな。

 野太くどすの効いた声に呼び止められ、俺は反射的に足を止める。示し合わせていたかのようなタイミングで、通りの反対側から十人ほどの集団が現れていた。

 ローブは被っていないだけまだ幸いなのかもしれないが、集団の中に見知った顔が居ないからそれも帳消しだ。たとえクライヴに対抗する仲間同士だったのだとしても、今の俺にはそれを証明する手立てはない。どれだけ言葉を尽くしたところで俺の立ち位置はいいとこ『敵ではないが怪しい奴』になるのがせいぜいだ。

「何してるって、そりゃ逃げてるんだよ。あっちの三叉路から抜けようとしたんだけど、ローブ姿の奴らが向かってきてたから引き返さざるを得なかったんだ」

「なるほど、避難民か。皇帝に仕える兵である以上戦火に逃げ惑う民を助けるのも責務の一つではあるが、それはそれとして一つ納得の行かぬことがある」

 とっさにひねり出した説明に、集団の先頭に立つ屈強な男が反応する。声質から考えるに最初に俺を呼び止めたのもきっとこの人だろう。その右手には大きな戦槌が構えられており、正面からやり合って勝てるビジョンは微塵も見えなかった。

 その分味方に付いてくれれば頼もしいことこの上ないが、俺を見つめる視線はとても険しいものだ。その緊張感に俺が身を固くする中、男は戦槌を握る手に力を込めながら俺に質問を投げかけた。

「此度の戦いは二日前に布告された物、皇帝の尽力によって民の避難は援助されていたはずだ。――危険を予見して居ながら、何故今日まで逃げずにいた?」

「……それ、は」

 咄嗟にうまい返しが出てこない。男の主張はぐうの音も出ないほどに正論で、逃げ惑う民を装ったことが悪手だったことを俺は今更ながらに思い知らされる。確かに一般人が居ないとは思っていたが、まさか皇帝直々に支援しているとは予想外だった。

「答えられぬか。なら貴様は民を装った敵方の間者であると判断させてもらおう。皇帝が民を避難させたのはそのような小細工を弄させないための手でもあるのだからな」

「待ってくれ、もうすぐあの三叉路からローブの奴らがわらわらと出てくる! 民間人だってのは信じてくれなくてもいい、けどそれだけは本当だ!」

 口ごもる俺に向く視線が侮蔑を帯び始めたのに気づき、縋りつくように俺は大声で叫ぶ。さっきまで人の事をみっともないとかなんとか言っていたのが信じられなくなるぐらい、今の俺は傍目から見るとダサいと思う。

 だが、いくらダサかろうと今の俺にできるのはそれぐらいだ。それで少しでも無事でいられる可能性が上がるならどんな手だって使って交渉してやろう。もしかしたら味方かもしれない奴に殺されるなんて、そんなのたまったものじゃない。

「敵は歩兵を使い捨てることを厭わぬ集団だと聞く、多少の戦力を餌として間者を潜り込ませる可能性は否定できぬだろう。考えることをやめぬ姿勢は評価するが、初手を誤った時点で運が悪かったと諦めることだな」

 そんな必死の抗議にも表情一つ動かすことなく、男は軽々と戦槌を持ち上げる。その後ろに立っていた面々もそれを見て各々戦闘態勢に入り、『敵』である俺へと照準が向けられた。

「くそ、仲間割れしてる場合じゃないってのに……‼」

「仲間割れを引き起こす役割を背負った人間が何を言う。一秒でも長く喚いていたいのならば、せいぜい発する言葉には気を付けることだ」

 最後の足掻きとしてはなった言葉も虚しく、俺に対する敵意は収まるところを知らない。戦槌の一撃を俺が完全に受け流せるわけもなし、まともな戦闘になれば俺の死はほぼ確定的だ。

 うまく逃げられる可能性もロクな物ではないが、ゼロパーセントの可能性に縋って勝負するよりはよっぽど生産的だ。幸い装備は俺の方が軽いし、それを生かしてどうにか距離を取るしか方法はない。

 交渉による和解を諦め、足に力を籠める。ウォルターと殺し合ったばかりなのに、そのほとんどが夢の中だったおかげで疲れが残っていないのがせめてもの救いだ。

 そんなことを思いながら同じく足に力を込めた、その時だった。

「……正面から敵勢、大人数だ!」

 若い男の声が集団の中から聞こえ、意識が一瞬俺の背後へと移る。振り返ってみれば、さっき見た二つのローブ集団が一つになってこちらへと進軍してきていた。

 横一列にびっしりと並んだ陣形には隙間一つなく、どれだけ頑張ったところですり抜けることは不可能だ。……どうもこれは、時間切れと言う奴かもしれない。

「ふむ、どうやら情報は正しかったらしい。それだけで信頼を勝ち取れると思っていたのなら、策士と呼ばれたクライヴ・アーゼンハイトも随分浅慮な男だと言わざるを得ないが」

 男は『衝突前にまず俺を殺す』と言う結論に思い至ったらしく、足を止める俺につかつかと歩み寄ってくる。人の頭よりも大きなそれは、衝突すればあっさりと俺の身体を粉々にするだろう。逃げようとしても背後はローブたち、となればそれぞれが手に持っている武器や魔術で体中穴だらけにされるのがオチだろうか。死に方を選べる権利があると言えば聞こえはいいが、どちらにせよ恐ろしいのに変わりがないのだから無価値にもほどがあった。

 逆転の芽を探して視線を走らせても周囲にいるのは敵だらけだ。俺を守る物どころか、中立でいてくれる存在さえもここにはいない。一切の小細工が封じられてしまった以上、俺にできる抵抗はもう何も残されていなくて――


「――あなたたち、誰の許可を得て私たちの仲間に手を出そうとしてるのかしら?」


 声が、聞こえた。日常の中ですっかり聞き慣れた、ずいぶん長い間聞いていなかったものが。その間ずっと聞きたくて仕方なかったものが。追い詰められた俺が生み出した都合のいい幻聴なのではないかと、あまりにタイミングが良すぎたせいで一瞬だけ疑ってしまったぐらいだ。

 それを現実だと信じられたのは、次の瞬間に急激変化が起きたからだった。俺と男を区切るかのように分厚い氷の壁が形作られ、背後に立っていたローブの男たちが一瞬にして影の中へと飲み込まれていく。どう見ても八方塞がりだった状況は、五秒と経たずしてひっくり返った。

 研鑽の成果を全て叩きつけるような力押しも肌を刺すような冷たい空気も、全部記憶に焼き付いているものだ。里のことを思い出したのだとしても、その記憶の価値が薄れることなんて絶対にあり得ない。今最も大事にしたい仲間たちが、今俺の傍にいる。

 衝動に突き動かされて声が降ってきた上空を見上げれば、こちらに向かってゆっくりと降りて来る三つの人影がはっきりと見える。他の冒険者たちと協力することすら嫌がっていたのに、この戦いではちゃんと連携が取れているようだ。……その事実に、視界が潤んでおさまらない。

「……お前らぁ」

 もっと何か気の利いたことを言えたらよかったのに、俺の喉からは情けない声しか出てこない。涙がボロボロと流れ出してしまったせいで表情もぐちゃぐちゃだし、とてもじゃないけどリーダーに相応しい姿ではなかった。――それなのに、ツバキとリリスは俺を優しくまっすぐに見つめてくれていて。

「遅くなってごめんなさい、マルク。――今度こそ、一緒に王都に帰るわよ」

「もちろん、やるべきことを全部やり切ってからね。大丈夫、ボクたち三人が揃えばできないことなんてないさ」

 両手を目一杯広げて二人いっぺんに抱き寄せると、それに応えるかのように俺の背に手が回される。久しぶりに聞く仲間の声は想像していた何百倍も温かく、何千倍も頼もしかった。
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