【完結】既読は“25:61”——最期の一日を延ばすメッセージ

東野あさひ

文字の大きさ
28 / 35

第28話「帯域制限(バンドリミット)という選別」

しおりを挟む
 朝、窓に息を落とす。白は薄く広がって、跡形もなく消えた。
 昨夜の四行——みてた/ありがと/まだ/ごめん。
 “まだ”の手前で、今日は通すものと通さないものを決めると決めた。早すぎる揺れは拾わない。帯域を絞る。

 ノートに見出しを書く。
 《今日の方針:**帯域制限(バンドリミット)**で選ぶ/触れない/知らせない/視界で返す》
 ——細かいざわめきは通さず、ゆっくりだけを世界に渡す。

 時雨(しぐれ)が尾を一度だけ振る。四つ吸って、六つ吐く。



 午前の返却ラッシュが収まると、影浦玲生(かげうら・れお)が手帳を掲げた。
 「外縁ログ。非常灯・区掲示は平常。会館は朗読千秋楽、ラックは間引き継続。……寄贈パソコン、電源オフでも“Draft(1)”が一瞬点いて消えた。システム担当、『戻しも先手も入れたけど高周波ノイズが残る。フィルタで帯域を絞るかも』」

 私はうなずく。「主観は良。息、深い」

 「距離は保とう。僕は風景だけ拾う」



 児童コーナーの掲示を貼り替えていると、ポケットがひと拍震えた。
 【下書き保存】——はやい
 【下書き保存】——おとせ

 “ボイスメモ”を開く。空調の底、そのまた下で靴先の小刻みと台車の細跳ねが混ざりあって、言葉の子音をかき消す気配。
 【保存:南桜(みなみざくら)地下歩道・東口】

 「掲示の紙、切らしてて——」だけ残し外へ。玲生が目で外縁了解。

 東口は、踊り場手前で半歩刻みの急ぎが伝染している。
 触れない。
 私は階段の三段下、視界が最も広い位置に立ち、胸の前で大きめの円をゆっくり一周——低い周波だけを示す。
 先頭の生徒がそのゆっくりを拾い、踵の打点を半分間引く。
 押手は細跳ねをやめ、車輪を面で転がす。
 高いざわめきが落ち、会話の母音が戻る。
 震え。
 【下書き保存】——おちた
 【下書き保存】——とおった



 図書館に戻ると、玲生が透明付箋を一枚。
 「外縁。東口、『バタバタが消えた』の投稿。……寄贈PC、“Draft(1)”、午前に一回。ログは空白。午後、電源ラインにフィルタを足すかも」
 私はしらせるなの線を胸でなぞり、うなずく。



 昼過ぎ、ポケットが二度震える。
 【下書き保存】——ふたつ
 【下書き保存】——えらんで

 底で違う拍。保存名が連続で埋まる。
 【保存:白妙(しろたえ)公園・ブランコ列】
 【保存:観潮(かんちょう)踏切・北側】

 帯域が効くのは、速度が混ざる場——ブランコへ。

 ブランコ列は、小刻みな押しと大きな揺れが重なり、周囲の声が尖って聞こえる。
 触れない。
 私は列の最後尾の少し外、膝をゆっくり曲げ伸ばしして低いテンポを置く。
 保護者の一人が視界の端でそれを拾い、「いーち、にー」の間を伸ばす。
 早い押しが自然に抜け、揺れは大きいが遅い帯だけ残る。
 笑いが丸くなった。
 震え。
 【下書き保存】——まるく
 【下書き保存】——のこった

 踏切へ回る。赤の終わりに小走りが混ざり、白線際で細かい接触が起きかける。
 私は時刻表ガラスの前で顎を半指落とし、足幅を広めに取り、歩幅をゆっくりだけに見せる。
 押手が小走り成分を切り落とし、赤の尾と歩行の入りが低い帯で重なる。
 ぶつかりは起きなかった。
 震え。
 【下書き保存】——きれた
 【下書き保存】——いきた



 館内へ戻る途中、寄贈パソコンの黒い画面の隅で“Draft(1)”がふっと灯り、0に戻る。
 触れない。
 机の「メンテ中」札が目線の真芯で強すぎる。
 脇の書見台を足先で半歩だけ下げ、札を視野の低い帯へ移す。
 通りかかったシステム担当が「あ、強い成分を落とします」と言い、自分の手で電源配列の高周波フィルタを追加、LANの別経路を確実に切る。
 震え。
 【下書き保存】——しぼれ
 【下書き保存】——のこす



 夕方、玲生が手帳を示す。
 「外縁補足。公園、『テンポゆっくりで安全』。踏切は『小走りが消えた』。……会館は定刻、音響はピーなし」
 私はうなずき、胸の石が少し丸くなる。



 ケトルが鳴る。灯りが一瞬だけ明滅し、時雨がソファの背で耳を立てる。
 来る。
 私は椅子に座り、膝の上で指を組む。

 25:61。
 青い泡が三度、間を置いて湧いて沈む。
 既読:蒼真
 【下書き保存】——しぼれ
【下書き保存】——はやいのをすてろ
 【下書き保存】——さわるな
 【下書き保存】——ひがし/のぼる

 上流へ。私は“ボイスメモ”を開く。今日いちばん薄い拍。
 【保存:朝島(あさじま)取水堰・観測桟橋(中央より上手)】

 上着を取り、時雨に「すぐ戻る」。彼は窓辺で耳を立てたまま見送る。



 桟橋の上手は、細かい風のざわめきが水面をチリと泡立て、長柄の入りを落ち着かなくしていた。
 触れない。
 私は欄干の十字の傷から半歩外、ボルト列と流れの中点に立ち、息の高い揺れを捨てるように、吐き出す最初の一拍を意図して遅くする。
 片方の職員が入り始めを深く遅く置き、もう片方が微細な修正をやめて大きな面だけで受ける。
 網の手前の草の束はプチプチ泡立たず、遅い帯だけでほどけて流れに戻る。
 水の音が低いところで太く揃った。
 震え。
 【下書き保存】——ふとく
 【下書き保存】——いきた

 踵を返す途中、舗装の白い「25-6-1」の周りで、雨粒が細かくはねて数字を滲ませていた。
 私は近寄らず、四つ吸って、六つ吐く。
 細かな跳ねは見ない。太い息だけ残す。



 帰宅。テーブルにスマホを置く。青い泡が遅れてひとつ。
 既読:蒼真
 【下書き保存】——みてた
 【下書き保存】——ありがと
 【下書き保存】——まだ
 【下書き保存】——ごめん

 私はスマホを胸に当て、深く吸って、ゆっくり吐く。
 ノートを開き、今日をまとめる。

 《主観ログ・第二十八夜》
 ・地下東口:大円のテンポで高いざわめきを落とす→「おちた/とおった」
 ・白妙公園:押しの間延ばしで早い押しを除去→「まるく/のこった」
 ・踏切北側:歩幅広め・歩速遅めを視界へ→「きれた/いきた」
 ・図書館PC:高周波フィルタ追加+視野の低い帯へ→「しぼれ/のこす」
 ・堰上手:微細修正を捨て、大きい面だけで受ける→「ふとく/いきた」
・遵守:触れない/知らせない/鏡を増幅しない/“速いものを通さず、遅いものを通す”
 ・メッセージ:「しぼれ/はやいのをすてろ/ひがし/のぼる/さわるな」「みてた/ありがと/まだ/ごめん」
 ・仮説更新:帯域制限(バンドリミット)は“静けさの選別”。返すとは、細かな跳ねを世界からそっと落とし、太い呼吸だけを渡すこと

 灯りを一つ落とし、胸の前で大きな円をもう一度描く。
 早いものは流し、遅いものを抱く。
 それだけで、今夜の呼吸は楽になる。

 ——既読が、鳴る。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...