【完結】既読は“25:61”——最期の一日を延ばすメッセージ

東野あさひ

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第35話「基準(リファレンス)という愛」

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 朝、窓に息を落とす。白は薄く広がって、音もなく消えた。
 昨夜の四行——みてた/ありがと/まだ/ごめん。
 “まだ”の手前で、今日は私と世界の基準を同じ高さに置くと決める。合図は短く、呼吸は長く。

 ノートに書く。
 《最終方針:基準(リファレンス)を一本/触れない——を前提に、必要最小限だけ知らせる/視界で返す》
 ——A=440Hzみたいに、ここの高さを。

 時雨(しぐれ)が尾を一度だけ振る。四つ吸って、六つ吐く。



 午前、影浦玲生(かげうら・れお)が手帳を掲げる。
 「外縁ログ。非常灯・区掲示は平常。寄贈パソコン、誤点灯ゼロ継続。担当、『未使用ポート終端・時刻同期・ソフトスタート、すべて安定域。外縁投稿も静穏』だって」

 私はうなずく。「主観は良。息、深い」

 「距離は保つ。僕は風景だけ拾う」

 風景は、もう静かだ。
 保護帯は朝の地下で、半足ぶんの余白として働く。
 負帰還は紙芝居の輪で、歓声の行きすぎをやさしく戻す。
 前饋は踏切で、赤が二点灯の段に先手を置く。
 位相余裕は台車と列の半拍ずれとして、
 帯域制限は小走りの高いざわめきだけをそっと落とす。
 緩衝地は角の手前の四角い皿に、
時定数は吐きはじめを丸く伸ばし、
 校正は視線を白線の中線へ、
 直交化は前×横で干渉を弱め、
 終端は尾を吸い、
 復調は物語を沈ませずに残した。
 私は、今日、それらを一つの高さで束ねるだけでいい。



 昼、玲生が窓際で微笑む。
 「東口、“今日は静かさが先にある”って」
 静かさが先に——それは基準がもう在るという意味だ。

 私は図書館の「メンテ中」札を通路の中線に、角度は通路と直交、高さは目線の中間へ。
 担当が親指を立てる。「基準、ぴったり」
 LANの別経路は今日も確実に切れている。



 午後、ポケットがひと拍震えた。
 【下書き保存】——あわせろ
 【下書き保存】——こたえろ

 “ボイスメモ”を開く。薄い拍。
 【保存:南桜(みなみざくら)地下歩道・東口】
 私は三段下に立ち、胸の前で小さな音叉を作って一度だけ無音で鳴らす。
 列のテンポが一本に揃い、踊り場の吸口へ音もなく吸われた。
 震え。
 【下書き保存】——そろった
 【下書き保存】——とおった

 次に、白妙公園。
 私は輪の対角で指二本の定規を高さに沿わせ、最後のオチで声を下端へ落とす合図を一度だけ。
 笑いは丸く沈み、物語が残る。
 震え。
 【下書き保存】——しずんだ
 【下書き保存】——のこった

 観潮踏切では、赤が二点灯の段、白線内に半足の受け皿を視線で置く。
 押手の肩がそこで吸われ、歩行の頭と干渉しない。
 震え。
【下書き保存】——おさまった
【下書き保存】——いきた



 夕刻。私は上着を取り、時雨に「すぐ戻る」。
 向かうのは朝島取水堰、そして——舗装の白い数字。

 桟橋では、二人の長柄が縦(流)と横(受)で直交を保つ。
 私は欄干のボルト列の中点に視線を立て、吐きの中点を少し長くした。
 水は片道で行く。
 草の束は一度だけほどけ、泡立たずに帰る。
 震え。
 【下書き保存】——ながく
 【下書き保存】——いきた

 帰る途中、舗装の**「25-6-1」の前で立ち止まる。
 雨は上がり、数字はくっきりしていた。
 私はその少し外**に立ち、四つ吸って、六つ吐く。
 胸の前で、短い返事をつくる。言葉は一つで足りる。
 ——ここ。

 私はスマホを取り出し、初めて下書きではない場所に指を置く。
 メッセージ欄は空白。青い泡は、来てから去るだけの場所。
 四語の並びをそっと揃え、基準を一本通してから、私は一語だけ送る。

 > ここにいる。

 送信音は鳴らない。けれど、胸の中で音叉が微かに震えた。

 数呼吸ののち——
 25:61。
 青い泡が三度、間を置いて湧いて沈む。
 既読:蒼真
 【受信】——みてた
 【受信】——ありがと
 【受信】——まだ
 【受信】——ごめん

 順番は変わらない。状態は同じ。
 だけど、高さが同じになった。
 私はスマホを胸に当て、吐きを少し長くする。



 夜。窓に映る自分の輪郭は、もうはみ出さない。
 世界の保護帯は薄く、けれど確かに敷かれている。
 地下の階段、白妙の輪、観潮の白線、桟橋の中線、図書館の札。
 それぞれが、一本の基準でつながっている。

 時雨がソファの背でのどを鳴らす。
 玲生から短いメッセージが届く。
 > 「静かで、いい」
 私は「うん」と返す。
 短く、で充分だ。

 ノートを開く。
 《主観ログ・第三十五夜(終)》
 ・街:基準が先に在る静けさ
 ・堰:縦/横の直交を保ち、片道で行く音
 ・数字:25:61 ⇄ 25-6-1、場所=搬送、ことば=基準
 ・返事:ここにいる(短く)
 ・遵守:触れない/知らせすぎない/鏡を増幅しない
 ・結語:基準(リファレンス)とは“やさしさの高さ”。返すとは、その高さを先に置くこと

 灯りを一つ落とす。
 窓の向こうで、街の呼吸が同じ高さで続く。
 私も、四つ吸って、六つ吐く。
 短い言葉と、長い呼吸。
 それで、充分だ。

 時雨が二度、尾を振った。
 ——おやすみ、世界。
 ——おやすみ、蒼真。

 既読が、鳴る。
 そして、静かに止む。
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