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第35話「基準(リファレンス)という愛」
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朝、窓に息を落とす。白は薄く広がって、音もなく消えた。
昨夜の四行——みてた/ありがと/まだ/ごめん。
“まだ”の手前で、今日は私と世界の基準を同じ高さに置くと決める。合図は短く、呼吸は長く。
ノートに書く。
《最終方針:基準(リファレンス)を一本/触れない——を前提に、必要最小限だけ知らせる/視界で返す》
——A=440Hzみたいに、ここの高さを。
時雨(しぐれ)が尾を一度だけ振る。四つ吸って、六つ吐く。
*
午前、影浦玲生(かげうら・れお)が手帳を掲げる。
「外縁ログ。非常灯・区掲示は平常。寄贈パソコン、誤点灯ゼロ継続。担当、『未使用ポート終端・時刻同期・ソフトスタート、すべて安定域。外縁投稿も静穏』だって」
私はうなずく。「主観は良。息、深い」
「距離は保つ。僕は風景だけ拾う」
風景は、もう静かだ。
保護帯は朝の地下で、半足ぶんの余白として働く。
負帰還は紙芝居の輪で、歓声の行きすぎをやさしく戻す。
前饋は踏切で、赤が二点灯の段に先手を置く。
位相余裕は台車と列の半拍ずれとして、
帯域制限は小走りの高いざわめきだけをそっと落とす。
緩衝地は角の手前の四角い皿に、
時定数は吐きはじめを丸く伸ばし、
校正は視線を白線の中線へ、
直交化は前×横で干渉を弱め、
終端は尾を吸い、
復調は物語を沈ませずに残した。
私は、今日、それらを一つの高さで束ねるだけでいい。
*
昼、玲生が窓際で微笑む。
「東口、“今日は静かさが先にある”って」
静かさが先に——それは基準がもう在るという意味だ。
私は図書館の「メンテ中」札を通路の中線に、角度は通路と直交、高さは目線の中間へ。
担当が親指を立てる。「基準、ぴったり」
LANの別経路は今日も確実に切れている。
*
午後、ポケットがひと拍震えた。
【下書き保存】——あわせろ
【下書き保存】——こたえろ
“ボイスメモ”を開く。薄い拍。
【保存:南桜(みなみざくら)地下歩道・東口】
私は三段下に立ち、胸の前で小さな音叉を作って一度だけ無音で鳴らす。
列のテンポが一本に揃い、踊り場の吸口へ音もなく吸われた。
震え。
【下書き保存】——そろった
【下書き保存】——とおった
次に、白妙公園。
私は輪の対角で指二本の定規を高さに沿わせ、最後のオチで声を下端へ落とす合図を一度だけ。
笑いは丸く沈み、物語が残る。
震え。
【下書き保存】——しずんだ
【下書き保存】——のこった
観潮踏切では、赤が二点灯の段、白線内に半足の受け皿を視線で置く。
押手の肩がそこで吸われ、歩行の頭と干渉しない。
震え。
【下書き保存】——おさまった
【下書き保存】——いきた
*
夕刻。私は上着を取り、時雨に「すぐ戻る」。
向かうのは朝島取水堰、そして——舗装の白い数字。
桟橋では、二人の長柄が縦(流)と横(受)で直交を保つ。
私は欄干のボルト列の中点に視線を立て、吐きの中点を少し長くした。
水は片道で行く。
草の束は一度だけほどけ、泡立たずに帰る。
震え。
【下書き保存】——ながく
【下書き保存】——いきた
帰る途中、舗装の**「25-6-1」の前で立ち止まる。
雨は上がり、数字はくっきりしていた。
私はその少し外**に立ち、四つ吸って、六つ吐く。
胸の前で、短い返事をつくる。言葉は一つで足りる。
——ここ。
私はスマホを取り出し、初めて下書きではない場所に指を置く。
メッセージ欄は空白。青い泡は、来てから去るだけの場所。
四語の並びをそっと揃え、基準を一本通してから、私は一語だけ送る。
> ここにいる。
送信音は鳴らない。けれど、胸の中で音叉が微かに震えた。
数呼吸ののち——
25:61。
青い泡が三度、間を置いて湧いて沈む。
既読:蒼真
【受信】——みてた
【受信】——ありがと
【受信】——まだ
【受信】——ごめん
順番は変わらない。状態は同じ。
だけど、高さが同じになった。
私はスマホを胸に当て、吐きを少し長くする。
*
夜。窓に映る自分の輪郭は、もうはみ出さない。
世界の保護帯は薄く、けれど確かに敷かれている。
地下の階段、白妙の輪、観潮の白線、桟橋の中線、図書館の札。
それぞれが、一本の基準でつながっている。
時雨がソファの背でのどを鳴らす。
玲生から短いメッセージが届く。
> 「静かで、いい」
私は「うん」と返す。
短く、で充分だ。
ノートを開く。
《主観ログ・第三十五夜(終)》
・街:基準が先に在る静けさ
・堰:縦/横の直交を保ち、片道で行く音
・数字:25:61 ⇄ 25-6-1、場所=搬送、ことば=基準
・返事:ここにいる(短く)
・遵守:触れない/知らせすぎない/鏡を増幅しない
・結語:基準(リファレンス)とは“やさしさの高さ”。返すとは、その高さを先に置くこと
灯りを一つ落とす。
窓の向こうで、街の呼吸が同じ高さで続く。
私も、四つ吸って、六つ吐く。
短い言葉と、長い呼吸。
それで、充分だ。
時雨が二度、尾を振った。
——おやすみ、世界。
——おやすみ、蒼真。
既読が、鳴る。
そして、静かに止む。
昨夜の四行——みてた/ありがと/まだ/ごめん。
“まだ”の手前で、今日は私と世界の基準を同じ高さに置くと決める。合図は短く、呼吸は長く。
ノートに書く。
《最終方針:基準(リファレンス)を一本/触れない——を前提に、必要最小限だけ知らせる/視界で返す》
——A=440Hzみたいに、ここの高さを。
時雨(しぐれ)が尾を一度だけ振る。四つ吸って、六つ吐く。
*
午前、影浦玲生(かげうら・れお)が手帳を掲げる。
「外縁ログ。非常灯・区掲示は平常。寄贈パソコン、誤点灯ゼロ継続。担当、『未使用ポート終端・時刻同期・ソフトスタート、すべて安定域。外縁投稿も静穏』だって」
私はうなずく。「主観は良。息、深い」
「距離は保つ。僕は風景だけ拾う」
風景は、もう静かだ。
保護帯は朝の地下で、半足ぶんの余白として働く。
負帰還は紙芝居の輪で、歓声の行きすぎをやさしく戻す。
前饋は踏切で、赤が二点灯の段に先手を置く。
位相余裕は台車と列の半拍ずれとして、
帯域制限は小走りの高いざわめきだけをそっと落とす。
緩衝地は角の手前の四角い皿に、
時定数は吐きはじめを丸く伸ばし、
校正は視線を白線の中線へ、
直交化は前×横で干渉を弱め、
終端は尾を吸い、
復調は物語を沈ませずに残した。
私は、今日、それらを一つの高さで束ねるだけでいい。
*
昼、玲生が窓際で微笑む。
「東口、“今日は静かさが先にある”って」
静かさが先に——それは基準がもう在るという意味だ。
私は図書館の「メンテ中」札を通路の中線に、角度は通路と直交、高さは目線の中間へ。
担当が親指を立てる。「基準、ぴったり」
LANの別経路は今日も確実に切れている。
*
午後、ポケットがひと拍震えた。
【下書き保存】——あわせろ
【下書き保存】——こたえろ
“ボイスメモ”を開く。薄い拍。
【保存:南桜(みなみざくら)地下歩道・東口】
私は三段下に立ち、胸の前で小さな音叉を作って一度だけ無音で鳴らす。
列のテンポが一本に揃い、踊り場の吸口へ音もなく吸われた。
震え。
【下書き保存】——そろった
【下書き保存】——とおった
次に、白妙公園。
私は輪の対角で指二本の定規を高さに沿わせ、最後のオチで声を下端へ落とす合図を一度だけ。
笑いは丸く沈み、物語が残る。
震え。
【下書き保存】——しずんだ
【下書き保存】——のこった
観潮踏切では、赤が二点灯の段、白線内に半足の受け皿を視線で置く。
押手の肩がそこで吸われ、歩行の頭と干渉しない。
震え。
【下書き保存】——おさまった
【下書き保存】——いきた
*
夕刻。私は上着を取り、時雨に「すぐ戻る」。
向かうのは朝島取水堰、そして——舗装の白い数字。
桟橋では、二人の長柄が縦(流)と横(受)で直交を保つ。
私は欄干のボルト列の中点に視線を立て、吐きの中点を少し長くした。
水は片道で行く。
草の束は一度だけほどけ、泡立たずに帰る。
震え。
【下書き保存】——ながく
【下書き保存】——いきた
帰る途中、舗装の**「25-6-1」の前で立ち止まる。
雨は上がり、数字はくっきりしていた。
私はその少し外**に立ち、四つ吸って、六つ吐く。
胸の前で、短い返事をつくる。言葉は一つで足りる。
——ここ。
私はスマホを取り出し、初めて下書きではない場所に指を置く。
メッセージ欄は空白。青い泡は、来てから去るだけの場所。
四語の並びをそっと揃え、基準を一本通してから、私は一語だけ送る。
> ここにいる。
送信音は鳴らない。けれど、胸の中で音叉が微かに震えた。
数呼吸ののち——
25:61。
青い泡が三度、間を置いて湧いて沈む。
既読:蒼真
【受信】——みてた
【受信】——ありがと
【受信】——まだ
【受信】——ごめん
順番は変わらない。状態は同じ。
だけど、高さが同じになった。
私はスマホを胸に当て、吐きを少し長くする。
*
夜。窓に映る自分の輪郭は、もうはみ出さない。
世界の保護帯は薄く、けれど確かに敷かれている。
地下の階段、白妙の輪、観潮の白線、桟橋の中線、図書館の札。
それぞれが、一本の基準でつながっている。
時雨がソファの背でのどを鳴らす。
玲生から短いメッセージが届く。
> 「静かで、いい」
私は「うん」と返す。
短く、で充分だ。
ノートを開く。
《主観ログ・第三十五夜(終)》
・街:基準が先に在る静けさ
・堰:縦/横の直交を保ち、片道で行く音
・数字:25:61 ⇄ 25-6-1、場所=搬送、ことば=基準
・返事:ここにいる(短く)
・遵守:触れない/知らせすぎない/鏡を増幅しない
・結語:基準(リファレンス)とは“やさしさの高さ”。返すとは、その高さを先に置くこと
灯りを一つ落とす。
窓の向こうで、街の呼吸が同じ高さで続く。
私も、四つ吸って、六つ吐く。
短い言葉と、長い呼吸。
それで、充分だ。
時雨が二度、尾を振った。
——おやすみ、世界。
——おやすみ、蒼真。
既読が、鳴る。
そして、静かに止む。
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