【完結】一度きりの離縁をください ― 契約夫婦、期限切れ前夜

東野あさひ

文字の大きさ
26 / 33

第26話「白の帳――“帰る日と残る灯”」

しおりを挟む
 朝、砦の外は白かった。雪ではない。風に乗った灰が夜のあいだに降り積もり、地を薄く覆っていた。
 足跡をつけると、柔らかい音がした。まるで砂ではなく、眠る火の粉を踏んでいるようだった。

 私は〈未来の欄〉の端に指を置き、昨日の文字――〈灰を抱いて帰る〉――を見つめた。
 もう帰る支度を終えたのに、胸の奥はどこかで踏ん切りがついていなかった。
 離縁まで、六日。

 台所の煙突からは、白い煙が細く上がっていた。マルタが湯を沸かしている。
 「今朝の灰、きれいだね」と言って、掌に少し乗せて見せてくれた。
 「真っ白い灰なんて初めて見た。昨日までの火が優しかったんだね」
 私は頷く。灰は冷たいのに、見ていると不思議と温かかった。

 ハーゼが戸口に現れ、手紙を差し出した。王都からだ。封は金色の糸で結ばれている。

『灰の庭に、芽が出た。
 まだ名はない。
 灯の跡が根を持ち、白い花のつぼみが見える。
 この花を“どう”で呼びたい。
 名ではなく、願いの言葉で。』

 私は息を呑んだ。
 燃えたあとの灰から芽が出る――そんなことが本当に起きるなんて。
 レオンが文を読みながら笑った。「“どうで呼ぶ”……あの議場が、とうとう君の言葉を使った」
「そうみたいです。……怖いの次に、やっと“願い”が生まれたんですね」

 私は棚の空白に小さく書いた。〈願い=白の花〉。
 それは私たちが積み重ねてきた“今日”の果てに、ようやく生まれた“明日”の形だった。

 午後、砦に子どもたちが来た。雪のような灰を集めて、手のひらで固めて遊んでいる。
 「これ、“白の灯”だよ!」
 「ふわふわの火!」
 ミーナが笑いながら言った。「燃えない灯ですね」
 私は頷いた。「燃えなくても、消えない灯です」

 そのとき、レオンが私に小さな箱を渡した。
 「これを、帰る前に受け取ってほしい」
 箱の中には、私が王都へ送った灰の欠片が一つ。けれど、淡い光が宿っていた。
 「これは……」
 「砦に残っていた灰を、灯に戻した。少しずつ火を入れて、消えない程度の温度で保ってある。君が帰るとき、持っていけ」
 私は箱を抱きしめた。胸の奥が熱くなり、声が震える。
 「……あなたは、やっぱり不器用ですね」
 「そうだな。でも不器用でも、灯を繋げるくらいはできる」

 指輪が光る。その光が箱の中の灯と重なって、一瞬、部屋全体が白く染まった。

 夕刻、砦の門の前に立つ。
 マルタが菓子の包みを持って駆けてくる。
 「これ、道中で食べて。蜂蜜の代わりに灰の粉を混ぜたの。ほろ苦いけど、温まるよ」
 ローレンが粉袋を担ぎながら言う。「君が帰ったあと、ここで“今日だけ欄”を続けます」
 ヘーデは炉の火を見ながら、「火はもう、怖くないな」と笑った。
 ユルクは赤帯を片手に持ち、「呼ばれない日も、旗は揚げておく」と言った。
 サビーナは水の入った壺を差し出す。「流すためじゃなく、育てるための水です」

 私はみんなの顔を見渡し、深く頭を下げた。
 「ありがとう。――この“今日”を、きっと続けます」

 門を出るとき、レオンが小さく私の名を呼んだ。
 けれど、次の瞬間、彼は笑って言い直した。
 「……いや、やめた。今は“どう”で呼びたい」
 そして言った。
 「また明日」

 その言葉に、涙があふれた。
 離縁の手続きはもうすぐ。けれど“また明日”があれば、今日が終わらない。

 夜、旅の途中の宿で、私は記録帳を開いた。
 〈砦を出発〉
 〈王都の花、願いの名を持つ〉
 〈白の灯、胸に〉

 そして恋の定義の末尾に、一行を足した。
〈恋は、帰る場所があっても“また明日”と言えること〉。

 窓の外では、風が白い粉を運んでいる。
 灰でも雪でもない、その白は灯のかけら。
 私は箱を胸に抱き、静かに目を閉じた。

 ――離縁まで、六日。
 けれど、明日はきっと、今日の続きにある。
 白の帳の向こうに、灯のゆくえはまだ、やさしく揺れていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一夜の過ちで懐妊したら、幼なじみの冷酷皇帝に溺愛されました

由香
恋愛
没落貴族の娘・柳月鈴は、宮廷で医官見習いとして働いていた。 ある夜、皇帝即位の宴で酒に酔い、幼なじみだった皇帝・李景珩と再会する。 遠い存在になったはずの彼。 けれど、その夜をきっかけに月鈴の運命は大きく動き出す。 冷酷と恐れられる皇帝が、なぜか彼女だけには甘すぎて――。

悪役令嬢と誤解され冷遇されていたのに、目覚めたら夫が豹変して求愛してくるのですが?

いりん
恋愛
初恋の人と結婚できたーー これから幸せに2人で暮らしていける…そう思ったのに。 「私は夫としての務めを果たすつもりはない。」 「君を好きになることはない。必要以上に話し掛けないでくれ」 冷たく拒絶され、離婚届けを取り寄せた。 あと2週間で届くーーそうしたら、解放してあげよう。 ショックで熱をだし寝込むこと1週間。 目覚めると夫がなぜか豹変していて…!? 「君から話し掛けてくれないのか?」 「もう君が隣にいないのは考えられない」 無口不器用夫×優しい鈍感妻 すれ違いから始まる両片思いストーリー

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。10~15話前後の短編五編+番外編のお話です。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。※R6.5/18お気に入り登録300超に感謝!一話書いてみましたので是非是非! *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。 ※R7.2/22お気に入り登録500を超えておりましたことに感謝を込めて、一話お届けいたします。本当にありがとうございます。  ※R7.10/13お気に入り登録700を超えておりました(泣)多大なる感謝を込めて一話お届けいたします。 *らがまふぃん活動三周年周年記念として、R7.10/30に一話お届けいたします。楽しく活動させていただき、ありがとうございます。 ※R7.12/8お気に入り登録800超えです!ありがとうございます(泣)一話書いてみましたので、ぜひ!

エリート医務官は女騎士を徹底的に甘やかしたい

鳥花風星
恋愛
女騎士であるニーナには、ガイアという専属魔術医務官がいる。エリートであり甘いルックスで令嬢たちからモテモテのガイアだが、なぜか浮いた話はなく、結婚もしていない。ニーナも結婚に興味がなく、ガイアは一緒いにいて気楽な存在だった。 とある日、ニーナはガイアから女避けのために契約結婚を持ちかけられる。ちょっと口うるさいただの専属魔術医務官だと思っていたのに、契約結婚を受け入れた途端にガイアの態度は日に日に甘くなっていく。

完璧な政略結婚のはずでしたが、宰相閣下の“私の妻”扱いが甘すぎます

星乃和花
恋愛
政略結婚のはずでした。 家同士の利も、立場の釣り合いも、全部きちんと整った、完璧に合理的な結婚。 ……なのに、夫となった冷徹宰相は、なぜか人前で私を「最高の妻」と紹介し、暮らしを完璧に整え、他人に近づかれると不機嫌になってしまいます。 “天使”と噂される穏やかな令嬢フィオナもまた、 そんな不器用な優しさに少しずつ心をほどかれて――。 これは、条件で選ばれたはずの夫婦が、 いつの間にかお互いを“ただ一人”として欲しくなるまでの、甘くてやさしい政略結婚物語。 (毎日21:50更新ー全8話)

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

白い結婚のはずが、旦那様の溺愛が止まりません!――冷徹領主と政略令嬢の甘すぎる夫婦生活

しおしお
恋愛
政略結婚の末、侯爵家から「価値がない」と切り捨てられた令嬢リオラ。 新しい夫となったのは、噂で“冷徹”と囁かれる辺境領主ラディス。 二人は互いの自由のため――**干渉しない“白い結婚”**を結ぶことに。 ところが。 ◆市場に行けばついてくる ◆荷物は全部持ちたがる ◆雨の日は仕事を早退して帰ってくる ◆ちょっと笑うだけで顔が真っ赤になる ……どう見ても、干渉しまくり。 「旦那様、これは白い結婚のはずでは……?」 「……君のことを、放っておけない」 距離はゆっくり縮まり、 優しすぎる態度にリオラの心も揺れ始める。 そんな時、彼女を利用しようと実家が再び手を伸ばす。 “冷徹”と呼ばれた旦那様の怒りが静かに燃え―― 「二度と妻を侮辱するな」 守られ、支え合い、やがて惹かれ合う二人の想いは、 いつしか“形だけの夫婦”を超えていく。

処理中です...