ハートの瞳が止まらない

うしろめたさ

「あ、コレはあくまで俺の感想なんで。変更は完成したデータ送信して、編集部からの返答が来てからの検討になります。用事はそんだけです。先生からは何かありません？」
「特にないよ」
「そうですか。じゃあ原稿お待ちしてます！」
新崎が電話を切る。

五井はスマートフォンをデスクに置いて、さっきまでずっと水中に潜っていたところ、ようやく顔を出したときみたいに、深いため息を吐いた。
「いるわけない…か」
五井はさきほどの新崎の言葉を思い出して、ひとりごちた。

実を言うと、五井がいま書いている小説のヒロインのモデルは真広なのだ。
歳は18で、服装はどちらかといえば地味で野暮ったく、それでいて顔つきは整っていて幼顔で、気質は従順で大人しい女子大生。
一方で、主人公はどこにでもいるような、至って普通の中年男で、女性からの受けはあまりよろしくない。
そんな中年男が、ある日若くかわいらしいヒロインに好意を示され、関係まで持ってしまった。
ヒロインのことは嫌いではないし、好意を持たれたこと自体は嬉しく思うが、なぜ自分が好意を持たれているのか分からず、中年男は混乱する…というのが大まかな話の流れである。

この中年男は、五井がモデルだ。
職業はサラリーマンであることを除けば、年齢や住んでいるマンションの構造、身長や体重や利き手まで、五井と同じである。
どこの誰ともわからない人間を想像して書くよりも、自分自身をモデルにしてしまった方が解像度が上がり、リアリティも出るだろうと思ったのだ。

しかし、今となってはそれを後悔する気持ちが吹き出てきた。
想像で書いたどこの誰でもない若い女の子ならいざ知らず、実在している男子大学生をモデルに原稿を書くなんて、いくら何でもまずいのではないか。
急激に罪悪感が吹き出してきて、原稿を出すかどうかしばらく悩んだ結果、ヒロインの設定のいくつかを、真広とかけ離れたものにすることで、なんとか折り合いをつけた。

──別に、何か悪いことしてるわけじゃないが…

設定を書き変えている最中、誰に責められたわけでもないのに、五井は幾度となく自分にそういい聞かせた。

完成させた原稿データを送ったところ、編集部からの評価はなかなかのもので、続きを書くようにと頼まれた。
頼みを受けたとき、スランプから脱却できた喜びと、少しばかりの罪悪感とで五井は内心複雑だった。

──これからのストーリー展開を変えてしまうか…何なら、主人公の男は女子大生に弄ばれてただけだったってことにして、少し年上の気優しい女とくっつくとか…そうだ、それもアリだな

真広をモデルにした女子大生を使うのは、序盤だけにしよう。
五井はそう自分に言い聞かせた。

一方で、真広は五井の予想をはるかに超えるほどに、会うたびに面白いことをしてくる。
わざわざご丁寧にいやらしいデザインの下着を履いてきたり、ニキビがあることを指摘すると異様なほど恥ずかしがったり。
バックでしようと言ったときの驚いた様子なんかも、五井にとってはなかなか新鮮に思えた。

それがますます厄介だった。