恋人以上、恋愛未満

右左山桃

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1章 そんな風に始まった

27 最後の日・1(注:暴力描写有)

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ジャリ…………。


小さく、私の後ろで足音が聞こえたような気がした。
その足音は、少し遠くから聞こえたので、空耳かとも思った。


ジャリ…………。


重なり、少しずつ近づいてくるその音に、私は足音だと確信して後ろを振り返った。

思った通り、暗闇の向こうに人影があった。
思った通りで無かったのは、雅では無かったこと。

大柄の男だった。
ニット帽にダウンジャケット、暗くて顔はマスクが邪魔をしていて表情まではわからない。
マスクの隙間から零れる白い息がスースーと音を立てていた。

ぞくり、と背中を冷たいものが走る。
ひと目でわかった。

この人は危ない、と。

男の右手は月光を受けてゆらゆらと怪しげに光を放っていた。恐らく、刃物を持っている。
真正面で対峙したまま、どちらも一歩も動かずに間合いをとる。
背中を見せたら切りつけてくると思った。
石を投げつけたストーカーの時とは訳が違った。
お腹の底が、絶叫マシンに乗った時のようにストンと落ちる。
体の芯が冷たくなっていくのがわかる。
これが死の恐怖なのかもしれない。

後ずさる。
それを合図に男が数歩、前に出た。

月明かりに照らされて、男と私の視線が合う。
私と視線を合わせたまま、躊躇うことなくこちらへ歩みを進めてきた。
私に近づくにつれて男の呼吸が少しずつ上がる。
表情、息づかい、体から発するオーラのようなもの。
距離が近づくにつれて感情が伝わってくる。

興奮?
狂喜?

そんな類の。
この人は驚く私を、怯える私を見て。
とても嬉しそうに笑っている。

はじかれるように、私はそこから踵を返して駆けだそうとしていた。
何も考えてはいない、ただ、この場から逃げなければならないという防衛本能が働いた。

腰に力が入らず、体がバランスを崩したことが私の運命を決定づけた。
二、三歩踏み出したけれど、腕は簡単に男に掴まれた。


「……や……」


大きくて黒い腕が目の前に伸びてきて、私の口を塞ぐ。

苦しい。

男は私の首の下に腕を入れると、ずるずると私を引きずりながら道の脇へと入って行った。
いつもはただ横目にして帰るだけの高い塀。
人がひとり通れるくらいの壁の隙間から、その向こう側へと連れて行かれた。

そこは区画整理を行うための機械や資材置き場で。
夜に人の姿などある訳がなかった。
この高い塀の向こう側にある道さえも、バイト帰りに誰かとすれ違うことはほとんど無かった。
きっともう誰も私のことを見つけることは出来ない。
資材置き場のその奥は、まだ手つかずの林が黒々と広がっている。
あそこに連れていかれたら……そう考えてから、妙に納得した。

つまりは、そう。
ここは死体を捨てるには最適な場所だった。



雨風がしのげるようにと、簡単な構造で作られたほったて小屋。
ショベルカーのガレージとして使われているそこへ、男は私を連れて行くと乱暴に地面に放った。
体勢を整えるのもままならない状態で、男の重い体をお腹の上に受け止めて、私は小さく「ぅぐ」と呻いた。


「暴れるなよ、殺すぞ……」


低くドスのきいた声が私の耳元で囁く。
刃先は私の首のすぐ近くにあてられていて、顔を少しでも背けようものなら、すっぱりと切りこみが入りそうだった。
組み敷かれた体は男の重みで、どうあがいても抜け出せそうにない。
暴れたくても、これじゃ無理でしょうよ。

なるほど、ついに私は死ぬのか。

屋根の向こうに広がっている満天の星空を見上げ、私は妙に冷静になった。

これは、罰なのかな。
自嘲気味に私は心の中でひっそり笑う。
あんなに雅に忠告されていたのに、無視し続けたから。
雅がいない日に限ってこのザマなんだから。

抵抗も叫ぶ素振りも見せない私に、男はチッと舌打ちして、つまらなそうに呟いた。


「肝、据わってるじゃん」


刃をピタピタと首筋にあてられる。
金属の冷たい感触が伝わって、次いで温かいものが伝うのを感じた。
血が出ているのかもしれない。
だけど不思議と痛みは感じなかった。


「叫べよ、誰も助けになんか来ないから」


笑っている。
私の気持ちは、また、閉じて行く。
何も感じない。
考えない。


「殺したければ、殺せばいい」


囁くように小さく、私の声は男にそう告げていた。
男は少し眉根を寄せて、「あんたも世を儚んでるんだ?」なんてケタケタ笑って言った。
世を儚んでいる。どうだろうか。
仮にそうだったとしても、こんな人間とくくられるのは、いくらなんでも不本意だったけど。

男が私の持っていたカバンを漁り始める。
財布からお札を抜いて、ポイと捨てるのが見えた。
通帳に手をかけられているのを見て、私は初めて抵抗をした。


「やめて」


男が手にしていたのは母からの仕送りが記帳された通帳だった。


「やめて……だめ……それだけは……」


必死に伸ばそうとしていた私の手を、男の手が絡め取って地面に押し付ける。
視線が私を捉えて、男の興味がカバンの中身から私に移ったのを感じた。


「なんだよ。良い声出せるじゃん」


男は覆いかぶさるようにして、舌先を私の首に這わせてきた。
血を舐めているのかもしれない。

男から顔を背けると、男の手から放たれた通帳が私の指先に落ちていた。
あと5センチくらいで手が届くのに。
伸ばそうとしても、きっと届かない。

何をしてるんだろう。
手が届いたから、だからなんだって言うんだろう。
これを守って。守り続けて。
それがなんだっていうんだろう。

愛されてる?
愛されていない?

だからって、どうなるんだろう。
確かめる勇気もないけれど、それを確かめられたら何か変わるんだろうか。
今の私と母の関係が、何かひとつでも変わるんだろうか。

きっと変わらない。
今の私じゃ、何も変えられない。

この通帳も私が死んだら意味をなさないものになる。
母はどう思うだろうか。
泣いてくれるだろうか。
それよりも、私のことを馬鹿な娘だったと呆れるだろうか。

人通りの無い夜道をひとりで歩いていて殺された、常識外れの娘がいた。
親はどういう教育をしてたんだ。
ひょっとしたら、そういう世間の目で母をまた苦しめてしまうかもしれない。

ごめんなさい。

胸が少し痛んだけれど、それももうどうでもいいことだった。
死んだら全てが無に帰る。
この胸の痛みも、訳のわからない気持ちも、全部。


解放されるんだ。


男の手が服を剥いできて、夜気が素肌に突き刺さる。
体をまさぐられ、力任せに胸を掴まれて痛かった。


――俺以外にそれ、しないでよ?


唐突に、いつかの雅の言葉が頭に浮かんで消えた。

ごめんね。

私が死んだら、雅もようやく諦めがつくだろう。
もっと良い子を見つける。
今度こそきっと、幸せに、なる。
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