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3章 恋の証明
08 ともし火
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自分の部屋に戻る。
机と寝る場所以外は何にも無い相変わらずの部屋だったけど、窓辺にはヤシ男さんがいる。
マグカップに汲んできた水をヤシ男さんに与えながら、私は数週間前の出来事をぼんやり思いだしていた。
「欲しい物があれば持って行って。俺にはもう必要ないから。ここにある物は全部業者に片付けてもらうつもりだから」
別れ話をした夜に、必要最小限の荷物だけ持って雅は出て行ってしまった。
家具も何年も大切に持っていただろう本も、ヤシ男さんさえも……全部置いて。
「桐羽さんからもらったんでしょ……? この子は、連れて行かないの……?」
土を零さないように気をつけながら、雅の目の前にヤシ男さんをかざす。
鉢は持ち上げるとだいぶ重たかったけど、荷物になっても育てる人が自分しかいないと言って持ってきたのは雅だ。
雅は暫くヤシ男さんを見つめてから、ちょっと困ったような顔をして笑った。
「なんか、それ見てるとばーちゃん思い出して辛くて」
鉢を掴む私の手に、雅の冷たい手のひらが触れる。
雅はヤシ男さんを腰の高さまで下ろすと、笑顔を強張らせて首を横に振った。
「結局さ……ばーちゃんの言ってることって、綺麗事で夢物語でしかなかった」
抑揚の無い声が、静寂の中に消えていく。
あの日の雅の言葉が忘れられない。
悲しそうな笑顔が今も脳裏に焼き付いて離れない。
私は今まで、一緒にいた雅から後ろ向きな言葉を聞いたことが無かった。
桐羽さんの言葉を信じたくて、信じようとして、いつも前を向いていた雅が。
愛すること、愛されることを諦めなかった、私を救ってくれた……最愛の人が。
大切にしてきた信念を否定しようとしている。
私がしたかったのは、私の気持ちを雅に伝えること。
桐羽さんの言葉を、雅に証明することだった筈なのに。
雅を悲しい気持ちにさせて、桐羽さんの想いを疑わせることなんて、一番したくはなかったのに。
桐羽さん、助けて……。
また私に魔法をかけて。
優しい笑顔で私と雅に「大丈夫」って言って欲しい。
どんなに求めて願っても、桐羽さんはもういない。
止まっていた涙が溢れそうになって、奥歯をグッと噛みしめ堪えた。
もう泣かない。
これから先にどんなことが待ち受けていても、いちいち傷ついてなんかいられない。
私は何があっても立ち止まらない。
弱い自分を克服するんだ。
桐羽さんの想いを、雅にまた信じてもらうためならなんだってする。
私だけは前を向き続けて、桐羽さんの想いを繋ぎとめる。
孝幸さんが求めているのは、どういう人間なんだろう。
リリーバリーは歴史が浅い。
親子二代で作った会社だ。
有野くんと話した感じだと、雅が中学校に入るまではごく普通の家庭だったんだと思う。
『然るべき人』そういう言いまわしをしていたけど、孝幸さんが古くから続く家柄や元々持っている財力で人間の価値を判断しているとは思えない。
家庭環境だってそう。
事情は違えど雅だって父子家庭だ。
私が母子家庭であることもハンデになっているとは思わない。
絶望的な状況だったけど、希望を捨ててはいなかった。
孝幸さんと交わしたヤシ男さんの会話から垣間見えることがあるとするなら、過程より、結果を重視しているのかもしれない。
厳しい人だと思う。
何か目に見える形で結果を残さなければ認めてもらえないのかもしれない。
ヤシ男さんの葉を撫でる。
ひょろひょろと左右に伸びきった長い茎、日焼けして色が変わってしまった葉。
茎の隙間から覗いている、丸くて可愛い、小さな電飾を灯したような黄色い花。
月日をかけて株を増やし、繁殖を続けた根元。
この子が生きてきた過程。
雅と桐羽さんとの思い出全部が、今の雅を培ってきたものの筈なのに。
「価値が無い訳、ないじゃない」
服が汚れても構わずに、私は鉢ごとヤシ男さんを抱きしめた。
無謀なのかもしれない。
それでも胸の奥に灯った小さな明りを、私は諦めることができなかった。
机と寝る場所以外は何にも無い相変わらずの部屋だったけど、窓辺にはヤシ男さんがいる。
マグカップに汲んできた水をヤシ男さんに与えながら、私は数週間前の出来事をぼんやり思いだしていた。
「欲しい物があれば持って行って。俺にはもう必要ないから。ここにある物は全部業者に片付けてもらうつもりだから」
別れ話をした夜に、必要最小限の荷物だけ持って雅は出て行ってしまった。
家具も何年も大切に持っていただろう本も、ヤシ男さんさえも……全部置いて。
「桐羽さんからもらったんでしょ……? この子は、連れて行かないの……?」
土を零さないように気をつけながら、雅の目の前にヤシ男さんをかざす。
鉢は持ち上げるとだいぶ重たかったけど、荷物になっても育てる人が自分しかいないと言って持ってきたのは雅だ。
雅は暫くヤシ男さんを見つめてから、ちょっと困ったような顔をして笑った。
「なんか、それ見てるとばーちゃん思い出して辛くて」
鉢を掴む私の手に、雅の冷たい手のひらが触れる。
雅はヤシ男さんを腰の高さまで下ろすと、笑顔を強張らせて首を横に振った。
「結局さ……ばーちゃんの言ってることって、綺麗事で夢物語でしかなかった」
抑揚の無い声が、静寂の中に消えていく。
あの日の雅の言葉が忘れられない。
悲しそうな笑顔が今も脳裏に焼き付いて離れない。
私は今まで、一緒にいた雅から後ろ向きな言葉を聞いたことが無かった。
桐羽さんの言葉を信じたくて、信じようとして、いつも前を向いていた雅が。
愛すること、愛されることを諦めなかった、私を救ってくれた……最愛の人が。
大切にしてきた信念を否定しようとしている。
私がしたかったのは、私の気持ちを雅に伝えること。
桐羽さんの言葉を、雅に証明することだった筈なのに。
雅を悲しい気持ちにさせて、桐羽さんの想いを疑わせることなんて、一番したくはなかったのに。
桐羽さん、助けて……。
また私に魔法をかけて。
優しい笑顔で私と雅に「大丈夫」って言って欲しい。
どんなに求めて願っても、桐羽さんはもういない。
止まっていた涙が溢れそうになって、奥歯をグッと噛みしめ堪えた。
もう泣かない。
これから先にどんなことが待ち受けていても、いちいち傷ついてなんかいられない。
私は何があっても立ち止まらない。
弱い自分を克服するんだ。
桐羽さんの想いを、雅にまた信じてもらうためならなんだってする。
私だけは前を向き続けて、桐羽さんの想いを繋ぎとめる。
孝幸さんが求めているのは、どういう人間なんだろう。
リリーバリーは歴史が浅い。
親子二代で作った会社だ。
有野くんと話した感じだと、雅が中学校に入るまではごく普通の家庭だったんだと思う。
『然るべき人』そういう言いまわしをしていたけど、孝幸さんが古くから続く家柄や元々持っている財力で人間の価値を判断しているとは思えない。
家庭環境だってそう。
事情は違えど雅だって父子家庭だ。
私が母子家庭であることもハンデになっているとは思わない。
絶望的な状況だったけど、希望を捨ててはいなかった。
孝幸さんと交わしたヤシ男さんの会話から垣間見えることがあるとするなら、過程より、結果を重視しているのかもしれない。
厳しい人だと思う。
何か目に見える形で結果を残さなければ認めてもらえないのかもしれない。
ヤシ男さんの葉を撫でる。
ひょろひょろと左右に伸びきった長い茎、日焼けして色が変わってしまった葉。
茎の隙間から覗いている、丸くて可愛い、小さな電飾を灯したような黄色い花。
月日をかけて株を増やし、繁殖を続けた根元。
この子が生きてきた過程。
雅と桐羽さんとの思い出全部が、今の雅を培ってきたものの筈なのに。
「価値が無い訳、ないじゃない」
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それでも胸の奥に灯った小さな明りを、私は諦めることができなかった。
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