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(そうだ、あの時円香は確か、相手は【江南家】だと話してた……クソっ、どうして俺はそんな大事な事を忘れてたんだよ?)

 自ら別れを選び、彼女を突き放した伊織だったが、こうなってくると話は変わってくる。

「伊織、江南家と雪城家は、榊原とも深い関わりがある。その二件についてはお前に情報収集を頼みたい」

 基本、情報収集は雷斗の役割なのだが、彼は伊織に話す前に忠臣に相談をしていて、この件は伊織に任せるようにと言われていた。

「……ああ、俺もそのつもりだ。これまでの資料、全て渡してくれ」
「分かった。すぐに伊織のスマホにデータ飛ばすよ」

 こうして伊織は再び円香に関わる事になるのだが、状況は既に悪化の一途を辿っていた。

 式の日取りが決まってもなお、円香は颯からの指示で様々な事を強要されていた。

 自宅から家や会社に関するありとあらゆる資料やデータを持ってこいと言われれば、誰にも見付からないよう父親の部屋に忍び込んでは、泥棒のような真似事をさせられていた。

「おい、本当にこんなくだらねぇ情報しかねぇのかよ? 」
「私には、それが精一杯です。見付かれば、いくら家族と言えどただでは済みませんもの」
「だから、部外者より怪しまれないで家を歩き回れるお前に頼んでんだろうが!  もっと役に立てよな。それともわざとか?  江南家に情報を流したくないから、こんなどうでもいいデータや資料しか持って来ねぇのか?  俺らが欲しいのは、機密事項の書類とか、もっと裏に関するヤバい資料やデータなんだよ」
「そんなの、私には分かりません……お願いだから、もう、許して……」

 円香は辛かった。日々颯に言われて泥棒紛いの事をさせられたり、颯の機嫌を窺いながら怯える毎日を過ごす事が。


「はあ……そういう辛気臭い顔止めろよ。気分が下がる」
「…………っ」
「あー気に入らねぇ!  本当苛つく女だ。何をやらせても使えねぇ。金の為とはいえ、とんだ貧乏くじだぜ」
「……ご、ごめんなさい……」
「俺、言ったよな?  役に立てねぇなら別の使い道考えるって」
「…………何を……」
「式まではようやく後二週間だ。それまでは、お前を家には帰さない。お前もそろそろ限界だろ?  逃げたいって思ってんだろ?  それとも死にたいって思ってるか?」
「…………っ」
「まあ何でもいいけどよ、逃げられても死なれても困るから、式まではもうお前に自由を与えない事にした。それに、そろそろいいだろ?  もうすぐ夫婦になるんだ、いい加減ヤラせろよ」
「……い、嫌っ!  それだけは嫌っ!  役に、もっと役に立つから……だから、それだけは……っ」

 円香は首を横に振り、逃げようと颯から距離をとるけれど、颯もまた円香へ近づいて行く。

「そんなに嫌か?  まあ、別に嫌がってもいいぜ?  無理矢理ってのも俺は嫌いじゃねぇし。平気だって、そのうち慣れる。慣れれば全てどうでも良くなる。そうなるような良い薬もあるからさぁ、そろそろ愉しもうぜ?」
「いらないっ!  そんなのいらないっ!  貴方にそんな事されるくらいなら……死んだ方がマシです!!」

 そう叫びながら円香はテーブルに置かれた林檎の隣にある果物ナイフを手に取ると、

「こ、来ないで!!  近付かないで!  それ以上近付いたら、私……」

 震える手でナイフを自身の首元にあてがいながら、颯に向かって言葉を放つ。

「止めとけって。そんな震えてんだ。どうせ手元狂って急所外れるから、変なとこ切って苦しいだけだぜ?  お前みたいなお嬢様に、そんな事出来ねぇだろ?」
「出来ます!  貴方に好き勝手されるくらいなら、苦しんで死ぬ方がいい!」

 円香は後退りながら、ドア付近までやって来る。

「はぁ、随分嫌われたもんだなぁ。せっかく気持ちよくしてやろうと思ったのに、お前は俺の厚意を無下にした。それなら、お望み通り苦しませてやるよ。おい!  女を捕らえろ」

 颯のその言葉と共に円香がせを向けていた部屋のドアが開くと、二人の屈強な男が入って来た。

「え……」

 あまりに突然の事で動く事が出来なかった円香は一人の男にナイフを奪われると、みぞおちを殴られその場に崩れ落ちていく。

「けほっ、こほっ……」

 息苦しさと痛みで表情が歪む円香に近寄った颯は彼女の髪を掴み上げ、

「俺に逆らうから、こういう目に遭うんだ。よく覚えておけ。おい、この女を別館の地下室に入れておけ」
「うっ!」

 言いたい事だけ言うと、床に叩きつけるように掴んでいた髪を放し、その衝撃で円香は気を失ってしまうのだった。
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