幼なじみの彼女に裏切られ、親友と付き合っていたことを知ってしまったので、親友の婚約者であり幼なじみの天敵の悪役令嬢と組みたいと思います

竜頭蛇

文字の大きさ
58 / 64

婚姻届

しおりを挟む

 婚約の話。
 元よりこの話について、精華は触れるつもりはなかった。
 秋也がプール掃除に来ることについては事前に知らず、母の珠子から婚約の話を持ち出されてからは学校にも行かず避けていたほどだ。

 だがここまで必死になって秋也が自分のために動いてくれたことで、婚約についての話をすることの我慢が効かなくなってしまった。
 早く楽になりたいという気持ちを押さえつけることを精華はできなくなった。

「秋也は婚約についてどう思っていますか?」

「前言ってたことか。婚約については正確には結ぶのまだみたいだけど。珠子さんは本気みたいだね」

「ええ」

 秋也は婚約についてどう思っているかは明言せずに、状況についてだけ応えた。
 頭の回転の速い秋也のことなので、精華が婚約破棄でメンタルが弱っていることやシンガポールのホテルの一件で戸惑っていることを知っているから、自身の所感について言うのは避けたことを精華は悟る。
 そういう優しさの誘惑がじくりじくりと心を惑わしていくのを彼女は感じる。
 きっと彼と一緒になれば、絶対に裏切ることもなければ、自分のことを第一に考えてくれるだろうという確信が精華にはあった。
 信じていたというのに、長い間婚約者の律との関係がきっと回復するはずだと思っていたと言うのに、結局父親の仇と手を組まれて裏切られた精華にとっては抗い難い誘惑だ。
 期間でいえば苦しむ時間は他の3人と比べて精華は長かった。
 皆が苦しみから解放されて、どこか幸せそうにしているのを見せつけられていたのだ。
 婚約破棄された皆が秋也に対して並々ならぬ気持ちを持っていることは知っているが、婚約の一件から精華も自分を癒して幸せにしてくれるだろう秋也が欲しくなってしまっていた。
 自分だけが確定で秋也を付き合える権利を持っている。
 他の3人が何をしようが自分のものにできる強権を自分だけが持っているという事実は精華にとって強すぎる誘惑だった。
 現在傷つき他人からの愛情を求めている彼女にこれに抗うことなど不可能だった。

 今、状況も状況で精華と秋也たち2人だけで、誰かの目を憚ることもない。
 タイミングまでそのまま誘惑に沿って口を動かすように促しているようにしか精華には思えなかった。

「私も婚約、本気です」

 ーーー

 精華からの想像していた真反対の返答に困惑する。
 前回、あれだけ戸惑っていたと言うのに、なぜ肯定する方に。
 普通であればあの反応ならば、否定する方に行くと言うのに。

「え、婚約するってことは俺と結婚するってことだけど」

「はい、秋也と私は結婚します」

 精華に再度確認すると覚悟完了した言葉が返ってきた。
 本当に本気のようだ。
 因果関係が不明な上、流石にこの段階で早計する気がするし、まず俺は麻黒さんから再度告白すると言われている。
 告白を再び受けることを肯定したというのに、それを待たずにそういうことを決めるのはひどく不誠実な気がする。

「いや、まだ話があったとはいえ、覚悟を決めるのは速いよ。まだ完全に決まったわけじゃないし」

「母が決める決めないも婚約も関係ありません。あなたと一緒にいたいんです」

 宥めようと思ったが、プロポーズをされてしまった。
 告白も、付き合うのも、段階を吹き飛ばしてクライマックスだ。
 婚約のことを考えれば、不思議なことではないかもしれないが、普通に考えればおかしい。
 精華のような見た目もいいし、気立てのいい子に言い寄られて、悪い気はしないが、ここまで急激な距離の詰め方はまずいと本能が語りかけている。

「精華、落ち付いて。多分熱中症で気分がおかしくなっているんだよ」

「熱中症のせいじゃないです。秋也のせいです。近くにきてくれますか」

 先ほどから何かの堰が切れたように極端な言動をしていることと、顔が赤いこともあり、様子を確認するためにも精華の要求に応える。

「もう少し近くにお願いします」

 ベッドの脇まで近づくと、ベッドのシーツを叩いて腰を下ろすように促してきたので、やや近づきすぎではないかと思ったが、遠ざかるのも精華が傷つくかもしれなかったのでそのまま腰を下ろす。
 振り返ると精華が顔が近くにあり、首元に抱きつかれるような感触が伝わると口と舌に温かいものが触れた。
 一泊あって、甘い吐息と舌を這う快感が押し寄せてくるとキスされていることに気づき、反射で口を閉ざしそうになったが、怪我をさせたらことなので我慢する。
 舌を思うようにされている中、精華がのしかかるような感じで抱きついていることもあり、そのままベッドに倒れてしまう。
 頭が変になりそうなのもあって、精華を引き離しにかかると、ガラガラと保健室の扉が開く音が聞こえた。
 目を向けると首元に和彫が微かに見えるサングラスをかけた屈強な男数人が入ってくるのが見えた。
 どう見てもヤクザーー花園組の人たちだ。
 側から見れば、組長の娘をたらし込んでいる奴にしか見えない現在の状況からして、絞められる予感しかしない。

 なんとか力を強めて精華を引き離すと弁解するためにも、花園組の人たちに向き合う。
 すると先頭にいた顔の頬に縦に傷が入っているメガネをかけたインテリヤクザぽい人がカバンから、一枚の書類を取り出してこちらに広げた。

「田中様。婚姻届です。こちらにハンコを」

 差し出される婚姻届に理解が届かず、固まると残りの2人組が椅子を引き、テーブルの上にハンコを使うための朱印を用意し始めた。

「これで私のものですね。秋也」

 胸元で俺の影に隠れたせいで光のない、少し病的に見える目で、精華が見上げてくる。


ーーー

次の更新は25日になります。
よろしくお願いします。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

嘘からこうして婚約破棄は成された

桜梅花 空木
恋愛
自分だったらこうするなぁと。

罰ゲームから始まった、五人のヒロインと僕の隣の物語

ノン・タロー
恋愛
高校2年の夏……友達同士で行った小テストの点を競う勝負に負けた僕、御堂 彼方(みどう かなた)は、罰ゲームとしてクラスで人気のある女子・風原 亜希(かざはら あき)に告白する。 だが亜希は、彼方が特に好みでもなく、それをあっさりと振る。 それで終わるはずだった――なのに。 ひょんな事情で、彼方は亜希と共に"同居”することに。 さらに新しく出来た、甘えん坊な義妹・由奈(ゆな)。 そして教室では静かに恋を仕掛けてくる寡黙なクラス委員長の柊 澪(ひいらぎ みお)、特に接点の無かった早乙女 瀬玲奈(さおとめ せれな)、おまけに生徒会長の如月(きさらぎ)先輩まで現れて、彼方の周囲は急速に騒がしくなっていく。 由奈は「お兄ちゃん!」と懐き、澪は「一緒に帰らない……?」と静かに距離を詰める。 一方の瀬玲奈は友達感覚で、如月先輩は不器用ながらも接してくる。 そんな中、亜希は「別に好きじゃないし」と言いながら、彼方が誰かと仲良くするたびに心がざわついていく。 罰ゲームから始まった関係は、日常の中で少しずつ形を変えていく。 ツンデレな同居人、甘えたがりな義妹、寡黙な同クラ女子、恋愛に不器用な生徒会長、ギャル気質な同クラ女子……。 そして、無自覚に優しい彼方が、彼女たちの心を少しずつほどいていく。 これは、恋と居場所と感情の距離をめぐる、ちょっと不器用で、でも確かな青春の物語。

英雄一家は国を去る【一話完結】

青緑 ネトロア
ファンタジー
婚約者との舞踏会中、火急の知らせにより領地へ帰り、3年かけて魔物大発生を収めたテレジア。3年振りに王都へ戻ったが、国の一大事から護った一家へ言い渡されたのは、テレジアの婚約破棄だった。 - - - - - - - - - - - - - ただいま後日談の加筆を計画中です。 2025/06/22

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ふたりの愛は「真実」らしいので、心の声が聞こえる魔道具をプレゼントしました

もるだ
恋愛
伯爵夫人になるために魔術の道を諦め厳しい教育を受けていたエリーゼに告げられたのは婚約破棄でした。「アシュリーと僕は真実の愛で結ばれてるんだ」というので、元婚約者たちには、心の声が聞こえる魔道具をプレゼントしてあげます。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

処理中です...